いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<B級ご当地グルメ> 熊本 熊本ラーメン

2025-02-23 08:36:56 | B級ご当地グルメ

 「熊本ラーメン」

復刻ラーメン昭和味
味千ファンの皆様のご期待を受けて復刻版の味千ラーメンが新味として登場!究極の味を追求した一品。コクのあるこってり豚骨スープと中太麺が程よく絡んだ至極の一杯です。味千でしか味わえないこの味をぜひ!

*https://www.aji1000.co.jp/menu/ より

 熊本ラーメン(くまもとラーメン)は、熊本県熊本市を中心に作られる豚骨ラーメン。

 概要
 豚骨ラーメン発祥の地である福岡県久留米市から、熊本県玉名市を経て、熊本市とその周辺地域に伝播したラーメンである。玉名ラーメンや博多ラーメン(長浜ラーメン)に比べると太い麺を使い、また、スープに鶏ガラが加わるのが特色である。

 特徴
 スープには豚骨に鶏ガラを使うが、豚頭骨のみでスープを取る店も少なくない。また、スープにチップ状にした揚げにんにくやマー油(にんにくを揚げた油)、フライドガーリックなどを入れるのも特徴である。このため、豚骨のアクが強い博多ラーメンなどに比べまろやかな味わいとなっている。

 久留米ラーメン・玉名ラーメンとの最大の違いは、スープを当日に使い切り、継ぎ足しが無い点にあるという。これによりいわゆる「トンコツ臭」を抑えている。

 麺は低加水の中太ストレート麺を使い、やや堅めに茹で上げる。

 具材には台湾風に味付けされた煮玉子やキクラゲ、チャーシュー、メンマ、刻み小ネギ、モヤシ、海苔等が用いられる、中には豚肉の角煮、キャベツ、高菜等、店によっては紅生姜や生ニンニクが入る。

 歴史

 昭和28年(1953年)秋に木村一が「松葉軒」を熊本市内に、昭和29年(1954年)には山中安敏が「こむらさき」をオープンさせる。劉壇祥は昭和30年(1955年)から「桂花」で調理を務めていたが、のちに独立して「味千」を創業する。なお、ニンニクをラーメンに入れるという手法は「桂花」時代に劉が開発したもの。

 この三人はもともと不動産業、中古車販売業を営んでいたが、昭和28年(1953年)に北部九州を襲った白川大水害によって頓挫する。このときに、三人は昭和27年(1952年)に国鉄高瀬駅(現・JR玉名駅)前に出店し人気となっていたラーメン店「三九」を訪れた。三人はそのラーメンに感銘を受け、ラーメン店をあらたな商売として始めることとした。

 現在では熊本市内を中心に広く食されているほか、「桂花」や「こむらさき」が関東に進出し、また「味千ラーメン」が中国で多くのチェーン店を展開するなど、熊本県外への進出もみられる。

*Wikipedia より

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<B級ご当地グルメ> 熊本 玉名ラーメン

2025-02-22 15:34:19 | B級ご当地グルメ

 「玉名ラーメン」

玉名ラーメン 桃苑

*https://touen-ramen.com/ より

 玉名ラーメン(たまなラーメン)は、熊本県玉名市を中心に提供されている豚骨ラーメン。

 歴史
 1952年に福岡県久留米市に本店を持つ久留米ラーメンの中華そば専門店「三九」(2006年時点は佐賀市に本店を移転)が、玉名市の国鉄高瀬駅(現・JR玉名駅)前へ出店したことを契機とする。三九のラーメンは大人気となった。その三九の噂を聞きつけ、熊本市から訪れた山中安敏、重光孝治、木村一は三九の味に感銘を受け、山中はこむらさき、重光は味千ラーメン、木村は松葉軒といった、後に熊本ラーメンの元祖とも呼ばれる店舗をオープンさせることになる。このため玉名ラーメンが熊本ラーメンのルーツといわれる。

 玉名市の三九は1956年に閉店し佐賀市へと移転したが、三九でラーメンの調理法を学んだ職人たちが次々と独立して行った。

 玉名市でラーメン店が普及した背景には、近郊で海苔の養殖が盛んであり、作業を終え凍えた体を温めようとした労働者たちがラーメンに飛びついた事、焦がしニンニクを「精がつく食」として労働者たちの支持もあったためとみられている。

 特徴
 濃厚な豚骨スープと中細ストレート麺、焦がしにんにくのトッピングが特徴。焦がしにんにくの製法は、乾燥させた生ニンニクを油で揚げる方法と、フライパンなどで煎る方法に大別され、ラーメン店ごとに流儀が異なる。また、焦がしにんにくは最初からトッピングされているのではなく、客の好みに合わせて店員に振りかけてもらうのを特徴とする。

 玉名市の老舗ラーメン店などにも麺を卸している熊本市の宮本製麺所の言に依れば、熊本のラーメン専門店への納品数が1日100玉前後であるのに対し、玉名への納品は1日に150玉から200玉、多い店で300玉と消費量が多く、また1玉の重量も玉名のほうが15グラム多い。玉名市でラーメン専門店に麺を卸している吉田製麺所では、製麺機による表面の微妙な凹凸で麺が不均一になりスープと馴染みやすいことを特徴に挙げている。

 玉名ラーメン協議会
 玉名ラーメン協議会は、玉名ラーメンの認知度を向上させるため、観光資源としての「玉名ラーメン」ブランドの活用を目的として2007年9月7日に玉名市内のラーメン専門店16店によって設立された。玉名ラーメン協議会では「玉名ラーメンスタンプラリー」を企画、実施している。

 玉名市内に本キャンパスをもつ九州看護福祉大学とタイアップして「玉名ラーメン大学推進委員会」を発足させ、2007年10月27日、10月28日の同大学の学園祭にギャル曽根を招いてのイベントも企画している。

 玉名ラーメン協議会加盟店舗
 玉名ラーメン協議会公式サイトより。
 桃苑(とうえん)
 千龍(せんりゅう)
 大輪(だいりん)
 番屋(ばんや)
 来々軒(らいらいけん)
 雲龍軒(うんりゅうけん)
 味千ラーメン玉名店(あじせん)
 麺屋いっぽう
 中王ラーメン
 玉龍ラーメン
 龍願(りゅうがん)

*Wikipedia より

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<B級ご当地グルメ> 大分 とり天

2025-02-21 07:50:41 | B級ご当地グルメ

 「とり天」

レストラン東洋軒 大分県別府市石垣東7-8-22

*https://edit.pref.oita.jp/series/local-gourmet/3482/ より

 とり天(とりてん)は、鶏肉に衣をつけて揚げた大分県中部の郷土料理である。鳥天、鶏天と表記されることもある。

 歴史
 東洋軒発祥説
 現在の別府市浜町で、1926年(大正15年)に宮本四郎が開業した「レストラン東洋軒」が発祥とされることがある。昭和初期の東洋軒のメニューでは、「炸鶏片」(チャーケイペン)という料理が「鶏肉ノテンプラ」と説明されている。

 三ツ葉グリル元祖説
 1953年(昭和28年)に別府市内の洋食店「三ツ葉グリル」(現「グリルみつば」)が開業した当時のメニューにもとり天が載っており、この店が元祖として紹介されることも多い。しかし「三ツ葉グリル」の創業者はアサヒビアスタンドで修行を積むも、太平洋戦争時に召集令状が来たため、南方へ出征した。戦後の引き揚げ後には別府市に戻り、東洋軒で宮本と共に腕を振るった。

 グリルみつばの現店主も「レストラン東洋軒」が起源であるとしている。三ツ葉開業当時のメニューには「炸鶏片」の表記は同じく記載されているが、読みが(チャーチーペン)と少し変化がある。また東洋軒と同じ縦長二つ折の菜単となっていた。

 後に東洋軒は中浜筋へ移転。中浜筋に第二東洋軒も開業するが、1981年(昭和56年)に隣接する商店街の火災の被害に遭って焼失した。1983年(昭和58年)には本店もストーブが原因の火災で焼失し、後に現在地である別府市石垣東に新店舗で営業を再開した。

 いこい起源説
 大分市や大分市観光協会のウェブサイトでは、1962年(昭和37年)に大分市府内町の「いこい」で誕生したと紹介している。1969年(昭和44年)「いこい」は鶴崎に移転した。創業者自らデザインした二階建てパーラー風の建物であった。創業者が亡くなった後は同じいこいの調理人が屋号を引き継ぎ営業。現在は国道197号沿いに店舗を構え、建物跡地はいこいの駐車場となっている。

 キッチン丸山元祖説
 大分市では定食店「いこい」「キッチン丸山」が元祖として紹介されることが多い。年代としては別府市の方が古いが、「キッチン丸山」の店主は、いこいの創業者と神戸に居た頃から同じ厨房で調理しており、1960年頃にいこい創業者と共同で考案した独自のもので且つ、以前からある鳥の天ぷらとは異なるものであるとしている。実際見た目は唐揚げに近い。その理由として、当時女性が骨つきの肉を食べにくそうにしており、お箸で食べれるものはないか試行錯誤して今の型になったと証言している。

 地域性

 大分県では、レストラン・定食屋・喫茶店・居酒屋・弁当屋などで供される定番料理の一つとなっている。大分県民にとってあまりにも一般的な料理であるため、日本全国どこにでもある料理だと思っている県民も多い。全国展開の外食チェーンでも、大分県に本社を置くジョイフルがグランドメニューとしてとり天定食を供しているほか、やよい軒などでも期間限定メニューとして採用されている。モスバーガーやロッテリアからは、とり天を使ったハンバーガーが地域限定・期間限定で発売されている。

 また、はなまるうどんなどの讃岐うどん屋でも販売されている。

 調理法
 調理法は様々だが、概ね以下のような共通の特徴がある。

 鶏肉は一口大に切り、醤油やおろしニンニク等で下味を付ける。部位としては、もも肉、胸肉、ささみ等が用いられる。
 天ぷらと同様、小麦粉を鶏卵や水で溶いた衣を用いる。元祖とされるレストラン東洋軒では片栗粉も加えている。
 タレは、酢醤油等に練りからしを溶かしたものが一般的である。ポン酢にカボスを用いたり、カボスを添える場合もある。
 多くの場合、千切りキャベツなどの生野菜が付け合わせとして盛りつけられる。

*Wikipedia より

 

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<B級ご当地グルメ> 大分 宇佐からあげ

2025-02-20 08:58:18 | B級ご当地グルメ

 「宇佐からあげ」

 宇佐からあげ ~専門店発祥の地~ 更新日:2024年05月31日

  今、全国でブームを巻き起こしているB級グルメと言えば、「からあげ」。東京、大阪では専門店が続々と誕生し、コンビニでは関連商品が発売され、テレビや雑誌では特集が組まれるほど。そのブームは、実は宇佐市や中津市のからあげ専門店が東京に進出したことがきっかけと言われている。

  一人あたりの鶏肉消費量が全国トップクラスと言われる大分県。なかでも宇佐市や中津市を中心とした県北地域では、鶏肉のからあげ専門店が数多く軒を連ね、精肉店や惣菜屋等を含めるとかなりの数にのぼります。宇佐市や中津市のからあげは、醤油やにんにく、しょうが等をベースとしたタレに漬け込んで、下味をしっかりとつけてから揚げるものが多く、各店舗によってそれぞれ異なる秘伝のオリジナルのタレが特徴です。

  平成18年、宇佐市職員有志4名でつくる「宇佐市からあげ探検隊(現:USA★宇佐からあげ合衆国)」が、からあげ専門店の調査を行い、からあげマップを作ったことがきっかけとなり、宇佐からあげに注目が集まるようになりました。また、その調査の過程で宇佐市が”からあげ専門店発祥の地”であることがわかり、彼らの活動に火がつきました。宇佐市からあげ協会(現:宇佐からあげ協会)の設置、からあげ専門店発祥の地記念碑の建立に続き、イメージキャラクターである「うさからくん」の商標登録などに次々と取り組み、「宇佐からあげ」を一気にメジャーに押し上げました。 そうした活動に触発され、宇佐からあげ協会主催による、宇佐からあげ祭りが開催されることとなり、さらには東京出店を果たす店舗も現れるなど、今では、関係者が一体となって宇佐からあげを盛り上げています。また、お隣の中津市と良きライバル関係を築き、競い合うことで、お互いを高め、現在の「からあげブーム」を支えていると言って過言ではありません。

  今や多くのからあげファンが揚げたてアツアツの味を求めて宇佐市を訪れています。是非、からあげマップを片手に、からあげ専門店を巡り、お気に入りの味を見つけてください!

*https://www.city.usa.oita.jp/tourist/gourmet/gourmet/10017.html より

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<B級ご当地グルメ> 大分 佐伯ごまだしうどん

2025-02-19 07:58:29 | B級ご当地グルメ

 「佐伯ごまだしうどん」

 「佐伯ごまだし」は、焼いたエソ・アジ・カマスなどの白身魚を、胡麻と一緒にすりおろし、醤油などを混ぜて作られる大分県佐伯市に百数十年前から伝わる調味料です。ゆでたうどんに佐伯ごまだしをのせてお湯をかけ、「ごまだしうどん」として食すのが一般的。

 佐伯ごまだしは、元々は漁業が盛んな佐伯の漁師の家庭で、エソが大量に採れた時の保存食として作り始められた佐伯の漁師町の家庭料理のひとつでした。ある程度の保存性があるので作り置きしておいて、食べたいときにすぐに食べることができます。うどんだけでなく、お茶漬けのトッピング、豆腐やゆでた野菜などとあえて一品料理にしたりと、万能調味料としても使われます。

 佐伯ごまだしは元々は家庭料理なので、各家庭・地域によってそれぞれに味が異なります。また、食べる人も好みの味の濃さを調節できるのが特徴です。

*https://www.visit-saiki.jp/spots/detail/5253ab08-414a-4a38-8ddc-b1dad82444c7 より

 

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<B級ご当地グルメ> 大分 日田やきそば

2025-02-18 08:11:09 | B級ご当地グルメ

 「日田やきそば」

 日田やきそば(ひたやきそば)は、大分県日田市で提供される焼きそばで、ご当地グルメである。

 概要

 一般的な炒める焼きそばと違い、油を多めに引いた鉄板上で麺の一部が焦げるほど硬めに焼く麺に特徴がある。パリパリとした麺の食感が特徴。

 ソースで味付けし、具は主にもやし、ねぎ、豚肉を入れる。

 昭和30年代に、日田焼きそば専門店の想夫恋の初代である角安親が「焼いた麺料理はないものか」と考え、試行錯誤の結果生み出したものとされる。

 日田市内のラーメン店を中心に広がっており、この焼きそばを提供する店は想夫恋をはじめ十数店舗ある。

 現在は周辺の都市や福岡県のみならず、神奈川県や埼玉県、愛知県、京都府など三大都市圏にも日田焼きそば、日田風の焼きそばを出す店が存在する。

 「日田焼きそば」と表記する場合は、想夫恋の商標で2009年8月27日に登録されている。

*Wikipedia より

 「日田やきそば」という名称が生まれる50年以上前のこと。日田でやきそばと言えば〈想夫恋(そうふれん)〉の「想夫恋焼き」のことを意味しました。

 特徴は何といっても香ばしさと食感。鉄板の上に角切りされた豚肉を真っ先にのせ、脂と旨みを焼き出す間に麺をゆで、湯切りしたのち鉄板でしっかりと焼き目をつけていきます。モヤシとネギを投入してもヘラで炒めず、あくまでも焼く。秘伝のソースがかかったら、ヘラで高く持ち上げ振り落とす、を繰り返します。

 できあがった想夫恋焼きを口に運べばカリっとした食感と独特の香ばしさ、スパイシーなソースが麺と具材を絶妙にまとめます。従業員の育成、教育に力を入れ、創業時から徹底された想夫恋焼きを守り続け、いまや日田を代表する名物となりました。

 想夫恋 本店 大分県日田市若宮町416-1

*https://edit.pref.oita.jp/series/local-gourmet/2480/ より

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<B級ご当地グルメ> 長崎 佐世保バーガー

2025-02-17 09:58:43 | B級ご当地グルメ

 「佐世保バーガー」

 佐世保バーガー(させぼバーガー)とは、長崎県佐世保市名物の手作りハンバーガーの総称。いわゆるご当地グルメの一種。ひとつの決まったスタイルのハンバーガーを指していうのでなく、佐世保市内の店で提供される「手作りで」「注文に応じて作り始める(作り置きをしない)」ハンバーガーの総称である。

 歴史
 起源
 佐世保には、1889年(明治22年)に大日本帝国海軍の佐世保鎮守府、1903年(明治36年)に海軍工廠が建設され都市化したが、1945年(昭和20年)6月28日からの佐世保大空襲で焦土と化した。

 占領期に入ると佐世保にも進駐軍が入り、旧日本軍施設に米海軍が進駐した。同時に米軍属相手にした飲食店・バー・キャバレーが佐世保市内に出店した。そして、佐世保が朝鮮特需による好景気に沸いた1950年(昭和25年)頃、米海軍関係者よりハンバーガーのレシピを教わり、佐世保におけるハンバーガーの歴史が始まったとされる。なお、佐世保でハンバーガーが提供された最初の店は不明だが、昔を知る佐世保市民だと、創業店で現存しているのは、ヒカリかブルースカイのどちらかだと言われてる。ブルースカイはニミッツパークに近く、ヒカリは米軍基地の住居部に極めて近い。

 近況
 1993年(平成5年)、佐世保市から殿村美樹氏に「観光客を増やしたい」と依頼、殿村美樹氏は佐世保市とハウステンボスの共同プレスツアーを企画し、首都圏を中心としたマスコミに、市民に古くから親しまれていたハンバーガーをアピール。その後も2年間にわたって継続して情報発信を続け、「佐世保バーガー」として全国的な地域ブランドに押し上げた。

 1999年(平成11年)、横須賀市で行われた旧軍港4市(横須賀市、佐世保市、呉市、舞鶴市)による交流物産会で各都市から郷土料理の店を出店することになり、市内のハンバーガー店が出店。横須賀市民には佐世保での勤務経験を持つ海上自衛隊員が多かったため、隊員たちが「懐かしい」と予想以上の人気を集めた。このことが地元のまちづくり関係者の間で話題になり、郷土料理として見直しが進んでいく。

 2001年(平成13年)、佐世保市の市制100周年プレ事業の一環として地域興し事業を行う際、先のイベントで成功した佐世保のハンバーガーもPR。取材やイベントで佐世保を訪れたマスコミ関係者や芸能人の中で話題となっていった。

 2003年(平成15年)5月3日、佐世保で修行した吉村啓志が東京都中野区に「ザッツバーガーカフェ」の屋号で佐世保バーガーショップを開店。

 2004年(平成16年)、廃止された西海アメリカンフェスティバルに替わって「佐世保バーガーフェスティバル」が開催された。これにより、佐世保の公的な機関も「佐世保バーガー」という呼称を用いるようになった。

 2005年(平成17年)2月、ららぽーとTOKYO-BAY(千葉県船橋市)にあるフードテーマパーク「東京パン屋ストリート」内に、ビッグマンの直営店が開店したことにより益々マスコミが取り上げる機会が増えブームに拍車がかかる。

 今日では市内に25店舗の認定店を含め多くの店舗でハンバーガーが出されており、全国各地から観光客が訪れている。2006年(平成18年)にはトヨタ自動車の「ラクティス」のCM(九州版)で使用され、佐世保のログキット(ハングアウト)でロケが行われた。

 2019年(令和元年)6月14日、佐世保市内の事業者による団体・佐世保バーガー事業協同組合の申請により佐世保バーガーが地域団体商標に登録。

 コンビニ展開
 2006年(平成18年)7月3日、2005年(平成17年)に北陸3県・九州地方でファミリーマートが販売していた期間限定発売の佐世保バーガーを全国で発売すると発表。
 2006年(平成18年)7月4日、宮崎県・鹿児島県を除く九州地方で先行発売。価格は360円。
 2006年(平成18年)7月18日、期間限定の全国発売開始。
 2006年(平成18年)セブン-イレブンでも佐世保バーガーが発売された。価格は390円。
 佐世保バーガー認定制度
 2007年(平成19年)1月に「佐世保バーガー認定制度」が創設された。佐世保市の保健福祉部や旅行業界関係者などが、「独自性・主体性」「信頼性」「地産地消」「手づくり」などの項目を基準に審査し、合格した佐世保市内の店舗に限り「佐世保バーガー認定店」としている。認定店舗は、店の前に佐世保バーガーボーイのイラストが入った認定証(看板)を設置しているので確認することができる。しかし、佐世保市外のハンバーガーに対しての拘束力はなく、全国には認定店ではない「佐世保バーガー」を名乗る業者が多い。そんな中で、佐世保市外でも佐世保市が「佐世保バーガー」と認定する店舗を営む佐世保市出身者は、「佐世保バーガー観光大使」に任命されている。

 地域団体商標
 2019年(令和元年)6月14日、佐世保市内の事業者による団体・佐世保バーガー事業協同組合の申請により佐世保バーガーが地域団体商標に登録。組合には2019年7月現在24事業者32店舗が加盟しており、「1年以上佐世保市内に店舗や工場がある」などの加盟条件がある。地域団体商標は、組合加盟店の中で「手作り」「バンズ・パテ・野菜・ソースを入れる」などの基準を元に、今後は認定印などを統一し差別化を図る予定がある。

 グッズ・イベント展開
 マスコット
 2003年(平成15年)、佐世保市がやなせたかしに「『アンパンマン』に登場するハンバーガーキッドをイメージキャラクターに使用したい」と依頼した。これにやなせは「どうせならば新規のキャラクターを」ということで新たに水兵服を着たハンバーガー人間のデザインを起こした。2004年(平成16年)の「佐世保バーガーフェスティバル」で名前を募集したところ、佐世保地方の方言で「ハンバーガーをちょうだい(ハンバーガーばちょうだい)」という意味の「佐世保バーガーバー」が選ばれて発表された。しかしその後の全国展開の際に方言由来の「バー」が分かりにくいとして「佐世保バーガーボーイ」に変更されることとなったが、「佐世保バーガーバー」も愛称として併記されている。2006年(平成18年)6月には、やなせたかしがデザインした女の子のキャラクターを「させぼのボコちゃん」も登場した。

 テーマソング
 2005年(平成17年)2月、やなせたかしが作詞し、たいらいさおが歌う『佐世保バーガーソング』が発売された。佐世保ではストラップやピンバッジと共に販売されている。

 コラボイベント
 2018年(平成30年)春、佐世保地方創生プロジェクトチームと旧日本海軍の艦艇などを擬人化したシミュレーションゲーム『艦隊これくしょん -艦これ-』のコラボ企画「『艦これ』佐世保鎮守府巡り」に市内の提供店舗が協力し、コラボメニュー購入者へのコラボステッカーやコースターの提供、抽選によるポスターのプレゼント企画などが行われた。

*Wikipedia より

元祖ベーコンエッグバーガー

圧倒的1番人気!

桜の原木でじっくりスモークした風味豊な自家製ベーコン。

10数種類のスパイスを加えたパティ。おいしくて栄養価の高い長崎県島原産「太陽卵」。コクが決めてのりんご入りマヨネーズ。自然の旨みを凝縮したケチャップ、オリジナルのふかふかバンズ 等…素材にとことんこだわった「ごちそう」バーガーです。

ピッグマン 佐世保 上京町本店 長崎県佐世保市上京町7-10

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<B級ご当地グルメ> 長崎 トルコライス

2025-02-16 07:59:52 | B級ご当地グルメ

 「トルコライス」

 トルコライスは、長崎県、主に長崎市を中心としたご当地グルメで、一皿に多種のおかずが盛りつけられた洋風料理である。

 また関西地方や横浜・川崎地区など、長崎以外の地域にも内容の異なるトルコライスが存在する。北海道の根室地方の郷土料理のエスカロップとも良く似ている。

 概要
 豚カツ、ピラフ、スパゲティが一つの皿にのっていることを基本とする。ピラフは当初、ドライカレー(カレーチャーハン、カレーピラフ)が主流だったともされ、あるいはチャーハンであることもある。スパゲティはナポリタンが多い。上からデミグラスソースやカレーソースなどがかけられる。サラダも同じ皿に乗せられるか、または別皿でつくこともある。細部は店によって異なり、また一軒の店で複数の種類のトルコライスを提供する場合もある。「トルコ風ライス」として出している店もある。

 一つの皿に複数の料理をのせることからお子様ランチにたとえられ、「大人版お子様ランチ」、「大人のお子様ランチ」などと形容されることがある。

 1950年代に誕生したとされるが、名前の由来も含めて確かなことは分からない。

 →詳細は「§ 発祥と由来の諸説」を参照
 1952年生まれのさだまさしは3歳8か月から小学生時代にかけて長崎音楽院に通い、日曜の昼休みに外食するのが楽しみだったとしつつ、夕月のカレーとともにツル茶んのトルコライスは「滅多に食べられることはなかった」と記している。

 かつては長崎と同じタイプのトルコライスが県外で見られることはあまりなかった。うえやまとちの漫画『クッキングパパ』は1992年に掲載されたトルコライスを題材にした回で劇中、長崎ではどこにでもある、博多にはないと登場人物に会話させている。1999年には朝日新聞島根版で長崎出身の記者が「他県ではあまりみたことがない。」と記していた。また2001年の朝日新聞大阪版では記者の長崎出身の知人が大阪のトルコライスに「スパゲティがついてない」と不満そうにしている様が記されている。さだまさしと長崎県東京事務所はそれぞれ、東京に出てから長崎のトルコライスがないことを知ったと記している。

 近年は長崎を紹介する旅番組でご当地グルメとして紹介されたり、前述の「クッキングパパ」や森田信吾「駅前の歩き方」(2004年)のように料理・グルメ漫画で取り上げられるなどメディアでの紹介も増えた。旅行ガイドの「るるぶ長崎」や「まっぷる長崎」では2010年代にはほぼ毎年のようにトルコライスの頁が掲載されている。県外でも長崎出身の料理人が開いた店で提供されたり、トルコライスを知って店のメニューに加えたりされるようにもなった。また2003年頃からはセブン-イレブンなどのコンビニエンスストアで弁当として販売されるようにもなっている。長崎県東京事務所も2007年には東京でトルコライスを食べられる店を2軒、紹介している。

 なお長崎にもバターライスの上にサワークリームで仕上げた牛肉、エビ、野菜がのるといった全く異なるタイプのトルコライスを出す店もあった。トルコの兵隊に作って食べさせていたトルコ料理を先輩から伝授されたとしていた。

 トルコ料理との比較
 「トルコ」の名を冠してはいるが、トルコ料理に同じものは無い。トルコは世俗主義ではあるもののイスラム圏であるため豚肉食は忌避される。日本経済新聞の連載「偏食アカデミー」では1997年の記事でトルコ料理店マネージャーの「トルコの人にとって豚肉は宗教上食べるのはおろか、見るのも嫌なものなんです」というコメントを掲載している。周達生は塚口駅前のイタリア料理店にあったトルコライスの写真と、大阪・東京・長崎の店のトルコライスを取り上げた朝日新聞記事を挙げて、豚カツを使った料理に「トルコ」の名前を付けていることが「許せない」「ケシカラン」「いただけない」と記した。またピラフとスパゲティを一つの皿に盛り合わせることもない。

 一方でトルコ料理のケバブでは皿に盛って供するものがあるが、ピラフと肉・サラダの組み合わせを1枚の皿に盛る点でトルコライスに似る。「偏食アカデミー」では鈴木董から「トルコにはピラウ(ピラフ)の上に羊肉や豆の煮込み、野菜などをのせたものや、鳥肉に木の実、野菜、米を詰めたドルマという料理はあります」と紹介され、ピラウ料理の写真を掲載して比較している。また2001年の朝日新聞記事でも「スライスしたケバブを載せたピラフ」の写真を「本物のトルコ料理」として掲載、比較している。

 発祥と由来の諸説
 植原一郎説
 ビストロ・ボルドー店主の父、植原一郎は兵庫県姫路市の出身で外国船の船員をしていたが、戦後は神戸の米軍将校クラブ「シルバーダラ」に勤めた。クラブに出入りする日本人女性や従業員のために冷やご飯で焼き飯を作ったが、外国人のクラブのため焼き飯と言えず、トルコのピラウに似せたとして「トルコ風ライス」と呼んだ。実際にトルコのサフランピラフに似せようとサフランを用いたり、ターメリックを試したりもしたが、カレー粉になったともいう。トンカツやスパゲティはおかずを求められて付けたという。植原は妻の故郷である長崎に移ってレストランマルゼンのシェフ松原と知り合う。松原が入院して助っ人として入ったが、経営者から相談を受けた際にトルコ風ライスを紹介し、松原が退院して復帰した後に初めてメニューに載り、長崎に広まったとする説。

 2004年の「リブながさき」が有力とした三つの説の一つ。長崎外国語大学の副学長、姫野順一が2019年6月6日「秘密のケンミンSHOW」で有力な二つの説の一つとして紹介した話は本説の将校クラブのくだりに沿っているが、料理を将校に出したとしている点に相違がある。

 柏井寿は植原一郎をビストロ・ボルドーの先代シェフとしているが、ビストロ・ボルドーは1987年(昭和62年)に当代の店主、植原一が自ら開業した店である。伊丹由宇は既に廃業したレストラン金子の先代マスターの話として「神戸の将校クラブ」や「ピラウ」、「レストラン丸善」に触れて「最も具体的な理由を持っている」としたが、レストラン金子は店主が1983年に店を構え、2008年1月末に閉店して25年の歴史に幕を閉じた店である。

 レストラントルコ説
 レストラントルコで出していたメニューが店名からトルコライスと呼ばれ、他の店にも広がったとする説。喫茶店「ツル茶ん」がこの説を提唱しており、二代目店主がレストラントルコの開店特別メニューをヒントにしてメニューに加えたとしている。レストラントルコは5年ほどで廃業したという。またレストラントルコのマッチが残っている。

 2004年の「リブながさき」が有力とした三つの説の一つであり、姫野順一が「秘密のケンミンSHOW」で有力とした二つの説の一つでもある。

 長崎の喫茶店で考案されたとする説もあるが、レストラントルコを喫茶店としているのかは分からない。また喫茶店である「ツル茶ん」について毎日新聞は2008年から2009年にかけて「トルコライス発祥の店」と書いていた時期があったが、ツル茶ん自身は「元祖」ではないとしている。喫茶店の店名を「トリコロール」とする説については#トリコロール説を参照。

 松原三代治説
 レストランマルゼンのシェフだった松原三代治がつくり、命名したとする説。女性の晴れ着姿をきっかけに上半身をライス、帯をカツ、着物の派手な柄の裾をスパゲティに見立てた。

 2004年の「リブながさき」が有力とした三つの説の一つ。

 当時、特殊浴場をトルコ風呂と呼ぶなど「トルコ」と名付けるのが流行っていたので便乗して命名したとする。また当時人気を呼んでいたトルコ風呂にあやかり、「うんと精力をつけて頑張ってほしいから」という理由で命名したとすることもある。

 長崎の郷土史家、中西啓はレストラン・マルゼンのコック長を創製者として、当初はトンカツではなくシシカバブを乗せていたとした。ただし松原は初めてメニューに出したトルコライスと同じレシピとしてシシカバブではなくトンカツを挙げている。

 地理的命名説
 トルコライスを構成するそれぞれの料理をどこかの国・地域にあてはめ、その中間にあるのがトルコだからとする説。2000年代半ば頃から、二つをつなぐ「架け橋」と表現されることもある。

 チャーハンが中国でスパゲティがイタリア、トルコが東洋と西洋にまたがる国、中東発祥のピラフがアジアでイタリア料理のスパゲティがヨーロッパ、カレーがインド・とんかつが中国・スパゲティがイタリアなど、どの料理をどこに例えるかにも諸説ある。

 1993年の「リブながさき」では「中間説」として取り上げているが、自店舗での命名の証言としてではなく、聞いたことがあるとして紹介されていた。また同誌ではトルコ人にトルコライスについて聞いた記事があり、そこではトルコライスの命名の由来としてではなく、トルコという国について「ブリッジ・カントリー、架け橋」であると説明されていた。

 柏井寿は「最も有力なのが地理的命名説」とするが、ビストロボルドーではトリコロール説とともに長崎のタウン誌によって二十数年前に編集会議で仮説として作られ、書かれた物であるとして事実とは異なるとしている。俵慎一もまた、地元タウン誌の編集会議でたてた仮説だったと当時の編集者が後に明かしたとしている。なお2004年の「リブながさき」では思い付いた仮説や未確認の噂を取り上げたことがあったとして謝っているが、具体的にどの説がそうかは記していない。

 また中間説・架け橋説とは別にピラフをトルコのアナトリア高原、トンカツをタウルス山脈、スパゲティをエーゲ海の海岸線に見立てた説を1993年の「リブながさき」がやはり伝聞として「トルコの地形説」と記し、日本経済新聞の連載「偏食アカデミー」では証言者を紹介した二つの説とは別に挙げた「諸説」の中で「地形説」として記している。伊丹由宇もまた「並べ方が、トルコの地形に似ている」説を挙げている。

 トリコロール説
 トリコロール(三色旗または店名)が転訛してトルコとなった説。

 1993年の「リブながさき」でフランス国旗に代表される三色旗を挙げて「トリコロール説」として取り上げられているが、他の説と違い証言者、伝聞の紹介者のいずれも記されていなかった。

 ビストロボルドーでは地理的命名説とともに長崎のタウン誌によって二十数年前に編集会議で仮説として作られ、書かれた物であるとして事実とは異なるとしている。俵慎一もまた、地元タウン誌の編集会議でたてた仮説だったと当時の編集者が後に明かしたとしている。なお2004年の「リブながさき」では思い付いた仮説や未確認の噂を取り上げたことがあったとして謝っているが、具体的にどの説がそうかは記していない。

 柏井寿はトルコライスを最初にメニューに載せたのが「トリコロール」という店だったからという説を紹介し、続けて新説と称して3つの食材をフランス国旗に見立てた説を披露しているが、前述の通り1993年の時点で三色旗からのトリコロール説は言及されている。

 「よくわからない料理」説
 トルコが当時あまり知られていなかったとして、「よくわからない料理」という意味に由来するという説。

 関西地方
 伊丹由宇は著書で、神戸と大阪には長崎とは全く異なる「トルコ・ライス」が存在すると記しているが、詳細は省くとしてそれ以上のことは書いていない[57]。今柊二は「大阪、京都などの関西地方」にトルコライスがあるとしている。『京阪神の洋食』では大阪と京都の店を挙げつつ「関西トルコライス」とした。

 2001年に朝日新聞が大阪で元祖を名乗る店として洋食店「イスタンブール」を取材している。炒めたケチャップライスの上に半熟に焼いた溶き卵とトンカツを乗せて、デミグラスソースをかけたもの。店主(当時67歳)が20代半ば頃にアルゼンチンの公園で見たトルコ人が食べていた弁当をヒントにして1963年にメニューにしたという。記事では大阪でトルコライスを出す他の店でもよく似ていたとする。今柊二はオムライスの上にトンカツが載ってデミグラスソースがかかっているとした。店名は元は「エビス」だったがトルコライスが有名になってそれに合わせて1989年に変更した。『Meets regional』2005年5月号が「スタンダード・トルコライス3傑。」としたうちの一つ。

 柏井寿は京都の洋食店「のらくろ」のトルコライスについて、ケチャップ味の炒めご飯にひと口カツの卵とじがのり、デミグラスソースがかかったもので「洋風カツ丼」と表現し、「京都はおろか、他都市の洋食屋さんでもとんと見かけない」とした。今柊二は卵がプルプル震えるトロトロオムレツの中にケチャップライス、その上にビーフカツとし、2007年の44、5年前に店の主人が独自に考案したもので、「イスタンブール」とともにオムライスとカツという流れと記しているが、「大阪トルコ」「京都トルコ」と分けて書いていることもある。『Meets regional』2005年5月号が「スタンダード・トルコライス3傑。」としたうちの一つで、約40年前にナポリタンのライス版として作ったとする。

 俵慎一は大阪のトルコライスとよく似た料理として福井県越前市武生のボルガライスを挙げている。

 周達生は塚口駅前のイタリア料理店に豚カツを用いたトルコライスの写真があったとしている。

 関西地方にはまた別のタイプのトルコライスを出している店もある。

 今柊二はまた大阪の「ゼニヤ食堂」のトルコライスについても記している。鉄板の上に玉ネギや肉など親子丼の具のようなものが載り、生卵が落とされていて、具の下に隠れていたご飯はカレー味だったという。2007年時点で店は35年目だった。『Meets regional』2005年5月号も「スタンダード・トルコライス3傑。」とは別に掲載し、洋風ドンブリを目指したとしている。

 NHK「食彩浪漫」は2009年2月28日の放送で神戸の「ピザハウスF」を取り上げ、テキストにトルコライスを掲載し「香ばしく炒めたご飯にカレーをかけ、生卵をトッピングした」と記している。

 横浜・川崎地区
 今柊二が「横浜・川崎地区」にある「ケチャップライスの中にカツが入った長崎と違うタイプ」としているもの。「中入れ方式」とも呼び、また「横浜・川崎型トルコライス」「京浜トルコ」とも記している。俵慎一はケチャップライスとカツをまぶすと表現している。

 川崎市の中華料理店「かどや」は戦後まもなく[注 12]渋谷駅前の大衆食堂「渋谷食堂」で食べたものを後になってまねたという。渋谷食堂は現在の渋谷の万葉会館だが、万葉会館には当時のメニューは残っていないという。東急東横線沿線の多くの店でメニューに加わったが、姿を消していったという。俵慎一は「ケチャップライス+トンカツデミグラスソース+ケチャップライスという三層構造」とする。

 本牧の「キッチンさし田」は1975年に移転して来る前は蒲田のミスタウンという映画館街にあり、その頃からトルコライスがメニューにあったという。俵慎一は「洋食系のポークカツレツのテイストのトンカツ」が「一口サイズに刻まれていて、ケチャップライスに隠されている」とする。

 横浜の「ミツワグリル」ではもともとケチャップライスの中にトンカツが入っていたのを、一見してカツが入っているのがわからないとしてカツを上にのせるようになったとする。店主は名前の由来について「トルコ式サウナのように中に入っているからトルコライスという説もあった」と述べている。

 今柊二はこれらの店舗の調査から戦後の東京南部・川崎・横浜ではトルコライスはそれほど特別なメニューではなく、親しまれたメニューであったと判明するとした。

 その他
 地域で同じタイプのトルコライスを出している複数の店があるかは不明ながら、他にも長崎とは異なるタイプのトルコライスを出している店がある。また文献や映画にもトルコライスが見られる。

 東京
 東京には横浜・川崎地区のトルコライスの源流とは異なるトルコライスもある。

 1963年(昭和38年)にニユートーキヨーが数寄屋橋店でカツとハヤシライスなどを組み合わせた料理をトルコライスとして出し、人気を集めたという。

 2001年に朝日新聞が東京で元祖を名乗る店として千代田区の大衆食堂「フジ」を取材している。ケチャップライスの上にキャベツの千切りを敷いてトマトソースをかけた豚カツがあったとする。店主が約20年前、本で見たトルコ料理をまねたが、写真が不鮮明でトンカツとケチャップライスに見えたという。「偏食アカデミー」でも同姓同名の店主で「富士食堂」として紹介している。

 なおどのような料理だったかは不明ながら1930年(昭和5年)の『東京名物食べある記』では洋食をやっていた銀座の「東京パン」に「メキシコライス、トルコライス等」があったことを記している。また伊勢丹新宿店の社員食堂では1936年(昭和11年)3月第1週月曜日の夜の献立でトルコライスを選択できた。

 稚内
 いくつか有名店があったとされるが、俵慎一が取材した時には食べられる店は一軒しか確認できなかったという。ライスにチキンカツをのせ、カレールウとハヤシソースを半々にかけたもの。他の店ではトンカツだったり、チキンライスだったりしたとする。元祖とされる店のトルコライスは長崎のトルコライスが元だとも、と記している。

 明治時代の文献
 小菅桂子は日本経済新聞の連載「偏食アカデミー」にて(長崎のトルコライスと)「同じものかどうかは別にして」「明治時代の文献にすでに登場している」としたが、具体的な文献は挙げなかった。

 福澤諭吉が創刊した「時事新報」の料理コーナー「何にしよう子(ね)」(明治26年10月21日号)にある「土耳其めし」は、鶏肉または牛肉のスープで炊いたご飯をバター炒めにしたものである。

 また村井弦斎の小説『食道楽 秋の巻』でも「第二百四十八 ペラオ飯」に「土耳古飯即ちペラオと云ふお料理」、「第二百六十一 料理の粋」には「ペラオの様な米料理は土耳古風から出て居る」と言及があり、さらに「附録 西洋料理の部」では「第一 ペラオ飯 と申すのは土耳古風の極く手軽なお料理」に始まって「第八 サフラン飯」「第十 土耳古飯」などが挙がっている。伊丹由宇は「長崎のトルコ・ライスとは関係ないようだ」とし、産経新聞は「ペラオ飯」に「ピラフ」と括弧書きしている。

 フランス料理
 オーギュスト・エスコフィエは著書『Le Guide Culinaire』(邦題『エスコフィエ・フランス料理』)に「Riz à la Turque」(リ・ア・ラ・テュルク。米、トルコ風)を記している。「Riz Pilaw」(リ・ピロウ。ピラフ)を作る際の注ぎ汁にサフランを一緒に入れ、煮あがった後フォンデュ・ドゥ・トマトを混ぜるものとした。

 鈴本敏雄『仏蘭西料理献立書及調理法解説』も「RIZ」(米飯料理。RICE)の中に「― à la Turque」を挙げて「サフランの粉末 Cayenne, Smyrna raisins 及び生牛酪を加へて調製するものとす。」としている。

 深澤侑史も著書『西洋料理』の「第2章 米飯料理」に「5 リー・ア・ラ・テュルック(Riz à la Turque)」を挙げてトマトとサフランを用いた複数の料理法を記し、「この米飯はサフランを加えた米飯はチュルックと称えられる」としている。また著書『西洋料理500種』では「ポルトガル風ご飯(Riz à la Portugaise)」の応用として「トルコ風バターご飯」を挙げ、ピローご飯(Riz Pilaw)を作る際にトマトとサフランを加える料理法を記した。

 なお『フランス 食の事典』では「トルコふう(―風、à la Turque)」について「トルコまたはオスマン文化を想起させる料理に用いる表現」としている。またサフランピラフは現在のトルコでは見かけないという。

 荒田勇作は『荒田西洋料理(仔牛・粉・御飯料理編)』の「Timbale タンバル料理」に「Timbale de riz turque(Turkish rice. ハムライスに豚肉の棒フライのせトルコ・ライス)」を挙げて「これはトルコ・ライスと称し、大衆向きの安価なライス料理である」と記した。トマト色をつけたハム混ぜライスを丼に盛り、豚肉を棒切りにしてパン粉をつけて揚げたものを上に並べて片側にカレーソース、片側にドゥミグラスをかけるとしている。

 映画『山の音』
 1954年公開の映画「山の音」で45分過ぎの一場面に東京近辺でロケをしたと思われる街頭の店先にメニューとしてカレーやチキンライス、ハヤシライスとともにトルコライスを表記した飲食店の立て看板がチラリと右下に写っているが、どのような料理だったかは分からない。

*Wikipedia より

ツル茶ん 昔懐かしトルコライス

*https://tabelog.com/matome/19100/#17-restaurant より

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<B級ご当地グルメ> 長崎 長崎角煮カレー

2025-02-15 07:15:18 | B級ご当地グルメ

 「長崎角煮カレー」

 
 異国情緒あふれる長崎の郷土料理「長崎卓袱(しっぽく)料理」。長崎市内を発祥の地とし、中国、オランダ、ポルトガルの料理が日本化したおもてなしの料理で家庭的な一品が豚角煮です。歴史から生まれた長崎の味をお楽しみください。

*https://www.n-oishika.net/shopdetail/000000000017/ct6/page1/price/ より

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<B級ご当地グルメ> 長崎 対馬とんちゃん

2025-02-14 10:01:07 | B級ご当地グルメ

 「対馬とんちゃん」

対馬とんちゃん(かみつしまとんちゃん)とは
 醤油、 味噌などをベースにした甘辛の焼肉ダレに漬けこんだ豚肉を、キャベツやもやしなどの野菜と一緒に焼いた料理のことで、戦後間もなく北部対馬で在日韓国人により広められたのがルーツと言われています。地元の精肉店によって日本人の口に合うように工夫されました。豚肉には、豚本来のうま味が味わえる肩ロースが一番マッチするということです。味の決め手となるタレは、みそやしょう油、ごま油、ニンニク、唐辛子などから作られます。

*https://eats.jp/detail/100641 より

 対馬とんちゃん(つしまとんちゃん)は、長崎県対馬市発祥の豚肉料理。

 概要
 醤油、味噌などをベースにした甘辛の焼肉ダレに漬けこんだ豚肉を、キャベツやもやしなどの野菜と一緒に焼いた料理のことで、戦後間もなく北部対馬で在日韓国人により広められたのがルーツと言われている。地元の精肉店によって日本人の口に合うように工夫された。

 対馬とんちゃん部隊
 上対馬とんちゃんを活用した地域の活性化を目的として、上対馬在住の有志を中心に結成された。元帥、隊長、副隊長などのメンバーからなる。ロゴマークは「対馬とんちゃん部豚」の「豚」文字を×印で「隊」に訂正したものとなっている。

 B-1グランプリや地元のイベントなどに参加している。また、地元の小学生が「対馬とんちゃんこぶたい」としてB-1グランプリ前の激励会などを行っている。

 2010年 - 「対馬とんちゃん部隊[1]」が結成され、各種ご当地グルメイベントへの出展を開始。

 2010年 - 4月17日~4月18日に開かれた第2回九州ご当地グルメコンテストでは初出場、初優勝を果たした。

 2012年 - 第7回「B-1グランプリ」で、全国63団体の参加の中、初出場にして、準優勝に当たる「シルバーグランプリ」を獲得した。翌年1月には、NHK総合のあさイチに生中継で出演した。

 2015年 - 第10回「B-1グランプリ」で、全国62団体参加の中、再び「シルバーグランプリ」を獲得した。

 商品化
 2012年9月15日 - 日本ハムグループの日本ピュアフード株式会社『B-1グランプリ公認商品シリーズ』より「B-1グランプリ公認上対馬とんちゃん」が冷凍食品として、全国の量販店、食料品店にて発売。
 2012年10月30日 - コンビニエンスストアローソンより「上対馬とんちゃん丼」として発売。
 2012年10月30日 - コンビニエンスストアミニストップより「上対馬とんちゃん飯」として発売。
 2013年11月1日 - 山崎製パンより「ランチパック上対馬とんちゃん風」が発売。
 2015年8月17日 - 東洋水産より「ライスバーガー上対馬とんちゃん」が発売。

*Wikipedia より

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