小田原の地蔵尊といえば板橋の地蔵尊が有名で、毎年1月と8月の23日、24日に大祭が行われ、近在から多くの参拝客がある。一方、小田原市扇町の足下地蔵尊でも1月と8月の24日に地元の方々を中心とした地蔵祭が行われている。小田原市扇町、富士フイルム小田原工場近くの旧県道沿いに足下地蔵尊がある。入口には提灯櫓が常設されていて境内には小さなお堂が立っている。堂前には地下水をくみ上げた延命水があり、日ごろ水を汲みに訪れる人が多くいる。足下地蔵尊の地蔵祭が行われていた8月24日の夜、祭りの雰囲気を撮影に出かけた。いつもは閉まっているお堂もこの日は開けられている。堂内の奥の座敷が世話人の詰め所のようになっており、お堂の外観の写真を撮っていたら中も見学していってとの事だったので上がらせてもらった。足下地蔵尊の堂内は10畳ほどの広さ。正面には祭壇。左右の壁には古い額が飾ってあった。正面向かって左側の壁には色褪せた大きな木製の額が掛けられていた。額は大念仏諸講中が明治36年に奉納したもの。近在の村々の講中の数百名の信徒の名前が記されている。足下地蔵尊のお堂は明治34年に近在信徒の浄財を寄せて再建。額に記されて信徒や村々の名前を見るとその当時、足下地蔵尊が広く信仰されていたことを伺わせる。正面向かって右側の壁には小さな額と絵馬が掛けられている。こちらの額と絵馬はちゃんと撮影しなかったが、家に帰ってから調べたところ、絵馬は明治33年のもので、額ははなどり地蔵の念仏歌のようだ。祭壇中央には、半跏趺坐像の地蔵像が安置されている。また祭壇の左右には十王も安置されていた。祭壇上の奉納幕は昭和30年のもので、経年により良い風合いに色褪せていた。片足をあぐらに組んでもう一方の足は伸ばすという姿の半跏趺坐の地蔵像は小田原城主の稲葉正則が鎌倉の仏師に作らせたとの伝承が残っている。この足を下げた姿から足下地蔵尊と呼ばれるようになったとのこと。足下地蔵尊の本尊は、一枚上の地蔵像の体内に納められている。開帳されるのは30年に一度とのことで、世話人の方に次回はいつかと尋ねたところ、多分10年後くらいではとの回答。前回開帳時に撮影した額が飾られている。本尊は運慶の作と伝えられている身の丈約22センチほどの小型の地蔵で同じく半跏趺坐像となっている。提灯の灯りと祭りの雰囲気だけ撮れればと思い出かけたので、堂内が撮影できてとても良い機会だった。いくつか撮り残したものがあったので、来年1月の地蔵祭にまた出かけたいと考えている。
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