「山下洋輔」
1942年2月26日生まれの78歳。
ジャズの虜にさせた我流のピアノ
1週間ピアノに触れないとツライという山下さんにとって、音楽はもはや体の一部だという。
幼少の頃からピアノに親しんできたそうですが、正式にレッスンを受けていたわけではありません。ご本人の言葉を借りれば“じゃれていた”にすぎないとか。むしろ、ヴァイオリンのほうが本格的で、小学校の頃からちゃんとしたレッスンを受けていました。やがて、中学3年のときに、当時大学生だった兄のジャズ・バンドにピアニストとして参加し、初めてスイングジャズを弾くことに。それ以後いよいよ本格的にジャズに打ち込むようになります。
「一応はピアノが弾けたので参加したんですが、そのうちバンドの技量に満足できなくなって、それでいろいろなアマチュアのところを転々としては腕を磨きました。人前で演奏することもあったんですが、一度とてつもない額のギャラをもらったことがあって、それでもうこの道しかないと決めてしまった。」
こうして将来進むべき道を決定づけたピアノ。しかし、本格的にレッスンを受けていたヴァイオリンと違い、基礎さえも習っていない全くの我流。
「もともと譜面を渡されるのがイヤな性格なんです、いろんな意味で。ヴァイオリンをやめてピアノに乗り換えたのも、自分で好き勝手に弾けるというのが性に合っていたから……。ジャズに惹かれたのも同じような理由で、型にとらわれることなく自由な演奏ができるからです。」
“この道しかない”と決めてからはもうジャズ一筋。気の向くままに弾きまくり、テクニックはぐんぐん上達していきます。でも、どこまで行っても満足することはできない。“一度専門的に音楽を学んでみよう”という思いが自然に芽生え、国立音楽大学の門をたたくことになるのです。
大学は“宝の山”
「入学願書の履歴欄には、確か『現在ジャズピアニストとして活躍中』と書いたと思います。ジャズマンの代表として入学するんだ、みたいな生意気な意識があったんですね(笑)。」
大学時代はそれこそ自由奔放で、勉強もそこそこに野球ばかりしていたと話す山下さん。作曲科(現在の作曲学科)に籍をおく一方で、積極的なプロ活動を展開。1965年、日本で初のフリージャズを志向するグループ、富樫雅彦カルテットに、翌66年には、渡辺貞夫のグループに参加。 そして、同年8月には自己のトリオを結成し、その年の暮れに滞在中のエルビン・ジョーンズとセッションを重ねています。
「学校を一歩出たら、もうジャズ、ジャズでしたね。クラシックは僕には生理的に合わないんです。でも、根っからダメというわけではなく、本当はいいもんなんだという幻想みたいなものが絶えず僕の中にはあります。」
この春、バッハ生誕300年の誕生日に『J.S.バッハへの捧げ物』と題した演奏会を開いたのも、こうした意識の表れだとか。また、大学卒業後、山下洋輔トリオを結成し、フリーミュージックをはじめたことが自らの音楽的なエポックになったそうです。
「大学は“宝の山”です。掘り出すほどに金銀財宝がザクザク出てくる。問題はどこを掘り出すかで、僕のような型破りな者でも、掘り方次第では多くのことが得られます。とにかく自分の好きなことをやるのが一番。天才はそんなにいるわけではないのですから。」
ジャズを愛する山下さんもまた、型にとらわれることのない自由な発想の持ち主であるようです。
*https://www.kunitachi.ac.jp/introduction/kunion_cafe/interview/50on/ya/yamashitayousuke.html