「丹波立杭焼」
Description / 特徴・産地
丹波立杭焼とは?
丹波立杭焼(たんばたちくいやき)は、兵庫県篠山市今田(こんだ)周辺で作られている陶器です。瀬戸焼(愛知県瀬戸市)や常滑焼(とこなめやき:愛知県常滑市)、越前焼(福井県丹生郡越前町)などと共に「日本六古窯(にほんろっこよう)」の1つに数えられています。開窯(かいよう)以来800年の間、一貫して飾り気のない素朴な生活用器を焼き続けてきました。
丹波立杭焼の特徴は、「灰被り(はいかぶり)」という独特の色と模様です。約1300度の登り窯(のぼりがま)で約60時間をかけて焼かれる間に、器に振りかかった燃料である松の薪(まき)の灰と、土に含まれる鉄分や釉薬(うわぐすり)が溶け合って化学反応を起こすことで、独特の色や模様が現れます。灰のかかり方や炎の当たり方によって、さまざまな模様や色合いとなり、1つとして同じものは存在しません。
また、他の陶器の多くが右回りのろくろで作られるのに対し、丹波立杭焼で使用するろくろは左回りで作られます。
History / 歴史
開窯は平安末期と言われています。桃山時代までのおよそ400年間は「小野原焼」と呼ばれていました。ろくろを使わずに、ひも状にした粘土を積み上げて作る「紐作り(ひもづくり)」で、斜面をくり抜いた「穴窯(あながま)」で釉薬(うわぐすり)を使用しない大型の壷や甕(かめ)、すり鉢や練り鉢などが焼かれました。穴窯時代の末期になると、大型徳利(とっくり)や桶(おけ)なども作られるようになりました。
江戸時代に入ると、1611 年(慶長16年)ごろに朝鮮式半地上の登り窯が「釜屋(かまや)」の山麓に築かれ、陶器の制作に蹴りろくろや釉薬(うわぐすり)が使用されるようになります。この頃の製品は「丹波焼」と呼ばれ、登り窯での大量生産が可能となっています。山椒壺や油壺といった小型の壺や片口(かたくり)などが作られるようになり、江戸時代中期には、茶入(ちゃいれ)・水指(みずさし)・茶碗などの茶器や小型の徳利など多種多様の製品が作られるようになりました。
明治時代以降は、丹波焼の中心が立杭(たちくい)地方に移り、「立杭焼」の名称で九州や東北地方にまで販路が拡大しました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/tambatachikuiyaki/ より
素朴な焼き物は素朴な名工から
丹波立杭焼の歴史は平安時代末期にまでさかのぼり、およそ800年以上前に窯が開かれたという。一貫して日用雑器を主体に今日まで焼きつづけられており、素朴で飾り気がなく、野趣味たっぷりな「生活用器」作りを身上としている。どこからその特徴が生まれてきたのか6人の伝統工芸士から伺ってみた。
取り巻く環境の違い
「ろくろの回転が他のところとは違う。丹波は左回りだ。」とはこの道65年の大上亨さん。確かに他は右回り。微妙な感覚の違いを出すのかもしれない。「燃料が松割り、木も違う」とは50年の経験の市野省三さん。丹波立杭焼の大きな特徴である「灰被り」がこれによってでてくる。つまり器の上に降りかかった松薪の灰と釉薬とが融けあって窯変してそうなるのである。「土」の違いもあげられた。材料となる陶土は四ッ辻粘土と弁天黒土をブレンドして作られ、鉄分を含んだ独特の土である。「なんといっても窯の違いは大きいよ」と50年の経験の大上昇さん。窯はとても特異な形をしており、丘の斜面に作られている。窯は傾いているように見えるので「登り窯」と呼ばれている。桃山時代から使われているこの朝鮮式半地上の「登り窯」は、立杭の他のどこの地にも見られないユニークで古い形であるため、国の無形文化財の指定を受けている。「ここの自然環境も大きな特徴だよ」とは清水武さん。今田町は回りを標高300~700mの山岳に囲まれる、山あいの静かな里である。とくにほとんどの窯元がある上立杭・下立杭地区は後ろに上山と和田寺山、前に南北に流れる四斗谷川にはさまれる美しい地区である。窯元の多くも地元出身の方が多いという。この美しい里の中で伝統の技が引き継がれてきたのである。このように他にない立杭特有のものが素朴な丹波立杭焼を作っているといえる。
現代的な感性を常に追い求めつづける
「焼締のよさも見直すべきだ」と清水武さん。焼締の食器は箸に少し引っかかる感じがあるが、1年も使っていると器の地肌がでてきてなんともいえない味わいになるという。使えば使うほど味わい深いものになるのだ。「作る作品の形に対応して釉薬を使うかどうか、また色はどんなものにするか、これまでの方法にとらわれることなくトライしていく」と前向きである。もちろん伝統の大切さはわかっている。こういっては失礼だが、伝統工芸士の皆さんはお年の割には大変お若い。外見も考え方も非常にお若い。また笑顔が美しい。常に今の時代のニーズを考え製作されているからだろう。あるいは、人の力ではどうすることもできない焼物の世界で、いつも新しい発見をされているからだろうか。
職人プロフィール
大上強
5代目。1928年生まれ。陶芸歴53年。現在伝統工芸士会長。得意技法:伝統的技法を継承したイッチン筒描きなど。主な作品:地釉による素朴な食器など。祖父が分家された後3代目にあたる。1931年生まれ。陶芸歴40年。得意技法:ロクロ成形、ひも造りなど伝統的な技法。主な作品:花器・茶陶・食器など1923年生まれ。陶芸歴65年。得意な技法:伝統ロクロ技法、焼締技法を生かす作陶。主な作品:素朴な器、茶陶及び装飾用陶器を製作。1930年生まれ。陶芸歴50年。得意な技法:丹波立杭の伝統の技法により登り窯にて焼成。主な作品:壷、茶器など主として焼締による作品。1926年生まれ。陶芸歴50年。得意な技法:ロクロ成形、タタラ成形、焼締。主な作品:花器、茶器、食器など。1929年生まれ。陶芸歴50年。大上亨さんの弟。得意な技法:丹波伝統の技法を継承、焼締、地釉を駆使。主な作品:食器、花器、茶器など雅趣豊かな作品。
1939年生まれ。陶芸歴43年。得意な技法:伝統のスミ流、しのぎ又葉型を作品に入れる。主な作品:登り窯を十分生かした作品。
こぼれ話
丹波立杭焼における大変換点
丹波立杭焼が今日まで伝え続けられてきた理由に、その独特の製法があります。他の焼物には見られない窯と、同時に使われだした釉薬です。それらがどのように丹波立杭焼の存続に貢献したのか振り返ってみます。登り窯の構造
時間が短く、大量生産できるのはその構造に起因しています。坂を利用して窯口から焚いた炎と熱が階段を上るように各部屋を上昇し、焼き上げていくのです。部屋(焼成室・「袋」と呼ばれる)は9つあるものもあり、大量に焼成できます。詳しく各部分を見ると、まず石を並べて基礎とし、割り竹を縄で編んだものを支えとして、両側から「まくら」を半円形に積み上げます。「まくら」とは、日干し煉瓦のことです。出入り口や燃料の投入口も設けられ、最後に「窯床(ごじん)」と呼ぶ窯内部の床を厚く塗り固めて完成します。焚き口のある部屋を「火床」といい、「袋」と呼ばれる焼成室がいくつかつづき、最後は窯の最先端の「くど」となります。「くど」には煙出しが設けられ「くど先」「火さき」あるいはその形から「蜂の巣」とも呼ばれています。「蜂の巣」から吹き出される真っ赤な炎の美しさは感動ものです。
*https://kougeihin.jp/craft/0415/ より
少し文章におかしなところがありますが、原文通りです。