今回の旅では、現代アートについて、いろいろ考えさせられました。
現代アートって、あんまり好きじゃなかったです、実は。
「オレを見ろ」的な感じが強かったり、メッセージ性がありすぎたり、あるいは難解で??だったり・・・。
平たく言うと
「なんでこれがアートなの? どこが美しいの? わからなーい・・・。」
という感じです。
が、どうしてそう感じてしまうかの原因がわかった気がしたのです。
つまり、そういう作品を美術館の中で見てしまったからなんじゃないか?
この大地の芸術祭では、キナーレ以外では、すべての作品を、美術館以外で見ました。
あるものは棚田の中で。あるものは雑木林の中で。そしてあるものは古民家や、廃校になった校舎の中で。
そういう中にあった現代アートの作品達は、美術館の中で見るとげとげしさややかましさが、
うまい具合に中和され、そぎ落とされて、自然にすうっと心の中に入ってきました。
「現代アート」と聞くとつい構えてしまう私が、全くそういう感覚にならなくて、むしろ、作品達を
すごく楽しめました。
不思議なことでした。
思うに、現代アートっていうのは、今まさに私たちと共に生きている、同時代のアートなのだから、
美術館の中に入れてしまってはいけないんじゃないかしらね。
作家と鑑賞者、作る人と見る人、に分けてしまってはいけない。
だって、今この時を生きている作家の作品なんだもの。
現代アートは、街中や公園や里山や海辺にあって、今を生きる私たちと共にあるのがいいんじゃないのかな。
そんな風なことを、強く感じた「大地の芸術祭」でした。
現代アートって、あんまり好きじゃなかったです、実は。
「オレを見ろ」的な感じが強かったり、メッセージ性がありすぎたり、あるいは難解で??だったり・・・。
平たく言うと
「なんでこれがアートなの? どこが美しいの? わからなーい・・・。」
という感じです。
が、どうしてそう感じてしまうかの原因がわかった気がしたのです。
つまり、そういう作品を美術館の中で見てしまったからなんじゃないか?
この大地の芸術祭では、キナーレ以外では、すべての作品を、美術館以外で見ました。
あるものは棚田の中で。あるものは雑木林の中で。そしてあるものは古民家や、廃校になった校舎の中で。
そういう中にあった現代アートの作品達は、美術館の中で見るとげとげしさややかましさが、
うまい具合に中和され、そぎ落とされて、自然にすうっと心の中に入ってきました。
「現代アート」と聞くとつい構えてしまう私が、全くそういう感覚にならなくて、むしろ、作品達を
すごく楽しめました。
不思議なことでした。
思うに、現代アートっていうのは、今まさに私たちと共に生きている、同時代のアートなのだから、
美術館の中に入れてしまってはいけないんじゃないかしらね。
作家と鑑賞者、作る人と見る人、に分けてしまってはいけない。
だって、今この時を生きている作家の作品なんだもの。
現代アートは、街中や公園や里山や海辺にあって、今を生きる私たちと共にあるのがいいんじゃないのかな。
そんな風なことを、強く感じた「大地の芸術祭」でした。