いいもの見ぃ~つけた!

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< 郷土料理 > 茨城 こも豆腐

2024-05-31 09:03:43 | 郷土料理

 「こも豆腐 」

 主な伝承地域 県内全域

 主な使用食材 豆腐

 歴史・由来・関連行事
 1年を通じて温暖な気候と豊かな水質を活かして、古来より農業が営まれてきた茨城県。れんこんやピーマン、ごぼうなどの農作物が有名だが、茨城県を代表する納豆の原料となる大豆の栽培も地元でおこなわれている。小粒の大豆は納豆に加工され、大粒の大豆は豆腐に加工される。そうした大豆をつかった茨城県の郷土料理の一つに「こも豆腐」がある。
 「こも豆腐」とは、豆腐を納豆のように藁苞(わらづと)で包み、塩ゆでしたもので「つと豆腐」とも呼ばれる。茨城県のほかにも、福島県や群馬県、岐阜県などの一部の地域でつくられている。
 豆腐は今から2000年前、漢の時代に中国で誕生し、その後、奈良時代に遣唐使を通して日本にもたらされたと言われている。お寺の精進料理に重宝されたものがやがて庶民の間に広まり、江戸の頃にはすでに豆腐屋が繁盛していたという。
 肉が簡単に手に入れられなかった時代は、豆腐はたんぱく質を得られる大切な食材だった。しかしあまり日持ちがしないことから、村のみんなでわらを持ち寄り、そこに豆腐をつめて大鍋で塩ゆでしてつくるという、庶民の支え合いから生まれた料理だと言われている。

 食習の機会や時季
 県央地域では、冠婚葬祭の時の料理として親しまれてきた。しかし、近年は藁苞が手に入れにくいため、家庭でつくる機会が減っている。

 飲食方法
 水切りをした豆腐をほぐしながら藁苞につめ、わらで巻きながらかたちを整える。塩を入れた熱湯の中に豆腐をつめた藁苞を入れてしっかりゆでる。塩ゆですることで豆腐がしまっていくので、かたくなったら取り出して冷まし、藁苞から外す。最後にだし汁でゆっくり煮含め、一晩ほど寝かしてから食べる。食べる際は、醤油や酢味噌につけて食べるのが一般的である。
 藁苞から豆腐を取り外すと、わらの跡が美しい模様をつくり出す上に、ほんのりとわらの香りや色が豆腐に移り、それが「こも豆腐」ならではの素朴な味わいにつながる。
 また、豆腐を藁苞につめる際に、枝豆や小豆、刻んだ人参などを入れると切った時の断面があざやかになる。ほかにも味が染みやすいという性質から、オイル漬けにしたり、肉豆腐に入れたりとさまざまなアレンジが楽しまれている。
 藁苞が無い一般家庭でつくる際には、巻きす等を利用しつくることもある。巻きすを利用する場合は最初に豆腐をゆでて、かたくなったものを巻いてそのまま味を含ませつくる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 茨城県が茨城大学や地元の高校、NPO団体などと連携し、「つと豆腐」に関するパンフレットを作成。「つと豆腐」の成り立ちから、現代風のアレンジレシピまで掲載し、啓蒙に取り組んでいる。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/komodofu_ibaraki.html より

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<伝統野菜> 鹿児島 伊敷長なす -追記あり-

2024-05-31 08:59:52 | 伝統野菜

 「伊敷長なす」

 由来
 昭和初期には,鹿児島市伊敷方面で栽培されており,昭和40年頃までは盛んに栽培されていた。今では見なくなったが,近年,一部の生産者が復活に取り組んでいる。
 作物の特徴・特性
 果長は30~35cm,太さ5cm程度と細長い。長いものでは50cm以上になることもある。
 味や料理法
 採り遅れても硬くならない,焼きなすや野菜炒めで食べていた。
 栽培カレンダー

*http://www.pref.kagoshima.jp/ag06/sangyo-rodo/nogyo/nosanbutu/dentou/isikinasu.html より

 

 「伊敷長なす-いじきながなす」

 【生産地】鹿児島市伊敷地区

 【特徴】葉色は濃緑。形状はやや先とがり。果長は30~35cm,太さ5cm程度と細長い。長いものでは50cm以上になることもある。採り遅れても硬くならない。紫の艶とテリが美しいボリューム感のある品種。収穫までに時間がかかる。

 【食味】なす本来の甘みが強くて美味しい。

 【料理】焼きなすや野菜炒めなど

 【来歴】昭和初期に伊敷地区で栽培が見られ、1955(昭和30)年初めには、県農業試験場が県内各地域から「伊敷長なす」を収集し系統選抜試験が行った。1965(昭和40)年代までは、県内各地で栽培されていたが、揃いの良い多収な品種に変わり衰退していった。今では、見なくなったが、近年、一部の生産者が復活に取り組んでいる。また、鹿児島市内の小学校と鹿児島大学が連携して、地元ゆかりの野菜を育てて地域への理解を深めてもらおうと、児童達と「伊敷長なす」を栽培する活動が行われている。

 【時期】7月~9月中旬

*https://tradveggie.or.jp/vegetableposts/46-kagoshima#index_MopScVOd より

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<B級ご当地グルメ> 福島 白河ラーメン

2024-05-31 08:54:39 | B級ご当地グルメ

 「白河ラーメン」

 白河ラーメン(しらかわラーメン)は、福島県白河市を中心に供されているラーメン。いわゆる「ご当地ラーメン」の一つである。

 概要
 豚骨や鶏ガラを主体とした醤油ベースの澄んだスープと、スープが絡みやすい多加水の幅が広い縮れ麺が大きな特徴ではあるが、店舗によっては細縮れ麺を出す店もある。木の棒で麺を打つ手打ち麺が伝統的なスタイルだが、最近は減少傾向にある。具はネギ、チャーシュー、メンマ、鳴門巻き、ホウレンソウなど。縁を食紅で塗り、炭火で焼いてから煮るチャーシューを使う店も多い。

 歴史
 白河ラーメンの発祥は亀源。とら食堂は白河手打ちラーメンの元祖。 同店の初代店主である竹井寅次が作るラーメンが美味しいと評判になったことから、市内から弟子入りを志願する人達が竹井の元を訪れるようになり、修業した人達が独立してラーメン店を出店。それらの店で修業した人達が独立して店を出すという連鎖を繰り返すことで、手打ちのちぢれ麺に醤油ベースのスープという白河ラーメンのスタイルが、市内各地へと広がるに至っている。

 現在は白河市内に100店を超える店が存在し、観光資源の1つにもなっているほか、首都圏などにも白河ラーメンを出す店が広まっている。

*Wikipedia より

 白河ラーメンとは?
 白河は全国的にも知られるラーメン処で、市内には約100軒を超す味自慢の店があります。コシがある手打ち麺が、味わい深いスープに絡み合い絶妙な風味を醸し出します。
 職人気質でそれぞれの店主のこだわりが日々美味しさを追求し、白河のラーメン文化を築いています。

 白河ラーメンのはじまり
 その歴史は明治時代にさかのぼります。全国各地のラーメンのルーツは屋台が主流であったのに対し、白河は店舗が始まりでした。 明治20年(1887)、木伏源兵衛は「亀屋」というお汁粉屋を始めます。しかしお汁粉屋では夏場人が入らないという悩みがあり、そこで息子の木伏源松がひらめいたのは白河にはまだどこにもない支那そばでした。大正10年(1921)、横浜での修業を経て、源松は手打ちラーメン屋「亀源」を創業。亀源はその後、一代で店は閉められましたが、「白河ラーメン」が日本のラーメン史から見ても早いスタートを切ることができたのは、こうした源松の果敢な挑戦によるものであったことに他なりません。
 白河ラーメンの特徴
 麺
 そば打ち技法で作り始めたことより、手打ちのちぢれ麵」が特徴

 スープ
 豚骨と鶏ガラからダシを取った、醬油ベースの透き通ったあっさりスープ

*https://shirakawa315.com/ramen/ より

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うまいッ! NHK「白さが命!コリコリ食感とほのかな甘さカリフラワー~徳島県~」

2024-05-31 08:44:49 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「白さが命!コリコリ食感とほのかな甘さカリフラワー~徳島県~」 2016年03月13日

 番組内容
 生産量日本一を誇る徳島市のカリフラワー。真っ白な見た目に、コリコリとした食感とほんのりとした甘みが特長です。生産者は、一株ずつ葉を折って、遮光することで美しい白さを生み出しています。収穫最盛期を迎えた産地を訪ね、そのおいしさの秘密に迫ります。さらに、ここ数年、色や形が違う新しい品種が続々登場。また、食べ方も丸ごと焼いてステーキにしたり、スイーツにしたりと進化中。カリフラワーの最前線をご紹介します。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201603130615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「徳島のカリフラワー」

 【徳島県徳島市】 やさしい甘みが詰まった純白の花野菜 カリフラワー 文◎来栖彩子 撮影◎磯野博正

 名前に「キャベツの花」の意味があるカリフラワー。
 食用としているのは蕾(つぼみ)の集合した花蕾(からい)部分で、ブロッコリーが突然変異で白くなったものといわれています。
 日本には明治初期に渡来し、戦後の洋食文化の広がりとともに需要が高まり、ホワイトアスパラガス、セロリとともに「洋菜の三白」と呼ばれ、広く親しまれるようになりました。
 徳島市川内町(かわうちちょう)地域はカリフラワー栽培70年以上の歴史があるこだわりの産地です。
 川内ブランド「華てまり」

 「品質で勝負しています」と、生産者の多田和宏さん
 吉野川の堆積平野に位置する徳島市では、肥沃な土壌に恵まれ、温暖で雨の少ない瀬戸内式気候を生かして多種多様な農作物が生産されています。
 「カリフラワーは、昭和26年(1951年)頃に川内町地域で米の裏作として導入されました。当時はまだ新しい野菜で試行錯誤しながらも、導入当初から白く美しい高品質のカリフラワー作りにこだわってきました」とJA徳島市東部営農経済センターの小谷拓也さん。
 栽培から収穫、出荷までのすべての段階で“白さ”を追求して作業を徹底することで、全国から「川内のカリフラワーを」と求められ、川内ブランドを築きあげました。
 JA徳島市川内カリフラワー部会では、とくに品質の高いものを「華てまり」のブランド名で出荷しています。出荷期間は9月下旬から翌年6月中旬まで。収穫最盛期は12~2月、4~5月となります。
「今では全国各地にカリフラワーの産地がありますが、川内カリフラワー部会は、カリフラワー栽培の先駆者として培った70年の経験とこだわり、さらなる栽培技術の向上で、どこにも負けない純白のカリフラワーをお届けできるよう努めています」と小谷さん。
 とくに12月から2月の冬場のカリフラワーは「光を放つような際立つ白さで、蕾がかたく締まって食感もよく格別」だそうです。
 また、カリフラワーは鮮度が命。鮮度を保ったまま届けられるよう、午前中に収穫し、集荷場で真空予冷をかけてから当日中に出荷。保冷トラックで輸送するコールドチェーン体制が確立されています。
 慎重に丁寧に扱い白さを守る
 収穫して大きな外葉を落として運搬と、すべての作業を手早く慎重に行います
 7月初旬に種まきが始まり、20日~1ヵ月かけて苗を育て、畑に植えつけます。
 「玉に日光が当たると黄色く色づいてしまいます。白さを保つために葉を大きく育てて遮光します」と話す生産者の多田和宏さんは、後を継いで2年目、24歳の若手生産者です。水田から転作した畑と米との二毛作の田んぼの約3ヘクタールでカリフラワーを栽培しています。
 「祖父の時代に川内でカリフラワーの栽培を始めることになり、祖父、父と川内ブランドを作り上げて繋いできました。カリフラワーはデリケートな作物なので手間がかかりますが、丁寧に扱って手をかけただけきれいなカリフラワーができるのが嬉しいですね」。
 花蕾がピンポン玉くらいの大きさになったら、葉を中に折り込んで日除けをします。湿気がこもると傷みが出るので折り込んだ葉をまた戻したり、葉と玉が擦れないようにしたりと、常に一つひとつの玉の様子を確認しながら作業します。
 植えつけてから収穫まで1~2ヵ月。時期によって生長するスピードが違うので、9〜6月まで出荷し続けられるよう、品種を選び、畑をずらしてタイミングを合わせながら2~3週間ごとに種まき、植えつけをし、収穫も同時進行していきます。
 「最後まで花蕾に触れないよう丁寧に扱います」と多田さん。
 収穫はひと玉ずつ茎の根元を鎌で切り、まずその場で簡単に外葉を落とします。花蕾が擦れないように自宅へ運び、土などの汚れは霧吹きで落とし、再度、丁寧に外葉を調整して選別し、箱詰め。少しでも擦れたり押されたりすると変色するため、箱の中で動くことのないよう詰めます。最盛期は朝5時半から1日に1500個ほど収穫し箱詰め、約200箱を午前中のうちに出荷します。
 「受け継いだブランドを守りつつ、さらに品質をあげて生産量を増やし、もっとたくさんの人に川内の純白のカリフラワーをお届けしたい」と、土壌分析を行って土づくりをしたり、新しい技術の導入や調整作業を効率化するなど、積極的にチャレンジしています。
 生食やさっとゆでてコリコリとした食感を楽しむのはもちろん、グラタンや煮込み料理などでも大活躍のカリフラワー。「天ぷらにするのがとにかくおいしい!ホクホクとして優しい甘みがあります。酢の物や、1玉丸ごと逆さに入れて、鍋にして食べるのもおすすめ」とのことです。
 白く美しいカリフラワーは食卓を一段と明るくしてくれます。幅広くいろいろな料理にアレンジしてみてください。
(取材:2022年5月上旬)
 ●JA徳島市
 【カリフラワー】生産概要
 生産者数:約70名
 栽培面積:約43ヘクタール
 出荷量:約1200トン
 主な出荷先:関西、関東、中四国

*https://apron-web.jp/furusato/11982/ より

 

 徳島県 徳島市農業協同組合(カリフラワー)
 「締りが良く純白な川内産カリフラワー」 徳島市農業協同組合川内支所 営農課 課長代理 田中 億昇

 産地の概要

 徳島市川内町は、県の中央を流れる吉野川の河口部北岸に位置しています。地域には、工場地帯や大型商業施設なども多く、農地と住宅地が混在した「都市的地域」に分類されています。

 徳島市農業協同組合(以下、「JA徳島市」)川内支所管内の気象条件は、瀬戸内海型気候に属し、年平均気温16.2度、年間降水量1,540ミリ、同日照時間2,044時間で農産物の生産には適した環境です。

 ほ場は、海抜ゼロメートルに位置しており、土壌は、冬場でも乾燥しすぎない土質という特徴があります。また、農業生産地域は、水稲にカリフラワー栽培を組み合わせた「水田地域」、かんしょに秋冬だいこんを組み合わせた「砂地畑地域」、れんこんを栽培する「湿田地域」に分類されます。

 JA徳島市川内支所管内のカリフラワー栽培は、昭和26年頃に水稲の後作として、当時の徳島県立農業試験場が栽培を奨励し開始されました。その後、昭和43年頃から作付面積は増加し、昭和44年にはJA徳島市川内支所に花やさい部会が設立され、生産量は増加し、ピークの昭和60年頃には100ヘクタールを超える栽培面積がありました。

 栽培当初は、収量も10アール当たり約2トンと少なく、生産性は悪かったものの、その後の品種選定や栽培技術の向上により、収量、品質ともに向上しました。

 現在では、年間約22万ケースを出荷する全国有数のカリフラワーの産地となりました。

 平成21年のJA徳島市管内のカリフラワー部会員数は90名、栽培面積は55ヘクタールで、1戸当たりの栽培面積は60アールです。

 しかし、生産者の平均年齢は65歳と、高齢化に対応した産地づくりが今後の大きな課題となっています。その中で、新たにカリフラワー栽培を始める生産者も現れており、面積規模も異なるさまざまな生産者が協力し合って産地の厚みを増しています。

 生産、栽培上の特色

 品種の選定は、作型を5つに分割し、作型ごとに奨励品種を選定しています。これらの作型の中で、各生産者が自らの労力に見合った作型を選択し、出荷期間中の安定供給を目指しています。

 生産の省力化については、平成3年頃にセルトレイ苗育苗が、平成10年頃から定植機と動力収穫車が導入され、農家1戸当たりの栽培面積の増加につながりました。

 また、全生産者において土壌分析を2年に1度実施しており、減肥栽培や病害対策を含めた土づくりの推進を積極的に行っています。

 出荷販売の工夫

 (1) 品質向上対策

 個々の生産者が選別・箱詰めを行っていますが、JAの共同出荷となる「個選共販体制」による出荷となることから、生産者間の規格の統一と品質の個人格差を是正するため、定期的に規格・品質の目慣らし会を行っています。

 出荷規格については、高温時期のスレによる品質低下(強く手で触れたりすることによる変色)を軽減するため、基本規格以外に季節に対応した特別規格を設けています。

 また、出荷に際しては、出荷期間を通じ真空予冷(野菜から出る熱を奪い、野菜を芯から冷やし、鮮度と栄養分を維持する)を施した出荷を行っています。

 (2) 販売方法

 出荷規格は、2階級6段階、6キログラム入り段ボール箱です。出荷先は、京阪神市場が42パーセント、京浜市場が23パーセント、中京市場が18パーセントなどとなっています。出荷体制は、午後2時までに生産者がJA集荷場に持ち込み、品質検査と予冷処理を行い、各卸売市場に向けてトラック便で発送されます。

 (3) 販売戦略

 2月ごろの収穫の最盛期には、出荷量が日量2千ケースを超えることから、生産者からの集荷状況を常に把握するとともに、各卸売市場の担当者との連絡を密にするなどして、出荷物が出荷先の市場でダブつくことのないよう、各市場への出荷量の調整には細心の注意を払っています。また、市場出荷以外にも量販店や生協に対して販売の提案も行っています。

 産地の認知度を上げるために、地域の伝統芸能である人形浄瑠璃「阿波十郎兵衛」のロゴマークを商標登録し、JA徳島市川内支所産の生産物の化粧箱に添付しています。

 消費宣伝に関しては、カリフラワーの料理レシピが入った産地紹介リーフレットやポスターを作成し、量販店やスーパーを通じて消費者の方々へ配布しています。

 また、学校、病院などの給食への供給も積極的に行うとともに、生産履歴の記帳は全生産者が取り組むなど、安全・安心なカリフラワーの生産を心がけています。

 一言アピール
 カリフラワーの花蕾(約3万個の花のつぼみ)は生育中、日光に当たると黄色く日焼けし純白さが失われ、見た目も悪くなることから、栽培期間中は外葉を折り直接日光に当たらないように大事に育てられます。また、花蕾はスレに弱く、強く手で触れた箇所から変色してしまいます。
 そのためカリフラワーは、ブロッコリーと異なり、スレを防ぐために皆様の手元に届くまで外葉をつけたまま販売されます。

 美味しいカリフラワーを選ぶコツは、
 「白くて締りの良い(隙間のない)モノ」が良いですよ。

 美味しく料理するコツは、
 「酢を加えて湯がくこと」でサクサクした食感となり、より美味しくなりますよ。

 “純白さ”が命の川内産カリフラワーを是非ご賞味下さい。

 お問い合せ先 担当部署:徳島市農業協同組合川内支所

*https://vegetable.alic.go.jp/yasaijoho/santi/1003_santi1.html より

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<料理用語-和食> 碁石作り

2024-05-31 08:35:37 | 料理用語

 「碁石作り」

 ヒラメやカレイを刺身にするときの、特殊な切り方である。

 これらの魚には黒皮面と白皮面があるので、この特徴を強調するため皮ごと刺身に切り、それを白黒交互に盛り付ける。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/06.html より

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<異名-食べ物> 海の怠け者

2024-05-31 08:04:40 | 異名

 「海の怠け者 アワビ」

 アワビ(鮑、鰒、蚫)は、ミミガイ科の大型の巻貝の総称。

 東アジアでは日本の北海道南部から九州、朝鮮半島および中華人民共和国北部の干潮帯付近から水深20m程の岩礁に生息し、アラメ、ワカメ、コンブなどの褐藻類を食べています。

 主に夜行性の物が多く、日中は岩の間や砂の中に潜っているのが特徴です。

 そんなアワビですが、「海の怠け者」と呼ばれることがあります。

 というのも、動きが鈍く、夜しか餌を食べないことに由来します。

 アワビは巻き貝なのに二枚貝と見誤り、片側にしか殻がないので、片思いの恋にもじって「鮑の貝の片思い」とも言い、「片貝の合わぬ身」がアワビの語源です。

*https://www.alias-food.com/seafood/sea-of-lazy より

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<難読漢字-鳥類> 烏骨鶏

2024-05-31 08:01:49 | 難読漢字

 「烏骨鶏 うこっけい」

 烏骨鶏(うこっけい)とは、ニワトリの一品種である。皮膚・肉・骨が暗紫色をしていることから「烏骨」の名が付いている。英名はSilkie。

 歴史
 中国では不老不死の霊鳥として歴代王朝の皇帝に珍重された。中国・宋代の『物類相感志』に記述があり、またマルコ・ポーロ『東方見聞録』に記述される黒いニワトリはウコッケイのことであるとされる[4][5]。明代までは王侯や貴族のみが食べることが認められたといわれており薬鳥として扱われていた。

 烏骨鶏の原産地は中国、インド、ベトナムなどの東南アジア方面とされ、日本にやってきたのは17世紀と言われている。

 1942年(昭和16年)7月21日に烏骨鶏が日本の天然記念物に指定される。その日にあやかって、岐阜県の企業である烏骨鶏本舗、デリカスイト、香川県の松本ファーム、東かがわ烏骨鶏ファームの4社が日本記念日協会に申請し、2017年7月18日に授与式が行われ、7月21日が烏骨鶏の日と認定される。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 手が要る など

2024-05-31 07:56:39 | 慣用句・諺

 「手が要る」

 多くの人手が必要である。

 

 「手が後ろに回る」

 《後ろ手にしばられるところから》悪事を働いて捕らえられる。

 

 「手が掛かる」

 1 手数を必要とする。世話がやける。

 2 手でつかんだ状態になる。

 

 「手が利く」

 技量がすぐれている。

 

 「手が切れる」

 1 関係がなくなる。縁が切れる。

 2 紙幣などの真新しいさまの形容に用いる。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 山形 設楽酒造店

2024-05-31 07:50:49 | 日本酒

 「設楽酒造店」

 美味しい米と美味しい水が出会って初めて香り立つ味わいをご堪能ください。
 当酒蔵がある山形県西川町は、霊峰月山のふもと、四季それぞれに美しい大自然に抱かれた、こころ豊かな町です。月山は、出羽三山の一つとして全国に知られています。この万年雪の雪溶け水が、数百年の歳月を経て、清水となって湧き出るのが、環境庁選定“名水百選”の『月山自然水』であり、酒づくりに最適の水として利用されています。おいしい米と、おいしい水が出会って初めて香り立つふくよかな味わいをご堪能下さい。

 設楽酒造店  山形県西村山郡西川町大字睦合丙674-2

*https://yamagata-sake.or.jp/pages/70/ より

 代表銘柄

銀嶺月山 萬年雪
銀嶺月山の最高峰である大吟醸3年古酒。蔵人の情熱と伝統の技で醸し上げた大吟醸をさらに低温貯蔵し、3年間じっくり熟成させた味わい豊かな大吟醸古酒です。深みのある熟成香をお楽しみ下さい。
数量限定商品です。
 原料米 山田錦(兵庫県産)
 精米歩合 35%
 アルコール分 16

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<四国八十八箇所> 第61番札所 香園寺

2024-05-31 07:45:57 | 巡礼

 「香園寺」

 香園寺(こうおんじ)は、愛媛県西条市小松町南川にある真言宗系の単立寺院(元御室派の寺院)。栴檀山(せんだんさん)、教王院(きょうおういん)と号す。本尊は大日如来。四国八十八箇所の第六十一番札所であり、子安大師の寺として親しまれている。

 本尊真言:おん あびらうんけん ばざらだどばん
 ご詠歌:後の世を思えば詣(まい)れ香園寺 止(と)めて止まらぬ白滝(しらたき)の水
 納経印:当寺本尊、白瀧不動明王
 沿革

 寺伝によれば、用明天皇の病気平癒を祈願して聖徳太子が建立し、天皇からは教王院の勅号を賜ったとされる。天平年間(729年 – 749年)には行基が巡錫。大同年間には、空海が巡錫中、当寺の門前で身重の婦人が苦しんでいた。空海は栴檀の香を焚いて加持祈祷をすると元気な男の子が無事に出産した。また、栴檀の香を焚いて、安産・子育て・身代り・女人成仏を祈る四誓願の護摩修法をした。以来、安産・子育ての信仰の寺となったという。

 実際の創建年は不詳であるが、奥の院の白滝不動から北へ行った海岸あたりで中山川下流に大日という場所があり、そこにあった大日堂が白滝不動で修行する人達の納経所になって、さらに大日如来を本尊とする寺になり、現在地へ移ったとも云われている。

 天正年間(1573年 – 1592年)兵火に遭って焼失したが、江戸時代に入り小松藩主一柳氏の帰依を得て寛永年間(1624年 – 1644年)に再興されている。また古くは、高鴨神社の別当寺であったとされる。

 1903年(明治36年)36代住職になった山岡瑞園大和尚により、1914年(大正3年)に本堂を再興、大正7年に「子安講」を創始し、全国はおろか海外にまで講員を拡大し隆盛に尽力した。 1976年(昭和51年)本堂は妙雲寺に移築され、その跡地に、高さ16m座席数620余の鉄筋コンクリート造りの大聖堂が建立される。

 境内

 大聖堂:本堂と大師堂を兼ねる。二階の堂内で、前立本尊と大師像を拝顔し参拝できる。一階中央にも外から参拝できるように簡素な仏像が祀られている。
 遍明堂(釈迦堂)
 子安大師堂:赤子を抱いた鋳造の大師立像
 聖徳殿(祠):聖徳太子を奉る。
 鐘楼
 戦争慰霊観音像
 句碑:参道の右側に1995年に立てられた種田山頭火の句碑「南無観世音おん手したたる水の一すぢ」「秋の夜の護摩のほのほの燃えさかるなり」と左側に川柳句碑「偉い子はいぬがどの子も親思い」がある。
 参道を進むと左側に手水場が、右に鐘楼があり、その奥に遍明堂(釈迦堂)、正面に本堂と大師堂を兼ねた大聖堂が建っている。大聖堂の右側に聖徳殿と子安大師堂がある。大聖堂の外の前に大きなローソク線香立てがあり、それらを灯してから、大聖堂の向かって右から外階段を上がって二階ホールに入る。中は舞台と観客席があり、舞台中央に前立本尊の大きな金色に輝く大日如来が鎮座していて、秘仏本尊はその後ろの厨子にひっそりと置かれている。大師像は舞台右の厨子の中に奉られている。

 宿坊:なし。(定員250名の子安会館は、閉館)
 駐車場:75台、大型3台。無料。

 文化財
 西条市指定文化財

 一柳直卿の扁額「栴檀山」「教王院」(市指定工芸品)
 大日裏山2号古墳(市指定史跡)

 香園寺  愛媛県西条市小松町南川甲19

*Wikipedia より

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