ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・37

2013-12-03 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

 今、12時になった。ハッピーニューイヤーだ。本当にここで新年を迎えてしまった。外では花火が盛大に打ち上げられている。Cバラック内ではアフリカンのミサが始まった。浮かれたお調子者が眠っている奴を次々と叩き起こしハッピーニューイヤーと声をかけた。眠りを破られた奴は機嫌が悪い。
「ハッピーニューイヤー?馬鹿野郎、何がハッピーだ・・・」
と怒鳴って又眠ってしまった。紅白歌合戦も日本料理、お酒もないそれでもやはり新年だ。朝、起きたらいつもと変わらない収監者の退屈な1日が始まるのだろう。1日は1日として刑期の日数に加算される1日となる。まだ多くの収監者が起きていた。何も起こらない、何もない。アフリカンのミサの祈りだけがまだ続いていた。
   1995年1月1日
 明けましておめでとうございます。
誰に言うでもなく日本語で言いそしてノートに書いた。日本を出て何回目の正月だろう楽しい思い出を残した正月はあったのか。91年はカトマンズだったと思う、その後タイランドのチェンライ、それから聖地リシケシ、94年はデリー、95年もデリーだけど刑務所とはまた変った場所だ。リシケシでは偶然にも日本人が10名ぐらい滞在していた。2人の女性が日本食らしいものを作ってくれた。或る男性はわざわざデリーまで行きウイスキー等の飲み物を買ってきてくれた。久し振りのウイスキーなのだがインド製だからなのか分からないが美味しくなかった。日本では仕事が終わると赤暖簾で日課のように飲んでいたのに旅をしている間はアルコールを余り飲まない。
 ぼくにはやはりチラムの方が良かった。ちょうどスタッフを断っていたときでまだ禁断の後遺症に苦しんでいた。
コメント
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