津奈木に江戸時代に、千代さんという孝女がいたそうです。
昔は地区から、親孝行の息子(孝子)娘(孝女)を推薦して
役所が認めると、褒賞されていたそうです。
しかし役所は、推薦だけでは認められず、独自調査をされていたらしく
裏話として、夜千代さんの家をのぞきに行って、
千代さんが両親よりも先に布団に入っていたので、何事だと思っていると
「布団が温まりましたから、どうぞ。」と両親に勧めたり
両親より後に食事を取っている時にも、両親より質素なものを食べていた等の
話があるそうです。
晴れて認められて、千代さんの孝女ぶりを石碑で称えてあります。
昔は地区から、親孝行の息子(孝子)娘(孝女)を推薦して
役所が認めると、褒賞されていたそうです。
しかし役所は、推薦だけでは認められず、独自調査をされていたらしく
裏話として、夜千代さんの家をのぞきに行って、
千代さんが両親よりも先に布団に入っていたので、何事だと思っていると
「布団が温まりましたから、どうぞ。」と両親に勧めたり
両親より後に食事を取っている時にも、両親より質素なものを食べていた等の
話があるそうです。
晴れて認められて、千代さんの孝女ぶりを石碑で称えてあります。
下り坂は穏やかに感じるのですが、本当の薩摩街道は、谷沿いをなるべく
まっすぐ通っていたのでしょうが、先日書きましたように、
砂防ダムや、林道によって分断されたりで通れる所で、繋いであるので
多少変更があります。
まっすぐ通っていたのでしょうが、先日書きましたように、
砂防ダムや、林道によって分断されたりで通れる所で、繋いであるので
多少変更があります。
昔(時代は不明)斉藤宅衛門が、海上で危うく九死の災難に遭った時に、
金比羅さんに祈願して一生を得たので、お礼に約束の地蔵さんを建立した。
傍らに湧く冷水に全ての旅人が足を停め、地蔵さんに手を合わせた後、
喉を潤し、元気を取り戻して歩を進めたいわれがある水呑場跡です。
今はほとんど枯れていますが、当時は旅人のオアシスになっていたのでしょう。
金比羅さんに祈願して一生を得たので、お礼に約束の地蔵さんを建立した。
傍らに湧く冷水に全ての旅人が足を停め、地蔵さんに手を合わせた後、
喉を潤し、元気を取り戻して歩を進めたいわれがある水呑場跡です。
今はほとんど枯れていますが、当時は旅人のオアシスになっていたのでしょう。