いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<パリ五輪2024> メダリスト 尾崎野乃香

2024-09-20 07:24:55 | パリ五輪2024

 「尾崎野乃香」 銅-レスリング・女子フリースタイル68kg級

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1939709-------------------- より

 尾﨑 野乃香(おざき ののか、2003年3月23日 - )は、日本の女子レスリング選手。東京都出身。階級は62㎏級と68㎏級。

 慶応大学所属。

*Wikipedia より

 将来見据え、選んだ文武両道 どん底からの復活、執念の銅―レスリング・尾崎選手〔五輪〕 2024年08月07日05時40分配信 JIJI COM

  五輪初出場で銅メダルに輝いたレスリング女子68キロ級、尾崎野乃香選手(21)。競技エリートながら、早くから将来を見据え、文武両道を歩む慶応大4年生だ。一時はどん底を味わったが、執念でパリのマットにたどり着いた。

 【試合詳報】レスリング 女子68キロ級3位決定戦

 レスリングとの出合いは小学2年の時。北京五輪銅メダリスト浜口京子さん(46)の試合を映すテレビにくぎ付けになった。「これやりたい!」。自宅近くのジムで習い始め、水泳を掛け持ちしながら、週5回のペースで通った。

 片足タックルを得意技に、小中時代、何度も全国大会を制し、高1で日本オリンピック委員会のエリートアカデミーに入った。だが、勉学もおろそかにはしない。高校卒業後、強豪とは言い難い慶大に進学。仲の良いイラン選手にヒントを得て、「ムスリムとの共生」などを研究テーマにした。

 「レスリングと違う分野を学び、新しい道を開きたかった。引退後のキャリアも考えた」と尾崎選手。とはいえ、競技への情熱が薄れたわけではない。毎日のように他大学へ出稽古に出掛けた。

 2022年の世界選手権を制し、満を持して臨んだ昨夏の五輪国内選考会。主戦場にしていた62キロ級で敗れた。失意のどん底の中、頼ったのが山梨県の名門、韮崎工業高校の文田敏郎監督(62)だ。

 「諦めずにやれば大丈夫」。今大会で金メダルに輝いた息子の健一郎選手(28)など多くの強豪選手を育てた文田さんの後押しで、代表が決まっていなかった68キロ級での出場に執念を燃やした。

 週末は母利佳さんの運転する車で山梨入りし、弱点だったディフェンスを強化。利佳さんは「帰りの車の中で、『強くなって恩返しするしかないね』と言い合った」と振り返る。

 文田さんも見守った1月の代表決定戦で、残り10秒での逆転勝ちを決め、パリへの切符を手にした尾崎選手。出国前、こう語っていた。「戦う女性のかっこいいところを見せたい」。(時事)。

*https://www.jiji.com/jc/article?k=2024080700193&g=soc より

 レスリング女子 68キロ級 尾崎 敗者復活戦へ パリ五輪 2024年8月6日 5時50分 NHK NEWS

 パリオリンピック、レスリング女子68キロ級の尾崎野乃香選手は、準々決勝でキルギスの選手に敗れましたが、この相手選手が決勝に進んだため、敗者復活戦にまわることになりました。

 オリンピック初出場の尾崎選手は、1回戦でベネズエラのソレイミ アントニエタ・カラバジョエルナンデス選手と対戦し、開始早々にタックルから相手を倒して4点を獲得し、さらに相手を回転させて次々と得点を重ね、開始からわずか32秒で、10対0のテクニカルスペリオリティで勝ちました。

 続く準々決勝では、東京オリンピックで銅メダルを獲得したキルギスのメーリム・ズマナザロワ選手と対戦しました。

 尾崎選手は序盤から積極的にタックルをしかけましたが、背後をとられ、さらに体を返されるなどして前半に6ポイントを奪われました。

 後半は尾崎選手が反撃し、20秒すぎにはタックルから相手の背後をとり、さらに相手を回転させてあわせて4ポイントを返し、1分40秒過ぎにも2ポイントを加え、6対6と追いつきました。

 このまま試合が終われば最後のポイントを取った尾崎選手の勝ちでしたが、残り10秒ほどで相手に背後をとられて2ポイントを奪われ、6対8で競り負けました。

 その後、このキルギスの選手が決勝に進んだため、尾崎選手は銅メダルを目指す敗者復活戦にまわることになりました。

 尾崎「何が足りなかったのか分からない 言葉にできない」
 レスリング女子68キロ級の準々決勝で敗れた尾崎野乃香選手は「全力で挑んだのですが、今は何が足りなかったのか分かりません。今までにないくらい努力したと思うので、言葉にできないです」と絞り出すように話していました。

 このあと取材エリアに来ると「ここまでやってきたことは決してむだじゃない」と気丈に答え「過去の自分は一生懸命頑張っていたので、そこだけは決して、自分を叱りたくない。でも、この結果になってしまったのは、自分がいけなかったところが必ずある」と大粒の涙を流しながら話しました。

 また「家族や日本の国旗を持っている方々がいっぱい見えて、今まで以上に自分に期待してくれているのはすごくうれしかった。結果で返すことができなくて、一生私の中に、苦い思い出として残ると思う」と悔しさをにじませました。

 階級を変更し、出場を果たしたオリンピックという舞台への思いを聞かれると「オリンピック代表になるというのは半端な気持ちで臨んでも無理だという事も経験して、どれだけ大変なことか分かった。金メダルを取るのがどれだけ大変なことなのかというのも思い知った。『次は4年後』必ず頑張るって言えないぐらい苦しい道のりだったので、1度気持ちを立て直さないといけない」と率直な胸の内を明かしました。

 【1回戦】 
 パリオリンピック、レスリング女子68キロ級の尾崎野乃香選手が1回戦でベネズエラの選手に10対0のテクニカルスペリオリティで勝ち準々決勝に進みました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240805/k10014538211000.html より

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<パリ五輪2024> メダリスト 須崎優衣

2024-09-19 06:34:51 | パリ五輪2024

 「須崎優衣」 銅-レスリング・女子フリースタイル50kg級

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1939712-------------------- より

 須﨑 優衣(すさき ゆい、1999年〈平成11年〉6月30日 - )は、日本の女子レスリング選手。千葉県松戸市出身。階級は48kg級と50kg級。身長153cm。

 2021年開催の東京オリンピック レスリング 女子フリースタイル50kg級 金メダリスト。

 株式会社キッツ所属。

*Wikipedia より

 【レスリング】須崎優衣敗退に解説者もらい泣き「ダメ!」6回連呼「申し訳ないと思わないで」 [2024年8月6日20時57分] 日刊スポーツ

 東京五輪で金メダルを獲得したレスリング女子50キロ級の須崎優衣(25=キッツ)が、パリオリンピック(五輪)1回戦でインド選手に敗れて、連覇がなくなった。

 日本時間夕方に行われた試合の地上波での生中継はなし。スケートボード女子パークが告知されていたフジテレビ系で、午後7時過ぎから録画放送された。解説でリオ五輪女子48キロ級金メダリストの登坂絵莉さんは、残り10秒を切ったところで須崎が相手選手にバックを取られると「ダメ!」「ダメ!」「ダメ!ダメ!ダメ!」「ダメ!」と6度、叫んだ。

 試合後、須崎が涙ながらに、応援してくれた人に「申し訳ない」と繰り返すインタビューも放送された。19年の全日本選手権で須崎と東京五輪出場を争い敗れた元ライバルでもある登坂さんは「これがオリンピックの怖さなんだな、ということを私自身が感じてますし、ものすごく東京オリンピック以降ですね、世界中から研究されて、苦しい3年間だったと思います」と話すと、耐えきれず、もらい泣き。言葉を詰まらせながら「『本当に申し訳ない』と本人は言っていたんですけど、胸を張って欲しいなと思いますし、また、可能性があるので、そこに向かって気持ちを、もし敗者復活があるとするなら、切り替えて欲しいなと思います」と語った。最後まで涙声で、「まずは本当に胸を張って欲しいなと思います。申し訳ないと思わないで欲しいなと思います」と呼びかけた。

*https://www.nikkansports.com/olympic/paris2024/entertainment/news/202408060001581.html より

 

 レスリング 女子50キロ級 須崎優衣 銅メダル パリオリンピック 2024年8月8日 10時31分 NHK NEWS 

 パリオリンピック、レスリング女子50キロ級の3位決定戦で須崎優衣選手がウクライナの選手に10対0のテクニカルスペリオリティで勝って銅メダルを獲得しました。前回大会金メダルの須崎選手は2大会連続のメダル獲得です。

 目次
 須崎優衣 圧倒的な力見せ銅メダル

 須崎優衣「苦しい2日間だった」

 須崎優衣 圧倒的な力見せ銅メダル
 須崎選手はレスリング女子の日本代表としてはただ1人東京大会に続いて2大会連続で出場し2連覇を目指しましたが、1回戦で敗れ敗者復活戦に回りました。

 その後、1回戦の相手が決勝を前に計量失敗で失格となったため、3位決定戦に進んだ須崎選手はウクライナのオクサナ・リバチ選手と対戦しました。

 試合は須崎選手が序盤から積極的に得意のタックルを仕掛け前半だけで8ポイントをリードすると、後半も開始直後にタックルから背後をとってポイントを奪い、10対0のテクニカルスペリオリティで勝ちました。

 須崎選手は東京大会の金メダルに続いて2大会連続のメダルとなる銅メダルを獲得しました。

 金メダルはアメリカのサラ アン・ヒルデブラント選手、銀メダルはキューバのジュスネイリス・グスマン ロペス選手、銅メダルは須崎選手と中国の馮紫※キ選手でした。※キは王へんに其

 須崎優衣「苦しい2日間だった」 
 須崎選手は「1回戦で負けてから苦しい2日間だった。オリンピックチャンピオンの須崎優衣でなければ価値はないと思っていたが、負けたにもかかわらず声援を送ってくれて信じてくれて、励ましてくれて支えてくれた人に感謝している。オリンピックチャンピオンになる姿をもう一度見てもらえるように、これからの4年頑張りたい」と決意を新たにしていました。

 東京大会からの3年間については「順風満帆ではなく、けがもあっていろいろ苦しいことを乗り越えての3年間だったので想像以上に苦しかった」と振り返っていました。

 恩返しの思いを込めた銅メダル 
 10年前、国際大会に初めて出場してから海外選手に94戦無敗。

 圧倒的な実績をひっさげながら、初戦でまさかの敗北。

 須崎選手は「この3年間は自分1人では歩めなかった道のりだったと思う。金メダルを取る姿を見てもらいたかったけど、それができなくて本当に申し訳ない」と涙ながらに話しました。

 金メダルを獲得した前回の東京大会は、新型コロナウイルスの影響でレスリングの会場は無観客。「今度は皆さんと喜びを分かち合いたい」と、パリでは大声援の中、戦うことをモチベーションの1つにして強化を重ねてきました。

 2連覇を目指してひたむきに努力する姿に、応援の輪は東京大会以上に広がっていったといいます。

 パリの舞台では金メダルこそ届けられませんでしたが「ここまで支えてくれた方々のためにも必要最低限のメダルは持ち帰りたい」と3位決定戦に臨みました。

 そして3位決定戦では本来の強さを存分に発揮し、恩返しの思いを込めた銅メダルを手にしました。

 両親は奮闘をたたえる
 銅メダルを獲得した須崎優衣選手の父の康弘さんは「本人がどう思ったか分からないが、将来的にはこの晴れの舞台で負けてよかったと思えるように今後、なってもらいたい。価値ある銅メダルだと私は思っている」とねぎらっていました。

 3位決定戦については「このままでは終われないのではないかと思っていたので、本人の真骨頂である攻めのレスリングができて、次につながる試合でよかった」と話していました。

 母の和代さんは初戦で敗れたあとの須崎選手について「現実を受け入れることが難しい状態だった」としたうえで「『3位決定戦があるかどうか分からないけれど、準備はしておこう』と声をかけた」と明かしました。

 そして「気持ちを切り替えてよく頑張ったと思う。褒めてあげたい。本人が望んだメダルの色ではなかったかもしれないけど、私たちにとってはそれと同じくらい輝いて誇らしい銅メダルだった」と娘の奮闘をたたえていました。

 地元ではPV「『お疲れさま』と言ってあげたい」
 須崎優衣選手の出身地、千葉県松戸市の六実市民センターで行われたパブリックビューイングには須崎選手を応援しようと地元の人たち200人余りが集まりました。3位決定戦が始まると、集まった人たちはバルーンや「必勝」と書かれたうちわなどのグッズで応援し、須崎選手が技を繰り出してポイントを獲得するごとに声援があがりました。

 そして須崎選手が圧倒的な強さをみせて勝利し銅メダルの獲得が決まると、大きな拍手とひときわ大きな歓声に包まれました。

 須崎選手と同じ小学校に通っていた20代男性は「連覇への期待を背負った中での初戦敗退に責任を感じていた部分もあったのではないかと思いますが、銅メダルの獲得はとてもうれしいです。『お疲れさまでした』といってあげたいです」と話していました。

 須崎選手が幼い頃から応援している80代男性は「本当にうれしいです。須崎選手の強い部分がすべて発揮されて、自分の力を出し切った戦いだったと思います。ふだんからにこやかで明るく、地元のみんなが応援しています。次の大会では須崎選手がほしい色のメダルを目指してもらいたいです」と話していました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240808/k10014540821000.html より

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<パリ五輪2024> メダリスト 松山英樹

2024-09-18 07:06:55 | パリ五輪2024

 「松山英樹」 銅-ゴルフ・男子

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1961406-------------------- より

 松山 英樹(まつやま ひでき、1992年2月25日 - )は、日本のプロゴルファー。レクサス(トヨタ自動車)所属。

 日本人最年少マスターズ予選通過者(当時19歳)。アマチュア時代には、日本のアマチュアゴルファーとして初めてマスターズ・トーナメントの出場権を獲得し、2011年には同大会のロー・アマチュア(アマチュア選手最高成績)タイトルを獲得した。

 日本ツアーで史上初ルーキーイヤー賞金王。ルーキー最多タイの年間4勝。史上最速(16試合)での年間獲得賞金2億円突破。

 PGAツアーで日本人として史上最年少優勝(22歳)及びアジア生まれの選手で最多優勝(10勝)記録を持つ。アジア人史上初のマスターズ・トーナメント優勝者。

 2024年パリオリンピック銅メダリスト。

*Wikipedia より

 ゴルフ男子 松山英樹 銅メダル パリオリンピック【詳しく】 2024年8月5日 6時14分 NHK NEWS 

 パリオリンピックのゴルフ男子は4日、最終ラウンドが行われ、松山英樹選手は、スコアを6つ伸ばし、通算17アンダーで銅メダルを獲得しました。日本のゴルフ男子では初めてのメダル獲得です。

 記事後半では松山選手の最終ラウンドについてホールごとにお伝えしています。

 目次
 松山英樹が銅メダル 東京五輪の雪辱果たす

 注目

 松山英樹「うれしい反面 くやしいところも」

 松山英樹が銅メダル 東京五輪の雪辱果たす 
 2H 第1打
 最終ラウンドを通算11アンダーの4位でスタートした松山選手は、2番パースリーの第1打をピンそばにつけ、この日、初めてのバーディーを奪いました。

 そして、5番では距離の長いバーディーパットを決めるなど、4番から6番にかけてはパットがさえて3連続バーディーを奪い、スコアを4つ伸ばして2位に並んで前半を終えました。

 12H 第1打
 後半は混戦となる中、10番と12番をバーディーとし、その後も、安定したゴルフでパーを重ね、バーディー6つ、ボギーなしの通算17アンダーで、銅メダルを獲得しました。

 松山選手は前回の東京大会では銅メダルを争うプレーオフで敗れてメダルを逃していて、雪辱を果たしてのメダル獲得です。また、日本のゴルフ男子では初めてのメダル獲得です。

 ▽金メダルは通算19アンダーでアメリカのスコッティ・シェフラー選手
 ▽銀メダルは通算18アンダーでイギリスのトミー・フリートウッド選手でした。

 注目
 松山英樹「うれしい反面 くやしいところも」 
 銅メダルを獲得した松山英樹選手は「東京オリンピックでは、男子がメダルを取ることができなかったので、うれしいです。メダルを持ったことで、なにか自分の中で変わる部分があると思います」と喜びを語りました。
その一方で「金メダルのチャンスもあり、表彰台の隣の金メダルを見ると、うれしい反面、くやしいところもあります」と話していました。

 オリンピック初出場の中島啓太選手は、通算3オーバーで49位でした。

 49位 中島啓太「改めて自分の弱さを感じた」
 オリンピック初出場で、通算3オーバーの、49位に終わった中島啓太選手は「結果が求められる大会でパフォーマンスを出せなかったが、プレーに後悔はない。改めて自分の弱さを感じたので、練習を頑張りたいと思います」と話していました。

 父・幹男さん「これで満足せず次は金メダルを」
 松山英樹選手の出身地、松山市にある父親の幹男さんが経営するゴルフ練習場には、地元の人たちおよそ20人が集まり、松山選手のプレーをテレビで見守りながら「行け」とか「頑張れ」などと声援を送りました。

 そして、日本のゴルフ男子では初めてのメダルとなる銅メダルが確定すると大きな歓声が上がり、握手をして喜ぶ人の姿もありました。

 松山選手の父親の幹男さんは「東京オリンピックではメダルが取れず悔しい思いをしたので、今回は銅メダルが獲得できてよかった。これで満足せずに次のオリンピックでは金メダルを取ってほしい」と話していました。

 松山英樹の出身地 松山市で喜びの声
 パリオリンピックのゴルフ男子で銅メダルを獲得した松山英樹選手の出身地、松山市では喜びの声が聞かれました。

 松山市にあるゴルフ練習場で練習をしていたゴルフ歴46年という60代の男性は「ずっとテレビで見て応援していました。メダルの獲得はうれしかったですし、郷土の誇りです。これからも息の長い活躍を期待したいです」と話していました。

 去年ゴルフを始めたという70代の男性は「見ていてワクワクする試合でした。よくやってくれました。今後、海外の大会などでもさらに優勝してほしいです」とエールを送っていました。

 ゴルフ歴15年という80代の女性は「メダル獲得に向けて頑張っている姿が印象的で、見ていて励みになりました。日本の宝だと思います。今後もさらに勝利を重ねてほしいです」と話し、松山選手の今後に期待していました。

 注目
 【解説】“日本ゴルフ界の新たな歴史”パリの地で刻む 
 オリンピックで初めてゴルフが行われたのが第2回1900年のパリ大会。第3回大会を最後に行われず、2016年のリオデジャネイロ大会で正式競技に復活して以来、124年ぶりにゆかりあるフランスの地で競技は行われました。

 前回の東京大会では新型コロナウイルスの影響もあり海外の強豪選手の多くが不参加でしたが、今大会はアメリカ代表のスコッティ・シェフラー選手、ザンダー・シャフリー選手、コリン・モリカワ選手。それにスペイン代表のジョン・ラーム選手やアイルランド代表のローリー・マキロイ選手など海外メジャーを制した世界のトップが出そろうレベルの高い大会となりました。

 そして、この舞台で存在感を見せたのが、こちらも海外メジャーチャンピオン、日本男子のエース、松山英樹選手でした。

 初日で単独トップに立つと、その後も安定した内容を続け、首位争いを続けました。松山選手は初出場の東京大会では最終日に伸ばしきれず、銅メダルを争うプレーオフの末に敗れましたが、今大会では最終日にスコアを6つ伸ばす会心のゴルフで見事に競り勝ち、3年前は手にできなかったメダルを獲得しました。

 ふだんのトーナメントとは違い、“国を背負って戦う”オリンピックの舞台に再び戻った松山選手。4日間のラウンドを終えて「日本男子で初めてのメダルだと思うのでこの価値はすごくある」と笑顔を見せました。

 海外メジャー大会の「マスターズ・トーナメント」を日本選手として初めて制するなど、世界に誇るゴルファーが日本ゴルフ界の新たな歴史をパリの地で刻みました。

 《最終スコア》
 最終スコアはこちらから↓↓↓

 【最終スコア】パリ五輪 ゴルフ男子
     1 2 3 4 5 6 7 8 9 Out
 松山英樹 4 2 5 3 3 3 4 3 5 32
   PAR 4 3 5 4 4 4 4 3 5 36
     10 11 12 13 14 15 16 17 18 In 計
 松山英樹 3 3 3 4 5 4 3 4 4 33 65
 PAR   4 3 4 4 5 4 3 4 4 35 71
 注目
 ==松山英樹 最終ラウンド経過==
 【1H(パー4)】パースタート 
 通算11アンダーでトップと3打差の4位でスタートした松山英樹選手は、1番パー4のティーショットはラフに入れましたが、2打目をグリーンにのせ、パーでスタートしました。

 【2H(パー3)】この日最初のバーディー 
 松山英樹選手は、2番パー3の第1打をピンそばにつけ、バーディーとし、通算12アンダーとしました。首位のスペインのジョン・ラーム選手と、前回の東京大会で金メダルを獲得したアメリカのザンダー・シャフリー選手との差を縮め、この時点で2打差の3位となりました。

 【3H(パー5)】バーディーパット決まらずパー 
 松山英樹選手は、3番のパー5はバーディーパットを惜しくも決められず、パーでした。首位のスペインのジョン・ラーム選手と、前回の東京大会で金メダルを獲得したアメリカのザンダー・シャフリー選手とは2打差のままですが、ほかの選手がスコアを伸ばしたため、この時点で5位となっています。

 【4H(パー4)】この日2つ目のバーディー
 松山英樹選手は、4番のパー4は第2打をグリーンに乗せ、バーディーでした。首位のスペインのジョン・ラーム選手と、前回の東京大会で金メダルを獲得したアメリカのザンダー・シャフリー選手もスコアを1つ伸ばしたため、この時点で2打差のまま4位となりました。

 【5H(パー4)】連続バーディー 
 松山英樹選手は、5番パー4の第1打をラフに入れましたが第2打でグリーンにのせ、距離の長いバーディーパットを沈めました。2連続バーディーです。首位のスペインのジョン・ラーム選手と、前回の東京大会で金メダルを獲得したアメリカのザンダー・シャフリー選手もスコアを1つ伸ばしたため、この時点で2打差のまま、4位となっています。

 【6H(パー4)】3連続バーディー 
 松山英樹選手は、6番パー4の第1打は左にそれてラフに入りましたが、第2打でグリーンに乗せ、3連続バーディーです。首位のスペインのジョン・ラーム選手と、前回の東京大会で金メダルを獲得したアメリカのザンダー・シャフリー選手との差を縮め、この時点で1打差の3位となりました。

 【7H(パー4)】4連続バーディーはならず 
 松山英樹選手は、7番パーフォーでは、バーディーパットを決められずパーで、通算15アンダーのままです。スペインのジョン・ラーム選手がスコアを1つ伸ばして単独首位に立ち、松山選手はこの時点で2打差の3位となりました。

 【8H(パー3)】惜しくもバーディーならず 
 松山英樹選手は、8番パー3の第1打をグリーンに乗せ、距離の長いバーディーパットは惜しくもカップのわずか手前で止まりパーでした。松山選手は通算15アンダーのままで首位のスペインのジョン・ラーム選手がスコアを1つ伸ばしたため、この時点で3打差の3位となっています。

 【9H(パー5)】2位に浮上 前半OUTは-4 
 松山英樹選手は、9番パー5はバーディーパットを決めきれず、パーでした。松山選手は通算15アンダーで単独首位のスペインのジョン・ラーム選手とは3打差のままですが、この時点で1つ順位を上げ2位に並んでいます。

 【10H(パー4)】この日 5つ目のバーディー 
 松山英樹選手は、10番パー4では第2打でグリーンにのせてバーディーパットを沈め、通算16アンダーとしました。首位に立つスペインのジョン・ラーム選手もスコアを1つ伸ばしていて松山選手は、この時点で3打差の2位に並んでいます。

 【11H(パー3)】バーディーパット決まらず 
 松山英樹選手は、11番パー3、第1打でグリーンにのせましたが、バーディーパットを決められず、パーでした。松山選手は通算16アンダーのままで、首位のスペインのジョン・ラーム選手がスコアをひとつ伸ばしたため、この時点で4打差の2位に並んでいます。

 【12H(パー4)】この日6つ目のバーディー 2位に
 松山英樹選手は、12番のパー4でバーディーパットを沈め、通算17アンダーとしました。首位に立つスペインのジョン・ラーム選手が1つスコアを落としたため2打差となり、松山選手は、この時点で2位に並んでいます。

 【13H(パー4)】パー 首位と1打差の3位に
 松山英樹選手は、13番パー4の第2打をグリーンにのせましたが、バーディーパットを決められず、パーで通算17アンダーのままです。
 イギリスのトミー・フリートウッド選手がスペインのジョン・ラーム選手とともに通算18アンダーで首位に並び、松山選手は1打差の3位となっています。

 【14H(パー5)】パー 首位と1打差3位タイ 
 松山英樹選手は、14番パー5の第2打をグリーン横のラフに打ち込み、このホール、パーで通算17アンダーのままです。
 通算18アンダーで首位に並ぶスペインのジョン・ラーム選手とイギリスのトミー・フリートウッド選手との差は、1打差で松山選手は3位に並んでいます。

 【15H(パー4)】バーディーパット決まらず 1打差3位 
 松山英樹選手は、15番パー4は第2打でグリーンにのせましたがバーディーパットを決められず、パーで通算17アンダーのままです。
 通算18アンダーでアメリカのスコッティ・シェフラー選手とイギリスのトミー・フリートウッド選手が首位で並び、この時点で松山選手は1打差で3位となりました。

 【16H(パー3)】惜しくもバーディーならず
 松山英樹選手は、16番のパー3、第1打をグリーンにのせましたがバーディーパットはカップに嫌われ、パーで通算17アンダーのままでした。
 イギリスのトミー・フリートウッド選手とアメリカのスコッティ・シェフラー選手が通算18アンダーで首位に並び、松山選手は、1打差の3位となっています。

 【17H(パー4)】ここもパー 首位と2打差の3位
 松山英樹選手は、17番のパー4、2打目でグリーンにのせましたがバーディーパットが決まらず、パーで通算17アンダーのままです。
 アメリカのスコッティ・シェフラー選手が通算19アンダーで単独首位に立ち、松山選手は、この時点で2打差の3位となっています。

 【18H(パー4)】-17で終了 メダルは最終組待ち 
 松山英樹選手は、最終の18番パー4は、2打目でグリーンにのせ、いい位置につけましたが、バーディーパットを惜しくも決められずパーでした。松山選手は通算17アンダーでこの時点で3位に並び、ホールアウトしました。
 アメリカのスコッティ・シェフラー選手が通算19アンダーで首位に立っています。
 メダル獲得なるかは最終組の結果しだいです。

 松山英樹が銅メダル 最終組の結果で3位確定 
 《見どころ》
 パリの西にあるイブリーヌ県の「ゴルフナショナル」で行われている男子ゴルフで、松山英樹選手は、首位タイでスタートした第3ラウンドでスコアを伸ばすことができず、トップと3打差の4位に後退して、最終ラウンドに臨みます。前回の東京大会では銅メダルを争うプレーオフの末に敗れていて、その雪辱を果たしメダルを獲得できるか注目されます。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240804/k10014536711000.html より

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<パリ五輪2024> メダリスト 江村美咲/尾崎世梨/高嶋理紗/福島史帆実

2024-09-17 07:06:40 | パリ五輪2024

 「江村美咲/尾崎世梨/高嶋理紗/福島史帆実」 銅-#フェンシング・女子サーブル団体

 「江村美咲」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896542-------------------- より

 江村 美咲(えむら みさき、1998年11月20日 - )は、日本の女子フェンシングのサーブル選手である。立飛ホールディングス所属。

 2024年7月1日、日本オリンピック委員会(JOC)からパリオリンピック日本選手団旗手に、ブレイキン男子の半井(なからい)重幸(22)(ダンサー名:Shigekix)と共に起用されることが発表された。尚、江村は2023年に行われた2022年アジア競技大会(杭州)でも開会式で「旗手」を務めており、国際総合大会では異例となる2大会連続の大役を担うことになった。

*Wikipedia より

 「尾崎世梨」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896522-------------------- より

 尾﨑 世梨(おざき せり、Seri Ozaki, 2002年9月22日 - )は、日本のフェンシング選手である。

 北海道札幌市出身。札幌市立北郷小学校⇒札幌大谷中学校⇒鹿児島県立鹿児島南高等学校⇒法政大学法学部国際政治学科4年在学中。

*Wikipedia より

 「高嶋理紗」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896519-------------------- より

 髙嶋 理紗(たかしま りさ、Risa Takashima, 1999年2月8日 - )は、日本のフェンシング選手。

 2021年、法政大学を卒業し、日清製粉グループの傘下企業でもあるオリエンタル酵母工業に入社。

*Wikipedia より

 「福島史帆実」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896541-------------------- より

 福島 史帆実(ふくしま しほみ、1995年6月19日[1] - )は、日本の女子フェンシングのサーブル選手である。セプテーニ・ホールディングス所属。右利き。

*Wikipedia より

 

 フェンシング 女子サーブル団体 日本は銅メダル パリ五輪 2024年8月4日 7時49分 NHK NEWS

 パリオリンピック、フェンシング女子サーブル団体の3位決定戦で日本は世界ランキング1位の地元フランスを破り、銅メダルを獲得しました。
 日本がサーブルでメダルを獲得するのは初めてです。

 フェンシングの団体は1チーム3人ずつが総当たりで戦い、9回の対戦で合計のポイントが多かったチームか、先に45ポイントを取ったチームが勝ちとなります。

 世界ランキング8位の女子サーブル団体の日本は、個人で世界選手権2連覇を果たし、開会式で旗手を務めた江村美咲選手に、高嶋理紗選手、福島史帆実選手、それにリザーブの尾崎世梨選手のメンバーで今大会に臨み、初戦の準々決勝で世界2位のハンガリーを45対37で破りました。

 準決勝では世界3位のウクライナに32対45で敗れ、決勝進出はなりませんでしたが、3位決定戦で世界1位で地元のフランスと対戦しました。

 日本は7対10で迎えた第3試合、リザーブでチーム最年少の21歳、尾崎選手が積極的な攻撃でポイントを重ねて15対13と逆転しました。

 その後、29対30で迎えた第7試合は、高嶋選手が6連続ポイントを奪って35対30として再び逆転しました。

 そして、3ポイントリードで迎えた最後の第9試合は、試合途中に観客がフランス国歌を歌うアウェーの空気感の中、エースの江村選手が巧みなフットワークから強烈な突きを見せるなどポイントを重ね、45対40で勝って銅メダルを獲得しました。

 江村「みんなが背中を押してくれた」
 江村選手は、個人では3回戦で敗れた影響について「個人戦から気持ちを立て直せたのかわからないぐらい感情がぐちゃぐちゃで、プレーも自分らしいかと言われるとそうではなかった」と明かしました。

 その上で3位決定戦について「いつもだときれいに丁寧なフェンシングをするが、下がってポイントを取られるぐらいなら前にいってみようと、みんなが背中を押してくれて気持ちで前にいくことができた」と目に少し涙を浮かべながら話していました。

 尾崎「いい流れを持ってこられた」
 尾崎選手は「リザーブでいつ出番が回ってきても自信を持って勝負できる準備をしていた。自分がチームのために強い気持ちで試合に臨もうと戦ったので、チームにいい流れを持ってこられたと思う」と振り返りました。

 高嶋「最後は気持ちだけで戦った」
 高嶋選手は「最初は相手に押されてしまい、あまり気持ちを強く持つことができなかった。チームのみんなが声をかけてくれて、最後は気持ちだけで戦った」と話していました。

 福島「みんなでつなげた団体戦」
 福島実選手は「3位決定戦ですごいプレッシャーと緊張があるなかでみんなで戦えたのがすごくよかった。みんなでつなげた団体戦だと思う」と話していました。

 男女を通じ日本がサーブルでメダル獲得は初 
 男女を通じて日本がサーブルでメダルを獲得するのは初めてです。

 これで今大会、フェンシングで日本が獲得したメダルは男子エペ個人、女子フルーレ団体、男子エペ団体とあわせて4つとなりました。

 また決勝は世界3位のウクライナが世界4位の韓国を45対42で破り、金メダルを獲得しました。

 ウクライナは今大会、すべての競技を通じて初めての金メダルです。

 21歳の“ジョーカー” ここぞという場面で力出し切る 
 相手を突くだけではなく、“斬る”ことも有効のサーブル。試合のテンポが速く身体能力がものをいう種目で、日本はこれまでオリンピックで結果を出せずにきました。

 この種目で初めてのメダルをかけた3位決定戦は、世界ランキング1位で2年余り勝てていない地元・フランスとの対戦。日本のジェローム・グースコーチが試合を動かす“ジョーカー”に考えていたのが、リザーブメンバーで準決勝から出場した21歳の尾崎世梨選手でした。身長1メートル67センチと日本の女子選手としては長身で、リーチの長さを生かした勢いのあるアタックが持ち味。おととしの世界選手権ではチーム最年少の19歳で出場して団体の銅メダル獲得に貢献していました。「苦しい状況で出場することを最初からイメージして、この舞台に立ちたいとそわそわしていた」尾崎選手はその気持ちをピストで爆発させます。

 1巡目の第3試合は相手にリードを許す展開、ここで思い切りのある攻撃で一気に8ポイントをとって逆転し嫌な流れを断ち切ります。そして、最終3巡目の第8試合。今度は大きくリードするなかで、6連続ポイントを奪われて会場はフランスを後押しする観客の大歓声につつまれました。しかし、尾崎選手はこうした場面を待ち望んでいたという“強心臓”ぶりを見せます。1ポイントを取り返してリードを保ったまま最後の江村美咲選手につなぎ、銅メダルをたぐり寄せました。

 ジェロームコーチは役割を果たした尾崎選手について「流れを変える存在だった。まだ21歳で初めてのオリンピックだったが難しい局面でも一度も崩れずに力を全部出し切った。とても誇らしい」とたたえました。

 試合後、インタビューエリアでは安心感から涙ぐんだ尾崎選手「このパリ大会が日本フェンシング界が変わるきっかけになればいい」母国を応援する地鳴りのような歓声にも動じず、ここぞという場面で力を出し切った21歳の目は、力強く輝いていました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240804/k10014536011000.html より

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<パリ五輪2024> メダリスト 東晟良/上野優佳/菊池小巻/宮脇花綸

2024-09-16 05:26:21 | パリ五輪2024

 「東晟良/上野優佳/菊池小巻/宮脇花綸」 銅-フェンシング・女子フルーレ団体

 「東晟良」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896544-------------------- より

 東 晟良(あずま せら、1999年8月20日-)は、日本のフェンシング選手。和歌山県出身。和歌山県立和歌山北高等学校卒業。日本体育大学体育学部卒業。共同カイテック株式会社所属。姉は同じフェンシング選手の東莉央。

 「上野優佳」

*https://www.awi.co.jp/ja/athlete/athlete-ueno_yuka.html より

 上野 優佳(うえの ゆうか、2001年11月28日 - )は、日本のフェンシング(フルーレ)選手。

 所属 エア・ウォーター株式会社。

*Wikipedia より

 「菊池小巻」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896535-------------------- より

 菊池 小巻(きくち こまき、1997年2月22日 - )は、日本の熊本県熊本市出身[1]の女子フェンシング選手。

 所属 セガサミーホールディングス

*Wikipedia より

 

 「宮脇花綸」

宮脇 花綸(みやわき かりん、1997年2月4日 - )は、日本のフェンシング(フルーレ)選手。所属先は三菱電機株式会社[1]。

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896517-------------------- より

 宮脇 花綸(みやわき かりん、1997年2月4日 - )は、日本のフェンシング(フルーレ)選手。所属先は三菱電機株式会社。

 

 フェンシング 女子フルーレ団体 日本が銅メダル パリ五輪 2024年8月2日 7時22分  NHK NEWS

 パリオリンピック、フェンシング女子フルーレ団体の3位決定戦が行われ、日本はカナダに1点差で勝ち、フェンシングの女子で初めてとなる銅メダルを獲得しました。

 フェンシングの団体は1チーム3人ずつが総当たりで戦い、9回の対戦で、合計のポイントが多かったチームか、先に45点を取ったチームが勝ちとなります。

 東晟良選手、上野優佳選手、宮脇花綸選手、それにリザーブの菊池小巻選手のメンバーで臨んだ日本は、3位決定戦で世界ランキング6位のカナダと対戦しました。

 試合は序盤から両チームがポイントを取り合う互角の展開が続きましたが、途中から宮脇選手に替わって登場した、オリンピック初出場となるリザーブの菊池選手が、積極的な攻めでリードを奪います。

 その後、日本は5ポイントにまでリードを広げますが、徐々にカナダに差を縮められ、最終の第9試合で1ポイント差にまで詰め寄られます。

 ただ、最後はチーム最年少の上野選手が1ポイントを守りきり、33対32で勝って、フェンシングの女子で初めてとなる銅メダルを獲得しました。

 ▽金メダルはアメリカ、
 ▽銀メダルはイタリアでした。

 “最高すぎます”
 フェンシングでは、日本女子初のメダルを獲得した女子フルーレ団体の選手たちは満面の笑みでインタビューエリアにあらわれ、「最高すぎます!」などと喜びを語りました。

 菊池「チームを盛り上げたい一心で戦った」 
 団体のリザーブメンバーで、3位決定戦で途中出場して試合の流れを呼び込んだ菊池小巻選手は「私はここで出るしかない、ここが本番だと思っていたので、いいポイントをとってチームを盛り上げたいというその一心で戦った」と充実した表情で話していました。

 上野「メダル獲得しか目標にしていなかった」 
 試合時間残りわずかで1ポイント差のリードを守り切った上野優佳選手は「怖かった。でもチームのみんなが信じてくれていたので勝ちきるだけと戦った。メダル獲得しか目標にしていなかったので本当にうれしい」と興奮した様子でした。

 東「言葉にあらわせられないくらいうれしい」 
 チームの中心メンバーとして大きく貢献した東晟良選手は、「めちゃくちゃうれしい。グランパレで試合が出来ること自体が幸せなのにメダルを持って帰れるなんて言葉にあらわせられないくらいうれしい」と笑顔で答えていました。

 宮脇「チームメイトに感謝したい」 
 初戦のポーランド戦で得点を重ね劣勢のチームを救った宮脇花綸選手は「私が日本代表に入ったときはオリンピックに出るのが目標でメダルなんて考えられない状況だったが、フランス人のボアダンコーチが来てみんなが強くなり実現したメダル。チームメイトに感謝したい」と誇らしい表情で話していました。

 フランクコーチ「個人戦の悔しさが団体の結果に」 
 2017年から日本代表のコーチに就任して、女子フルーレの選手たちを世界トップクラスに導いてきたフランス人のフランク・ボアダンコーチは「彼女たちはすごく努力家で真面目だ。日々、自分たちの全てを出すよう努力を惜しまない。個人戦で敗れた悔しさが団体の結果につながった」と選手たちをたたえました。

 3位決定戦の戦いぶりについては「カナダとはオリンピックの前も2回対戦したが、毎回接戦になる。相手はディフェンス寄りの試合展開が多い選手たちで、日本の選手たちには攻めに出つつもできるだけ向こうの攻撃を受けないよう指示をした。上野選手が鋼の足で最後を耐えきってくれたのが勝因だ」と振り返りました。

 そのうえで、就任当初は選手たちをおとなしい“パンダ”にたとえて勝利への執念を持つよう促してきたことを問われると、「パンダの時代はとっくの昔に終わった。選手たちは本当にきれいな4匹の虎になった」と笑みを浮かべていました。

 菅原コーチ「メダルを取る瞬間に立ち会えて感激」
 女子フルーレの選手としてオリンピック3大会に出場し、現在はコーチを務める菅原智恵子さんは、3位決定戦の途中でリザーブメンバーの菊池小巻選手を投入したねらいについて、「左ききの菊池選手は左ききの相手に強い。カナダは左ききの選手が多かったので、そこで投入しようというのは話をしていた。すごく調子がよくて自信を持って送り出せた」と話していました。

 そのうえで、「この種目で、初めてメダルを取る瞬間に立ち会えてすごく感激している。大変なこともいっぱいあったがメダルをとれて全部が吹き飛んだ。自分が現役時代にメダルが取れず悔しい思いをしたが、選手たちが叶えてくれた」と、教え子たちをたたえていました。

 女子初出場から60年 競技の本場で歴史塗り替える快挙
 ヨーロッパが競技の本場のフェンシング。
 長年、日本の女子選手たちは世界の厚い壁に跳ね返されてきました。

 日本女子としての初めてのオリンピック出場は1964年の東京大会で、女子フルーレの個人と団体に出場しましたが、いずれも予選敗退でした。

 その後も女子フルーレを中心に大会出場を続けましたが、上位進出はかなわない厳しい時代が続きました。

 2007年にロシアで開かれた世界選手権では、女子フルーレ団体で現在の代表コーチを務める菅原智恵子さんを中心に、男女を通じてこの大会初の銅メダルを獲得しました。

 菅原さんは翌年、北京オリンピックの個人で日本の女子選手では過去最高の7位に入りましたが、メダル獲得には届きませんでした。

 このころから日本フェンシング協会では外国人コーチの招へいなど本格的な強化に乗り出し、10代のジュニア世代から将来を見据えた強化を進めてきました。

 国際大会で表彰台に上がる回数も増え、過去最多の選手が出場した3年前の東京オリンピックでは、女子のメダルはならなかったものの、大会後には女子サーブルで江村美咲選手が世界選手権の個人2連覇を果たすなど飛躍を遂げました。

 また、女子フルーレ団体も去年の世界選手権で16年ぶりの銅メダルを獲得し、オリンピックでの女子初のメダルへ期待は高まっていました。

 フェンシングでは、女子が初出場した1964年の東京大会からちょうど60年。

 競技の本場、フランス・パリで行われたオリンピックで、女子フルーレ団体の銅メダル獲得は、まさに歴史を塗り替える快挙です。

 準決勝までの戦いはこちら
 菊池選手の出身地 熊本市で地元新聞社が号外
 パリオリンピック、フェンシング女子フルーレ団体で日本がフェンシングの女子で初めてとなる銅メダルを獲得したことを受けて、メンバーの1人、菊池小巻 選手の出身地の熊本市では、地元の新聞社が号外を配り快挙を伝えました。

 受け取った人たちは「すごいなと思います。頑張っている姿を見ると胸があつくなります」とか「すごく立派だったと思います」などと話していました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240802/k10014533501000.html より

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<パリ五輪2024> メダリスト 大岩義明/北島隆三/田中利幸/戸本一真

2024-09-15 05:17:47 | パリ五輪2024

 「大岩義明/北島隆三/田中利幸/戸本一真」 銅-総合馬術団体

 「大岩義明」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1946434-------------------- より

 大岩 義明(おおいわ よしあき、1976年7月19日 - )は、日本の馬術選手。株式会社nittoh所属。

 愛馬「MGH Grafton Street」。

 「北島隆三」

 

 

*https://www.joc.or.jp/athletes/kitajimaryuzo/index.html より

 北島 隆三(きたじま りゅうぞう、1985年10月23日 - )は、日本の馬術選手。

 愛馬「セカティンカ」。

 「田中利幸」

*https://www.joc.or.jp/athletes/tanakatoshiyuki/index.html より

 田中 利幸(たなか としゆき、1985年2月2日 - )は、福岡県福岡市出身の総合馬術の選手。奈良県天理市の乗馬クラブクレインオリンピックパークに所属している。

 愛馬「ジェファーソン」。

 「戸本一真」

*https://www.joc.or.jp/athletes/tomotokazuma/index.html より

 戸本 一真(ともと かずま、1983年6月5日 - )は、日本の馬術選手。日本中央競馬会馬事公苑所属。岐阜県本巣市出身。明治大学卒業。パリ2024オリンピック銅メダリスト(総合馬術団体)。

 愛馬「ヴィンシー」。

 

 日本が総合馬術団体で銅メダル!92年ぶりのオリンピックメダル獲得|パリ2024 執筆者 Yukifumi Tanaka / 田中幸文 2024年 7月 29日 21:08

 パリ2024オリンピックの馬術は7月29日、ヴェルサイユ宮殿内に設置された特設会場で総合馬術の団体戦および個人戦の決勝を行った。

 3種目の減点合計で争われる総合馬術において、日本は馬場馬術とクロスカントリーの2種目を終えた時点(28日)の成績で団体戦3位とメダル圏内につけていた。

 しかし、29日の朝、最終種目の障害馬術の実施前に行われたホースインスペクション(馬体検査)において、北島隆三選手の馬匹、セカティンカJRA号がホールディング(競技出場に適していないことによる出場の保留)と判断され、日本は2度目のホースインスペクションを棄権することを選択。これにより、北島選手とパートナー馬匹の組み合わせに代わって、田中利幸選手とジェファーソンJRA号がチームメンバーとして参加し、総合馬術の最終種目に臨むこととなった。また、この人馬の交代により、TEAM JAPANの成績に減点20が加算され、合計スコアが113.80となり5位に後退していた。

 パリ時間午後に行われた団体戦では、テクニカルで難易度の高いコースが設置され、多くの人馬が障害物を落下してしまうエラーが相次ぐ中、"初老ジャパン" の愛称でパリ2024オリンピックに臨んでいた日本チームのキャプテンを務める大岩義明選手とMGHグラフトンストリート号をはじめ、戸本一真選手とヴィンシーJRA号、そして交代で出場した田中選手とジェファーソンJRA号の3組いずれもが、障害物をひとつも落とさずに走行し、クリアラウンドを達成。ただ、規定時間内にフィニッシュできなかったタイム減点2.0が加算され、最終的なチームの減点合計が115.80となり、日本はふたたび3位に浮上。これにより、日本は総合馬術では史上初となるオリンピック銅メダルを獲得、また馬術の団体戦では初のメオリンピックダル、さらに馬術オリンピック3種目を通して、ロサンゼルス1932の障害馬術個人で金メダルを獲得した西竹一以来、92年ぶりのオリンピックメダル獲得の快挙となった。

*https://olympics.com/ja/news/equestrian-paris-2024-eventing-team-japan-wins-broze より

 

 馬にもメダル授与に「知らなかった」「さすが人馬一体!」…総合馬術の表彰式が話題に 2024/07/30 14:11 読売新聞オンライン

*https://ameblo.jp/ree6028/entry-12861833609.html より

 パリオリンピックは第4日の29日、総合馬術の団体で、日本が銅メダルを獲得した。92年ぶりとなるメダル獲得の表彰式では、愛馬たちもメダルをかけて登場。X(旧ツイッター)では「素敵な競技」「馬にもメダルが贈られるなんて知らなかった」と感心と驚きの声が上がった。

 馬術では、選手だけでなく馬にもメダルが与えられる。92年ぶりのメダルだけに、表彰式を初めて見たという人も多く、ネット上ではこの馬術の表彰式が話題となった。

 左耳の下あたりに緑色のリボンで飾られたメダルを付けて入場した馬の姿に、Xでは「さすが人馬一体!」「馬術は馬にもメダルが授与されるのすごくいい!」「馬術推せる」「馬たちもメダルもらえてほっこり」などの声が上がった。

 国際馬術連盟公式Xでは、選手と馬の名前をそれぞれ投稿。日本が「約1世紀ぶりの五輪馬術メダルを獲得して表彰台に上りました」などとつづり、「メダリスト」となった4頭も紹介された。(デジタル編集部)

*https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2024/20240730-OYT1T50165/ より

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<パリ五輪2024> メダリスト 東野有紗/渡辺勇大

2024-09-14 06:37:37 | パリ五輪2024

 「東野有紗/渡辺勇大」 銅-バドミントン・混合ダブルス

 「東野有紗」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1541619-------------------- より

 東野 有紗(ひがしの ありさ、1996年8月1日 - )は、北海道出身の日本の女子バドミントン選手。富岡高校を卒業後、日本ユニシスに就職。BIPROGYバドミントンチーム所属。ナショナルチームA代表に選出されている。

 2024年8月20日から開催された「ダイハツジャパンオープン2024」を最後に渡辺勇大とのペアを解消した。

 同年8月28日、自身のSNSに於いて元選手でコーチの五十嵐優との結婚を発表。また、結婚発表に合わせる形で「今後は女子ダブルスで世界を目指す」と今後の目標を語ると共に登録名を「五十嵐有紗」に変更することも明らかにした。

*Wikipedia より

 「渡辺勇大」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1541614-------------------- より

 渡辺 勇大(わたなべ ゆうた、1997年6月13日 - )は、日本の男子プロバドミントン選手。 BIPROGYバドミントンチームとプロ契約を結び、同チームに所属。ナショナルチームA代表に選出されている。オリンピックの2大会連続銅メダリスト。既婚者。

 2024年8月20日開幕のジャパン・オープンを最後に、13年に渡った東野有紗とのペアを解消。

 同年9月の第67回全日本社会人バドミントン選手権大会には田口真彩とのペアで出場。

*Wikipedia より

 パリ五輪バドミントン混合ダブルス ”ワタガシ”ペア銅メダル 08月03日 09時16分 NHK NEWS

 パリオリンピック、バドミントンの混合ダブルスの3位決定戦で、岩見沢市出身の東野有紗選手と渡辺勇大選手のペアが韓国のペアにストレート勝ちして銅メダルを獲得しました。東野選手は2大会連続の銅メダル獲得となりました。

 世界ランキング5位で渡辺選手と東野選手の「ワタガシ」ペアは、日本時間の2日夜、行われた混合ダブルスの3位決定戦で、世界2位で去年の世界選手権で優勝した韓国のペアと対戦しました。
 第1ゲームは中盤まで一進一退の攻防になりましたが、ワタガシペアが緩急をつけた多彩なショットで相手のミスを誘ったほか強力なスマッシュを決めるなどして中盤以降点差を広げ、21対13で第1ゲームを取りました。
 第2ゲームでは相手の力強いショットに押されて一時リードされる場面もありましたが、粘り強く相手のショットを拾い続け長年培った抜群のコンビネーションと狙いすましたショットで逆転しました。
 ワタガシペアは22対20で第2ゲームも奪いゲームカウント2対0のストレート勝ちで銅メダルを獲得しました。
 渡辺選手と東野選手は前回の東京大会に続いて2大会連続で銅メダルを獲得し、今大会、バドミントンでは日本勢で最初のメダルとなりました。
 【東野選手”メダルとれうれしい”】
 東野有紗選手は「金メダルを取る気持ちでやってきたので悔しいがメダルをとれてうれしい。準決勝で敗れたあとに渡辺選手と話して切り替えて臨むことができた」と涙ながらに語りました。
 そして中学生からペアを組む渡辺勇大選手に対して「感謝しかないですし本当に出会ってよかったと思っている」と話していました。
 【渡辺選手”声援が背中押してくれた”】
 渡辺勇大選手は、長いラリーが何回も続いた試合を振り返って「自分たちもすごくきつくて、相手とフィジカル勝負になったが、声援が背中を押してくれて劣勢でも諦めずにラリーできた」と涙を流しながら語りました。
 そしてペアを組む東野有紗選手に対して「本当に助けてもらってばかりでここまで組んできていろいろなことがあったが、オリンピックの舞台でもう1回表彰台にあがることができてよかった」と充実した表情で話していました。
 【鈴木知事コメント】。
 鈴木知事は「東京オリンピックの銅メダル獲得から3年、パリの地で再びメダルをつかみ取った姿に挑戦することの素晴らしさを教えてもらいました。ペアの渡辺選手と力を合わせて粘り強く戦い抜いた東野選手の姿は目標に向かって頑張る子どもたちにとって大きな励みになると思います」などとするコメントを出しました。

*https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20240803/7000068905.html より

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<パリ五輪2024> メダリスト 志田千陽/松山奈未

2024-09-13 07:18:17 | パリ五輪2024

 「志田千陽/松山奈未」 銅-バドミントン・女子ダブルス

 「志田千陽」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1541629-------------------- より

 志田 千陽(しだ ちはる、1997年4月29日 - )は、日本の女子バドミントン選手。秋田県南秋田郡八郎潟町出身。所属は再春館製薬所。2024年パリオリンピックの女子ダブルス銅メダリスト。2015年から組む松山奈未と共に「シダマツ」ペアとして知られている。

 「松山奈未」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1541630-------------------- より

 松山 奈未(まつやま なみ、1998年6月28日 - )は、日本の女子バドミントン選手。福岡県北九州市出身。所属は再春館製薬所。2024年パリオリンピックの女子ダブルス銅メダリスト。志田千陽と共に「シダマツ」ペアとして知られている。

 

 バドミントン 女子ダブルス “シダマツ”ペア 銅メダル 五輪 2024年8月4日 2時15分  NHK NEWS

 パリオリンピック、バドミントン女子ダブルスの3位決定戦で、志田千陽選手と松山奈未選手のペアがマレーシアのペアにゲームカウント2対0のストレートで勝って銅メダルを獲得しました。

 志田選手と松山選手の『シダマツ』ペアは3日、女子ダブルスの3位決定戦で、マレーシアのタン選手とティナ選手のペアと対戦しました。

 第1ゲームは松山選手の力強いショットと、志田選手の素早い反応から繰り出す緩急をつけたショットで相手のペアを揺さぶり主導権を握ると21対11で取りました。

 第2ゲームも『シダマツ』ペアは息の合ったプレーと正確なショットで相手に流れを渡さずそのまま押し切り、このゲームも21対11で取ってゲームカウント2対0のストレート勝ちで銅メダルを獲得しました。

 日本勢のこの種目でのメダル獲得は2大会ぶりです。

 志田「持ち帰るものを獲得できてよかった」
 志田選手は「勝っても負けても最後だと思っていたので『1球も諦めないでシャトルを追おう』という気持ちでやっていた。準決勝で負けてしまって悔しかったが、2人で持ち帰るものを獲得できてよかった」と喜びを語りました。

 松山「とにかく勝ちたかった」
 松山選手は「とにかく勝ちたかったのでメダルを持って帰れることにほっとした。日本からもたくさんのメッセージもらっていたので勝利を届けられたことをうれしく思う」と話していました。

 日本女子ダブルスの強さ示す
 初出場のオリンピックで、銅メダルを獲得した女子ダブルスの『シダマツ』ペア。

 1学年上の志田千陽選手と松山奈未選手は高校時代、国際大会で初めてペアを組んで、高校卒業後はともに熊本県のチームに所属し、オリンピックの舞台を目指すようになりました。

 明るいキャラの志田選手に、人見知りの松山選手。

 松山選手が「志田さんじゃなかったら自分をここまで引っ張ってくれなかった」と語るように年上の志田選手がリードする形で成長してきました。

 しかし、世界でも層が厚いとされる日本の女子ダブルス。

 東京オリンピックの出場はかなわず、福島由紀選手と廣田彩花選手の『フクヒロ』ペア。

 それに、永原和可那選手と松本麻佑選手の『ナガマツ』ペアのサポートにまわりました。

 そのなかでオリンピックで思うような結果を残せなかった先輩ペアたちの姿を見て、力を出し切ることの難しさを痛感するとともに夢舞台を目指すうえでの覚悟が決まりました。

 松山奈未選手
 「オリンピックって特別でそこで自分も少し“怖いものだな”と思った。そこからは少しずつ意識も変わった」

 東京大会後、『シダマツ』ペアは急成長を遂げました。

 攻撃的なスタイルで世界選手権に次ぐ全英オープンで初優勝するなど、国際大会で好成績を残し続けました。

 パリ大会に出場できるのは日本からは最大2組。

 激しい出場権争いのなかで先輩ペアに勝ちきる精神的な強さも身につけて念願のオリンピック初出場を果たしました。

 松山奈未選手
 「先輩たちを倒したいという気持ちでやってきて。感謝というと少し違うかもしれないが先輩たちのためにもオリンピックは負けられない戦いになる」

 志田千陽選手
 「どんなことがあっても目標がブレなかったから、ここまで走りきれた。最後は悔いなく戦いたい」

 その言葉のとおり、パリで2人は躍動しました。

 志田選手の抜群のスピードを生かしたコートカバーに松山選手の力強いスマッシュと、2人の持ち味を存分に発揮して念願のメダルを獲得。

 ロンドンとリオデジャネイロの過去2大会で日本がメダルを獲得した女子ダブルスに2大会ぶりのメダルをもたらし、歴史をつなぐとともにその強さを世界に示しました。

 松山選手の出身地 北九州市ではメダルに沸く
 松山選手の出身地の北九州市では3日、パブリック・ビューイングが行われ、銅メダル獲得の瞬間、会場は大歓声に包まれました。

 北九州市小倉北区の映画館「小倉昭和館」で行われたパブリック・ビューイングは、卓球女子シングルスで銅メダルを獲得した北九州市出身の早田ひな選手の試合に続いて行われ、会場に集まった市民らは興奮をそのままに『シダマツ』ペアの銅メダル獲得に期待を高めていました。

 試合は『シダマツ』ペアがペースを握り『シダマツ』コールが何度も起きていました。そして、ゲームカウント2対0で『シダマツ』ペアが勝つと、会場は大歓声に包まれました。

 松山選手が通っていた北九州市内の高校のバドミントン部の女子生徒は「点を取られても切り替えて積極的に攻める姿勢がすごいと思います。松山選手を目指してがんばります」と話していました。

 志田選手の出身地 秋田県八郎潟町でも喜びの声
 志田選手の出身地、秋田県八郎潟町では多くの人たちから喜びの声が聞かれました。

 八郎潟町で行われたパブリックビューイングには300人あまりが会場に駆けつけました。

 志田選手が力強いスマッシュや巧みなドロップショットで得点を決めるたび、会場では大きな歓声が上がりました。そして『シダマツ』ペアの勝利が決まると、歓声を上げて飛び上がったり、涙を流して喜んだりする人の姿が見られました。

 志田選手の叔父の石井広樹さんは「準決勝の負けから気持ちを切り替えてよくやってくれた。笑顔で秋田に帰ってきてほしい」と話していました。

 また志田選手が小学生の時にバドミントンを指導していた甲谷甚一さんは「練習を一生懸命頑張る子でした。町のスターで誇りです」と話していました。

 志田選手と一緒に練習をしたことがあるという中学1年生の女の子は「同じチームの先輩としてうれしく思います。自分も志田選手のようにみんなから応援される選手になりたい」と話していました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240803/k10014535991000.html より

 志田千陽「出会えて幸せ」松山奈未「オリンピックに連れてきてくれてありがとう」パリ2024バドミントン女子ダブルス銅メダル
執筆者 Chiaki Nishimura 2024年 8月 05日 01:20 

 ふたりにとって苦しいことの方が多かったここまでの道…。結成10年のふたりがオリンピックの舞台で笑顔を輝かせた。

 パリ2024オリンピック・バドミントン女子ダブルスの3位決定戦から一夜明けた8月4日、銅メダルを獲得した志田千陽(ちはる)、松山奈未(なみ)がTEAM JAPANの記者会見に出席し、それぞれの思いを語った。

 リオ2016オリンピックの女子ダブルスで高橋礼華&松友美佐紀が金メダルを獲得して以来、同種目で2大会ぶりに日本にメダルをもたらした「シダマツ」こと志田千陽、松山奈未。今の気持ちを聞かれると、志田は「正直あんまり実感が湧いてないんですけど、今はすごくほっとしていて、嬉しい気持ちではあります」とし、松山は「前日に準決勝で負けてしまって、メンタルが不安定な状態だったんですけど、最後ふたりらしいプレーも出せました」と笑顔で振り返った。

 バドミントン・志田千陽&松山奈未「最後に笑い合えるように」
 志田千陽&松山奈未、想い合って掴んだ銅メダル
 シダマツは3位決定戦をストレートで制したが、準決勝での敗北から1日で気持ちを切り替えることは、簡単なことではなかった。頂点を目指していた選手たちにとって、それは多くの人が体験することだろう。翌日の3位決定戦、松山は不安な思いでその舞台に立っていた。

 「3位決定戦のプレー中もプレーの前も、全然自信を取り戻せずにプレーをしていたんですけど、今まで自分が培ってきた練習が自分の体に染み付いていると思って、ただただ目の前の一球を相手のコートに返すということだけを意識していて、それがとても良いプレーにつながった」

 「終わってみれば、自信はなかったけど戦える自分を少し褒めてあげたいなって思いました」と続ける。

 敗戦後、次の戦いに挑むことの怖さ…。それは志田も同じだったが、それを表には出さずポジティブであり続けた松山の姿に、志田はあらためてパートナーの強さを実感したという。

 「準決勝が終わって、すごくふたりとも落ち込んでしまって。次の試合が怖いというのは私もそうだったんですけど、でもお互いそういうことを口に出すことはなかった」

 「試合が終わって松山が泣いているのを見たりとか、あとインタビューで『すごく怖かった』と話しているのを聞いて(松山の胸の内を)初めて知った。試合前は前向きなことしか話してなくて、『今日、勝っても負けても終わりだから、とにかく全部出し切ろうねー』とか『楽しもうねー』みたいな感じでコートに立っていた。(松山の)そういう姿は私も気づかなかったので、終わってみると奈未らしいなと思いますし、それが奈未の強さだったかなと思います」

*https://olympics.com/ja/news/badminton-shida-chiharu-matsuyama-bami-bronze-thank-each-other-paris-2024 より

 

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<パリ五輪2024> メダリスト 高谷大地

2024-09-12 06:55:28 | パリ五輪2024

 「高谷大地」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1939708-------------------- より

 高谷 大地(たかたに だいち、1994年11月22日 - )は、日本のレスリングフリースタイルの選手。階級は74kg級。2024年パリ五輪銀メダリスト。京都府京丹後市出身。拓殖大学経済学科卒業。自衛隊体育学校所属の幹部自衛官(2024年8月現在、1等陸尉)。兄は3大会連続でオリンピックに出場した高谷惣亮。

*Wikipedia より

 【解説】悲願のメダル獲得!“レスリング男子フリースタイル74kg級”銀メダル 高谷大地
 レスリング男子フリースタイル74kg級の決勝が現地時間8月10日に行われ、高谷大地選手がウズベキスタンのラザンベク・サラムベコビッチ・ジャマロフ選手に敗れ、銀メダルを獲得した。

 オリンピック初出場ながら、1回戦のキューバのジーンドリー・ガルソン・カバジェロ選手、準々決勝のセルビアのヘティク・ツァボロフ選手をそれぞれテクニカルスペリオリティで下した高谷選手は、準決勝で東京2020の銅メダリストで、世界ランク1位のアメリカのカイル・ダグラス・デイク選手と対戦。お互いが激しくポイントを取り合う展開を押し切り、20-12で制して決勝進出を決めた。

決勝では、序盤から積極的に攻める高谷選手をジャマロフ選手が上手く交わし、バックを取って2ポイント先制した。さらに高谷選手は回転させられるなどしてポイントを奪われ、そのままフォールを決められた。

 <パリ五輪の戦績>
 1回戦: ジーンドリー・ガルソン・カバジェロ/○10-0
 準々決勝: ヘティク・ツァボロフ/10-0
 準決勝:カイル・ダグラス・デイク/○20-12
 決勝:ラザンベク・サラムベコビッチ・ジャマロフ/●0-5

 <プロフィール>
 1994年生まれ、京都府出身の高谷選手は、2012年ロンドン大会、2016年リオ大会、2020年東京大会と3大会連続でオリンピック出場を果たしたレスリング選手、高谷惣亮選手の弟。2018年から階級を74kg級に上げ、2021年、2022年の全日本選手権の連覇や2023年の全日本選抜選手権の優勝など、数々のタイトルを物にしてきた。

*https://king-gear.com/articles/1732 より

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<パリ五輪2024> メダリスト 早田ひな/張本美和/平野美宇

2024-09-11 07:21:47 | パリ五輪2024

 「早田ひな/張本美和/平野美宇」 銀-卓球・女子団体

 「早田ひな」-<パリ五輪2024> メダリスト 早田ひな https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=ab35ffaea35e99c1ed8765eed63616ea&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTYlOTclQTklRTclOTQlQjAlRTMlODElQjIlRTMlODElQUEmcD0x こちらもご参考に

 

 「張本美和」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1931098-------------------- より

 張本 美和(はりもと みわ、2008年6月16日 - )は、日本の卓球選手。 宮城県仙台市出身。木下アカデミー所属。 Tリーグは木下アビエル神奈川所属。

 卓球 パリ五輪代表決定 女子3枠目は張本美和選手 公開:2024年3月31日(日)午後11:58 更新:2024年4月1日(月)午後0:07 NHK

 女子は選考ポイントで1位の早田ひな選手と2位の平野美宇選手がシングルスで内定し、団体のメンバーとして選考ポイント4位で15歳の張本美和選手が選ばれました。選考ポイント3位の伊藤美誠選手は外れました。

 選考の理由について…

 渡辺武弘監督(女子)

 『伊藤選手も日本卓球界の宝だが張本選手の伸びしろだ。15歳で逸材というか、すごい選手だと感心している。団体でダブルスが組めてシングルスでも活躍できる選手ということで、試合での戦いぶりなどから総合的に一番ふさわしいと判断した。ハイレベルな代表選考で、3人で力を合わせ中国を倒して金メダルを獲得したい。』

*https://www.nhk.jp/p/table-tennis/ts/42G7842NRK/blog/bl/pMGq83RNkr/bp/ploDLEeVjW/ より

 「平野美宇」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1931101-------------------- より

 平野 美宇(ひらの みう、2000年4月14日 - )は、静岡県沼津市生まれ、山梨県中央市出身の、日本の女子卓球選手。身長158cm、体重45kg。右シェーク裏裏ドライブ型。ITTF世界ランキング最高位は5位(2017年7月)。段級位は8段。木下グループ(Tリーグは日本生命レッドエルフ2022年4月まで)所属。大原学園高等学校卒業。村松雄斗はいとこにあたり、世界選手権などの国際大会に共に出場している。

*Wikipedia より

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