芦北町佐敷は、元々県南では八代に次ぐ町として繁栄していました。
南北朝時代には、菊池氏ゆかりの兼丸城があり、戦国時代には相良藩の城(佐敷東の城)があり、
安土桃山時代には、加藤清正が造った佐敷城(現在の佐敷城跡)がありました。
また1772年に書かれた肥後国史に描かれている佐敷の地図の道が今でもほとんど残っています。
今でこそシャッター街になっていますが、肥後藩の五ケ町に次ぐ準町として栄えていました。
そんな佐敷の町歩き的なスポット紹介記事にします。
最初の画像は、川端通から見る夕方の佐敷城跡です。
手前の蔵と佐敷城跡の石垣と夕陽のコラボです。
町案内のついでに撮ったものです。
続いては福島屋さん。
とても大きな商家で、多い時は蔵が11戸あったそうです。
残念ながら、少しだけ残っていたなまこ壁が最近傷んできました。
明治時代に建てられた母屋はしっかり残っています。
なぜ明治時代かといいますと、明治時代の佐敷の裕福なお宅の家の造りが、
屋根の下に飾り瓦を装飾として付ける造りが流行ったそうです。
明治42年創業の岩永醤油屋さんのお城口。
自動販売機の脇に石造りのベンチが備えていらっしゃいます。
ホッとする光景だと思います。
新町の勝延寺(しょうえんじ)さんの裏には、種田山頭火の歌碑が建ててあります。
種田山頭火も昭和5年9月13日に、佐敷の川端屋という旅籠に泊まられたそうで、
旅日誌に書かれていた内容は、「昭和5年9月13日佐敷の川端屋に泊まる。主人、女将、息子が1人、内容は中の下。」
と、書かれていたそうです(笑)
また明治時代の建物が道を挟んで2件並んでいる路地には、7人の小人が並んで待っています(笑)