散策の途中で見つけた石柱で足柄観音なる存在を知り、色々と調べてみたところ全三十四番札所のお寺と所在地が判明したものの、由緒や歴史が不明だったため、以前から交流のある城源寺の住職を訪問した。小田原市城山、山手橋ちかくにある城源寺は足柄観音の第二十三番札所である。コンクリート造りの外観はお寺というより美術館のような雰囲気。大正生まれの住職は、戦後まもなく毎日新聞の記者となり定年まで活躍された経歴の持ち主だ。戦前の小田原の文化や歴史にも詳しく、なにより足柄観音札所の住職なので由緒を知っているであろうと期待して訪問した。住職に足柄観音について調べていることを伝えたところ次のような話が聞けた
・足柄観音が出来たのは小田急線が昭和2年に小田原駅まで延伸したのがきっかけだと先代より聞いている
・東京方面から小田急線に乗って足柄平野へ来る観光客に巡礼してもらいたかったようだ
・この地域の浄土宗のお寺が34ヶ寺あったのも話が進んだ要因ではないか
・足柄観音の札所はすべて浄土宗のお寺である
・足柄観音を始めるにあたり、各寺で観音像を作ったか用意したようだ
・各札所にご詠歌を作った ご詠歌は浄土宗の和讃や経文などから引用して作ったようだ
・城源寺はお寺の敷地に大正期競馬場があったので馬頭観音を作ったと聞いている
・馬頭観音は本堂の一角に今でも安置している
・戦争などで社会が混乱していた時代だったために定着しなかったのかもしれない
・戦後は民間信仰や巡礼信仰も廃れてきたので巡礼者は少なかったようだ
・今では年間一人か二人程度足柄観音を巡礼している人が城源寺にも訪れる
・巡礼者に話を聞くとたいてい各地の霊場を巡礼している巡礼マニアで遠方から来る人が多い
・訪問してくる巡礼者で地元の人は皆無
・現在は足柄観音に関して特に各寺間での取り決めや祭事などはない
・この地域の浄土宗各寺住職の中で自分が最高齢の部類で恐らく他に足柄観音について詳しく知っている住職はいないであろう
・一番札所西念寺の先代住職が足柄観音について何か冊子にまとめていたようだがどこかに紛れ込んで見つからない
このほかにも当時のお寺の話や戦時中の小田原の様子など2時間近くも聞かせていただいた。帰り際、住職に実際に巡礼してみるので巡礼中にまた伺いますと挨拶して城源寺を後にした。
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