2021年9月
デルタ株の猛威で日本各地で緊急事態宣言が発出された今年の夏、我が滋賀県でも1日の新規感染者が200人を超える日が続きました。
管理人も8月のはじめにコロナワクチン2回目の接種を終え、発熱などの副反応はほとんど無くて済みました。
また、お盆からの秋雨前線の活発化で、9月の前半も雨の日が続きましたね。
街中のアンダーパスも御覧の通り冠水してました
水口岡山城跡
滋賀県甲賀市水口町にある標高282mの古城山(大岡山)にはかつて水口岡山城がありました。
ちょっとした時間を見つけて山の南西側の登山道をブラブラ散策しました。
頂上にある城跡まで登りたかったけど、大手道は草ボーボーだったため途中で断念。
コロナの影響で除草作業ができなかったんかな。。
ひばり野公園
滋賀県蒲生郡日野町にある地元ゆかりの武将 蒲生氏郷の像
氏郷は近江国六角氏の家臣、蒲生賢秀の三男として日野で生まれ、後に織田信長の家臣として武功を上げます。
初陣で功績を立てたあとに信長の娘冬姫を妻にし、日野に戻ったとされてますが、信長家臣団として各地を転戦する日々が続きました。
本能寺の変で信長が斃れると、安土城から信長の妻子を救って日野城で庇護し、明智光秀に対峙します。
豊臣秀吉の家臣になった後でも様々な戦で功績をあげ、会津73万石の領地を与えられ、徳川家康、毛利輝元に次ぐ大大名となりました。
日野の町で見つけた鬼滅の刃の炭治郎と禰豆子の飛び出し坊や(笑)
飛び出し坊やの世界まで進出してきた鬼滅ブーム恐るべしです。
2021年10月
古城山頂から見た水口町
9月に途中で断念した古城山でしたが、今度は北側の登山道からリベンジを果たせました。
天正13年(1585年)に豊臣秀吉が甲賀郡と蒲生郡の一部を支配させるために、家臣の中村一氏に命じて水口岡山城を築かせました。その後、1959年には豊臣五奉行のひとり、長束正家が5万石で水口岡山城に入りました。
関ケ原の戦いではもちろん豊臣方の西軍として参戦した長束正家でしたが、吉川広家の軍勢に囲まれて戦線を離脱し、水口岡山城に戻りましたが、池田輝政の命を受けた池田長吉の軍勢に取り囲まれます。
水口岡山城をなかなか落とせない池田長吉は正家に「兵卒の命と所領の安堵」を約束し、正家は開城に応じます。
しかし、それは池田の謀略で正家は捕縛されて自害、その首は京都三条河原に晒されました。
10月に定期健診のため半年ぶりに訪れた大阪。
大阪城の紅葉にはまだ早い時期でしたね。。
大阪城の南東にあるピースおおさか 大阪国際平和センター。
戦時中の大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアムです。
大阪城公園は戦時中、陸軍第四師団が置かれ、軍事工場もあったことから爆撃の標的になりました。
館内には戦前、戦中、戦後の大阪をテーマにした展示物や大阪空襲にかかわる展示を見ることができました(資料類の接写撮影は禁止)。
米軍の1トン爆弾(レプリカ)
終戦の前日には現大阪城公園にあった大阪陸軍造兵廠を狙ってB29 150機編隊による1トン爆弾700個の集中爆撃が行われ、隣接する京橋駅~森ノ宮駅も被害を受け、京橋駅では人々が避難していた片町線ホームに1トン爆弾が直撃し、1度に700~800人が犠牲になりました・・
平和の尊さをあたらめて感じることができる機会になりました。
つづく
過去記事<2021 お気楽行楽記総集編 その7>
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