いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<日本酒メーカー> 新潟 諸橋酒造

2025-02-23 07:58:01 | 日本酒

 「諸橋酒造」

 「料理の邪魔をせず、喉元をすっと落ちていくような酒を味わってもらいたい。酒は脇役でいい」、これが『越乃景虎』のコンセプトだ。

 先代から娘に受け継がれる経営理念

 諸橋酒造の蔵は長岡市の東部、魚沼丘陵と越後山脈に挟まれた栃尾盆地にある。現在は長岡市だが合併前は栃尾市と呼ばれた。
 栃尾と言えば、越後が輩出した名将・上杉謙信が青年期を過ごした地。謙信が当時名乗っていた「長尾景虎」にあやかり、銘酒『越乃景虎』は生まれた。
 「1969年の大河ドラマ『天と地と』で『景虎』が生まれ、2009年の『天地人』でも、おかげさまで話題になりました。だからと言って、製造量を大幅に増やすことはしなかったのです」
 急逝した先代・諸橋乕夫氏の跡を継ぎ、2016年に7代目蔵元に就任した諸橋麻貴さんが語った。
 「父である先代はいつも、身の丈に合った酒造りをしなさいと言っていました。それは、愛されている味を変えない、目の届く範囲の規模で、良いものを造ること。
 『越乃景虎』は全量ほぼ手造りなので、この蔵の大きさでは、今が精一杯なんです」
 60年あまり蔵を守ってきた先代と、歴代の杜氏によって築き上げられた蔵の味を崩さずに継承する。これが蔵の変わらぬ信念、そして自分の使命、と社長は胸に刻んでいるようだった。

 地元に愛される普通酒こそ手を抜くな

 創業から170年の諸橋酒造
 創業は江戸時代の1847年。四方を山に囲まれた栃尾は新潟有数の豪雪地帯であり、冬は鈴木牧之の『北越雪譜』さながらの世界となる。その厳しい自然環境にあって、170年も地元に親しまれる酒を造り続けてきた。
 「高級酒がおいしいのは当たり前。毎日飲む普通酒だからこそ決して手を抜かず造る、と先代は常々言っていました」 と、諸橋さん。
 地元のお客様に親しまれている普通酒こそ、本物をお届けすべき。この想いもまた代々受け継がれてきた理念のようだ。
 それでは良い酒を造る上で大切にしていることは何か、との問いに、造りの現場で指揮をとる杜氏の浅井勝さんから、
 「人の和、高い技術力はもちろんですが、常に製造場内を清潔に保ち、いい環境で酒造りをするように心がけています」
 伝統的和様建築の風格ある建物は、製造場内のみならず、土間も廊下もすがすがしく清められていて印象に残った。

 自然の恩恵を味方につけて

 全国名水百選に選ばれた湧水が仕込み水
 諸橋酒造の酒造りは、雪国新潟きっての低温環境に加え、原料となる米や水にも恵まれている。 栃尾は、山の斜面がどこも丁寧に開墾され、全国屈指の棚田地帯。この棚田から良質の米が採れる。
 水は自社敷地の井戸から汲み上げる天然水。そして全国名水百選に選ばれている「杜々の森(とどのもり)」の湧水。
 この二つを仕込み水にするが、いずれも超軟水。不純物が少なく蒸留水のようで、発酵させるのが困難とされるが、優しい飲み口の辛口酒を造り出している。
 「原料米、仕込み水は酒質を決める大切なものですから慎重に選びます。淡麗でスッキリした味わいの中に、柔らかさを感じるのは仕込み水を生かした造りだからです」と、浅井杜氏が実感をもって話してくれた。
 「香り穏やかでスッキリとキレよく、辛口でありながら辛さを感じさせない」と評価されるこの蔵の酒には、雪深い土地で育まれた仕込み水が大きく影響していた。
 実際、日本酒度が+12もある超辛口でさえ、シャープなキレ味で締めくくるものの、口当たりはまろやかに感じられる。
 さらには、蔵近くの山中にある横穴洞窟を天然貯蔵庫に利用し、一部の商品を保管している。温度と湿度の一定した洞窟に寝かせると、酒がゆるやかに熟成して独特の風味を生み出すという。 こうして多くの自然の恩恵を味方につけた酒造りが、諸橋酒造では行われている。

 造り手の自己満足ではなくお客様の満足を

 杜氏の浅井勝さん
 杜氏として、先代亡き後、蔵の味を守っていくもうひとつの、そしてある意味、とても重要な立場となった浅井勝さん。170年間の歴代杜氏の後を受け、強い覚悟で『越乃景虎』の造りを指揮している。
 製造工程の中で最も重視していることを尋ねると、「原料処理です」と即座に返ってきた。
 「いい蒸米を作ることが基本だと思います。『一麹、二酛、三造り』といわれる通り、全ての工程に蒸米がかかってきますから」

 手仕事と最新技術と

 歴史ある酒蔵の風情が残されている

 守り続ける味だからこそ、時代を超えて愛される酒
 なるほど、この蔵では精米は丁寧に自家精米、コンピュータ制御の精米機が動いている。蒸米にはすべて甑を使用、いい蒸米を作るためという。
 また、瓶詰めには最新の設備を揃え、良い酒のためにという目標のもと、伝統と最新技術を必要に応じて柔軟に取り入れる。
 「造り手側の自己満足ではなく、お客様に本当に美味しく飲んでいただける酒造りを心がけていきたいと思います」

 これまで築いてきた蔵の味を変えることなく

 諸橋社長:先代の逝去は悲しい出来事でしたが、蔵元としての忙しい日々の中で、残してくれたものの大きさと大切さを感じる毎日です。歴代の杜氏さんたちも蔵の味をしっかり受け継いでくれています。
 お客様の声を聞くたび、これからも、愛してくださっているこの味を守り、伝えていくのが役目と、気持ちを新たにしています。

 諸橋酒造株式会社 新潟県長岡市北荷頃408

*https://www.niigata-sake.or.jp/interview/k43.html より

 代表銘柄

越乃景虎 大吟醸 秘蔵雫酒

*https://sakenokadoya.com/kagetora-shizuku/ より

酒造好適米「山田錦」で仕込んだ大吟醸を斗瓶(18リットル)で最低3年以上冷蔵庫で貯蔵熟成させた斗瓶取り大吟醸の長期熟成酒。

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<日本酒メーカー> 新潟 金鵄盃酒造

2025-02-22 10:44:53 | 日本酒

 「金鵄盃酒造」

 『越後杜氏』にかける五泉市の酒蔵、金鵄盃(きんしはい)酒造は、「いい酒はシンプル。飲む人の心に緩やかにしみこむ酒」を信条に、伝統的な食生活や郷土の祭りに溶け込む酒造りにこだわり、頑なに守り続けている。

 淡麗辛口を代名詞にした新潟清酒の走り

 「酒造りはもともと、勘と習慣に頼っている時代が長かったのですが、それを数字化・データ化しようと始まったのが、田中哲郎先生が組織した研醸会でした。
 まだ大吟醸が世に認知される前から、先生は『大吟醸こそが酒造りの基本』と指導され、うちでも大吟醸造りが始まりました。売れようが売れまいが毎年挑戦して、データを蓄積してきたのです」
と、茂野卓子常務が蔵の歴史を振り返った。これを受けて茂野知行社長が語る。
 「確かに吟醸造りができないと、いい酒造りはできません。吟醸の造りの各工程に、酒造りの重要ポイントが包含されている。酒造りは手間ひまかかって当り前なんです。
 効率性重視の大量生産だけしていたら、酒造りが見えなくなると思うんです」
 二人の話を聞いていると銘酒『越後杜氏』がなぜ誕生したのかよくわかる。 淡麗辛口を代名詞にした新潟清酒が世に広く知れ渡った現代、越後杜氏の名称もまた周知の事実となった。
 日本の酒造りを牽引してきた代表的杜氏集団の名であるからだ。 だが、『越乃寒梅』を先駆けとして新潟清酒が日本酒市場へ大規模な売り込みをかけ、ブームとなるのは1985年頃からのこと。
 そうした波が訪れる前の1983年、この『越後杜氏』はリリースされた。NHKの連続テレビ小説『おしん』が大反響を呼び、東京ディズニーランドが開園された年である。

 新潟清酒を看板に背負った銘酒『越後杜氏』

 伝統的な手造りで醸される『越後杜氏』
 「大吟醸は売りたくて造り始めたのではありません。地元で支持されているのは本醸造。その本醸造の技術を上げるのが目的でした」と茂野社長。
 この蔵では研醸会が解散されると、その後に組織された「越後酋楽会(しゅがくかい)」に所属し、酵母開発にも共に取り組んできた。とにかく研究熱心、酒造りへの深い想いが感じられる。
 「地酒をストレートに表現したブランドが『越後杜氏』です。新潟の酒がまだ辛口でない時代でしたから、首都圏では日本酒度+4の酒は珍しかった。
 今ではみんな辛口になったので、そんなに辛く感じないようですが。でもこれはスペックで辛口なのではありません。旨みの中にスッキリ感があるという意味です」
 と、社長は正当派新潟清酒を解説する。 しかし、市場では淡麗辛口の反動で濃醇旨口への志向が生れているのも事実。
 「飲み手の舌は成長していくもの。飲酒経験を重ねれば日本酒の原点に帰ってくると思うのです。フルーティーから入っても華やかさに惹かれても、40代50代になれば燗酒にハマっていく。
 私はおでんで『越後杜氏』の熱燗が一番です。だからこれまでの路線を変える積もりはありません。最後の1本に帰ってきてもらえたらいいと思っています」
 正当派新潟清酒の先駆けとして、新潟清酒の看板を銘柄に掲げた『越後杜氏』。これからも日常の食卓に当り前に上る越後の地酒であり続け、ふるさとの祭りの光景を飾る地酒として、後世にその造りを伝えていくのだろう。

 霊峰白山を水源にする「天狗の清水」

 主要銘柄のひとつ『金鵄盃』は建国の説話に因む
 金鵄盃酒造は、村松藩三万石の城下町だった旧村松町(現在は五泉市)で1824年に創業。 社名の由来となったのは建国説話に出てくる金色のトビで、神武天皇を無血勝利に導いたとされ、平和の象徴といわれる。
 1940年代、村松に置かれていた陸軍の大佐から命名いただいたことから、この名を銘柄にした酒を発売した。
 創業から190年余り、地元に愛される酒を信条に、総じて味のきれいなさっぱりとした飲み口、キレの中に旨みが膨らむ味わいを求めてきた。
 一方で吟醸造りには技術力の錬磨を目的に早くから取り組み、全国新酒鑑評会での金賞受賞歴は、過去10年で7回と県内でもトップクラス。 こうした酒が造れるのも水に負うところが大きいと蔵元は語る。
 「霊峰白山を水源とする伏流水『天狗の清水』を、仕込み水だけでなく米洗いにも割水にも使っています。幾層もの地層をくぐり150年もの時間をかけて濾過された地下水脈は、弱酸性で極軟水。昔、村松藩の殿様が使っていた井戸と同じ水脈なんです」
 「天狗の清水」の名の由来は、白山の禅寺・慈光寺周辺に数多く残る天狗伝説に因むという。白山は修験者の山だったことからも、「天狗の清水」は厳しい自然に守られた水源であることが偲ばれる。

 蔵人が作った米で酒造りするのが理想

 コメ作りに精通した蔵人が多い
 このように水がきれいで水量も豊富な地域では、稲作が盛ん。三方を1,000m級の山々に囲まれて山の気候を受けやすく、昼夜の寒暖差が大きいことも稲作には好条件となっている。
 酒造好適米の栽培も行われ、この蔵では地元産五百万石が大部分の酒に使われている。
 「蔵人は年間雇用ですが兼業農家が多いんです。ですから田植えや稲刈りの時期になると、休暇を取って田んぼに直行。それだけにコメを見る目があり、頼もしい限りです。
 杵渕杜氏は新潟清酒学校の卒業生だし、蔵人は酒造国家検定一級技能士の資格も持っているんですよ」
 と、社長は全幅の信頼を置いている様子。蔵人が作った米で酒造りするのが理想だと話を結んだ。

 金鵄盃酒造株式会社 新潟県五泉市村松甲1836番地1

*https://www.niigata-sake.or.jp/kuramoto/kinshihai/ より

 代表銘柄

越後杜氏 辛口

地元で最も愛されている定番銘柄。
淡麗辛口に旨みが調和したバランス良い味わいです。
あわせる料理を選ばず、お好みの温度で楽しめます。

使用米 五百万石・こしいぶき
清米歩合 65%
アルコール度数 15度

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<日本の名水百選> 静岡 阿多古川

2025-02-22 07:15:44 | 日本酒

 「阿多古川」

 阿多古川(あたごがわ)は、静岡県浜松市天竜区を流れる天竜川水系の一級河川。

 地理
 鳶ノ巣山東方の浜松市天竜区熊付近にある、いくつかの沢に源を発する。おおむね静岡県道9号天竜東栄線に沿って旧天竜市内の山間地域を流れ、浜松市天竜区渡ケ島で天竜川に合流する。

 清流で知られ、平成の名水百選にも選定されている。浜松市中心部から比較的距離が近いこともあり、渓流釣りや水遊び、キャンプ等のレジャースポットとして人気がある。上流部に石神の里、道の駅くんま水車の里がある。

*Wikipedia より

 由来・歴史
 昔、阿多古で雨が降らなくなり、川の瀬戸渕に住む笛好きの竜神様のもとに笛吹きの若者が行き、雨乞いのために笛を吹くと渕の中から女が現れ、竜神様は病気なので笛の音で治してほしいと言われた。若者は竜神のいる竜宮城で笛を吹き、病気を治した。すると雨が降り、以後幸せが続いたとの言い伝えがある。
 水質保全活動
 阿多古川環境保全協議会では、河川パトロール(ゴミ拾い、「ゴミ捨て禁止」の既設看板の清掃、「川をきれいに」ののぼり旗設置等)、夏季の駐車場整理、竹林整備を定期的に行っている。

 周辺の自然環境-浜松市天竜区の山間地を流れる清流。周辺の山々は「天竜美林」と呼ばれ、水は見事なまでに川底まで透き通っている。アクセスも良好で、四季を通じ、渓流釣り、水遊び、キャンプなどで賑わっている。
 利用状況-天竜区青谷地区は本河川から簡易水道を引いており、生活用水及び農業用水として利用している。
 大正初期から急速に減ったが、県道ができるまで荷物運搬の手段として、利用されていた。

*https://water-pub.env.go.jp/water-pub/mizu-site/newmeisui/data/index.asp?info=53 より

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<日本酒メーカー> 新潟 加藤酒造店

2025-02-21 07:00:44 | 日本酒

 「加藤酒造店」

 日本酒は米と水からできている。全体の8割は水が占めており、うまい酒を造るには何よりも良い水が必要不可欠だ。日本酒蔵のある場所は名水が湧いているが、水は自然のもの。思うようにいかなくなることもある。

 納得できる酒を造るために探し出した良水

 佐渡島沢根の地に加藤酒造店は1915年に創業した。しかし1993年に仕込蔵を移転。原因は水にあった。
 「私が目指したのは軽やかで柔らかな口当たりで飲み飽きないもの。
 でも、前蔵に湧き出ていた水で仕込むと、どうしても重たい酒に仕上がってしまう。ここでは自分の目指す味は造れないと、島内の水脈を巡り、やっと巡り会えた水が金井にあったのです」
 という4代目で前社長の加藤健さん。選んだ金井にはもともと他の酒蔵があったが、すでに廃業。酒蔵があった場所には名水ありの理のとおりである。

 移転にともなう困難も

 前蔵の場所は、家屋兼小売販売の店舗となっている
 蔵を移動、建て替えることは酒蔵にとってシビアなことも多い。
 しかし、それ以上に4代目にとって酒造りに一番必要なのは「水」だった。
 「移転した当初、味が変わった、昔のほうが良かったという声もあった。全く売れていないこともなかったのだから、移転しなくてもいいのではともいわれた。でも酒を造る私が納得できなければ、これから自信を持って、加藤酒造店の暖簾を掲げることはできない。だから移転した」
 移転して三十余年。金井の地に湧きでる水で仕込む酒は、すっきりした柔らかな口当たり、いつまでも飲みあきない。

 「全量佐渡産米」は島の農業への恩返し

 無理な拡販はしないため、島外ではあまり見かけない銘柄も
 新潟は米の名産地。中でも佐渡は魚沼、岩船に次いでの米所であり、品質の良い米がよく実る。
 江戸時代、島には金山もあり幕府直轄地だったため人口も多く、食糧不足にならないように山から海まで田が作られ、灌漑工事もきちんと整備されているためだ。
 「平成28酒造年度から、原料米は全て佐渡産になりました」と教えてくれたのは、5代目で現社長の加藤一郎さん。平成27年、Uターンで蔵に戻った。

 朱鷺の島ならではのこだわり

 実り豊かな島の米が周囲にあるのに、わざわざ島外から米を買う必要があるのか。オール佐渡産と決めてから、扱う米にもこだわりを始める。
 四代目:佐渡は朱鷺の生息地。朱鷺の餌となる生き物がいる田を増やしたいんです。そのためには、減肥栽培、無農薬、無肥料といった手間のかかる米作りになります。
 しかし、そうすることで、佐渡の自然を活かし、朱鷺も住める郷づくりになるわけですから。多様な生物が生きている田んぼで米を育て、その米で酒を造る。自分の作った米が自分が飲んでいる酒になるということは、農家さんにとってもモチベーションがあがるようです。

 島の美しさを未来へ伝える

 気泡で洗うタイプの洗米機を使い、洗米中に米が割れないよう注意を払っている。
 「オール佐渡産『made with Sado』。これがうちのキャッチフレーズです」という4代目。……佐渡と共に……。そのことに誇りと喜びをもって醸された酒には、佐渡産の原材料だけでなく、気候、風土、人、想いが詰っている。豊かな島の自然があったらからこそ生まれた佐渡の酒。酒器に注げば、どこにいても、佐渡の風土を感じながら味わえるに違いない。
 「100年以上、佐渡で酒造りをしてきたので、佐渡の農業にきちんと恩返しをしなくてはいけない。これは蔵人全員の思いでもあります。うちが酒米を全て佐渡産にすることで、水田の維持に役立てば……。
 就農人口も減り休田が増える今、昔ながらを保つのは厳しい。けれど少しでも目の前に広がる島の美しい田園風景を守り、未来に託したい」
 『金鶴』の日本酒を口に含むと優しい風が身体の中を流れていく気がする。一滴一滴に佐渡の自然や人々の思いがギュっと込められているから。水にこだわり島内産の酒米にこだわった蔵の佐渡への思いは、間違いなく伝わる。

 有限会社加藤酒造店 佐渡市沢根炭屋町50番地

*https://www.niigata-sake.or.jp/kuramoto/katoshuzoten/ より

 代表銘柄

普通酒 金鶴

原料米 麹:五百万石 他/掛米:越いぶき 他

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<日本酒メーカー> 新潟 マスカガミ

2025-02-20 07:48:58 | 日本酒

 「マスカガミ」

 マスカガミの蔵は「北越の小京都」といわれ、歴史情緒あふれる加茂市にある。東に栗ヶ岳、西には弥彦山を望む風光明媚な地で、町の中心を加茂川が流れ、やがて信濃川に合流する。
 そんな加茂川べりで1892年に創業し、現当主は5代目となる。

 淡麗でありながら旨みのある風味

 近代設備も導入して品質を安定化
 主要銘柄『萬寿鏡(ますかがみ)』の名は、万葉集などの和歌に由来。おめでたい文字を当てて命名されたという。
 「長年、当り前のように使ってきましたが、初めて目にしたら何と読むかわからないですよね。マンジュキョウなんて言われたりします」
 と中野壽夫蔵元は、創業者が恨めしいと笑った。 栗ヶ岳水系の上水道を仕込み水にする酒は、基本的には淡麗旨口。淡麗でありながら旨みのある飲み飽きしない風味を持つ。

 全製品の平均精米歩合は約55%

 もうすぐ作りが始まる頃
 「手間がかかり、お金がかかる大吟醸クラスのお酒が美味しいのは当たり前。毎日の晩酌用の普通酒が評価される蔵でありたい」という考えで、酒造りをしていると中野さんはいう。 その現れが精米歩合。
 「良質な酒を醸すには米を惜しげもなく磨くこと」を目標に、全製品の平均精米歩合はなんと約55%。「定番酒にこそ酒蔵の誠意が現れるもの」と、一番低価格な普通酒『清酒萬寿鏡』でさえ精米歩合60%となっている。
 全国の平均が67.3%、酒どころ新潟県の平均が58.2%であることからも、いかに良酒造りを目指しているかがわかる。

 『アルファベットライン』がヒット

 甕酒
 また、甕に詰めた本醸造酒『甕覗(かめのぞき)』は、4代目の遊び心から商品化され、発売以来ロングヒットとなっている。
 しかしここ数年、注目されているのは新シリーズのアルファベットラインだ。発売すると次々にすぐに完売してしまうという。
 「ロットが小さいこともありますが、酒らしからぬ名前とラベルデザインがよかったのではないか」と蔵元は分析する。
 『F40』とか『J55』といったアルファベットと数字の組み合わせは、一見意味不明。だが、わかってしまうととてもわかりやすいネーミングなのだ。
 「Fは普通酒のF、Jは純米のJなんですよ。次に並ぶ数字は精米歩合。40は40%に、55は55%にコメを磨いているということ。単純でしょ。
 車やバイクの型番は、それを見たら排気量がわかるじゃないですか。大吟醸だの特別本醸造だの、理解しにくい表現じゃなくて商品内容をストレートに表したネーミングなんです」

 サクセスストーリーは災いから始まった

 話題のアルファベットライン
 『F40』から始まったアルファベットラインは、『F50』『J50G』『J55Yamahai』『J55Sokujo』『F60』と続き、「S30」を2017年末に発売した。
 名前から察っせられる通り精米歩合30%ということで大吟醸、磨きに磨いた大吟醸ということになる。それゆえ、「S」はシュプリーム=至高のS、これ以上はない「至高」な1本だ。
 開発は次々にヒットを飛ばし、サクセスストーリーを展開中だが、その発端は思わぬアクシデントだった。
 「越淡麗を近隣の農家に契約栽培してもらっているのですが、その1軒が乾燥機のダイヤル操作ミスで、水分過多のコメにしてしまったんです。大吟醸に使おうと思っていたのですが、このコメが検査で等級外になってしまいました。
 契約栽培は全量買い取りが原則ですが、こうしたアクシデントの場合は買う義務はないのです。 とはいえ、長いお付き合い。心情的にはなんとかしてやりたい。
 等級外米は使っても普通酒しか名乗れませんが、金額的に折り合いがついたので引き取りました」
と、蔵元は2014年を振り返った。 ここからが普通酒にこだわってきた中野さんの真骨頂。この越淡麗を40%に磨いて普通酒にしたのだ。
 水分過多はコメを磨く時に割れにくいので、このアクシデントはいわば条件のいい規格外。災いを福に転じてしまったわけだ。

 ネーミングが興味のきっかけに

 次にこの自信作をどう流通に乗せるかだ。
 「ネーミングで勝負することにしたのです。自分のクルマ好きが幸いしました。F40と表記して『エフヨンマル』と読んでもらう。普通酒で精米歩合40%は、ある意味、業界でも衝撃だったようです」
 果たしてこの勝負は吉と出た。2月に仕込んで11月に発売、3カ月間で用意した量が完売したという。
 こうして好調なスタートを切ったアルファベットラインは、続く『F60』も1年分が半年でなくなり、『F50』は2カ月で売り切れ、『J55Yamahai』は発売と同時に売り切れた。
 翌年からは『F40』も通常通り等級米使用で、11月に発売。やはり短期間で売り切れてしまう状況だという。

 もはや量的競争の時代ではない

 これからは高額商品を手がけたいと中野さんは展望を語った。
 「もはや量的競争の時代ではありません。値段を半分にしたら2倍の量を飲んでもらえるか。それも無理でしょう。価値ある商品をそれに見合う価格で販売できるようにすることが必要です。
 当社では2016年出品酒が入賞しました。同じ囲いの酒を入賞酒として4合瓶を1万円で出したら、2カ月でなくなったのです」
 「日本酒は今の販売価格帯の幅を10倍ぐらいにしないと、商売として夢が描ける世界にならないと思うのです」と、蔵元は話を締めくくった。

 株式会社マスカガミ 新潟県加茂市若宮町1-1-32

*https://www.niigata-sake.or.jp/interview/k64.html より

 代表銘柄

F50(エフゴーマル)辛口

「F50(エフゴーマル)」は精米歩合50%の普通酒となります。
大吟醸並みに酒米を磨いた普通酒といえば、「F40」がありますが、この「F50」の最大の特徴は、日本酒度+10以上の思い切った辛口であることです。
しかし、ただ単に辛いだけの酒にはとどまらず、米の磨きによりまろやかさが増し、口に入れた瞬間は非常にソフトな印象です。味わいは極めてクリアで、最後がしっかりとドライな後味です。長年辛口の酒に親しんでこられた日本酒好きの方にも、また最近日本酒を飲み始めた若いファンの方にも是非ともおすすめしたい、ひとランク上の「辛口の優等生」です。

酒米 麴米/五百万石  掛米/こしいぶき
精米歩合   50%
アルコール分 15度
日本酒度   +10.5

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<日本酒メーカー> 新潟 雪椿酒造

2025-02-19 07:02:50 | 日本酒

 「雪椿酒造」

 雪椿酒造が蔵を構える加茂市は、「越後の小京都」と呼ばれている。市街地は三方を山に囲まれ、そのひとつ加茂山はユキツバキの自然群生地。
 東北から北陸の日本海側に分布する珍しい品種で、新潟県の木、そして加茂市の花にも指定されている。

 ユキツバキの鮮烈なイメージを酒銘に

 雪国・新潟の厳冬に耐え、雪解けとともに咲く深紅のユキツバキ。この鮮烈なイメージを酒銘に冠した『越乃雪椿』は、雪椿酒造で醸される。
 1806年に丸若酒造として創業。1987年に主要銘柄から雪椿酒造へと改名したが、創業以来伝承してきた丁寧な手間暇かけた手造りを今も踏襲。新たな出発をした雪椿酒造は、独自路線を進むことになる。

 2011年、仕込みの全量を純米に舵切り

 この蔵では現在タンクの中身は全てが純米酒
 その最たるトピックは、日本酒王国新潟にあっても異色の「全量純米蔵」宣言だろう。 仕込みの全量を純米にと舵を切ったのは2011年。純米酒は米の特質がストレートに表現され、個性の出やすい酒といわれる。
 従来、県内の清酒出荷状況は多くが普通酒や本醸造酒。「新潟の酒=淡麗辛口」の認識が圧倒的多数のなかで、方向転換をした背景には何があったのか。
 2011年当時、雪椿酒造では純米酒の出荷が全体の8割と純米比率が大きく、日本一の酒どころ新潟で特徴を出すためには、この特質を生かすことに活路を見出す。
 醸造アルコールを添加すれば、キレが出て味にメリハリをつけやすいが、純米酒は米と水だけが原料で化粧ができない酒。その緊張感が、蔵に連帯感と上昇志向を生んだ。

 手仕事を中心とした酒造り

 原料処理は10㎏ずつの手洗いで限定吸水と手仕事を重視
 「蔵見学のお客様によく雰囲気がいいと言われるんですよ」と話すのは、製造マネージャーの飯塚泰一さん。 造りのモットーは「和醸良酒」だが、お互いに適度な緊張感を持つことは、良い仕事を成し遂げるために必要な要素でもある。
 そして、「手の届く造り」が昔からの伝統。効率よりも、造り手の感覚を大切にする手仕事主体の酒造りだという。
 今も、洗米は10㎏ずつの手洗いで限定吸水、蒸米は米を少量ずつ張り重ねる抜掛け法。製麹には10㎏盛りの麹箱を使い、すべて人の手で調節できる手法が取られているそうだ。
 必然的に造り手の連携は密になり、和やかな雰囲気になると現場を語った。

 『酒造技術選手権』にて念願の首位に

 製造マネージャー(杜氏)の役職にある飯塚泰一さん
 この飯塚さん、若手ながら杜氏としての手腕は広く認められている。 そのきっかけは2015年。いくつもの賞を総なめにした。
 まずは4月、『越後流酒造技術選手権大会』にて、当時35歳の飯塚さんは並みいるベテランを抑え堂々の首位に。これは県内酒造場が自醸酒を持ち寄り、酒質を競う恒例の大会。雪椿酒造にとっては初の栄冠となった。
 続く5月の『全国新酒鑑評会』で金賞、10月には『関東信越国税局酒類鑑評会』で吟醸部門、純米部門ダブルで優秀賞に輝いた。しかも2年連続の受賞。飯塚杜氏への注目度が俄然、高まった。
 純米蔵のスタートとともに杜氏の任に就いた飯塚さんだが、淡麗辛口市場の新潟にあって、個性の出やすい純米酒を造ることは大きな課題であったに違いない。
 「目指したのは淡麗旨口です。スッキリした中に純米の旨みと甘みがバランス良くある酒。いわば本醸造と純米大吟醸を融合させたような酒です」と狙いを語る。
 製造部は9人体制で年齢層は30代から50代後半まで。三季醸造で増石ニーズに対応し、現在1500石を醸している。

 雪椿酵母仕込みの純米吟醸が誕生

 かつては雁木、現在はアーケードが続く商店街にある。裏山にはユキツバキも群生
蔵の裏手に広がる加茂山公園のユキツバキ。この花の酵母で、社名にも酒銘にもふさわしい酒が造れないものか。先代杜氏の2005年、ユキツバキを杜氏の母校である東京農業大学に送り、清酒醸造に適した酵母を探してもらった。
 全国の大半の酒蔵は日本醸造協会の『きょうかい酵母』を使っているが、独自性を求めて蔵付き酵母や、自然界から分離した酵母を使う仕込みもある。
 東京農大の「花酵母」は有名だが、花から酵母を採取できる確立は偶然にも等しいといわれる。
 実用化まで3年を要し、「雪椿酵母仕込」の酒が誕生した。
 業界関係者からの評価は「いい意味で日本酒らしくない酒」。発酵力が強く野性味のある雪椿酵母からは、酸味がしっかりしたキレのいいお酒ができるようだ。

 雪椿酒造株式会社 新潟県加茂市仲町3-14

*https://www.niigata-sake.or.jp/kuramoto/yukitsubaki/ より

 代表銘柄

純米吟醸 ゆきつばき(越後ゆきつばき会限定酒)

杜氏が米の持つ魅力を最大限に引き出すよう繊細な醪の状態を見極めながら手塩に掛けて醸したきめ細かな旨みと華やかな含み香が冴える味わいです。

アルコール度数 15度

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<日本酒メーカー> 新潟 加茂錦酒造

2025-02-18 06:40:42 | 日本酒

 「加茂錦酒造」

 明治26年(1893年)創業の加茂錦酒造は、今日まで地元加茂市を代表するお酒として皆様に愛されてきました。
 創業以来120余年、日本人の生活スタイルは大きく変わり、今日では、食卓に和食だけが並ぶ日というのは本当に少なくなりました。
 「ご飯」という言葉が、お米だけでなく、食事全般を指すようになったように、「お酒」という言葉は日本酒以外のワインやビール、ウィスキーをも指すようになりました。
 そんな多様化した食生活の中で、どのようなお酒がおいしく飲めるのか、私たちは日々研鑽を重ねています。
 加茂錦は小さな酒造所なので、生産量や酒造りの体制にも限界があります。
 けれども、自分たちが美味しいと思わないお酒をつくろうとは思いません。
 あたりまえで基本的なことを守りつつ、
 これからも加茂錦はいろいろな角度から酒造りに取り組んでまいります。

 加茂錦酒造株式会社 新潟県加茂市仲町3-3

 代表銘柄

加茂錦(かもにしき) 荷札酒 黄水仙(きすいせん) 純米大吟醸

新潟の若き杜氏の醸す"加茂錦"
加茂錦の若き杜氏、田中悠一氏の醸す加茂錦 荷札酒シリーズ。
清涼感の有る香りとアルコール度数13度という軽快が合わさってスイスイと飲める一本です。
ラベルの「Ver」は田中悠一氏がお酒が進化したと感じるとバージョンアップしていきます!
※現在のVerを知りたい方は、お問い合わせください。

【蔵元コメント】
細部の改善を行い、雄町米らしさを上品に表現するよう努めました。
開栓直後はクリア、発酵ガスが抜けるにしたがって、柔らかな味わいをお楽しみいただければ幸いです。
できるだけ低温の冷蔵庫で保管し、早めにお召し上がり下さい。
それも含めてお酒の個性を楽しんで頂ければ幸いです。酒質から日本の伝統色をイメージして名前を付けています。

原材料 米・米麹
原料米 山田錦・雄町
精米歩合 50%
アルコール分 13度

*https://www.yamatoya-e.com/SHOP/kamonisiki15394.html より

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<日本酒メーカー> 新潟 越後桜酒造

2025-02-17 08:08:54 | 日本酒

 「越後桜酒造」

 白鳥の飛来地としてラムサール条約にも指定されている「瓢湖」から、ほど近い、国道49号線沿いに「越後桜酒造」はある。1890年に水原町(現在の阿賀野市)で創業、当時から盛んに稲作が行われていたことから、地元の米を使用し自然豊かな風土で仕込んだのが始まり。

 毎日のディナーで大吟醸を気軽に味わってほしい

 発酵タンクが整然と並ぶ「白鳥蔵」
 一般的には高級酒とされる大吟醸にもかかわらずリーズナブルな価格で購入できる点が、飲み手の心を掴み続ける理由のひとつとなっているようだ。
 2009年に歴史ある酒蔵を全面改装し最新式の設備を導入。ほぼ年間を通しては大吟醸を効率よく醸造することができる。またフレッシュローテーションが可能となり、品質の良さと手に取りやすい価格との両立が実現したことも大きな要因といえる。日々の食とともに楽しめる「テーブル大吟醸」こそ、蔵元が求めてきた理想の酒だ。伝統の製造技術を守りながら、新しい酒造りもチャレンジし続ける。

 造り手の「和」で良酒を醸す

 ゆったりとした空間ながらコンパクトに設計された蔵
 地元の観光スポットにもなっている「白鳥蔵」は、白鳥が瓢湖を飛び立つ姿から名付けられた。
 社長の羽澤さんは、感染禍でも一人の多くの方に酒蔵を観ていただきたいと、VRゴーグルを利用し臨場感ある酒蔵見学を実施。日頃、蔵人しか入ることのできない場所もリアルに見ることができるようになったと語る。
 酒蔵では、20~60代まで幅広い年齢層の蔵人たちが日々『越後桜』を醸している。杜氏の大竹豪さんは、年齢や経験の別なく、チームワークは良好。蔵の構造上、各工程の進み具合がひと目で分かるので人手が必要な時の対応も早い。大事なのは人の目と手と判断なんです。と話す。そんな工程がVRにて御覧になれます。

 阿賀野の魅力発信に貢献

 2台据えられた圧搾機を中心に、配置された機器が壮観
 「瓢湖は『白鳥の飛来地』としてあまりに有名ですが、10~3月のシーズンでなくてもあやめや桜、あじさいなど、四季折々の景観が楽しめるんですよ」と、羽澤社長。
 近隣には温泉地も多く、「白鳥蔵」も阿賀野市の観光スポットのひとつとして貢献できたらと意気込む。「白鳥蔵」の楽しみは、VR酒蔵見学だけにとどまらない。
 蔵限定で楽しめる生しぼり酒の試飲や販売、地元企業の醤油や染工場の前掛けなどの物産品もあり、さながら阿賀野のちいさなアンテナショップのよう。観光客の立ち寄りスポットとしても人気が高い。
 地域や飲み手にとってより身近な蔵になることこそ、越後桜酒造にとって最大の願いなのだ。

 地元の米と水を活かす

 羽澤社長:新潟の大自然に育まれた米と水、伝統の技術で蔵人が丹精込めて醸し出した「越後桜」の味わいを、是非ご家庭でお楽しみください。

 越後桜酒造株式会社 新潟県阿賀野市山口町1-7-13

*https://www.niigata-sake.or.jp/kuramoto/echigozakura/ より

 代表銘柄

大吟醸 越後桜 Daiginjo Echigo Zakura

酒どころ新潟県にある越後桜酒造の蔵名を冠する自慢の逸品です。丁寧に醸し得た、華やかな香りとスッキリとした味わいが特徴です。

アルコール分 15度

原材料名 米(国産)、米こうじ(国産米)、醸造アルコール

精米歩合 50%

甘辛味覚 やや辛口

お勧めの飲み方 冷や

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<日本酒メーカー> 新潟 柏露酒造

2025-02-16 07:19:40 | 日本酒

 「柏露酒造」

 柏露酒造が蔵を構える長岡市は、昔から長岡藩の城下町として栄えてきた地。また越後平野の中央に位置し、良質な米の集散地としても賑わってきた。この地域は、冬の厳しい寒さに加えて日本でも有数の豪雪地帯であり、降り積もる雪が空気を清める。清酒造りに最適な自然環境である市内には現在も新潟県内で最多の16もの日本酒蔵があり、技を競っている。

 目指すは芳醇で味わい深く上品で奥深い酒

 出荷先は県内よりも首都圏の百貨店などでの取り扱いが主となっている。
 代表銘柄は『柏露』。贈答品によく選ばれているという。
 「酒質は、芳醇で味わい深く上品で奥深い酒を目指しています」というが、なるほど、三つ柏の紋をあしらった『柏露』のラベルには高級感が漂い、誰かに贈りたくなる趣がある。

 紋は旧長岡藩主の家紋から

 大手の流通に乗っているため首都圏で知られる『柏露』だが、これからは地元の人たちにも親しんでほしいという
 この三つ柏、じつは旧長岡藩主牧野家の家紋。牧野家は江戸時代から明治維新までの250年余り、長岡の地を統治した大名家だ。
 1882年その牧野家から酒造蔵を譲り受け、三つ柏紋の使用と商品名「柏露」を継承したという経緯が『越乃柏露』にはあった。
 もともとこの蔵の創業者は長岡藩の御用商人。江戸時代の1751年に「越中屋」として造り酒屋を開業した。『柏露』には、そうした関わりから生まれた背景を持つ由緒ある銘柄。贈答品に選ばれる品格も頷ける。

 進化し続ける『氵』さんずい

 伝統を守りながら新しい日本酒の世界を拓く『氵』さんずい
 柏露酒造が蔵を構える長岡市は、昔から長岡藩の城下町として栄えてきた。長岡駅から車で10分、「長岡藩主牧野家資料館」には牧野家の繁栄の跡が残され、300分の1のスケールで再現された長岡城の偉容も見ることができる。
 また越後平野の中央に位置し、越後の良質米の集散地としても賑わってきた。市内には、現在も新潟県内で最多である16の日本酒蔵が点在する。
 こうした激戦地にあって埋もれないためには、個性ある商品の開発も課題となる。『氵』さんずいはその一例。
 「氵(さんずい)」偏は水を表し、他の漢字につけられてその意味を成す。酒蔵の命とも言える水と、伝統的な技術が出会うことで醸される清酒造りの原点を表現したブランドが『氵』さんずいだ。
 2015年の発売以来、多くの支持を得てきたが、さらなる進化を目指し2021年4月にリニューアル。日本酒を愛するすべての人たちの“明日を潤す一滴”となることを願い、オール新潟にこだわり抜いた逸品に仕上げた。通年商品の「瓶火入れ」と季節限定の3アイテム(直汲み・生原酒・生詰め)をそれぞれ飲み比べることで、製造方法の違いも楽しめるという。
 個性と言えば見た目も印象的。ラベルには筆で大書された「氵」。初めて目にすると一瞬、意表をつかれる。

 時代の変化を読み、研究を重ね、新たなうまい酒を創り出す

 上品な甘さと花火のように発泡する味わいでファン急増の「柏露花火」
 近年、アルコール市場においても消費者の嗜好の多様化が進んでいる。柏露酒造では、酒造りの伝統を守りながらも、変動する消費者のニーズと期待に応えるべく、新技術や新商品の研究開発に積極的に取り組んできた。「発泡清酒」もそのひとつだ。
 柏露酒造の発泡清酒の歴史は、研究開発を開始した2008年から始まる。同年10月には初の商品化を実現した。2015年、仕込み方法を変更した「スパークリング純米 柏の花言葉」を発売。 2017年には、飲みやすさに重点を置き、甘味と酸の絶妙なバランスを追求した「発泡純米清酒 HANABI」を発売した。
 製法のこだわりが「瓶内二次発酵」。開発当初は、炭酸ガスをお酒に注入し溶け込ませるカーボネーション方式にも挑戦した。様々な製法を試みた中で、ガス圧の安定・管理が難しい瓶内二次発酵を採用。その決め手は、後入れの炭酸では味わえない酵母由来の旨みときめ細かく繊細な発泡感だった。
 2022年、市場の活性化・ブランドの拡大を図るべく、酒質・味わいをブラッシュアップし、蔵名を冠して誕生したのが「柏露花火」だ。JR東日本の観光列車「越乃Shu*Kura」1号車・食事付旅行商品の2023年シーズンのウェルカムドリンクにも採用された。にいがた酒の陣や越後長岡酒の陣でも話題となり、県内外問わず人気が高まっている。

 大名蔵としての地元密着の活動と伝統の継承

 初開催のイベントで1,300人を超える柏露ファンが集まった
 2024年4月には『柏露酒造 蔵まつり 第1回発酵フェス2024』を開催。構想から4年、幾度も中止を余儀なくされてきたが、満を持して開催した第1回の来場者数は1,300人超。目標の倍近い数字に嬉しい悲鳴が漏れた。来場者は日本酒と地元飲食店のおつまみ、JAZZ演奏、ダンスパフォーマンスに酔いしれた。
 蔵まつりの目玉は、若手蔵人を中心に企画した「発酵フェス限定酒」。「雪囲い仕込み」「超甘口仕立て」「呑口超辛口仕立て」の3アイテムを発売。経験豊かなベテランの技と若手の新しい感性の見事な連携で3アイテムとも好評を得た。このように酒造りはもちろん、杉玉づくりや大名蔵としての心得も若手へ引き継がれている。「酒造りは人づくり」。酒造りに携わる者は時とともに変わるが「多くの人々に喜ばれる美味しい酒を造る」という姿勢はこの先も受け継がれていくだろう。
 今後はより一層、酒造りもイベントも従業員一丸となって全力で取り組んでいくという。

 柏露酒造株式会社 新潟県長岡市十日町字小島1927番地

*https://www.niigata-sake.or.jp/kuramoto/hakuro/ より

 代表銘柄

柏露 超辛口純米酒
純米酒でありながら、日本酒度+15を実現した超辛口タイプ。長期発酵に合わせた酵母を厳選し、ゆっくりじっくり醸すことで、キレのある呑口ながら、米の旨味がしっかり感じられる酒質に仕上がっています。

酒別 / 純米酒
精米歩合 / 65%
アルコール分 / 15度
日本酒度 / +15.0

さんずい 純米大吟醸 無濾過生原酒 直汲み

搾りたてのお酒を出来る限り空気に触れさせない「直汲み」「無濾過生原酒」で仕上げることで、軽い微炭酸感とフレッシュな味わいを楽しめます。
使用米 /(麹米)五百万石、(掛米)新潟県産米
精米歩合 / 50%
アルコール分 / 16度
日本酒度 / -6.0

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<日本酒メーカー> 新潟 越銘醸

2025-02-15 06:15:30 | 日本酒

 「越銘醸」

 越後の名峰・守門岳(すもんだけ)は、素盞鳴尊にまつわる伝説を秘めた神の山として中越地方の人々に親しまれている。なだらかなスカイラインを描き、壮大な山容を見せる山肌には、樹齢300年を超えるブナの原生林が広がる。

 徳川8代将軍吉宗の時代から酒造り

 代表銘柄は『越の鶴』
 この山を源とする刈谷田川の上流、四方を山に囲まれた小さな盆地に位置する栃尾は、長岡市でもとりわけ雪深い里。
 日本名水百選の泉が湧き出し、冬はすっぽり雪に覆われる自然環境は、酒造りにこの上ない好条件となっている。 越銘醸はこの栃尾で、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の時代から酒造りをしてきた。
 「享保年間(1716~1736年)に創業の山家屋(やまがや)と、1845年創業の山城屋が合併して、1934年にできたのが越銘醸です。旧栃尾で第1号の株式会社なんですよ」と解説するのは、6代目当主の小林幸久社長。
 栃尾の歴史に精通し、この土地への並々ならぬ愛着が、言葉の端々にのぞく。

 戊辰戦争では蔵が長岡藩の兵糧所に

 かつては荷車も通ったという土間だが、車社会の現代に合わせ、隣に道路を作った
 栃尾人の誇りは、ここが名将上杉謙信の勉学を修めた地であること。幼少期を栃尾で過ごした長尾景虎は、栃尾から初陣の旗を上げて越後を平定し、上越の春日山城に移っていった。
 小林社長はこれに続く栃尾のストーリーを物語る。
 「ここは江戸時代、長岡藩栃尾組の代官町でした。1868年の戊辰戦争のとき、当社は同盟軍、米澤藩の兵糧所として使われたのです。蒸米用の大きな和釜を使って兵士ヘの炊き出しが行われました。
 このとき指揮をとったのは、米沢藩上杉家からの応援隊を率いる青年武将・八木朋直でした。後に第四国立銀行の頭取になり、資金を提供して新潟の初代「萬代橋」建造に一役買うなど、新潟市民の生活向上に貢献。
 新潟市長や県議も勤めた人物ですが、若き日、兵糧所を引き上げて米沢へ帰る際には、和歌を一首短冊に記して当社に残していきました」
 今も蔵には戊辰戦争に関わった栃尾の歴史の一端が残されている。

 なめらかで丸みのある柔らかな酒が伝統の味

 こうした長い歴史を持つ越銘醸の酒は、なめらかで、丸みのある柔らかな酒質。寒仕込みと伝統の製法を大切にしているという。
 「大雪の年には2~3mも積もり、雪に覆われた土蔵の中は低温で温度が一定しています。これが酒造りにはとてもいい環境なんです。うちの酒は栃尾の風土に育まれたものです」
 手間もコストもかかるが、手造りを軸にした伝統の醸造法はこれからも続ける方針と、小林社長。すうっと味わいが膨らみ、後口がきれいな、すっきりした旨口。言わば「淡麗旨口」を目標に造りに取り組んでいる。
 代表銘柄は『越の鶴』、1972年にそれまでの『越の川』に代わって誕生した。
 「万人に好かれるのは難しいけれど、欠点のない酒が理想です。香りが強すぎてもだめ、個性が強すぎてもだめで、10人中8人が美味いと感じる酒を目指したいです」
 そのために低温でコントロールする温度管理と、上槽の粕歩合に注意しているそうだ。

 栃尾の棚田産「越淡麗」100%で造られる『壱醸』

 酒造り道具は戦争時に炊き出しに使われた
 また栃尾は県内有数の棚田の里。秋には黄金色に染まる稲穂の波が見られる。しかし中越地震後には、やむなく多くの耕作放棄地が出現した。 そこで立ち上がったのが地元の日本酒小売店有志。
 「棚田の生き物を愛する会」を作り、酒米「越淡麗」を育て始めた。 越銘醸でもともに田植え稲刈りに取り組み、その米を使って酒を醸した。
 一から育てて醸し上げたので『壱醸』の名を付けて販売。米の収穫量が限られているので、新潟県内限定流通となっている。新酒ができると毎年披露パーティーを開催してきた。
 毎回プレミアが付くほど好評で、10年間もイベントは続いた。 栃尾の棚田産「越淡麗」100%で造られる『壱醸』シリーズもまた、この土地の風土か育てた名酒である。
 逆に首都圏を対象とした新潟県外限定の銘柄もある。3年前に新しく立ち上げた『山城屋』というブランドだ。
 「蔵の裏山には上杉謙信が初陣を飾った栃尾城があったので、山に城で山城屋という屋号で当社では代々お酒を醸してきました。

 杜氏を中心とした若手の蔵人たちが、この銘柄をリニューアル。酒質向上に果敢に挑戦し、旨さに磨きをかけています。それに、屋号をブランド名にするのは流行だしね」と社長は時代を読む目も忘れない。

 歴史的価値や伝統を受け継ぎ良好に維持

 「長岡市都市景観賞」に表彰された建物

 歴史ある建築物を守ることが未来への財産。それが理解され、表彰された
 越銘醸の蔵は雪国の知恵・雁木が連なる雁木通りにある。建ててから220年も経っていて、表の外観は明治の頃のまま。
 「数年前にリニューアルしようと、建築士に相談したんです。そうしたら、絶対このまま残すべきだと説得されました。補強にも新建材は使わない。えらい時間と費用がかかりましたが、なんとか昔ながらの風情を保つことができました」

 この建物は、歴史的価値や伝統を受け継ぎ良好に維持して、地域の景観を造り出すことに貢献した、として2016年「長岡市都市景観賞」に表彰された。
 最後に、会社の経営で大切にしていることを尋ねると「法令遵守、歴史の尊重、科学の尊重、社員の福祉」との答え。
 それは歴史を尊びつつも、科学の目を持って醸造に取り組む小林社長の姿勢を物語っていた。

 越銘醸株式会社 新潟県長岡市栃尾大町2-8

*https://www.niigata-sake.or.jp/interview/k48.html より

 代表銘柄

大吟醸 越の鶴 鑑評会出品酒
約50日という時間をかけて丁寧に醸した杜氏と蔵人の技術と魂がこもった一品。
新潟県酒造好適米の「越淡麗」のみを使用し、酒造りの原点に戻り、手間暇を惜しまず作り上げた複雑かつ芳醇な味わい。越銘醸を代表するお酒です。アルコール度数 18度
精米歩合 38%

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