「日本」
ランク12位(10/30付)「日本」10大会連続10回目・最高成績 ベスト8(2019年)
*https://tokyo-futsaler.blog/archives/20190608-rugby-emblem.html#index_id11 より
愛称は「ブレイブ・ブロッサムズ(Brave Blossoms)」。
日本代表の愛称はどうか? 日本のファンのあいだでは、監督やヘッドコーチの名を冠して、「平尾ジャパン」、「エディージャパン」などと呼ばれる。世界のメディアが、ジャパンの記事を書くときにどう表現しているかと言えば、桜のエンブレムにちなんで、「チェリー・ブロッサムズ」と称することが多かった。過去形で書いたのは、2003年のラグビーワールドカップ(RWC)までは、という意味だ。
1987年の第1回RWCから1999年の第4回RWCまで、日本代表は強豪国には大敗の連続。唯一の勝利は、1991年のジンバブエ代表戦のみで、世界のラグビー界では弱小国とみなされていた。ニュージーランドの選手がメンバーにたくさん入っていると、「チェリー・ブラックス」と揶揄されることもあったほど。もちろん、代表資格に国籍を問わないのは世界のルールであり、それ自体には問題はない。不甲斐ない負けが多く、からかわれても仕方ない時期があったということだ。
流れが変わったのは、2003年大会だった。向井昭吾監督、箕内拓郎キャプテンが率いた日本代表は、オーストラリアの地で勇敢な戦いを見せる。長期滞在したタウンズビルの市民は、強豪国に対して粘り強く戦う日本代表を全力でサポートした。ここで生まれたのが、「ブレイブ・ブロッサムズ(BRAVE BLOSSOMS)=「勇敢な桜戦士」という呼び名である。
しかし、実は「ブレイブ・ブロッサムズ」という愛称を、いつ誰が使い始めたのか、これまで判然としなかった。今回、改めて当時の記憶、記録をたどり、関係者の証言から、はっきりしたことがあるので記しておきたい。
RWC2003でプールBに所属した日本代表は、10月12日、タウンズビルのデイリー・ファーマーズ・スタジアムでスコットランド代表と対戦した。第1戦にターゲットを絞っていた日本代表は低いタックルの連発でスコットランド代表を追いつめ、後半なかばまで勝つ可能性のある戦いを繰り広げた。最後は突き放され、スコアは11-32。タックル総数は168、成功数は136で、完敗を予想した多くの観客を驚かせた。この試合を報道した『ラグビーマガジン』2003年12月号(10月25日発売)の目次のコラムで、田村一博編集長は書いている。「スコットランド戦翌日の地元紙。一面に躍った【BRAVE BLOSSOMS】の見出しが誇らしかった」。
筆者も地元紙『Bulletin』の見出しを記憶している。時を同じくして、「ブレイブ・ブロッサムズ」を使った記者がいた。当時、『JAPAN TIMES』の記者だったリッチー・フリーマンさんである。現在は共同通信社で健筆をふるうが、英文で日本ラグビーを世界に発信し続けているジャーナリストだ。彼は、この大会までは日本代表のことを、「チェリー・ブロッサムズ」と表現していた。勇敢な戦いに感銘を受け、“ブレイブ”とするべきだと感じたわけだ。彼自身にも、誰よりも先にウェブサイトの記事に書いた記憶がある。それを裏付ける資料がある。当時、ニュージーランドのカンタベリー大学に留学していた坂田博史さんの論文だ。現在、関西ラグビー協会の会長を務める坂田好弘さんの長男である博史さんは、日本代表のプレースタイルに関する論文の中で、「勇ましい日本代表をブレイブ・ブロッサムズと表現」と、フリーマンさんの記事に触れている。
このスコットランド戦を期に、英語圏の人々に「ブレイブ・ブロッサムズ」という愛称が広まっていったことだけは間違いなさそうだ。そして、その言葉を使った人として名前が分かっているのは、フリーマンさんのみである。以降、日本代表は、RWC2007ではフィジー代表と死闘を繰り広げ、RWC 2011はフランス代表と好勝負、そしてRWC 2015には、南アフリカ代表を破る快挙を成し遂げる。日本代表が感動的な戦いを披露するたび、海外メディアには、“BRAVE BLOSSOMS”という文字が躍るようになった。
*http://jpn2017.rugby-japan.jp/autumntestmatch/about/169/ より
エンブレムは、「桜」。
今大会では惜しくもベスト8を逃したが、着実に実力をつけ、いずれ「強豪」の一角に入ることを心待ちにしている。