風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

痩せ細る日本(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第449話)

2021年07月21日 06時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

「ブランド物のバッグを持っている人がほんとうに少なくなったわね」
 上海人の奥さんがしみじみと言う。
 奥さんは二〇〇〇年頃に一年半ほど東京に暮らしていたことがある。僕と知り合うずっと前だ。その頃、奥さんは東京の街を歩いているとブランド物のバッグを下げている女性が多くて羨ましかったそうだ。
 三十年ほど前と比べて、日本は二割ほど貧しくなっているだろうか。非正規雇用が激増し、賃金が削られ、増税や社会保険費用負担の増大のために懐の余裕がなくなってしまった。ブランド物のバッグを下げている人が減ったのも、消費者の嗜好の変化というものもあるだろうが生活のゆとりがなくなった一つの証といえるだろう。

 僕が大学の在学中にバブル経済が弾けた。僕が入学した頃はバブル経済の末期だったから、四年生の先輩は一人で七つ八つと企業の内定を取り、なかには十社から内定を取った人もいた。企業から電話がかかってきて一次面接へ行き、その場で即内定ということも珍しくはなかった。ところが、僕の一つ上の学年から就職氷河期が始まり、内定を一つ取るのがやっという状態になった。
 当時、「価格破壊」という言葉が流行った。バブル経済の浮かれ調子はどこへやらで、不景気になって安売り合戦が始まったのだ。この失われた三十年は安売り合戦が当たり前の時代になったが、それまでは物価は上がるものというのが常識だったから「価格破壊」という名の値下げ合戦は新しい現象だった。僕が受講していた経営学のK先生は「価格破壊なんていつまでも続かないと思うけどねえ」と首をひねっていた。そんなことを続ければ企業はみな赤字になって倒産してしまうだろうということだった。だが、「価格破壊」――つまり、デフレは約三十年間も続くことになった。

 それまでの経済学では、K先生の考え方は常識的なものだった。
 それまでの経済学とは、「戦後復興と国造り」を目指した経済学といえるだろう。欧米諸国にいかに近づき、いかに追い越すかがテーマだった。バブルの絶頂期には、「日本は太平洋戦争ではアメリカに負けたが、経済戦争ではアメリカに勝った」と今から考えてみれば呑気なこと言う人がわりといたのだが、それは「アメリカを追い越したい」という思いが強かったからなのだろう。戦争でこてんぱんにやられ、悲惨な目にあいながらも焦土から立ち上がった世代からすれば溜飲が下がる思いだったのかもしれない。貧しかった日本がよくぞここまで豊かになったという陶酔感が日本を覆っていた。
 だが、日本はアメリカに勝ったわけでもなんでもなかった。確かに、個々の製造業の企業をみれば、アメリカのそれよりずっとすばらしい企業が数多くあった(数は減ったものの今でもそうだ)。しかし、政治、軍事といったものを含めた総合的な国力ではアメリカのほうがはるかに上であり、なにより、日本がアメリカの属国でしか過ぎないということには変わりなかった。

 バブル経済で浮かれていたのは、ソ連が崩壊した時期と重なる。社会主義国家が自壊して、資本主義の全面勝利とされた。
 資本主義国家陣営と社会主義国家陣営に分かれて東西の冷戦をやっていた頃は、資本主義の国家でも社会主義的な政策を採り入れて国民を豊かにする必要があった。日本でも社会主義が一定の勢力を保ち、社会主義的な政策を求める国民の声が一定の力を持っていた。国家は、自国が社会主義国家になることを恐れ、国民の不満がたまらないように国の舵取りを行なっていたのである。
 社会主義的な政策は、国力の増大に大きく寄与した。国民一人ひとりが豊かになるということは、それだけ消費力が大きくなる。その国民の消費力の大きさが、新たな投資を呼び込み、発展の原動力となった。国民の消費力の大きさが発展の好循環を形作っていたのであった。
 ところが、「仮想敵」であった社会主義国家が自壊してしまうと、日本も含めた資本主義国家は、社会主義的な政策を取り入れる必要性が薄れた。社会主義が退潮して、自国で社会主義革命が起きる可能性がほとんどなくなったからである。このことも、日本の経済政策変更の大きなきっかけとなった。

 バブル経済崩壊後の日本に起きたのは、国民からの収奪だった。平たく言えばピンはねである。それまでも、もちろん国民からの収奪はあったが、国造りを目指す経済政策や社会主義的な経済政策による国民の富の増進がそれを上回っていた。しかし、国造りを目指す政策や社会主義的な政策が影をひそめると、国は国民からの収奪するための政策を露骨に進めるようになった。
 収奪の代表的な例が、1996年と1999年に行われた「労働者派遣法」の改正(専門性の高い業務に限られていたものから、原則自由化へ)であり、1997年4月に行われた消費税率の引き上げ(3%から5%へ)だった。
 この二つの政策変更は、日本経済の発展を阻害する大きな要因となる。

 企業は社員が働くことによって利益を得る。社員が働かなければ利益を得ることができない。これはどんな業種であっても同じだ。労働が価値の源泉となる。
 この労働から収奪を行えば、企業はさらに富を蓄積することができる。例えば、今まで正社員が時給一五〇〇円で働いていたものを、非正規労働者が時給一〇〇〇円で同じ仕事をすれば、企業は同じ労働から五〇〇円分ピンはねして富を蓄積することができる。派遣会社は非正規労働者を企業へ斡旋し、非正規労働者からピンはねを行なう。非正規労働者は派遣会社と派遣先から二重にピンはねされているわけだ。
 ピンはねされれば、当然、労働者が手にする給料は減る。給料が減れば、消費を抑えざるを得ない。消費を抑えれば、モノやサービスの売れ行きが落ち込み、企業の収益は下がる。企業の収益が下がれば、企業は非正規雇用を増やして労働者の給与をさらに抑制する。そうなれば、消費はさらに落ち込む。負のスパイラルである。
 この負のスパイラルを繰り返した結果、今では雇用の約四割が非正規雇用となっている。二十五年前と比べて世帯当たりの平均収入は約百万円も下がってしまった。なによりも問題なのは、ワーキングプアの問題だ。働いても働いてもまともな暮らしができない世帯が大幅に増加してしまった。

 消費税は消費からのピンはねだ。
 消費者がモノやサービスを購入するたびに政府がその数%をピンはねする。ピンはねされれば、当然、その分、消費が萎縮してモノやサービスの売れ行きが悪くなる。消費税は抑制する効果がある。
 税負担の逆進性が高いのも問題だ。
 例えば、一万円の商品を購入したとする。消費税は8%だから誰でも平等に八百円の消費税を支払う。この誰でも平等にと言うのが曲者だ。年収三百万円の人も、年収三千万円の人も、同じく八百円の消費税を支払う。ただし、年収三百万円の人にとっての八百円と年収三千万円の人にとっての八百円では重みが違う。年収からの税負担率をみた場合、年収三百万円の人にとっての八百円は、年収三千万円の人にとっての八百円よりも十倍も重くなる。消費税は、年収が低ければ低いほど、負担の大きい税金だ。世の中に年収三百万円の人と三千万円の人を比べてどちらが多いかといえば、年収三百万円の人の方が圧倒的に多い。消費税は、消費の主体となるはずの大多数の人に重い税負担がのしかかる仕組みなのだ。これでは消費が上向くはずがない。
 これまでの消費税増税では毎回、消費が劇的に落ち込み、そのために景気が劇的に落ち込み、ようやく成長の軌道に乗りかけた日本経済を破壊してきた。
 なお、消費税には輸出戻し税の問題もある。海外へ輸出する場合、海外の消費者に負担を求めることはできないので、輸出企業に輸出戻し税が還付され、下請け企業が納めた消費税が輸出企業の収入となる。この輸出戻し税は、一説によれば毎年三兆円になるとも言われている。一種の輸出奨励金と言えるのかもしれないが、一部の輸出企業だけが消費税を横取りする形になるのは、やはり問題だろう。一部の輸出企業が消費税を悪用してピンはねしているとも言えるからだ。

 労働からのピンはねと消費からのピンはねによってーーもちろんこれだけが要因ではなくもっと大きな要因もあるのだがーー、日本経済は成長を抑えこまれてきた。日本経済は没落の一途をたどっている。
 日本の一人当たりの名目GDPは1993年に世界第三位だったものが、二十五年後の2018年には世界第二十六位にまで落ちてしまった(IMF統計)。1990年代は世界第三位や第四位といった世界でもトップのポジョションにいたのだが、2003年には第十二位と二桁代に落ち、2013年からは、第二十五位前後が定位置になっている。
 日本が世界中のGDPに占める割合も随分と下がった。1995年には、日本のGDPは世界の十七・六%を占めていたが、今では約六%にまで下がってしまった。

 日本が衰退する一方で、当然のことながら世界中の様々な国は成長を続けてきた。
 一人当たりの名目GDPデータで1993年と2018年を比べてみるとアメリカは約二・三倍になり、韓国は約三・六倍になった。韓国の名目GDPは、1993年においては日本の四分の一だったが、2018年には日本の約八割にまで成長している。中国はこの二十五年間で名目GDPが約十八・三倍になった。1993年にはわずか日本の約一・五%に過ぎなかったのが、2018年には日本の約四分の一のところまできている。日本はといえば、この二十五年間でわずかに10%増えただけだ。日本は没落の一途をたどっているのである。

 日本にいると物価もあまり変わらないのでこんなものかなと思ってしまうのだが、経済成長を遂げている諸外国の物価はかなり上がっている。
 日本の物価が変わらず、諸外国の物価が上がるということは、日本の購買力が落ちるということでもある。日本は様々な国から様々なものを輸入している。特に大きな輸入先はやはり中国で輸入総額の二十%強を占める。輸入総額の五割弱はアジアからだ。
 例えば、ある企業が十五年前にアジアのA国のメーカーに設備を依頼して輸入していたとしよう。十五年が経過して設備の耐用年数を迎えたので設備を更新することになった。見積りを取ってみると、十五年前は日本円にして五億円だったものが、A国の物価が上がったので今回は十二億円もする。
 よその国で安く作れるメーカーがあればいいのだが、そうもいかず、やはりA国のメーカーに作ってもらうしかないとなれば、その設備を使った事業を続けられるかどうかの問題になる。設備の価格が上がった分をすんなりと価格へ転嫁できればいいが、そんなに値上げしては顧客が離れてしまい採算がとれるだけの販売が見込めないとなればその事業を諦めるしかない。
 このようなケースは珍しくない。日本の物価が上がらないために、外国からの物品(設備)やサービスの購買が厳しくなり、日本でのビジネスチャンスが奪われてしまっているのである。ピンはねされて経済活動が痩せ細れば、ビジネスチャンスが狭まるのも当然のことなのだが。

 さて、ピンはねされた日本国民のお金はいったいどこへ行ったのか? 
 ピンはねされたお金はごく一握りの裕福層の懐へ入り、大企業の内部留保として蓄えられ、株式の配当として外国へ流れている。
 ピンはねされたお金は日本国内では回らない。
 富裕層がピンはねした分は、それが贅沢品の購入に回るかもしれないが、消費に回るのはたかが知れていて大部分は資産として蓄え込まれてしまう。企業の内部留保は死蔵されているわけで世の中には出回らない。外国へ流れて行ったお金は当然、外国で回る訳で日本国内では回らない。日本国内でお金が回らないのであれば、日本経済がよくなるわけがない。日本人がいくら働いたところで、働いたそばからピンはねされるのでは、暮らしがよくなるはずもない。

 僕が学生だった頃は、まさかこんなことになるとは思いもしなかった。バブル崩壊の痛手のためにひどい不況がしばらく続くのだろうとは思っていたが、日本がここまで没落して貧困が蔓延するような国になるとは考えてもみなかった。
 どうしてこんなことになるのだろうと調べてみたら、国民からの収奪が原因だった。日本は壊れたのではなく、意図的に壊され続けてきたのだった。悪意を以て壊されたのではよくなるはずもない。そして、この収奪はひどくなる一方である。

 時間を巻き戻すことはできないのだから、失われた三十年は取り返しようもない。問題はこれからどうするかだ。
 逆に言えば、ピンはねをやめさせることができれば、日本経済は復活する。今のように景気がいいはずなのに実質賃金が下がるといった偽の好景気でなく、人々の暮らしがよくなるという本当の意味での経済成長が訪れる。失われた三十年となってしまったのは、労働からのピンはねと消費からのピンはねといった様々なピンはねによって痩せ細らされ続けてきただけのことだ。

 大多数の世帯の場合、消費税の負担額は一年あたり一か月の所得になるという。消費税を廃止すれば、今までぎりぎりの収入で暮らしている大多数の人々は、今まで必要であっても買えなかったものが買えるようになり消費が増える。大切なことは、ごく真面目に働きごく真面目に暮らしている大多数の人々の懐具合がよくなることだ。人々の暮らしが上向けば、消費が活発になり、企業活動も活発になる。つまりは、日本国内でお金が回る。
 ただでさえひどい財政赤字なのに、消費税を廃止すれば、税収が減ってしまうとの声もあるが、そんな心配はない。政府は一貫して消費税を社会福祉に使うと説明してきたが、実際のところは法人税減税の穴埋めに使われただけなので、法人税率を元に戻せば税収は問題ない。

 労働からのピンはねをやめさせることも大事だ。
 派遣労働法は廃止して、派遣労働者をなくせばいい。外国人単純労働者の受け入れも廃止すればいい。
 人手が不足しているというが、企業にとって都合のいい低賃金で働く人が不足しているというだけのことだ。
 不足しているのは、人手ではなく賃金だ。相応の賃金を払えば自然と人手は集まる。現に、人手不足が激しいと言われている業界でも、相応の賃金を払っている企業は人手に困っていない。働いてもいくらも稼げない、生活ができないというところに人手がこないのは当然なのである。労働からのピンはねをやめさせて、労働者が適正な賃金を得て安心して暮らせるようにしなければならない。

 これから第4次産業革命が起きてAIの時代になるというのに、いつまでも低賃金の労働者に頼っているのは問題だ。時代の流れに逆行している。
 賃金が高くなれば、企業は自然とAIロボットによる自動化を目指して投資を行なう。第4次産業革命の波に乗るためにはそのほうがよい。賃金が安ければ、企業はいつまでたってもAIによる自動化を目指さない。AIロボットを使うよりも、低賃金の労働者を使ったほうが目先の収益が上がるからだ。低賃金の労働者に頼るような旧態依然としたやり方を続けるよりも、AIによるイノベーションを目指したほうがはるかにいい。いろんなチャンスが広がる。

 ピンはねをやめさせることができれば、前向きで積極的ないい好循環を生み出すことができる。日本人は概して勤勉であるし、物事の処理能力も高い。外国にはない技術やノウハウもたくさん持っている。成長できるような環境さえ整えば、日本の経済はいくらでも伸びる。日本人の暮らしはよくなる。







(2019年7月19日発表)

 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第449話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


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