アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

2016年頭のコラージュ

2016-03-25 11:52:11 | コラージュ作品
3月も末になって「年頭のコラージュ」なんてちょっとどーなの、な話ですが、
最近、ふと、自分のコラージュについて語ってないなぁと気がついて、書こうと思ったのです。

これは、今年の1月16日に作ったコラージュです。

このちょうど1ヶ月前、私は転倒し、骨折寸前みたいなひどい捻挫をしてしまいまして、
この時もまだ松葉杖で、外出はほとんど出来ない状態でした。

私にしては、非常にシンプルな作品です。

中央には、木の椅子と漆喰の壁。

コーヒーカップのくりぬきがお洒落ですが、「華やか」という感じではありませんね。

私の普段のコラージュを知っている方は、おわかりかと思うのですが、それまでの私の作品は、
けっこう華やかな印象のものが多いのです。

自然の風景も貼ってありますが、とても静かなものです。

特に、上の夕日か朝日の風景ね・・・今までは、もっと「お日様さんさん!」っていう
感じの写真を選んでました。

体調も良くない上に、怪我をして松葉杖の生活になっていたので、「お日様さんさん!」みたいな
明るいエネルギッシュな写真は、受け入れられなかったのでしょうね・・・。

中央の仏様は、どなたでしょうね?

頭上にお顔がたくさん並んでいるので十一面観音様にも見えるし、左手にお薬壺を持った
薬師如来様のようにも見えますが・・・。

実は、私が転倒したとき、私には、何故だかたくさんの仕事のオファーが舞い込んできていて、
頭がいっぱいだったし、おごっていたところもありました。

奢ってはいけない、いつも謙虚で穏やかな、御仏の世界を心の内に持たなければ、と
この時には、強く自分を戒めていたと思います。

今でも、これを見るとそう思う。

で、やはり、自分には栄養が必要だって思って、栄養たっぷりに見えるシチューとケーキを
どーんと貼りました。

この大きさからいって、そうとう必要と感じてたのよ、きっと。いろんな意味での「栄養」が。


ここまでは、「今までと違う私」でした。明らかに。

そして、てっぺんには「身も心も整える」という文字を貼り、「その通り!今年はこれで!」
と、思ったのです。

が、最後、なぁんか物足りない・・・と思ってたら、いきなりPRADAのピンクのバッグが目に入ってしまった・・・

ズキューーン!!

こ、これは貼りたい、自分のものにしたい!(いや、画用紙の上での話よ。誤解のない様に)

と貼ったところで、左右のバランスも気になり、
「おお、やはりこれだよ。」
とばかりに、ゴージャスなダイヤモンドの時計と指輪をサクサク見つけてサクサク貼りつけ、
やっと満足したのでありました。

題名は「必要なものだけで生きたい」だって・・・画用紙の裏に書いてあるけど・・・自分の字で・・・


胃カメラ飲んだ

2016-03-24 14:00:54 | 日記
この年になると、若い頃からの蓄積疲労とか蓄積ストレスとか蓄積不摂生とかがあるらしく、
今までなら、どーって事ないことでも、「なんかおかしい・・・」ということになってしまったりします。

で、そういうことが、ついこの間もありました。

夫の言動で、甚だカチンとくることがあった。

そしたら、そのとたんに胃が痛くなり、ま、3~4日で治るだろうと思っていたのに、
一向に良くならず、ひどく痛み続けたので、胃腸が専門のクリニックに行きました。

そしたら、症状も聞かないうちに、生年月日見ただけで
「胃カメラ飲みましょう。」
って言われたわけ。

確かに、前に飲んだのは、もう7年も前だしなー。
そりゃあ、症状もさることながら、健康診断も兼ねて飲んだ方がいいよね-、常識的には。

でも、7年前、飲んだときには、やっぱり大変でした。

喉の麻酔をするのも、長いこと喉の奥に麻酔液をためて呼吸するの大変だったし、
注射も痛かったし。

胃カメラ自体も、おぇってならないように、つば飲み込まないように
鼻呼吸続けて、お腹に空気入れて調べるときも苦しかった・・・。

苦しいから目を閉じると叱られたり。
なかなか大変だったなぁ・・・。

と、いろいろ思いだし、でも、やるしかないよなぁ、と思っていたのです。

が、7年の間に、技術がどんどん進歩したおかげと、このクリニックが内視鏡専門の先生がいらしたおかげで、
なんだかわからないうちに、終わってしまったのですよ。

喉麻酔は、相変わらずちょっと大変だったけれど、時間は短かったし、その後、安定剤を先生が打って、
マウスピースをはめて(7年前は、マウスピースなんてはめませんでしたが)・・・

と、覚えているのは、ここまで。

次に声をかけられた時には、もう胃カメラは抜かれていて、検査は終わってました。

で、看護師さんに連れられ、ベッドで1時間寝てたんだけど、
「もしかして、麻酔が効くまで、ここで待機するのかな」
と、思ったほど。

何もわからないうちに、あっけなく終わってました。

7年前は、胃カメラに写る、自分の胃壁の画像を見ながらの検査だったのに(これも、けっこう精神的にはキツイです)
それも無く。

要するに、寝てる間に終わったの。

たぶん、10分くらいのできごとだったのだと思います。

麻酔が解けても、喉の周りなど、ぜんぜん痛くないし。

こんな樂なら、これからも、もっと積極的に受診しよ~!

「痛くない」って、ほんとに大事なことだと思うわ。

カラヴァッジョは、きっといい人

2016-03-22 11:52:48 | 美術・芸術
うちの旦那さんは、よく言います。

「カラヴァッジョなんてさあ、絵描いてなかったら、ただのチンピラだぜえ。」

そうかもねー。

でも、旦那さんも私も、カラヴァッジョの絵は大好き。

この作品「エマオの晩餐」は、カラヴァッジョが殺人を犯してしまったすぐ後くらいに描かれたそうですが、
ハゲシイことをしてしまった後なのに、画面はとても静かです。

心の奥深くに沈み込んでいくような、暗闇と静けさ。

これを描きながら、カラヴァッジョは、何を考えていたのかなぁ・・・。

「ああ、オレはなんてことをしてしまったんだ。なんでいつもこうなってしまうんだろう。
神様、どうか、このどうしようもない哀れな私をお許しください。」

みたいなことを、真剣に祈りながら描いていたかもしれません。

だから、あたしみたいに、心の中に「どうしようもない哀れな自分」を持つ人
には、この絵がとても響いてしまう。

さて、うちの旦那さんは、テレビ大好き男でして、スカパーに加入して、暇さえあれば
ごろごろ寝転がって映画を見まくっているのですが、先日、ベートーベンの生涯を描いた映画を見ていました。

私も、仕事をしながら、ちらちら見ていたのですが、最後の方に、非常に印象的なシーンがありました。

第9交響曲の初演の日、ベートーベンは、もう耳が聞こえないんだけれど、聴衆の熱狂を見て、
この作品が大成功だったことを知ります。

その聴衆の中には、長いこと絶縁していた、彼の「永遠の恋人」もいたのですが、第9交響曲を聴いた彼女は、
ついにベートーベンに会うことを決心します。

その時の台詞。
「これほどすばらしい曲を作る人が、悪い人であるはずがありません。」

うーん、この言葉は、すごく説得力ある、と私には思えます。

つまりね、カラヴァッジョもそうなんじゃないかと思うのです。

彼は、単に、感情のコントロールが超下手くそだっただけなんじゃないかって。

「これほどすばらしい絵を描ける人が、悪い人であるはずがありません。」
そう思うの。

カラヴァジェスキとシューベルティアーデ

2016-03-20 16:42:26 | 美術・芸術
カラヴァッジョ展のチラシに、「カラヴァジェスキ」について書いてありました。

「カラヴァジェスキとは、カラヴァッジョの画法を模倣し継承した同時代及び次世代の
画家達の総称。彼らの多くはカラヴァッジョ本人を知ることなく、作品の魅力に引き寄せられて、
その画法を学び、新たに発展させました。・・・」

そんな人たちがいたのですね。
今回、初めて知りました。

マスメディアなど無い時代に、ローマでカラヴァッジョの画法を学んだ彼らの作品が、
最終的にはヨーロッパ中に波及したのですから、すごい大規模な芸術運動ですね。

びっくりです。

それほどの力が、カラヴァッジョの作品にはあったということですよね。

カラヴァッジョという作者を知らずに、勝手に広まっていったというのが、すごく
おもしろいし、すごいなぁと感じました。

で、この時「シューベルティアーデ」が、ふと心に浮かびました。

全然違うのですよ、中身。でも、なんか思い浮かんだの・・・。

シューベルティアーデは、シューベルト会と訳されているようです。

シューベルトは、とっても貧乏だった。
でも、その音楽は、とってもすばらしかった。
しかも、シューベルトは、とってもいいやつだった。

というわけで、シューベルトとその音楽を支える善意の仲間達が集まってできたのが「シューベルト会」。

シューベルトのために五線紙を買ってあげたり、演奏会のチケットを売ったりして、本当に心から彼を支えた、
美しい友情の会だったようです。

全然違うよねぇ、このふたつは。

でも、なんで思い浮かんだんだろ?

たぶん・・・偉大な芸術家とその作品は、無条件に人を動かすんだなぁ、と感じたからかもしれません。

カラバッジョって、どんな人?

2016-03-19 17:17:20 | 美術・芸術
まあほんと、絵描きさんなんて、浮き沈みが激しい傾向にはありますが、こんなに激しい人も
珍しい気がします。

先日の展覧会で見た絵と、いろいろ並んでいたキャプションを読んでの当てずっぽうの推理ですけどね・・・

カラバッジョは、繊細な、神経質で感じやすい感覚を持っていた人だったんだろうな、と思います。それもすごくハイレベルな。

そして、同じくハイレベルな画力と集中力。

2週間くらい描くと、ぷらぷら遊んだという話ですから、その2週間は、恐ろしく集中したんでしょうね。

外側の「見た目、具象」の部分を、その正確な画力によって描き、内側の心理的、精神的部分を、その繊細な感受性によって、
正確に感じ取って表現したわけですから、2週間が限界だったでしょうね。

しかも、美しく描いてますからね。

すごいと言うほかありませんね。

あと、彼はしょっちゅう、剣を違法所持して捕まっているみたいなんですが、やっぱりこれも
「身を守らなくては」と、過剰に神経質だったんじゃなかろーか、などと考えました。

ピリピリ男だったんじゃないか~?って、この記述を読んで思いました。

貴族や教皇から、その群を抜く画力を認められ愛されて庇護を受けるのですが、
そうやって、安定した生活になると、じきに暴力沙汰や問題を起こしてしまうことを繰り返します。

で、結局追われたり逃げたり怪我したり・・・の中で絵を描いたりする。しかも傑作を。

不思議な人ですよね・・・。

不幸じゃないと、ひりひりした境遇じゃないと描けなかったのかもしれませんね。

安定した幸せな身分になってしまうと、見なくてはならないものが見えなくなってしまって、
芸術家としての本能から、その危機を感じ取り、無意識に安定した身分を捨てたのかもしれません。

やっぱり、ただ者では無い画家ですね。