インプラント治療に私が強く関心を持った初めては、まだ院内生の5、6年生だった頃に遡ります。
私は学生時代、カリキュラムが厳しくなる4年生の頃から大学の真ん前のアパートの下宿して、毎日毎日友人達と苦して大変だった(今思えば懐かしいですが)実習を何とか乗り越えて頑張っていました。
毎週レポートを山のように書かされ、1週間に出すレポートの量が少年マガジンくらいの厚さになるという過酷なカリキュラムで母校はとても有名で、そのお陰もあって図書館籠りが習慣になってしまったのです。
その時に、専門雑誌クインテッセンスとか歯界展望、歯科評論、デンタルダイアモンドと言う最新情報がに載っているものまで読むようになっていったのです。
そこに出ていたのが、当時話題の人工歯根インプラントでした。
これは凄い、こう言うものが出れば入れ歯で大変な思いをしている患者さんがいなくなる、と、若気の至りで素直に信じ込み、こう言う凄い事をできるように成りたい、と読み漁っていました。
当時流行っていたのはサファイアインプラントでした。
物凄い勢いで広まっていて、セミナーも沢山開催されていて、学生の私には手が届かない悔しい思いをしていたものです。
そんな中、ブローネマルクインプラントシステムが業界に衝撃を与えるものとして紹介されるようになって来ていました。
歯周病のGOREメンブレンとかによる再生治療とかはまだ殆ど知られておらず、これらが出て来だしたのは、卒後3年位してからでした。
今からは全く想像もできない、昔の話です。
そうして業界雑誌を読みふけるという習慣を持った私は、卒後就職先でサファイアインプラントを取り入れているのを見て、嬉しくなりました。
サファイアインプラントは即時荷重と言われる治療方法を取っていました。
手術したその日に、手前の歯を2本削って型を取り、1週間位で本歯を装着する、と言う方法をしていたのです。
つまり、昔のインプラント治療は即時荷重で治していたのです。
しかし、その後サファイアインプラントは揺れてしまったりして30%位駄目になる、10年位しか使えない、と言う事が分かって来て現在では全くその姿を消してしまいました。
サファイアインプラントが廃れていくなか、紹介された時から10年以上たっても揺れない、しっかりと使えている、これは凄いという認められて行ったのがブローネマルクインプラントです。
純チタン製、異物反応拒否反応が出ない夢の人工歯根、成功率95%以上と海外で認められており、そのプロトコールを守れば95%以上の成功ができる、と夢を抱くDRが出始め、入れる方が少しずつ増えていったのです。
ところが、ブローネマルクのプロトコールはそれまでのインプラント治療の治療方法とは待った違っていたのです。
まず埋入手術で、最初の手術では全て歯肉の下に埋まっている方法を採っていたのです。
その理由は、骨とインプラントがしっかりくっ付くのを歯肉の下で待たなければいけない、そうしないと感染してしまうから、と言うものでした。
そして、下顎でも3~4ヶ月、上顎では6~12ヶ月待って、初めてインプラントが歯肉から出るように2回目の手術をして義歯を装着する、と言うのでした。
これを聴いた時私は、待たされている期間患者さんはどうしているんだろう?入れ歯も入れられないのだろうか?とすぐに思いました。
サファイアの時には1週間で歯が入ったのに、これだと何ヶ月も待たなければいけない、しかも、骨とくっ付いているのかどうかは2回目の手術の時でないと分からない、と言う術式に患者さんが大変だなー、と思ったのです。
さらに言えば、その当時は必ず手術室を作らなければいけない、一般外科手術に準じたシステムを厳守しなければいけない、高額なセミナーを受講しないと購入できないと色々とハードルが高く、とてもこれでは臨床的に取り入れられない、と諦めるしかなかったのでした。
その後、勤務先も変わり恩師の今間先生と出会い、ITIインプラントと出会いました。
それまでも業界雑誌でITIのことは知っていましたが、実際に使っている先生に初めて出会ったのです。
そこで見た治療は、今も私の基礎の基礎と成っています。
その当時から今間先生は現在で言う所の早期荷重、業者が勧めるプロトコールよりもかなり短い期間で治し、さらにはGBR骨造成手術とかもしていたのです。
ちょうどその頃、GOREメンブレンの再生治療方法が始まり出しており、それを用いて骨も再生できるらしいと噂が出始めていました。
その動きに即応して、今間先生は骨再生をしようとしていたのです。
そして、ITIインプラント現在のストローマンインプラントの凄さ、素晴らしさを見せ付けられ、今間先生に弟子入りして何十回とインプラント手術見学をして学びました。
今間先生の薫陶で、私は一人立ちの許可をいただき、今間先生に補助に付いていただいて手術できるようになって行きました。
法人の方針で他の診療所に移動して、直接の薫陶をいただく事はなくなってしまったのが今でも悔やまれますが、ITIの方で勉強を重ね当時最先端であるインプラント植立同時GBR骨造成までやれるようになっていきました。
1995年頃の事です。
ところが、そのすぐ後に私にとって酷く悲しいことが起きてしまいました。
今間先生が亡くなったのです。
まだ41歳と言う若さで肝臓癌のために急逝されてしまったのです。
そこから、私は目標を失い迷走の時代に入りました。
結局、法人を辞めるしかないと決断して1997年の終わりに独立、開業しました。
そしてKIRG、船越歯周病治療研修会に通い、2000年のハワイホノルルのAAPで恩師DR.ラムに出会って、迷走が終了し今に到りました。
2000年で見たDR.ラムの仕事は現在の即時荷重インプラント治療であり、これは本当に凄い、昔諦めていたすぐに歯が入る治療ができる時代が復活するんだ、と鳥肌が立つくらい興奮しました。
さらには2003年個人的に門を叩き、即時荷重ではかなり行けていると確信していた私は、DR.ラムの変貌ぶりMI低侵襲の即時荷重インプラント治療に、頭を殴られたようにガーンとしました。
このような夢の治療が可能に成る時代が来るんだ、これだと我が道を見付けた!と強く確信をしたのです。
2003年帰国直後から、私の手術の仕方は劇的に変貌しました。
あまりの変わりぶりに、スタッフ、勤務医が又先生がおかしな事を習って来た、と最初は全く信じていない反応でした。
それでも私はDR.ラムを信じ抜き、必死でやり続け、成功させ続けて行きました。
その後2006年頃から、即時インプラントや低侵襲治療が出始めました。
それを見てスタッフや勤務医は、先生の方が3年以上も早いのに、と残念がっていました。
しかし、私はその頃歯科用CT3DXを導入して、自分の臨床結果を検証することに夢中で、自分のして来たことの凄さに喜んでいました。
間違いない、即時、低侵襲インプラントで殆ど行ける、強く強く確信し、友人に勧められて
ブログで出し始めたのです。
今時代は、私が感じたようにすぐに歯が入れられる、痛くない小さい手術で治せるインプラント時代が来ています。
その関係のセミナーも、とても沢山あります。
もっともっと広まるのは間違いないでしょう。
しかし、こう言う時代だからこそ、単なる流行に乗って行われるのではなく、実績実力のあるDRの治療を受けるべきなのです。
KMインプラントセンター松元教貢歯科院は、何処にもない経験、実績、改良の工夫で患者さん達がインプラントに託す夢を叶えて来ました。
即時荷重、低侵襲手術、無痛快適な治療方法では、最適なインプラントはストローマンSLAと断言し、完全オリジナルの方法で審美的に早く治します。
昨日今日の流行で始めた者ではないのです。
本当の本物の純チタンインプラントでその日から歯が欲しい、痛くなりたくない、腫れたくない、色々な希望を持っている方は、一度ご相談にお越し下さい。
世界をリードする水準のインプラント治療で、お話します。
私は学生時代、カリキュラムが厳しくなる4年生の頃から大学の真ん前のアパートの下宿して、毎日毎日友人達と苦して大変だった(今思えば懐かしいですが)実習を何とか乗り越えて頑張っていました。
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その時に、専門雑誌クインテッセンスとか歯界展望、歯科評論、デンタルダイアモンドと言う最新情報がに載っているものまで読むようになっていったのです。
そこに出ていたのが、当時話題の人工歯根インプラントでした。
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当時流行っていたのはサファイアインプラントでした。
物凄い勢いで広まっていて、セミナーも沢山開催されていて、学生の私には手が届かない悔しい思いをしていたものです。
そんな中、ブローネマルクインプラントシステムが業界に衝撃を与えるものとして紹介されるようになって来ていました。
歯周病のGOREメンブレンとかによる再生治療とかはまだ殆ど知られておらず、これらが出て来だしたのは、卒後3年位してからでした。
今からは全く想像もできない、昔の話です。
そうして業界雑誌を読みふけるという習慣を持った私は、卒後就職先でサファイアインプラントを取り入れているのを見て、嬉しくなりました。
サファイアインプラントは即時荷重と言われる治療方法を取っていました。
手術したその日に、手前の歯を2本削って型を取り、1週間位で本歯を装着する、と言う方法をしていたのです。
つまり、昔のインプラント治療は即時荷重で治していたのです。
しかし、その後サファイアインプラントは揺れてしまったりして30%位駄目になる、10年位しか使えない、と言う事が分かって来て現在では全くその姿を消してしまいました。
サファイアインプラントが廃れていくなか、紹介された時から10年以上たっても揺れない、しっかりと使えている、これは凄いという認められて行ったのがブローネマルクインプラントです。
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ところが、ブローネマルクのプロトコールはそれまでのインプラント治療の治療方法とは待った違っていたのです。
まず埋入手術で、最初の手術では全て歯肉の下に埋まっている方法を採っていたのです。
その理由は、骨とインプラントがしっかりくっ付くのを歯肉の下で待たなければいけない、そうしないと感染してしまうから、と言うものでした。
そして、下顎でも3~4ヶ月、上顎では6~12ヶ月待って、初めてインプラントが歯肉から出るように2回目の手術をして義歯を装着する、と言うのでした。
これを聴いた時私は、待たされている期間患者さんはどうしているんだろう?入れ歯も入れられないのだろうか?とすぐに思いました。
サファイアの時には1週間で歯が入ったのに、これだと何ヶ月も待たなければいけない、しかも、骨とくっ付いているのかどうかは2回目の手術の時でないと分からない、と言う術式に患者さんが大変だなー、と思ったのです。
さらに言えば、その当時は必ず手術室を作らなければいけない、一般外科手術に準じたシステムを厳守しなければいけない、高額なセミナーを受講しないと購入できないと色々とハードルが高く、とてもこれでは臨床的に取り入れられない、と諦めるしかなかったのでした。
その後、勤務先も変わり恩師の今間先生と出会い、ITIインプラントと出会いました。
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その当時から今間先生は現在で言う所の早期荷重、業者が勧めるプロトコールよりもかなり短い期間で治し、さらにはGBR骨造成手術とかもしていたのです。
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2000年で見たDR.ラムの仕事は現在の即時荷重インプラント治療であり、これは本当に凄い、昔諦めていたすぐに歯が入る治療ができる時代が復活するんだ、と鳥肌が立つくらい興奮しました。
さらには2003年個人的に門を叩き、即時荷重ではかなり行けていると確信していた私は、DR.ラムの変貌ぶりMI低侵襲の即時荷重インプラント治療に、頭を殴られたようにガーンとしました。
このような夢の治療が可能に成る時代が来るんだ、これだと我が道を見付けた!と強く確信をしたのです。
2003年帰国直後から、私の手術の仕方は劇的に変貌しました。
あまりの変わりぶりに、スタッフ、勤務医が又先生がおかしな事を習って来た、と最初は全く信じていない反応でした。
それでも私はDR.ラムを信じ抜き、必死でやり続け、成功させ続けて行きました。
その後2006年頃から、即時インプラントや低侵襲治療が出始めました。
それを見てスタッフや勤務医は、先生の方が3年以上も早いのに、と残念がっていました。
しかし、私はその頃歯科用CT3DXを導入して、自分の臨床結果を検証することに夢中で、自分のして来たことの凄さに喜んでいました。
間違いない、即時、低侵襲インプラントで殆ど行ける、強く強く確信し、友人に勧められて
ブログで出し始めたのです。
今時代は、私が感じたようにすぐに歯が入れられる、痛くない小さい手術で治せるインプラント時代が来ています。
その関係のセミナーも、とても沢山あります。
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昨日今日の流行で始めた者ではないのです。
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