「細野晴臣」
1947年7月9日生まれの73歳
細野晴臣 “巻き込まれ型の50周年”記念インタビュー 2019.12.09
.
今年(2019年)はデビュー50周年。はっぴいえんど、YMOといった伝説のバンドのメンバーとして活動し、1980年代には松田聖子や中森明菜など歌謡界のトップアイドルに楽曲を提供。『万引き家族』など映画音楽も手掛け、小山田圭吾や星野源など後続からの熱いリスペクトも集める。長年一貫して音楽シーンに多大な影響を与え続ける希代の音楽家、細野晴臣。
今回のアニバーサリーイヤーに際しては、セルフカバーアルバム『HOCHONO HOUSE』の発売、アメリカ公演や展覧会『細野観光1969-2019』があり、ドキュメンタリー映画『NO SMOKING』が上映された東京国際映画祭ではレッドカーペットを歩いたり……。
ファンにはお祭り騒ぎだが、ご本人は「巻き込まれ型の50周年」とあくまで淡々とほほ笑むばかり。どこまでもそのたたずまいは軽やかだ。そんな細野さんの、“いま”の音楽づくり、そして、ひょうひょうと自由に「いま」を旅する秘訣(ひけつ)をインタビューした。前後編に分けてお届けする。
“巻き込まれ型”で迎えた50周年
デビュー50周年記念のイベントなどが目白押しだ。ファンとしては非常にうれしいが、シャイなイメージもある人だけに、細野さんがこれだけ人前に出られることが続いているのは意外な気もする。
「自分がいちばんびっくりしてます(笑)。最初は他人事のようなつもりだったんですけど。のんびり構えてたら、だんだん巻き込まれていって。巻き込まれ型の50周年ですね」
“巻き込まれ型”。つまり、周りが細野さんを放っておかない、ということだろう。ともあれ結果的に、50年の軌跡を概観する機会の中で、過去のご自身と向き合う時間が続いたのではないか。
「できれば向き合いたくないんですよ。僕は普段、鏡を見ずに暮らしていますから。それは比喩的な意味じゃなくて、実際に鏡を見るのが好きじゃない。自分の姿をいいと思ったことがないんで」
本当ですか? と思わず返してしまった。今日もモノトーンのセットアップスーツにハンチング帽を合わせた独特のスタイル。いつも気負わず圧倒的におしゃれな細野さんである。
自分に向き合いたくないという細野さんだが、音楽では、今年、1973年のファーストソロアルバム『HOSONO HOUSE』をリメイクしたアルバム『HOCHONO HOUSE』を発売している。セルフカバーの制作過程はどんなものだったのか。
「『HOCHONO HOUSE』を気軽にやり始めたんだけど、だんだんその難しさがわかってきてね。自分の過去の作品と向き合うっていうツラい作業を、なんでやり始めちゃったんだろうって……(笑)。まずは後悔したんです。本当は過去の作品は過去のままで放っておくべきなんです。でも、なんか魔が差したというかね。『HOSONO HOUSE』は自分ではあまり聴かないアルバムなんですよ」
とはいえ、『HOSONO HOUSE』は、今の若いリスナーにも、とても人気があるアルバムだ。
「それをここ数年、だんだん知るようになって。若手のミュージシャンたちから言われることが多かったんです。『音が良い』とかね。『どこが良いんだろう?』とか思いつつ(笑)。自分ではわからないけど、みんなコレ好きなんだな、っていうことがわかってきたんで。じゃあちょっと……『からかいたいな』っていうか(笑)、『HOSONO HOUSE』が好きな人たちの反応を見たくて」
人生、退屈しちゃうのが嫌
細野晴臣の50年を見て改めて驚かされるのは、その大胆で柔軟な「変化」だ。「日本語ロック」を立ち上げた「はっぴいえんど」から、エキゾチックな音楽の桃源郷を探し求めたハリー細野の時代、テクノポップの旗手として国際的な活動を展開したYMOなどへと、長らく時代の先端で日本のポップ・ミュージックをリードしながら、音楽性と共にルックスまで変わっていく。
そんな細野さんからはいつも「いま」の匂いがする。”変わらずに、変わり続ける”という柔軟な変化と一貫してブレない定点を両方持続していくコツはあるのだろうか。
「大ヒットしないことですね」
このひと言。思わず笑ってしまった。しかし1980年代には松田聖子や中森明菜など歌謡界のトップアイドルに提供し、大ヒットした楽曲はたくさんある。
「曲はあるんですけど、個人のキャラクターがヒットすると、そこから抜けられなくなるんですよね。もちろん歌謡曲の歌手の皆さんは、一曲大ヒットすれば一生食べていけるっていうメリットはありますよ。ただその替わり、そのヒット曲をずーっと歌い続けなきゃいけないし、他のことが自由にできなくなるんですよね」
ピークをあえて作らない、と。どこか心に留めているのだろうか。細野さんは「いや、作らないのではなく、作れない」と苦笑いした。でも細野さんがずーっと時代の中で気ままに横滑りしていく感覚というのは、僕らが追体験しても面白い。
「たぶんね、アーカイブが進んだ今の時代だからこそ、僕の50年の活動なんかも俯瞰(ふかん)できるんです。自分の音楽的変化の様子を皆さんが一望できるし、自分でも見ることができる。そういう動きのおかげで、過去の活動や作品も楽しんでいただけるようになってきたのかなと。でも自分がその時代時代で一所懸命やっている最中はね、50年の全体像なんて当然まったくわからないですから。リアルタイムでは“細野さん、急に変わっちゃったね”とかいろんなこと言われてきました(笑)。全然違うように見えるフィールドに突然行っちゃうものですから、後をついてくる人があんまりいなかった」
失礼な言い方をすると、興味や好奇心の赴くまま遊んでいる子供みたいな感じ。
「全然失礼じゃないですよ。その通りです。僕の場合は自然にそうなっちゃうんですね。飽きちゃったことを続けるのが本当に好きじゃないんで。人生、退屈しちゃうのが嫌なんですよ。さすがにこの年齢(72歳)になると、別になにもしなくてもいいかなって、やっと思い始めたんですけど。若い頃は“退屈したくない”っていう気持ちが強かったし、実際好きなことが次から次へと出てきちゃう。基本的には今もそうなんですけどね」
細野さんは、実生活でも引っ越しを繰り返すことでも知られる。都市に住みながら、旅人のようでもある。
「生活していると、日々の生活の雑多なものはどうしても溜まっていきますよね。それがたまりすぎると、引っ越しのチャンス(笑)。でも、なかなか自由になりきれないのが悩みなんですよ」
試みが新鮮なうちは面白いけれど、それが次の段階に移ったときにはもうつまらなく感じる。それが細野さんの「飽きる」ということだろうか。「心が躍るかどうか」に忠実になる、それが「いま」を渡り歩く秘訣(ひけつ)なのだろう。
細野晴臣 いまの音楽には何かが足りない感じがする 2019.12.11
.
今年、デビュー50周年を迎えた細野晴臣さんへのインタビュー。後編は、細野さんの音楽の聴き方や、自身のドキュメンタリー映画『NO SMOKING』で語っていた、今のバンドに欠けている“秘伝のタレ”について深掘りして聞いた。細野晴臣さんが思う、いまの音楽の面白いところ、足りないところとは?
好きな音楽を聴く時は音質にこだわらない
音楽の聴き方について――。例えばオーディオにこだわる人もいる中で、細野さんはどうなのだろうか。
「場合によるんですけど、だいたい、その音楽が好きな場合は音質にこだわらないんですよね。例えば『あの曲、何だったかな?』とか気になったことはインターネットで検索して、そのままYouTubeで聴いちゃったりするんで。あとはiTunesとか」
特に細野さんの世代で、パソコンから流れてくる音をこれだけポジティヴに捉えている音楽家は珍しいのではないか。
「かもしれないですね。ひとつには、聴く立場と作る立場で違うんですよ、音に対する接し方が。作る時は大きなスピーカーをフルボリュームにして、良い音を作ろうという気持ちが強い。常に良い音を探している。
ただリスナーとしては、良い音楽はちっちゃい音量で聴いても良いから。あるいは『つまんない曲だな』と思ってボリュームを上げて聴くと、『ああ、音は良いんだ』とかね(笑)」
昔、評論家・コラムニストの植草甚一が安価で小さなレコードプレイヤーでジャズを聴いていたというエピソードを思い出す。
「ああ、わかるなあ。僕自身、本当にそうやって一般の人々と同じように音楽を聴いてますからね。特殊な聴き方をしてるわけじゃなくて。オーディオマニアの人には憧れますよ。自分のリスニングルームを作って、理想的な音でレコードを聴くのは、なかなか贅沢な趣味ですよね。でも自分はやらない、というか、やれない(笑)。
今はCDやレコードは専用の倉庫に入れてあるんですよ。自分のアーカイヴはいっぱいありますから、全部データ化して保管してあります。だからパソコンさえあれば大丈夫なんです」
音楽ビジネスの変化でいうと、最近またアナログレコードの復権の動きもあるが、レコード、CDから、ダウンロードやストリーミング配信へ……特にここ10年くらいは劇的な変化が進んでいる。この流れを細野さんはどう見ているのだろうか?
「僕はもともとレコードで育ったんで、アナログ再生の音は大好きなんですね。ちっちゃい頃はSP盤(1970年頃まで生産されていたシェラック素材の78回転レコード)でしたし。それでアナログからCDに変わった時にちょっと抵抗があったんですよ。『音があんまり良くないな』って。でもだんだん耳が慣れてきちゃって(笑)。『ま、いっか』みたいな。
流れには逆らえない。こちらの耳も現在に至るまでの聴き方の層が重なっていくもので、“慣れ”も含めてリスナーとしての耳の感覚も勝手にアップデートされちゃうんでしょうね。善し悪しは別にして、ですけど」
音楽も、二番煎じ、三番煎じはおいしくない
「今の時代の音はすごく面白いなって思うんですよ。いろんな意味で変革期だなって。今までと違う音が聴こえてきたりするんです。“音像”が変わってきたってことですかね。
ヘッドフォンで聴くと良く分かるんですけど、最初、その変化に気づいた頃は耳が取りつかれましたね。聴いたことのなかった音像の心地よさに、心が奪われるんですよ」
細野さんは一時期、流行音楽の“音像”が変わってきたことに注目(注耳?)していたという。
「例えばマイケル・ジャクソンの晩年の作品とかブリトニー・スピアーズの最盛期とか、あの頃から今までになかった音の表情が聴こえるようになってきて……。最近はもっと進化していて、例えばテイラー・スウィフトもすごい音がする。ちっちゃい音量で聴くとわりと普通のポップスなんだけど、実は音が複雑にデザインされているというか。
一時、そういった音像の変化にすごく心を奪われていたんですけど……。ただね、しばらくするとちょっと飽きてきて(笑)。自分の興味はそんなに長くは続かなかったですね。
もう一方では非常にパーソナルな音世界を作ってくる作家主義があってね。インターネット世代と言いますか、若い皆さんがそれぞれのやり方で良い音を作ってるんで、今はそちらに可能性を感じています。ただ僕自身の音作りと言えば……どっちつかず(笑)。どのスタンスで行くかは固定していないというか、まだ決めかねてる」
メジャーな音とインディーな作家主義の音の両方に刺激を受けた細野さんの、その狭間にある何か鳴ったことがない音……。
「そんな感じです。だから『HOCHONO HOUSE』の音作りに関しては、迷いながらやってたってところもありますね」
思えば自身の半生と音楽活動を振り返ったドキュメンタリー映画『NO SMOKING』の中で「今のバンドには“何か”が欠けている。秘伝のタレのようなもの」という印象的な発言があった。その“何か”にはどんな思いが詰まっているのだろう。もうひと言付け加える言葉はないか聞いてみた。
「う~ん、ひと言はないな……(笑)。足りない感じがするかな?っていう程度で。難しい。わからないですよ。僕はわりと衝動的なところが強いですからね。音楽を聴いて“これ良いな”って思う瞬間があるんですけど、それは分析じゃないんですよ。感覚なんです。匂いとか触覚とかと同じで、心が躍るとか、感情が揺さぶられるとか。非常にフィジカル(肉体的)な感覚。それが今の音楽にはちょっと足りないなっていう感じです。
子供の頃はブギウギを聴いて、反射的に踊り出しちゃうってことがあったので。ロカビリーもロックンロールもそうでした。面白いポップ・ミュージックってみんなそうだったんで。理屈の前に気持ちやカラダが動くというか。それが当時の“新しさ”だったんですね」
なるほど、この音像の問題は映像に似ているかもしれない。テクノロジーの進化に連れて映像の質はどんどん更新される。ただしCGIやVFXの発展と共に失われていくのは、まさに生身の肉体性だ。
「ただヴァーチャル的な映画も素晴らしく成長する時はいろいろ発見があって面白い。そういう時期もあるでしょ? だけど最新の手法をみんなが使い出すと、何か平均化されて面白くなくなるっていう。音像も映像も、それが今の感じですよね。お茶と同じで二番煎じ、三番煎じはおいしくないんです」
最後に、細野さんの音楽に影響を受けたと自ら語る“フォロワー”のアーティストたちの音楽を、細野さん自身はどのように聴いているのだろうか。
「うーん……あんまり聴かない(笑)。というか、僕に影響を受けたと言ってくれる人の音楽を聴いても、『どこに自分の影響があるんだろう?』ってわからないことが多いんです。
ただ最近、15歳のキーポン(KEEPON)君っていう子がね、いろいろ自分の音源を送ってきてくれて、それはびっくりしました。僕の曲のカヴァーを送ってきてくれて。『パーティー』と『終わりの季節』。オリジナルも面白いですね。それが非常にはっぴいえんど的だったり、大瀧詠一にそっくりの声だったり。僕が作るような曲だったりね。こんな子がいるんだなって、それは非常に面白かったですね」
この音楽界の軽やかな巨人は、きっと今日も、そして明日も何かに夢中になったり、飽きたりして、退屈するヒマもなく時を重ねていくのだろう。細野さんの自由な旅はひたすら「今」を楽しみながらずっと続きそうだ。
(取材・文=森直人 撮影=野呂美帆)
細野晴臣(ほその・はるおみ)
1947年東京生まれ。音楽家。1969年、エイプリル・フールのメンバーとしてデビュー。1970年、はっぴいえんど結成。73年にソロ活動を開始。同時にティン・パン・アレーとしても活動。78年、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成。また歌謡界での楽曲提供を手掛け、プロデューサー、レーベル主宰者としても活動。YMO散会後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを探究、作曲・プロデュース、映画音楽など多岐に渡り活動。2019年にデビュー50周年を迎え、3月にファーストソロアルバム『HOSONO HOUSE』を新構築した『HOCHONO HOUSE』をリリースし、6月にアメリカ公演、10月4日から東京・六本木ヒルズ東京シティビューにて展覧会『細野観光1969-2019』を開催。自身の半生と音楽活動を振り返ったドキュメンタリー映画『NO SMOKING』が公開中。
*https://www.asahi.com/and_M/20191209/7696736/ より