「124 茶壷 千寿 磨」
サイズ:(約)φ6.8×H10.5cm
本体重量:500g
素材・材質:錫(97%以上)
生産国:日本
平成20年度厚生省より食品衛生法の改正がありました、現在製作されている錫器はすべて、改正後の基準値内で安全な商品です。
*https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E9%8C%AB%E5%99%A8-%E3%81%99%E3%81%9A%E3%81%8D-%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%B5%AA%E8%8F%AF%E9%8C%AB%E5%99%A8-%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E5%B7%A5%E8%8A%B8-1-3/dp/B00CZ61YPW より
大阪錫器株式会社 大阪市東住吉区田辺6-6-15
日本の錫器の歴史
錫器が日本に伝わったのは今から約1300年前といわれ、奈良正倉院宝物に錫製薬壷・水瓶などが数点保存されています。金、銀に並ぶ貴重品であった錫は宮中でのうつわや有力神社の神酒徳利、榊立などの神仏具としてごく一部の特権階級のみ使用されてきました。
『人倫訓蒙図彙』(1690年出版された風俗事典的絵本)では「錫師は錫鉛を以て徳利鉢茶壺を造る、」と記され、江戸初期に京都を中心に製作されていた事が確認されています。
その後広く一般にも普及していくと酒器や茶器の形も美しさを保ちながら使い易さを重視した現在の形に落ち着いてゆきました。
大阪浪華錫器の歴史
大阪における錫器造りの起源は、延宝7年(1679年)『難波雀』に「錫引き、堺い筋」とその記録があり、江戸中期には、心斎橋・天神橋・天王寺など流通の良い上方(大阪)で生産され、やがて産地から産業へと拡大されました。
錫屋の老舗〝錫半〟(1996年閉店)が正徳4年(1714年)に心斎橋で開業。その後多くの大阪の錫器製造業者が集合し、特産品としての地位を確立しました。
最盛期の昭和前半には大阪全体で300名を超える職人が競うようにその腕を振るったといわれています。
第2次大戦の勃発とともに、職人の招集が相次いだり、戦時統制により材料の入手が困難になるなど大きな打撃をうけました。
それでも、昭和58年(1983年)3月、錫器の伝統性・技術・技法等について審議の結果、当時の通産大臣(現 経済産業大臣)より伝統的工芸品『大阪浪華錫器』として指定・承認されました。
日々の研鑚を忘れることなく先人たちの優れた技術や知恵を受け継ぐ品を作り続けています。
「推薦コメント」
熟練の職人による轆轤の技。シンメトリーの形に一本一本つけられた美しいライン。その精度はきわめて正確です。蓋を置くだけで自然と落ちていき、空気が抜ける様は圧巻です。茶葉など密閉したいものに使ってください。-日野明子-
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