ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・39

2013-12-12 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

 第2収監区Cバラックに来て1ケ月も経っていないのにこのグループだけはガタガタになってしまった。ぼくが入ったからなのかもしれない、他のグループは平穏なのだから。そしてその原因はスタッフにあるとぼくは思った。Cバラックで常習的にスタッフを吸っているのはドイツ人のトーマス、ピーターとスペイン人のアミーゴそれにスリランカ人グループとぼくだ。他にもジャンキーはいる、表に出ないようにしている利口な奴、当然危険が伴うのだから。トーマスとピーターは単独でやっているが他はぼくらのグループに属していた。そこでのビリやスタッフの貸し借りがトラブルの原因になっていた。スタッフが買えずシックになった者は機嫌が悪い。
 ぼくらのグループはマークされていると度々フィリップスから注意を受けていた。いつか抜き打ちの調査が入るだろう。スタッフのパケを隠す場所など何処にもない。アフリカンはビキニ・タイプのブリーフをはいていたがぼくは大使館が差し入れしてくれたBVDの前開きのブリーフをはいていた。2枚重なったブリーフの下の方はちょうど袋のようになっている、ぼくはそこにパケを隠していた。ボディー・チェックで内股に手を当てられてもそれは分からないだろう。
 またショッカンと口喧嘩になった。不愉快なグループだ。やはり出るしかないのか、明日は別の寝場所を確保しなければならないだろう。フィリップスと組んでいたら事情は違っていたかもしれない。ディクソンはただ黙って見ているだけ、アミーゴが心配して色々と助言してくれた。このグループを出るにしても日常生活に必要な物を何一つぼくは持っていない。アシアナからここへ来た時ぼくが持っていた物はビニール袋に入った少しの衣類だけだった。しかしその夜から何不自由なく生活が出来た、それは食器、毛布から寝床まで彼らが用意してくれたからだ。ネット内で今までぼくが使っていた寝床は本来ショッカンの場所だった。彼はそれをぼくに譲り他の条件の悪い場所へ替わって寝ていた。それはぼくも知っていた。ダニエルのように何をされ無視されても寝床を替えられても文句を言わず従う、それはぼくには出来ない。収監区が替わるという話しはどうなっているのだろうか、インド的メイー・ビーでいつになるのか。
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