風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

英語を話そうとすると……(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第58話)

2011年09月09日 06時35分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 数年前、京都の鴨川沿いの道を散歩していたら、白人のお兄さんに英語で道を訊かれた。彼が広げたプリントアウトの紙には簡単な道筋が描いてあって、目的地に星印がついている。京都の町の地理には疎いのだけど、○条通りと道の名前がローマ字表記してあったから、それと道の標識を照らし合わせた。ご存知のように京の町は碁盤の目のようになっているからわかりやすい。
「ゴー・ストレート、アンド・ターン・ライト」
 と英語で言おうとしたら、
「一直往前走(イージーワンチェンゾウ)、然后右拐(ランホウヨウグアイ)」
 と中国語が口をついて出てくる。僕は慌てて英語で言いなおした。お兄さんはふむふむとうなずく。
 ほっとしたのもつかのま、
「この通りはここでいんだよね」
 といったことを訊いてくるので、
「イエス」
 と言おうとしたら、
「対(ドゥイ)」
 とまた中国語が出てくる。僕がうなずきながら言ったから、わざわざ英語で言い直さなくてもこれであっているとわかってくれたようだった。たぶん、あのお兄さんは僕が日本語で返事したと思ったんだろうな。
 バックパッカーをしていた頃は、ごく簡単な英語でピーチクパーチク話していた覚えがあるけど、今ではすっかり忘れてしまった。なにしろ、学校を出て以来、まともに勉強をしたことがない。
 先日、仕事である研究所を訪問した。日本から出張でやってきた日本人二人と僕の三人で中国人の研究者と面談したのだけど、日本人の二人は流暢な英語を話すし、中国人研究者と彼の秘書も英語が達者なので、面談はずっと英語だった。
 僕はただたんに同行しただけで、英語でのやりとりはいっしょに行った日本人二人がやってくれたし、話の内容はわかっているのでなにを言っているのかくらいはだいたいつかめたのだけど、それでも、時々僕に話を振ってくるので困った。
「御社の従業員は何人くらいですか?」
 と英語で訊かれたので、
「About two hundred」
 と答えようとした。頭のなかでは英語の単語が浮かんでいるのに、
「大概(ターガイ)、两百个人(リャンバイガレン)」
 と、また中国語が口をついて出てくる。
 みんな英語で話しているのに、僕ひとりだけついていっていない。僕以外の四人は、英語を聞いて英語で理解しながら会話しているようだけど、僕ひとりだけ違った。どうやら、耳で英語を聞きながら、頭のなかでは自動的に中国語へ変換しているようだ。
 しかたがないので、話を振られたら「すみません、中国語で」と断ってどんな簡単なことでも中国語で話した。みんな英語で話しているのに、一人だけ中国語を話すのは気が引ける。中国人は話をわかってくれるけど、日本人のほうが理解できなくなる。英語で順調に話が進んでいるのに、その流れを中断してしまうのは申し訳ない。申し訳ないのだけど、話せないものはしょうがない。しょうがないのだけど、やっぱり申し訳ないので冷汗をかいた。
 僕みたいな英会話の訓練をほとんどしたことのない中国語使いは、英語を話そうとするとだいたい同じような現象に陥る。中国語のほうが第一外国語になっているので、外国語を話そうとすると条件反射的に中国語が口をついて出てしまうのだ。
 面談の後、中国人研究者に昼食をご馳走していただいた。
 彼の部下の若い人たちといっしょに大きな円卓を囲んでの食事だったのだけど、それもすべて英語だった。中国人の若い人たちも流暢な英語を話す。会話に加わりたいし、かわいい女の子がいたので仲良くなりたかったのだけど、場を乱してはいけないのでほとんど黙っていた。
 やっぱり英語ができたほうがなにかと便利なんだよな。
 若い頃にちゃんと勉強しておけばよかった。




 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第58話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/



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