小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



年度末の3月31日。JTのプレスリリースどおりであれば本日で久野にあるJT小田原工場は閉鎖となる。今年の年明けからは、設備の撤去と思われる作業がフェンス越しに確認できたので、操業はだいぶ前に止まっていたのかもしれない。JT小田原工場は昭和23年6月に大蔵省専売局東京地方局小田原煙草分工場として製造開始。昭和63年に秦野工場と統合して現在に至っている。工場閉鎖のプレスリリースは2009年の4月。その当時の従業員数は151人。2008年の年間製造数量は約43億本。このJT小田原工場には以前、煙草の原材料や製品の輸送用に鉄道の専用線が敷かれていた。専用線は小田急足柄駅からJT小田原工場までの1kmほど。その専用線の廃線跡は現在、「久野緑の小径」という遊歩道として利用されている。専用線は昭和59年で廃止。それから約30年、工場も廃止となった。

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子供のときから買い食いが好きで、大人になった今でもおやつを買うのをやめられないでいる。昨日は思いがけずスポーツプラザへ立ち寄ったので、解体工事の合間に芦子橋近くの新栄堂にたいやきを買いに行った。小田原市中町、芦子橋隣の新栄堂。ここのたいやきが好きでしばしば買い物に出かける。以前、パートで来ていた方が、この近所に住んでおり、たまに差し入れてくれたのが新栄堂のたいやきだった。たいやきは2時から販売開始。店内は瓦せんべいとたいやきを焼く機械が置かれており、菓子屋というより町工場といった雰囲気である。この日は、3時過ぎに訪れたので、たいやきはすでに焼かれて木箱に入っていた。たいやきを買い、いくつか用事を済ませて国府津から西湘バイパスに乗った。当初、無料で通行できるのは3月末までだったが、しばらく延長されるとのこと。無料化になってから良く利用するようになった下り線の西湘サービスエリアにこの日も立ち寄った。たいやきの入った紙袋を持って、お気に入りの海の見えるベンチへ。夕暮れ間近の海は穏やかだった。新栄堂のたいやきは皮とつぶ餡のバランスが良くて美味しい。1つ120円。無料実験終了後は、たいやきが買える金額を出さないとこの場所に来れないのが残念である。

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小田原市栄町のスポーツプラザ小田原。6階建ての建物で、たしか昭和50年代初頭に営業を開始し、スイミングスクールのほか、かつては最上階に中華料理店もあったと記憶している。そのスポーツプラザ小田原の5階には数年前まで、ボウリング場もあった。 1年ほど前のスポーツプラザ小田原。屋上にはボウリング場の目印として巨大なボウリングピンが長年立っていた。今日の午後、スポーツプラザ小田原の前を通ると、大きなクレーン車が隣の駐車場に停まっていた。屋上のボウリングピンは足場で囲まれており、撤去されるのか、メンテナンス作業なのか判断がつかなかった。客先に向う途中だったので、用事が終わってからまた様子を見に来ようとそのまま通り過ぎた。用事を済ませ1時間ほど後に訪れたときには、すでにボウリングピンは地上に降ろされていた。駐車場に置かれたボウリングピンを間近で見るとかなりの大きさ。高さは5m以上はありそう。電動カッターで切断が行われていた。解体して運搬するようだ。ボウリングピンが撤去された屋上。同じようなボウリングピンの目印は旧ナックビルの屋上にも設置されている。途中、近所の菓子店に鯛焼きを買いに行っている15分ほどの間に解体が終了していた。戻るとピン上部がトラックの荷台に移されているところだった。ボウリングはここ数年まったくやっていないが、高校時代の友人がボウリング好きで、その友人のお気に入りがスポーツプラザのボウリング場だった。個人的にはナックのほうが好きだったが、その友人とボウリングするときは必ずスポーツプラザのボウリング場で、初めて200オーバーのスコアを出したのもここだった。ボウリング帰りに前の店でたこ焼きを食べたのが懐かしく思い出された。

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3月6日、南町の小田原文学館へ城内から移設された北村透谷碑の撮影に出かけた。北村透谷碑については、馬屋曲輪修景整備事業竣工後のブログの記事にしようと考えていたからだ。実際出かけてみると、移設された北村透谷碑は思ったよりも地味だったので、以前から気に入っていた白秋童謡館裏手の木製の門も合わせて紹介しようと、門の周辺も多めに撮影した。それから5日後の11日の午後、東日本大震災の揺れで門は倒壊してしまった。小田原市南町、西海子通りにある小田原文学館。敷地内には別棟の白秋童謡館もあり、各々の庭園を通って南側の路地に抜けられる。小田原文学館の洋館は、昭和12年に元宮内大臣の田中光顕伯爵別邸として建築されたもの。洋館裏の庭園を抜け白秋童謡館へ向かう。小田原文学館の庭園を南側に抜けると木造建築の白秋童謡館に出る。こちらも田中光顕伯爵が建てた住居の別邸で、洋館とは対照的な純和風建築となっている。白秋童謡館前の日本庭園の石畳を抜けると南側の路地に面した門に出る。この南門も別邸建築当時に作られたと思われる古い佇まい。門を出ると閑静な住宅街の路地に出る。棟門で切妻屋根には重厚な瓦が葺いてある。庭園の木々と調和していて美しい。南門から白秋童謡館の庭園を望む。こちら側からのアプローチのほうが雰囲気があって気に入っている。路地と南門。この周辺の散策時には小田原文学館の庭園からこの南門へ抜けるのが楽しみとなっていた。 3月12日の朝、同じ場所から撮影。南門は路地側へ倒れてしまっている。葺いてあった瓦も大部分が割れていた。門柱や木組みに致命的な損傷はないように見えたので、修復されることを願っている。西海子通りの桜が咲くころに、また様子を見に出かけようと思う。

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3月26日、富士見大橋東側交差点から足柄大橋東側交差点までの酒匂縦貫道路約5.5kmが全線開通した。すでに一部は供用されており、26日で開通する区間は鬼柳の大和紙器前から鬼柳入口交差点までの約1kmの区間である。開通の様子を見るため26日の午後に出かけた。 穴部国府津線との合流点である富士見大橋東側交差点から、酒匂縦貫道路の松田方面を撮影。片側2車線で供用されている。 富士見大橋東側交差点から400mほど松田方面へ進んだ桑原住宅南側交差点。角にはセブンイレブン小田原桑原店。 かなり低いところに設置されているセブンイレブンの看板。看板設置の規制かなにかあるのだろうか。 ピカピカの逆L型ポールに真新しい案内標識。 桑原住宅南側交差点から370mほど松田方面に進むと桑原住宅入口交差点へ合流。信号を渡り日本新薬前を通り松田方面へ進む。 日本新薬の前で片側2車線から1車線へ。この先、2車線分の道幅はあるが仮設のガードレールやパイロンで規制されていた。また道路標示も1車線供用のままの部分が多いので片側2車線での開通はしばらく先になりそう。 桑原住宅入口交差点から800mほど松田方面に進んだ大和紙器前。従来はここまで供用されていた。26日にはここから鬼柳入口交差点までの約1kmが供用となる。 供用開始予定時刻の前だったのでまだ車の通行は規制していた。自転車や歩行者は通行可能。 大和紙器前から松田方面へ800mほど進んだ春木団地前交差点。まもなく供用開始予定時刻なので、沿道の住民が開通の様子を見に出てきていた。 春木団地前交差点の信号機の制御機。信号機メーカーの担当者が供用時刻に合わせ信号点灯の設定をしていた。 春木団地前交差点からしばらく松田方面へ向かうと、道路関連のパトロールカーと警察車両が鬼柳入口交差点に停まっているのが見えた。 供用開始予定時刻の3時。パトロールカーを先頭に鬼柳入口交差点から小田原方面への供用が開始。一般車の一番乗りはプリウスだった。 鬼柳入口交差点から小田原方面を撮影。松田側のガードが外されるのもあとわずか。 26日午後3時5分、鬼柳入口交差点のガードがすべて外され全線開通。本来は記念式典が行われる予定だったが中止となり、なんともあっけない全線開通となった。計画から開通まで20年。今後の沿道の発展が楽しみである。

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