「古酒-こしゅ」
新酒が出回ってもまだ残っている前年の酒を言う。夏を越えた日本酒は、新酒と比べて味が劣る。
子季語には、「ふるざけ-古酒」がある。
*https://kigosai.sub.jp/001/archives/5051 より
「古酒-こしゅ」
新酒が出回ってもまだ残っている前年の酒を言う。夏を越えた日本酒は、新酒と比べて味が劣る。
子季語には、「ふるざけ-古酒」がある。
*https://kigosai.sub.jp/001/archives/5051 より
「紫玉-しぎょく」
■紫玉とは?
●「巨峰高墨系」の枝変り
紫玉は山梨県の植原葡萄研究所のぶどう園において1982(昭和57)年に巨峰の系統「高墨」の枝変わりとして発見され、その枝から採穂して接木により育成されたものです。1985年に品種登録が出願され、1987年に登録されました。
植原葡萄研究所と言えば、数々の品種を生み出してきたことで知られています。
●紫玉の特徴
農林水産省の品種登録データベースには以下の通り記載されています。
『果房の大きさは大、果房の形は円錐、粒着の粗密は密である。果粒の大きさは非常に大(12g程度)、果形は短楕円形、果皮の色は紫黒、果粉の多少は多である。果皮は厚く、果皮と果肉の分離性は易、果肉の色は不着色、肉質は崩解性と塊状の中間である。果汁は多、甘味は高、酸味は少、香気は特殊、種子の多少は中である。開花期は中、成熟期は早、育成地において8月初旬で、「巨峰」より10~15日、「高墨」より5~7日早い。』
要するに、「巨峰」から生まれた早熟品種と言うことで、収穫時期が早い巨峰と思って良いと言うことです。
●実際に食べた食味
今回入手したものは一般的な「巨峰」に比べ、やや小ぶりでしたが、粒の大きさは栽培環境や方法によってもっと大粒のものもあるようです。
皮の厚さや食べた時の果肉の食感は「巨峰」と区別がつきませんでした。甘味酸味共にしっかりとしていて濃厚な味が楽しめました。また、今回のものは種がありませんでした。
■紫玉の主な産地と旬
●主な産地と生産量
政府がまとめた全国の栽培面積を見ると、山梨県が最も多く、次いで兵庫県、長崎県と続いています。ここに出ていない地域でも観光農園などで栽培しているところは沢山あるようです。
●紫玉の収穫時期と旬
紫玉の収穫は「巨峰」や「高墨」よりも早く、山梨県で8月上旬から下旬となっています。
*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/budou-Shigyoku.htm より
IWC SAKE部門
本醸造 部門 <本醸造トロフィー> 1/1 「白雪 本醸造 伊丹諸白」
江戸時代の新技術「諸白仕込」で醸したお酒
麹米と掛米の両方に精白米を使った澄み酒の最高級品。1500年当時では驚異的な新技術でした。清酒「白雪」は現存する最古の清酒銘柄です。
アルコール度数 15度以上16度未満
日本酒度 +2
小西酒造株式会社 兵庫県伊丹市東有岡2-13
https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=8d1535d346c5e0a2fc09ed343efcc0f3&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MCZsaW1pdD0xMDAmc29ydD1hc2MmY2F0ZWdvcnlfaWQ9NWM1NTljZGZjNWE2OTkyNmE0MWNmMGQ1YzVhMzM3NzQmeW1kPSZwPTM=
こちらも参考に
「栃木三鷹唐辛子-とちぎさんたかとうがらし」
【生産地】大田原市
【特徴】果実は成熟すると鮮やかな赤色で、実が厚く先端が尖っており、辛みが強い。色調が良く、形状が揃っている、収穫量が多い、摘み取り・乾燥作業が容易、保存に強いなどの特徴があり、唐辛子の栽培・流通において優れた品種。
【食味】辛味が強い。
【来歴】栃木三鷹唐辛子は、1955年頃、栃木県大田原市の株式会社吉岡食品の吉岡源四郎氏の手によって八房系品種より分離された大田原を発祥とする唐辛子。昭和初期から始まり、戦後の1963年頃が生産のピーク。2003年から新たな観光資源として「とうがらしの郷」の復活を目指し展開中。
【時期】10月中旬~11月
*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%e2%80%9509-%e6%a0%83%e6%9c%a8/#i-10 より
「石部金吉金兜-いしべきんきちかなかぶと」
石部金吉に金 (かね) の兜 (かぶと) をかぶせたような人。極端に融通のきかない人のたとえ。
「医者の不養生」
人に養生を勧める医者が、自分は健康に注意しないこと。正しいとわかっていながら自分では実行しないことのたとえ。
「衣食足りて礼節を知る」
《「管子」牧民の「倉廩 (そうりん) 実 (み) ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱 (えいじょく) を知る」から》人は、物質的に不自由がなくなって、初めて礼儀に心を向ける余裕ができてくる。衣食足りて栄辱を知る。
「衣食に奔走す」
生活のために走り回って働く。
「石を抱きて淵に入る」
《「韓詩外伝」三から》むやみに危険をおかすこと、意味なく自分の命を捨てることのたとえ。石を抱きて淵に臨 (のぞ) む。
*goo辞書 より
「062 デザートカップ、グラス」
豊平硝子は、昭和40年代後半にいち早く民芸ガラスの制作を始められました。
現在でも有名な硝子作家である3代目社長の巳亦敬一さん指導の下、数多くのガラス作家がここで修行を積み独立されています。
作品は、昔ながらの吹き硝子が中心で一点一点手作りされています。
前回入荷したときに私も個人的にワイングラスを購入して現在自宅で使っています。
手作りならではのあたたかみが感じられてとても気にいっています。
私の力不足で全く伝わっていないと思いますが、無色透明ではなく、淡い生成りのような上品な色合いをしています。
*http://blog.utsuwaya-urano.com/?eid=893 より
豊平硝子 巳亦敬一
昭和初期に製造した豊平硝子の金魚鉢、水盤などの宙吹法を用いて乳白色の硝子を使い、自然の色やかたちをモチーフに日々の暮らしの中で使える器を製作している
個展を中心に活動中
*https://artpark.or.jp/vest-pocket/exhibiting-artists/keiichi_mimata_2021summer/ より
「推薦コメント」
私が「和のグラス」と呼ぶのは巳亦さんのグラスだけ。グラスは西洋のイメージが強いかもしれませんが、彼のグラスは懐かしい日本を感じさせるのです。これは作家の繊細な感性によるものだと思います。ほかの器とも調和します。-祥見知生-
「022 ぎんだら 京粕漬〈京粕漬 魚久〉」
白身で脂も良く乗り、酒粕との相性抜群で魚久の代名詞ともいえる商品です。
口の中でとろけていくかのような柔らかさ、ご飯にも酒の肴にもよく合います。
株式会社 魚久 東京都中央区日本橋人形町1-1-20
大正三年~
多くの従業員に支えられ栄えた高級鮮魚商「魚久商店」
魚久初代の清水久蔵(しみずきゅうぞう)は奈良の出自でした。京都で料理修行を積んだ久蔵は東京日本橋へ渡り、大正三年には隣接する蛎殻町で高級鮮魚商「魚久商店」を開業します。
当時の日本橋東側は魚河岸と呼ばれ、日本橋川には鮮魚を積んだ船が行き交っていました。
また蛎殻町は米屋町と称され、大阪の堂島と並んで米相場を支配する商業の中心地でもあったのです。久蔵の仕入れる鮮魚は目利きの確かさで料亭などに卸され、多くの下働きの者が魚久商店を支えていました。
大正十三年~
魚久二代目 廣田年尾の活躍と名女将 廣田トメとの出会い
大正十三年、魚久商店の一員として福島から働きに上がったのが、魚久二代目となる廣田年尾でした。
年尾は生来の生真面目さと器用さから下働きの中でも頭角を現し、久蔵の右腕として鮮魚の見極めや保存食となる粕漬の製法、日本料理などを学んでいきました。
年尾に嫁ぎ、後に魚久の名女将となる廣田トメと出会ったのはこの頃です。
昭和十二年、年尾は久蔵の遺志を受けて魚久商店を継承します。
昭和十五年~
魚久の京粕漬が誕生した「江戸風割烹魚久」開店
鮮魚商の傍ら仕出し料理も出し、トメと共に店を大きく発展させた年尾は、昭和十五年に「江戸風割烹魚久」を開店させました。
鮮魚中心の会席料理は引きも切らないお客を招き、特に年尾が粕床の味にこだわって漬け込んだ粕漬けが味にうるさい米の仲買商の間で評判となりました。
遂には常連客から「魚久の粕漬けを土産にしたい」という声が高くなり、年尾が土産用に漬けた粕漬けは店に並べた先から瞬く間に売れて行ったのです。
昭和四十年~
常連客の評判から生まれた粕漬け専門店「京粕漬魚久」
満を持して昭和四十年、年尾は当時珍しい粕漬け専門店「京粕漬魚久」の暖簾を挙げるに至りました。魚久の冠に京粕漬と銘打ったのは、初代である久蔵への深い敬慕と魚久の粕床に用いた酒粕が京都伏見の銘酒であることが由来になっています。
また京粕漬魚久の主義を「旬を生かし、味を守る」と定めました。
これは旬魚の見極めから包丁の入れ方、粕床、 漬けまで終始一貫して職人の手技を味に生かし、日本料理の技を受け継ぐという年尾の思いが込められています。
昭和五十一年~
続々と店舗をオープンし多くの日本人から愛される存在に
水天宮店を初店舗とした京粕漬魚久は昭和五十一年に四谷店を開店し販路を広げ、その三年後に人形町にも店舗を構え「京粕漬魚久」は地域の名物へとなっていきました。
そのさなかの昭和五十五年に社長を退任した年尾は、その後も魚久の粕漬けが多くのお客に愛され、求められて行く様を見届けて昭和六十一年に他界しました。
時は平成に入ると割烹料理店を現在の本店へ改築、同じ頃、より多くの方へ粕漬けを届ける思いで箱崎にあった製造工場を東砂に移し拡大、工場兼店舗をかまえます。そして渋谷店開店、切身加工専門工場を兼ねた平野店を加え、年尾の念願だった銀座店が加わり、魚久の味を広めていきます。
~現在
創業当時からたくさんの人々の想いと情熱を引き継ぎ「魚久」はこれからも発展していきます
初代から脈々と続く味へのこだわりは代々引き継がれ、日本料理と粕漬けという食文化を次世代にも継承していきます。
今や全国の百貨店で目にするようになった京粕漬魚久の看板には、一枚の粕漬けに込められた人と人との絆と、その心で作り上げられた味の物語が秘められているのです。
ごはんにもお酒のお供にも
人形町の老舗〈京粕漬 魚久〉の看板商品。脂ののったぎんだらを特製の漬床で熟成させ、上品な味に仕上げています。とろけるようなやわらかさで、ごはんにも酒の肴にも喜ばれます。
75g/1切 1,080円 約1,100切/月
[粋の座・和酒]
「漫ろ寒-そぞろさむ」
冷やかよりやや強く感ずる寒さ。「そぞろ」は「何となく」「わけもなく」の意味があり、体で感じる寒さというより、季節が移ろっていくさまを心に受け止め感ずる寒さ。
子季語には、すずろ寒/そぞろに寒しがある。
*https://kigosai.sub.jp/kigo500c/151.html より
「コンコード」
●コンコードとは
◆アメリカ生まれのラブルスカ種
コンコードというブドウはアメリカ大陸に古くから自生していたラブルスカ種の中から1849年、マサチューセッツ州コンコードにおいてEphraim Wales Bull(エフライム・ウェールズ・ブル)氏によって選抜育成され1853年、ボストン園芸協会の品評会に出品して優勝したのを機に、1854年から市場に多く出荷されるようになったそうです。(wikipediaより)こうしてアメリカ系ブドウの中でも最も古くから栽培されてきた品種となっています。
このラブルスカ種のブドウはフォックス臭と言われる特有の香りがあることからFox grape(フォックスグレープ)とも呼ばれています。
コンコードは生食も美味しいのですが、ジュースやジャムなどの用途にも非常に優れた品種です。
日本には明治初期に導入されました。
◆コンコードの特徴
コンコードは粒の大きさが直径2㎝ほどで果皮色は紺色から赤紫をしており、表面は白く果粉(ブルーム)に覆われています。外見的には同じラブルスカ種のキャンベル・アーリーとよく似ています。
果皮はやや厚く、デラウエアのように指先でつまむと果肉がつるっと出てきます。こういったタイプをスリップスキン(slip-skin)と言います。
果肉は黄緑色で弾力のある塊状で、特有の香りが強く、種が大きいのが特徴。
◆実際に食べてみたコンコードの食味
今回入手したものは長野県塩尻産のものです。まず、香りがとても強く、皮ごと口に含んでかむと果汁と共に強い甘みと共にしっかりとした酸味も広がり、甘さ重視の今どきのブドウとは違った懐かしさを感じさせてくれました。さらに噛んでいくと皮から渋みが出てくるのですが、これもまたいい感じ。ただ、皮は飲み込むには少し固く、出した方がいいでしょう。
●コンコードの主な産地と旬
◆主な産地と生産量
コンコードはアメリカが一大産地で、ニューヨーク州をはじめミシガン州やワシントン州などで作られています。
日本では主に長野県で作られ、青果として一部出荷されているほか、主にジュースやワイン、ジャムなどの加工されています。生食向けの栽培面積は2016年産では長野県で87.6haとなっています。
◆コンコードの収穫時期と旬
コンコードの収穫は長野県においては9月上旬ごろから始まり、最盛期は9月中旬から下旬にかけてとなるようです。
青果として出回るのはとても少なく、大部分がジュースやワインなどに加工されるので、産地の直売所などに行かないと入手するのは難しいでしょう。
*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/budou-Concord.htm より
IWC SAKE部門
普通酒 部門 <ゴールドメダル> 1/4 「鉾杉 秀醇 普通酒」
鉾杉の定番酒。
一般醸造酒の極みを追求!
河武醸造株式会社 三重県多気郡多気町五桂234番地
河武醸造のラインナップ
「鉾杉」斗瓶取り しずく酒・大吟醸 黒・極上・原酒 など
鉾杉蔵元は、伊勢南部の地、櫛田川と宮川に挟まれた紀州街道に沿った山里にあります。その昔に、弘法大師が掘ったと伝えられる「二つ井」と名付けられた湧水があり、美味しい伏流水を汲み上げて、丹念にお酒を造っております。
鉾杉 お酒、鉾杉の会社の名前の由来
お酒の名前の由来
酒造りを始めてから色々な銘柄が有りましたが、伊勢神宮神域に聳え立つ杉の神木が鉾の様な形で別名鉾杉とも称され、また、酒造りは杉を使った道具、桶等非常に縁の深い事から、昭和の初めより酒銘として現在に至っております。
会社の名前の由来
河合の河と、蔵主襲名『武八ぶはち』の武を合わせて『河武』。 酒以外、味噌、醤油を造っているので酒造ではなく、『醸造』。共に合わせて、『河武醸造㈱』となりました。
お酒造りの心掛け
美味しいお酒は、良い米、良い水そして蔵の姿勢によって生まれます。
山田錦を初めとして酒造好適米を高度に精白、蔵元と造り手が一体と成り、手造りの良さに拘って波紋を描く様、輪になって皆々和やかに楽しい場を作るお酒を目指し、伝統の「味の文化」を伝えて行きたいと思っております。
環境問題への取り組み
「容器包装リサイクル法」が施行され、一般の方もゴミについての関心が非常に高くなってきております。弊社では今までお酒を発送する際に発泡スチロールの箱を使用してきましたが、再生紙使用の段ボール箱に全面的に切り替える事にいたしました。
お酒の瓶は、一升瓶をはじめとして殆どがリサイクルされており、弊社でも瓶を回収利用しております。
また、弊社では発泡スチロール箱を全廃して再生紙使用段ボール箱に切り替えるなど、積極的にリサイクル問題に取り組んでまいります。
皆様のご理解とご協力をお願いいたします。