小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



昭和から平成の時代の流れの中、学校や公園に設置してある遊具で姿を消したが回旋塔。全国で重篤な事故が何件か発生して撤去が進んだ。この小田原でも昭和40年代に回旋塔の事故により児童が亡くなっている。小田原市立富水小学校のグラウンドの片隅にブロンズ製の健康の像がある。この像は昭和47年11月21日に富水小学校の校庭で発生した回旋塔事故で亡くなった児童の悲劇を繰り返さないように児童の父親が寄贈したもの。高さ70センチほどの台座の上にはボールを片手にした男児のブロンズ像。亡くなった児童は当時小学校4年生で、どのような事故だったのか当時の新聞を閲覧したが不明。広報おだわらの昭和49年12月号によると倒壊事故との記載がある。健康の像の台座横には建立の経緯を刻んだ銘板が取り付けられている。ブロンズ像は小田原市内に多くの作品を残した彫刻家横田七郎氏によるもの。また題字は当時の小田原市町である中井一郎氏の筆。富水小学校の健康の像の除幕式は亡くなった児童の3周忌にあたる昭和49年11月21日に関係者が集まり執り行われた。像には事故による悲しみを繰り返さないよう児童のみなさんの安全と、心身ともに健康な子供に成長されることの願いが込められている。
※写真は2016年8月に防災訓練会場として富水小学校グラウンドが一般開放された際に撮影したもの。

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