いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 秋田 きりたんぽ鍋

2024-02-29 09:24:11 | 郷土料理

 「きりたんぽ鍋」

 主な伝承地域 大館市、鹿角市

 主な使用食材 お米、鶏、ゴボウ、長ネギ、セリ

 歴史・由来・関連行事
 きりたんぽ鍋は鶏ガラと調味料で作った汁に炊いたご飯をすり潰したものと野菜を入れた鍋料理。大館・鹿角地方が発祥の地で、炭焼きや伐採のために山籠りをした人々が、残り飯をつぶして棒に刺して焼いて食べていたものを鳥鍋に入れたことが始まりと伝えられる。
 重要な具材であった比内鶏が、秋田県産種の鶏として国の天然記念物に認定され食べられなくなった時期があったが、当時の比内町の町長の声がけで「比内地鶏」が誕生し、再び家庭の味として復活した。比内地鶏は元来のキジや山鳩に肉の組織が似ていて脂がきめ細かく、「たんぽ」との相性は抜群である。
 串に刺し焼いたご飯ががまの穂に似ており、短い穂の意味である「短穂」から「たんぽ」と呼ばれるようになったとされる。「きりたんぽ」とは、この「たんぽ」が鍋に入る長さに「切った」ものである。

 食習の機会や時季
 新米が収穫される時期に作られることが多く、秋田県の北部では毎年新米の収穫が終わると、収穫の労をねぎらって「きりたんぽ鍋」を囲む。大館市では各家庭で代々受け継がれてきた料理であるが、客をもてなすために欠かせない料理でもあり、冠婚葬祭の際にはよくふるまわれる。

 飲食方法
 少しかために炊いたお米で「たんぽ」を作り、鶏やゴボウなどの材料の下準備をする。鶏ガラを水から煮込んでダシをとっておく。
 ダシに材料を入れ、煮えたら醤油で味付けをする。化学調味料は使用せず、お好みにより日本酒や塩などを足す。
 手頃な大きさに切ったたんぽを入れ、2~3分さらに煮込み、長ネギを入れ、最後にセリを入れる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 毎年、大館市では「本場大館きりたんぽまつり」、鹿角市では「きりたんぽ発祥まつり」が開催されており、両市が競って広報活動を行っている。それぞれの祭りでは、おいしいきりたんぽが味わえることはもちろん、きりたんぽ作りを体験することもできる。また新米の出回る時期になると、新米のきりたんぽと脂ののった比内地鶏を味わう「たんぽ会」が大館市の至るところで催される。大館の人たちがこうして親しみ続け、きりたんぽ鍋を愛し続けることで、昔からの味を守り続けている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/29_6_akita.html より

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<B級ご当地グルメ> B級ご当地グルメとは

2024-02-29 09:12:49 | B級ご当地グルメ

 「B級ご当地グルメ」とは

 B級グルメとは、贅沢でなく、安価で日常的に食される庶民的な飲食物のことである。

*Wikipedia より

 B級グルメとは、味はA級だけど安くて地元の方に人気があるグルメのこと。
 町おこしのために新しく作られた料理もあり、地元の人以外はあまり知らないという場合も多々あります。

*https://haraheri.net/article/682/cheap_but_tasty_local_food より

 上記のことから、「地元認知度」が低いものもあるが、「町おこし」に貢献し、将来「地元」に根付くものもある。

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うまいッ! NHK「注目の伝統野菜!大和まな~奈良・大和高田市~」

2024-02-29 08:47:56 | うまいッ!NHK

 うまいッ!「注目の伝統野菜!大和まな~奈良・大和高田市~」  2013年12月15日

 番組内容
 古事記に記載があり、日本最古の野菜といわれる「大和まな」。小松菜に似た葉野菜で、独特のうまみとシャキシャキした食感が人気を呼び、都内の高級ホテルや国際線の機内食にも登場。今、熱い注目を浴びている。だが、その傷みやすさから一時は「幻の野菜」と言われるまでに。そこで、伝統の灯を消すまいと立ち上がった生産者が、栽培方法を工夫。大和まなを全国野菜へ押し上げた。奈良県が誇る伝統野菜「大和まな」の魅力に迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201312150615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 周年生産が可能な大和の伝統野菜”大和まな” 最終更新日:2015年5月13日

 大和まなは大和の伝統野菜

 奈良県は、戦前から県内で生産が確認され、地域の歴史・文化を受け継いだ独特の栽培方法等により、「味、香り、形態、来歴」などに特徴をもつ野菜を「大和の伝統野菜」として認定しています。
 現在20品目が、「大和の伝統野菜」に認定されており、「大和まな」は、平成17年10月に仲間入りしています。

 大和まなの特徴
 大和まなは、アブラナ科のツケナ(漬け菜)の一種で、葉は大根葉に似た切れ込みがあり、濃緑色で肉質は軟らかく甘みに富んでいます。収穫後、葉が黄変しやすく店頭での日持ちが悪いという課題を解決するため、産学官連携により新品種「夏なら菜」、「冬なら菜」が育成されました。
 夏なら菜は株張りが良いため春から夏栽培に向く品種、冬なら菜は低温でも生育が良好なので秋から冬栽培に向く品種です。また、パイプハウスなどでの栽培により、周年生産が可能になっています。
 主な産地は、大和高田市、宇陀市、桜井市、大和郡山市で、出荷先は主に奈良県の中央卸売市場です。

*https://www.alic.go.jp/koho/mng01_000068.html より

 <伝統野菜> 奈良 大和まな

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=2657954bf1775d3fd8b59dad7ad7529b&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTUlQTQlQTclRTUlOTIlOEMlRTMlODElQkUlRTMlODElQUEmcD0x

こちらもご参考に

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<伝統野菜> 佐賀 有田戸矢かぶ -追記あり-

2024-02-29 08:27:22 | 伝統野菜

 「有田戸矢かぶ」

 有田の南端に位置する、戸矢地区の伝統野菜です。根の上半分の表面が赤紫色でントシアニン系のポリフェノール群を含んでいます。

*https://foodedu.jp/%E5%92%8C%E9%A3%9F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88/%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E6%96%99%E7%90%86-%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C/%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C/%E4%BD%90%E8%B3%80%E7%9C%8C%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C より

 「戸矢カブ」

 【生産地】西松浦郡有田町戸矢地区

 【特徴】土地固有の伝統野菜。ソフトボールほどの大きさ。葉はギザギザしている。肥大した根の上半分の表面が赤紫色。肥大した根の上半分の表皮が赤紫色をし、根の部分が白い状態である。真ん中を縦割に切った断面はハート型に近い形に見える。

 【食味】甘味があり、肉質は柔らかく、ほどよい歯ごたえがある。

 【料理】酢の物、汁物、カブの葉の炒め物など

 【来歴】佐賀県有田町の南端、長崎との県境に位置する戸矢地区のみで古くから栽培されている。2010(平成22)年に戸矢地区の有志で「有田戸矢かぶの会」が結成され、会を中心に、町全体で保護・普及活動も行われている。

 戸矢蕪に由来する話として、平安時代末期の武将、鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)が、この地方で暴れまわる大蛇を退治した時に放った1本目の矢が跳ね返り、家の戸にささったのが「戸矢」という地名の由来とされ、2本目の矢は大蛇の頭に命中し、その血が戸矢の畑まで流れていき、もともと白かった蕪の土から出た部分だけを赤紫色に染めたという伝説が残っている。鎮西八郎為朝は、源義経(みなもとのよしつね)の父源義朝(みなもとのよしとも)の弟源為朝(みなもとのためとも)のことである。1156年の「保元の乱(ほうげんのらん)」を題材にした「保元物語(ほうげんものがたり)」によると、源為朝は、身長2mを超える巨漢のうえ気性が荒く、剛弓の使い手で、剛勇無双とされた。生まれつき乱暴者で父親に持てあまされ、九州に追放されたが手下を集めて暴れまわり、一帯を制覇して鎮西八郎を名乗ったとされる人物である。

 【時期】11月〜1月下旬

*https://tradveggie.or.jp/41-saga/#i-12 より

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<異名-人物> 丹波の青鬼

2024-02-29 08:23:14 | 異名

 「丹波の青鬼 籾井教業」

 籾井 教業(もみい のりなり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。波多野氏の家臣。丹波国籾井城主。越中守。「丹波の赤鬼」こと荻野直正と並び「青鬼」と呼ばれたとされるが、実在には疑問もある。

 教業は、織田氏の丹波侵攻より前に波多野秀尚が桑田郡・船井郡の支配のため亀山城(京都府亀岡市)に入った際、それを後見したとされる。また、織田軍を破った教業はその勇猛さから「丹波の青鬼」と呼ばれ、赤鬼・荻野直正と並び敵に恐れられたという。

*Wikipedia より

 

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<料理用語-和食> 黄身そぼろ

2024-02-29 08:03:17 | 料理用語

 「黄身そぼろ」

 生卵を炒りあげたそぼろ。

 卵黄を多くするか、黄身だけを使う。

 これに甘酢を加えたものが「黄身酢そぼろ」

*https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/6_G/031.html より

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<慣用句・諺> 箍が緩む など

2024-02-29 08:00:05 | 慣用句・諺

 「箍が緩む-たががゆるむ」

 緊張がゆるんだり、年老いたりして、しっかりしたところがなくなる。締まりがなくなる。

 

 「箍を締める」

 ゆるんだ規律や心持ちを引き締める。

 

 「箍を外す」

 規律や束縛から抜け出す。はめを外す。

 

 「薪樵る-たきぎこる」

 薪の行道 (ぎょうどう) をする。

 

 「薪尽く」

 1 《「法華経」序品の「仏この夜滅度し給ふこと、薪尽きて火の滅するがごとし」の句から》釈迦 (しゃか) が入滅する。

 2 命が尽きる。死ぬ。

 

*goo辞書 より

 

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<難読漢字-魚> 間八

2024-02-29 07:52:11 | 難読漢字

 「間八 かんぱち」

 カンパチ(間八、勘八、学名 Seriola dumerili )は、スズキ目アジ科に分類される海水魚の一種。全世界の暖海域に分布する大型肉食魚で、日本では食用高級魚として扱われる。

 名称
 標準和名「カンパチ」は東京での呼び名で、正面から見た際に目の上の斜め帯が漢字の「八」の字に見えることに由来する。日本での地方名は数多く、カンパ(東京)、ヒヨ(神奈川県)、アカイオ(北陸地方)、シオ(東海地方~関西での若魚の呼称)、チギリキ(和歌山県)、アカハナ(和歌山・高知県)、アカバネ(香川県)、アカバナ(関西~九州)、ニリ(宮崎県)、アカバラ、ネリ、ニノコ(鹿児島県)、ネイゴ(鹿児島県での若魚の呼称)ネリゴ(長崎県での若魚の呼称)等がある。

 また本種は、日本各地で大きさによって呼び名が変わる「出世魚」でもある。

 関東ではショッコ(35cm以下)-シオゴ(60cmまで)-アカハナ(80cmまで)-カンパチ(80cm以上)
 関西ではシオ(60cmまで)-カンパチ(60cm以上)
 鹿児島県ではネイゴ-アカバラ
 稚魚はブリと同様に流れ藻に付くことから「モジャコ」(藻雑魚)と呼ばれる。

*Wikipedia より

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<日本酒メーカー> 岩手 わしの尾

2024-02-29 07:46:03 | 日本酒

 「わしの尾」

 株式会社わしの尾(わしのお)は、岩手県八幡平市にて清酒製造業を行う酒蔵である。

 この酒名「鷲の尾」の由来は、大鷲が住んでいた巌鷲山(岩手山)の山麓から湧水する 清らかな水で醸造されていることから「鷲の尾」と命名された。 また、早春の雪解けとともに山頂に大鷲が羽を広げたような残雪がくっきりと現れ、この雪形から名づけられたともいわれる。

 略歴 1829年 - 創業

 株式会社わしの尾 岩手県八幡平市大更第22地割158番地

*Wikipedia より

 代表銘柄

鷲の尾 辛口純米酒

純米酒 原料米:国産米

『鷲の尾 辛口純米酒』は、鷲の尾の新しいカテゴリーとなる「食事にマッチする辛口純米酒」をコンセプトに、幅広い場面で是非ご愛飲いただきたいという思いを込め発売させていただきます。
 酒質は、米の旨味と辛さのバランが良く軽快でスッキリした飲み口の日本酒に仕上がっております。また、様々な料理や旬の食材と相性が良く、飽きのこないスッキリとした辛口で食中酒にも最適な純米酒です。

北 窓 三 友 (ほくそうさんゆう)

純米酒 原料米:吟ぎんが・ぎんおとめ

「北窓三友」は、鷲の尾の代表的な山廃仕込みの純米酒。フランスで開催されている日本酒コンクール〔Kura Master〕の2023年度クラシックもと部門で『金賞』を受賞しました。
 乳酸菌由来の酸味のキレを持ち、しっかり溶かした米の旨みを味わうことができる旨口のお酒です。
 冷酒から燗酒まで幅広く楽しむことができ、お刺身や焼き魚、煮物など和食を中心に食中酒として様々な料理と相性の良いお酒です。好評発売中です!

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<西国三十三所> 第6番札所 南法華寺

2024-02-29 07:31:48 | 巡礼

 「南法華寺」

 南法華寺(みなみほっけじ)は、奈良県高市郡高取町壺阪にある真言宗系単立の寺院。山号は壺阪山。本尊は十一面千手観世音菩薩。一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる。西国三十三所第6番札所。

 本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか   

 ご詠歌:岩をたて水をたたえて壺阪の 庭のいさごも浄土なるらん

 歴史
 草創については不明な点が多いが、伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされる。後に元正天皇の祈願寺となった。

 平安時代、京都の清水寺が北法華寺と呼ばれるのに対し当寺は南法華寺と呼ばれ、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた。承和14年(847年)には長谷寺とともに定額寺に列せられている。貴族達の参拝も盛んであり、清少納言の『枕草子』には「寺は壺坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺の筆頭に挙げられている。また、寛弘4年(1007年)左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊している。

 往時は36堂60余坊もの堂舎があったが、嘉保3年(1096年)に火災にあい伽藍のほとんどが灰燼に帰した。その後、子島寺の真興上人が当寺の復興にあたり、これにより当寺は真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となった。

 承元5年(1211年)に大門、僧房の罹災を始め、数度の火災にあい、戦国時代には戦乱に巻き込まれている。当寺を庇護していた越智氏の滅亡と共に衰退し、残ったのは室町時代の礼堂と三重塔くらいであった。

 慶長年間(1596年 - 1615年)、豊臣秀長の家臣で高取城主本多俊政が当山の伽藍復興に尽力し、江戸時代には高取藩主植村氏の庇護を受け栄えた。

 本尊の十一面千手観世音菩薩は眼病封じの観音様として親しまれ眼病に霊験があるといわれ、お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台として有名となった。

 1961年(昭和36年)には日本で最初の養護盲老人ホーム「慈母園」が建てられている。他にも国の内外で福祉事業を展開している。

 1964年(昭和39年)よりインドで行っているハンセン病患者救済活動への尽力に対する返礼として、インド政府から提供された古石を使用して1983年(昭和58年)3月に完成した「天竺渡来 大観音像」は、高さ約20m、総重量1,200トンの壮大なものである。その他、インド渡来のものとしては、「天竺渡来 佛伝図レリーフ」、「天竺渡来 大石堂」などがある。

 境内
 八角円堂(本堂)- 江戸時代の再建。十一面千手観世音菩薩坐像を祀る。
 礼堂(重要文化財)- 室町時代中期以前に再建されたものだが、江戸時代に大改築されている。そのため、昭和の大修理時に室町時代当時の礼堂に復元された。入母屋造、本瓦葺。
 三重塔(重要文化財)- 室町時代の明応6年(1497年)再建。
 慈眼堂 - 2006年(平成18年)秋落慶。老朽化した阿弥陀堂と回廊の部材を用いて建立された。初層には夫婦観音像、二層目には阿弥陀如来を祀る。インド人画家のカーマット氏による「釈迦佛伝図」が描かれている。
 お里・沢市の像 - 人形浄瑠璃『壺坂霊験記』に出てくるお里・沢市夫婦の像。
 めがね供養観音 - 高さ3m。インドで制作され、日本で組み立てられた。
 天竺渡来 佛伝図レリーフ「釈迦一代記」- 1987年(昭和62年)安置。高さ3m、全長50m、重さ300t。奈良教育大学教授の小川清彦が原図を描き、インドのカルナータカ州カルカラで延べ5万7000人の石彫師の手によって製作され、日本で組み立てられた。
 七福神石像
 天竺渡来 大石堂 - 納骨永代供養堂。総重量1,500t。インドのアジャンター石窟寺院をモデルとし、延べ12万人の日本・インドの人々によって彫刻され、日本で組み立てられた。内部には石造の仏舎利塔と十一面千手観音像と大日金輪像を祀る。
 鐘楼
 天竺渡来 大釈迦如来石像(壺阪大仏) - 2007年(平成19年)11月開眼。身丈10m、台座5m。
 多宝塔 - 2002年(平成14年)4月落慶。大日如来坐像(平安時代作)を祀る。
 十三重塔
 灌頂堂 - 2005年(平成17年)4月落慶。慶長年間(1596年 - 1615年)に本多俊政が寄進した因幡堂の部材の大部分を用いて建立された。十一面千手観音菩薩(室町時代作)、豊臣秀長公像、本多俊政公像(安土桃山時代作)を祀る。
仁王門 - 建暦2年(1212年)建立。入母屋造、本瓦葺。解脱上人貞慶が建立に関わったとされる。2003年(平成15年)に解体修理され現在地に移築される。
 龍蔵宮
 大講堂 - 2000年(平成12年)落慶。弘法大師像(鎌倉時代作)を祀る。
 養護盲老人ホーム「慈母園」 - 1961年(昭和36年)築。当寺は眼病に霊験があることから日本で最初の養護盲老人ホームとして建てられた。
 天竺渡来 大涅槃石像 - 1999年(平成11年)安置。全長8m。インドで制作され、日本で組み立てられた。
 天竺渡来 大観音石像 - 1983年(昭和58年)3月12日開眼。全長20m、全重量1200t。インド政府によって提供された古石をインドの文化勲章受章者シェノイ氏とその一門、さらに延べ7万人のインド人石工の手によって66個のパーツに分けて制作され、日本で組み立てられた。
 五百羅漢 - 奥の院があった香高山の斜面の岩肌に刻まれている。

 文化財
 重要文化財
 礼堂
 三重塔
 鳳凰文磚 - 奈良時代前期。奈良国立博物館寄託。
 絹本著色一字金輪曼荼羅図 - 鎌倉時代。奈良国立博物館寄託。
 寺宝
 木造十一面千手観音菩薩坐像:本尊、室町時代、樫材の寄せ木造り
 木造大日如来像:木造・漆箔、像高49.5cm、平安時代(11世紀)
 木造増長天:木造・古色、像高160.5cm、平安時代(12世紀)
 木造多聞天立像:木造・古色、像高156.2cm、平安時代(12世紀)
 如来坐像:推定阿弥陀如来、木造・古色、像高27.4cm、平安時代(12世紀)
 不動明王坐像:木造・彩色・切金、像高50.7㎝、平安時代(12世紀)

 主な行事
 2月、6月を除く毎月18日 - 観音縁日
 8月18日 - 施餓鬼会

 南法華寺 奈良県高市郡高取町壺阪3

*Wikipedia より

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