11月24日
京都市中京区の世界遺産 元離宮二条城(二条城)にやって来ました。
徳川家康の命で、天皇のいる京都の守護と上洛時の宿所として建設された二条城は慶長8年(1603年)に落成しました。
その後、豊臣家と激突した大坂の陣で家康はこの二条城を本営とし、ここから軍を大坂へと進めました。
平日なので空いてるかと思いきや、駐車場にはたくさんの観光バスが並んでましたね。
特に修学旅行あるいは遠足とおぼしき小中学生が多く訪れてました。
手指消毒や検温してから東大手門を通って中へ入ります。
内側から見た南東隅櫓
外堀の四隅に配された隅櫓は普段は武器庫として使われていたそうです。
天明8年(1788年)の大火でいくつかの櫓が焼失し、今はこの東南隅櫓と西南隅櫓だけが残ってます。
二の丸の塀を南側に回りこむと・・・
かの有名な唐門(重要文化財)がありました。
唐門は二の丸御殿の正門にあたり、切妻造、桧皮葺の四脚門でその屋根の前後に唐破風が付きます。
桃山時代末期の慶長7~8年(1602~1603年)に造営されました。
豪華絢爛な極彩色の彫刻が見事です
松に鶴、牡丹に蝶など長寿や徳川家の繁栄を願う彫刻が目を惹きますね。
平成25年(2013年)には修復工事が行われ、往時の姿に蘇りました。
聖域を守護する唐獅子
修復工事の時、天皇家を示す菊紋の金具の下に徳川家の葵紋があったことが分かりました。
幕末の大政奉還によって、二条城は朝廷の管理下に入り二条離宮となったことから、その時に紋が付け替えられたのではないかと考えられています。
国宝の二の丸御殿(御殿内は写真撮影禁止)
何と言っても歴史の教科書に載っていた徳川最後の将軍 慶喜によって政権を徳川幕府から朝廷に返還する大政奉還を宣言した大広間を見ることができて感激しました
部屋数33、トータル800畳もある御殿内の各部屋の狩野派による襖絵も一見の価値ありです
つづく
過去記事<京都写ん歩 堀川御池、烏丸御池行ったり来たり>
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