ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

2012・2・24 コラム「楽しい1日はあいさつから」

2012-12-24 23:28:22 | 詩・コラム
*1年のまとめ



コラム 「楽しい一日は あいさつから」                     
 

 今朝、リファの家に向かいながら、中大阪朝鮮初級学校の外壁を改めてじっくり見ると「楽しい一日は あいさつから」、「OH! HA!」、ハングルで「즐거운 하루는 인사로부터」という標語と共に、可愛い女の子がニコニコ笑いながら挨拶をしあっている絵の看板が掲げてあった。初めてみたわけではなく、ずっと以前からあったが、じっくり見る心の余裕が無かったのだ。


 もしやと思い帰り道、東中浜小学校、東中本小学校の外壁を見に行くと、全く同じ標語と絵の書いてある看板が外壁に掲げてあった。違いといえば日本の学校にはハングル文字がないということだけだった。

 私はなんだか嬉しくなって、携帯で写真を撮ったりぐるぐる回りながら、何回も何回も眺めたりしていた。他人からは怪しい、変なおばさんと映っていたかもしれない。

 朝鮮学校は学校と認めないなんてどこの誰がいうの?学校だから東成区の教育促進委員会はウリハッキョの外壁にも、日本の学校と同じ標語の書いた看板をかけたのではないのだろうか。

 近所の人たち誰に聞いても、ウリハッキョを学校じゃないと思っている人なんて、ひとりもいないと思う。唯一、心のひん曲がった人たちだけが騒いで、助成金をカットしたり、差別したりしているのだ。


 バスに乗って、電車に乗って、朝早くからウリハッキョの子供たちは学校に通う。学生たちよりも早く先生方、バスの運転士さんは出勤して、スクールバスに乗り込み、子供たちを迎えに行く。雨の日も風の日も。

迎えに来てくれた先生方はにっこり笑いながら、子供たちを温かい挨拶で迎えてくれる。「アンニョンハセヨ!」、子供たちも元気に答える、「アンニョンハセヨ!」

こうして挨拶から子供たちの楽しい一日が始まるのだ。

某中学校の前を通ったら先生方が大勢外に並んで,登校してくる学生たちに大きな声で<おはよう!>と声をかけていた。なのになぜだろう、学生たちが全く反応しないのだ。ニコリともせず、声も出さず、頭をちょこっと下げるだけだ。まだそれもましだ。知らん顔して通り過ぎる学生もいた。胸が痛かった。日本学校の先生方も大変だなぁとしみじみ思った。

いつもニコニコ笑いながら、大きな声で挨拶しあった東大阪朝鮮中級学校の学生たちが、無性に恋しくなった朝だった。
        
(2012・2・24)

                               

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5月12日 詩⑪ 「友の顔」

2012-12-24 23:20:34 | 詩・コラム
*1年のまとめ

  

 
 詩11. 

   「友の顔」

         

5ヶ月ぶりにやってきた
ややふっくらして
笑顔がまぶしい


月2回の集まり
それすらも時間が取れなくて
頑張って頑張って働いている


これない事わかっていても
案内のメールを送り続けている
会えば嬉しくて 心がはしゃぐ


何もしゃべらない
ただニコニコと聞いている
彼がいるだけで和む 文学部の集い


週一回 疲れて家に帰っても
必ず娘さんたちと一緒に
図書館に行くという あったかぁい彼


娘さん達もすでに 4年生と1年生
ウリハッキョにはりきって通ってる
明日を生きる 彼のエネルギーの素


友よ 次はいつ会える?
あなたが頑張るから
私も頑張れる 繋がる心


あなたに会いたくて
今日も机に向かう 
鉛筆をぎゅっと握る   

             ー泰進さんへ 5月12日ー
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2012・5訳 詩⑩ 「詩友に」

2012-12-24 23:17:59 | 詩・コラム
*1年のまとめ

 
詩⑩ 

   「詩友に」
          

一番つらかったとき
あなたの暖かな声は
希望の歌になった

一番悲しかったとき
あなたのやさしい微笑みは
生きるための薬になった

自分の悲しみと痛みは
胸の一番深いところに閉じ込め
いつもニコニコ笑っている君よ

あなたの笑顔に導かれ
越えた山はどれほどだったろう
越えた峠はどれほどだったろう

時には兄弟のように
時には家族以上に
心の中に静かに留まりし君よ

「まぁ、ええやんか」が口癖
優柔不断なやつだとからかいながらも
いつもあなたに甘えていた自分がいる

一杯のお酒にうたた寝しながらも
あなたの脳裏に浮かぶのは
オモニだろうか?子供たちだろうか?

「寝言」、「目薬」、「一等」、「白いチョゴリ」
「口げんか」、「青い鳩」┅

どれほど多くの名詩が
私たちの胸に愛をくれたことか
私たちの胸に勇気をくれたことか

いつも人を恋しがり
つねにビールを片手に
60の良き日を迎えた君よ

すぎさった歳月も悪くないけど
これか歩む道がもっと素晴らしいことを
あなたは知っているのだろうか

人生の果てまで共に歩んでいこう
人情の詩人よ わたしの詩友よ

   2012年5月 訳

*30年近い歳月を共にした詩友パンセに

                               


  「시우에게」


가장 어려울 때
그대의 따뜻한 목소리는
희망의 노래가 되였다

가장 슬플 때
그대의 인자한 미소는
소생의 보약이 되였다

자신의 슬픔과 아픔은
가슴속 깊은곳에 묻어두고
언제나 빙글벙글 웃는 그대여

그대의 다정한 미소에 이끌리여
넘어온 산은 얼마랴
넘어온 고개는 얼마랴

때로는 형제처럼
때로는 가족이상으로
마음속에 정히 자리잡은 그대여

<마,좋지 않소>가 입버릇
우유부단한 놈이라고 놀리면서도
언제나 그대에게 기대였었지

한잔술에 단잠을 자다가도
그대 머리속에 피뜩 떠오름은
어머님이실가? 아이들일가?

<잠꼬대>,<눈약>,<一等>,<하얀 저고리>
<입다툼>,<푸른 비둘기>┅

얼마나 많은 명시들이
우리 가슴에 사랑을 심어주었던가
우리 가슴에 용기를 심어주었던가

언제나 사람을 그리워하며
언제나 맥주를 즐겨마시며
60청춘을 맞은 그대여

지나간 세월도 좋거니와
이제부터 갈 길이 더 좋은줄
그대는 아시는가

인생의 끝까지 함께 가자꾸나
인정의 시인이여 나의 시우여

2009년 5월 (시우의 환갑날에)

                         

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2012・4・26  詩⑨ 「ウリハッキョの藤」

2012-12-24 23:10:36 | 詩・コラム
*1年のまとめ


日記詩9. 「ウリハッキョの藤」   

 


 「ウリハッキョの藤」

         

下ばかり見ないで
ほら わたしを見て!

嵐のように雨風が吹き荒れたけど
凍るような冬にも耐えて
わたしは今年も咲きましたよ

ほら わたしを見て!
空がこんなにも近い

負けないで!
あなたも頑張れる きっと!

いくら冬が無慈悲でも
春を止めることはできなかったでしょう?

子供たちの元気な歌声が
エネルギーをくれました わたしにも

薄紫の小粒の花をいっぱいつけて
そよそよ 春風に揺れながら

運動場を走り回る子供たちを
見守っていますよ 今日も!

  2012・4・26


  「우리 학교의 등나무」



아래만 보지 말아요
자 나를 보라요!

광풍같은 비바람이 몰아쳐도
얼어붙을것만 같은 겨울도 이겨내여
올봄도 피였어요 난

자 나를 보라요!
하늘이 너무너무 가깝네요

지지말아요!
당신도 할수 있어요 반드시!

아무리 겨울이 무자비해도
봄을 막을수는 없었지 않아요

아이들의 힘있는 노래소리가
새힘을 주었어요 나에게도

연보라색 작은 꽃잎을 알알이 달고서
살랑살랑 봄바람에 설레이면서

운동장을 뛰여다니는 아이들을
지켜볼게요 오늘도!

2012년 4월26일
                            
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2012・3・15 コラム10.「北海道から藤代先生が来られました。」

2012-12-24 21:57:21 | イベント
*1年のまとめ

コラム10. 「ウリハッキョに惚れこんで!人生を賭けてみたい!」  (2012・3・15)


 3月14日夜7時半から大阪猪飼野のど真ん中の会館で、全国の朝鮮学校でただ一人の日本人教師ー藤代隆介先生の講演「ウリハッキョに惚れこんで!人生を賭けてみたい!」を拝聴する機会に恵まれた。

 藤代先生は、はるばる北海道から来てくださった。フェイスブックやチラシ等を通じて、この知らせを受けていた私は、どんなことがあっても聴きに行こうと思っていた。

 会場について見ると既に大勢の同胞が来ていた。私は藤代先生が良く見える席に座り、一言も漏らさず聞くぞ!という気持ちで講演の始まりを待った。

 オモニ会会長の簡単な紹介に続いて藤代先生が壇上に立たれた。一世の同胞たちは一番前の席を陣取っていた。オモニ会主催だけあって、若いオモニたちが大勢いた。乳飲み子を抱っこして参席された若いオモニも結構いたのだが、不思議不思議、赤ちゃんが一人も泣かずにオンマと一緒に、うっとり先生を眺めているかのようだった。

 藤代先生は最初から親しみを込めて、自然体で近所の人と語り合うようにお話をされた。埼玉の小学校に通っていた5年生の時、サッカーの試合で初めてウリハッキョの学生たちと出会い、そのうまさにカルチャーショックを受けた話、東京朝高の隣にある高校でサッカーをしていた時、東京朝高サッカー部と試合をしながら、こんな強い朝高が何故、高体連の公式試合に出れないのかと疑問を感じた高校時代!

 何が縁だったかは聞き漏らしたのだが北海道のウリハッキョのサッカー部を指導するようになって、試合に負けてばかりしてくじけそうになった時、いつも校長先生が自宅に呼んでくれ、励ましてくれた事、極めつけは試合に負けた日、ある学生があまりにも号泣しているので、おかしく思い、理由を聞いたら、「国に帰れ」と言われたことを知った時のショック!

 先生は今年で北海道の教員になって15年目に突入するが、ウリハッキョで働くようになって、自分の人生観が180度ではなく360度変わったと仰った。オセロの如く黒が白にパンパンパンと変わったと印象に残る言葉でおっしゃった。

 先生は自分の体験から、一言で在日同胞社会を表現するなら「思いやりの社会」だと言われた。自分が北海道に行くことを告げた時、一番反対したのがお母様だったが本格的に仕事をし始めた時一番応援してくれたのもお母様だったと感慨深げに仰った。(今はご両親ともお亡くなりになられたが)

 お父様がお亡くなりになった時、家族葬をされたそうだが、校長先生が自宅まで訪ねてくださり,霊前で「クンジョル」(日本の人から見れば土下座)されるのを見たお母様が感動し、こんな校長のいるところなら大丈夫だと心を開いてくださったという。

 お父様亡き後、お一人になった母上を札幌に呼び寄せ、共に生活するようになったのだが出張で半月ほど家を空けた時、オモニが心配で家に電話してみると,オモニはとても元気な声で今日は誰それが何を持ってきてくれた、昨日は…というふうにみんなのお蔭で自分は大丈夫だとおっしゃったそうだ。

 結婚が決まっていたが、お父上がなくなったので式も挙げられず入籍だけしようと思っていたそうだが、校長先生や先生方,同胞たちの計らいで学校の食堂で、とても素晴らしい手作りの結婚式を上げてもらった感動の日のことを声を詰まらせながら先生は回想された。

 藤代先生は在日同胞社会が、何故こんなに暖かく思いやりがあるのかに対して、灰谷健次郎さんの言葉を引用しながら悲しみや苦しみを人一倍味わったからこそ、在日同胞は人に対して暖かく、思いやりを持てるのだと確信したという。又今の日本社会を見ながら「悲しみや不幸を乗り越える力がないのが不幸」だと言われた。

 日本人に思いやりの心が欠如している理由として藤代先生は日本の教育システム、偏差値教育をあげられた。教育に競争心が必要なのか?能力、計算力はつくだろう、だが1番大切なものは土台だ。ウリハッキョがしっかり教えているものはこの土台、すなわち「人間力」だ。

 損得だけを教えるのではなく善悪をしっかり教えなければならない。それゆえ、能力ばかりが大きくなって土台がしっかりしていない人たちは、大人になってふらつき倒れていく。というようなことを体験に基づいてしっかりおっしゃっりながら中国の諺を引用された。「1年先を見るなら苗を植えよ/10年先を見るなら木を植えよ/一生を見るなら人を育てよ」

 ウリハッキョは本物を育てられる。アボジ,オモニの生き様、背中をしっかり見ながらウリハッキョの子供たちは育っている。子供たちはウリハッキョで学ぶことによりいつも自分は何者なのかをしっかり見つめ、一人はみんなの為、みんなは一人の為をスローガンにいつも他者を思いやりながら学んでいる。

 子供たちを人生の勝利者にすることが自分の夢だ。ウリハッキョに入って成長したと思えることが勝利だ!と先生は言われた。

 2003年度のデーターだが、世界で一番教育水準が高いのはフィンランドなのだそうだが、この国の教育のあり方に一番似ているのが日本では朝鮮学校だそうだ。

 ①落ちこぼれをつくらない。②子供のために学校がある、③ルーツを探り、いつも自分が何者かを考えさせる。

 藤代先生はウリハッキョには「日本の社会をかえる力がある」と仰った。
 
 勘違いせず、隠れないで、どんどん子供たちが矢印を外に向けるように背中を押してあげて欲しいとおっしゃった。ウリハッキョが配信の場になる、日本人化させる必要は全くない。事実じゃなく真理を持った、人間力を持った人間を育てている。 プラスのレッテルを子供たちにバンバン貼っていこう。日本に在日同胞社会は必ず必要だ!

 先生の体験に基づいた一言一言は私に胸に、みんなの胸に深く深く染み込み、大きな感動をくれた。そして寒風が吹き荒れるこの地でも確信を持ってウリハッキョを守り、発展させようという想いに胸躍らせた。

 藤代先生、ありがとう。あなたのような素晴らしい日本の方に出会えて私たちは幸せです。

                                 
 

 

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