ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

2012・7.17 詩⑰ 「お前たちが大きくなったら」バイリンガル

2012-12-26 23:16:06 | 詩・コラム
*1年のまとめ









詩17.即興詩

 「おまえたちが大きくなったら」

           

子供たちよ
                 
おまえたちが大きくなったら
この写真を見せてあげよう

おまえたちのハンメが
猛暑の中
何処で何を手にし
誰のために立ち続けたかを

おまえたちが大きくなったら
この写真を見せてあげよう

おまえたちのハルベが
大雨警報の中
何処でマイク片手に
何を訴え続けたかを

おまえたちが大きくなったら
この写真を見せてあげよう

日本の友人たちが
おまえたちの笑顔を奪われまいと
どれだけの長い間
共に闘ったかを

(2012・7・17 大阪府庁前にて)





즉흥시

 「너희들이 크면」


얘들아

너희들이 크면
이 사진을 보여줄거야

너희들의 함매가
삼복더위속
어디서 무얼 손에 들고
누굴 위해 계속 서있었던가를

너희들이 크면
이 사진을 보여줄거야

너희들의 할베가
억수로 큰비가 오는 날
어디서 마이크 한손에 들고
목이 터지도록 무얼 호소했는가를

너희들이 크면
이 사진을 보여줄거야

량심있는 일본친구들이
너희들의 웃음꽃을 뺏기지 말자고
얼마나 기나긴 날과 달
우리와 함께 투쟁했는가를

(2012.7.17 오사까부청앞에서)








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2012・7・8 MAYの演劇「フウァンタスマゴリー」を見てきました。

2012-12-26 23:10:40 | イベント
*1年のまとめ

2012・7・8 MAYの演劇「ファンタスマゴリー」を見てきました。




 「フアンタスマゴリー」というタイトルの意味も知らないまま、FBで金哲義さんが演劇をするという宣伝見ただけで、無条件、千秋楽に行ってきました。

 シアトリカル應典院でチラシを貰って初めて今回の演劇のタイトルを知りました。チラシには次のような文が書いてありました。



「社会」を知らないまま「世界」を生きていた春雄と、
「世界」を知らずに「社会」を生きている姉の亜由美。
ある日春雄は、突然居なくなった親友を探して、
「世界」から一歩を踏み出す。
春雄と亜由美、そして小さな甥っ子・リュンギの3人の旅。

それは明日に繋がるアニメーションの1枚目だった。

 春雄?亜由美?リュンギ?
 多分、主な役割を果たすであろう3人の役名を見ましたがピンときません。いったいどんなお話なんだろう?内容を全く知らないだけに少し緊張しました。金哲義さんの作る演劇は演出も面白いけど、私はいつもセリフの中に隠された彼のメッセ-ジが好きで演劇を見に行きます。必ず考えさせられる一言があります。いったい今回は何を伝えてくれるのだろうか?ワクワクしながら開演を待ちました。



 出演者の紹介されたパンフレットです。ここにも内容は書いてありませんでした。



 金哲義さんの想いが書かれていますがこれを読んでも演劇の内容を把握することができません。焦らず開演を待ちました。



 いつものように哲義さん、登場です。携帯電話を切ってくれということ、飲食、写真撮影は駄目と念を押しました。私の目を見て言っているような気がしたのでカメラを引込めました。

 劇が始まりました。しょっぱなからビックリです。障害を持った役の人が二人も登場をしたのです。おまけに朝鮮学校に通う初級学生まで。いったいどんな展開になるのだろう、想像もつきませんでしたがウリハッキョの学生、障害を持った青年、共通点は何かと考えました。そしたらなんとなく方向性が見え始めました。

 木場夕子さん演じる春雄(障害者)と子供のリュンギは血の繋がった親戚です。幼いころから二人はとても仲良しです。リュンギはどこにでもいる普通のウリハッキョに通っている子供ですが、決して春雄を特別あつかいせず自然にふるまいます。でも本能的に春雄のために何かをせねばと、自分のノートを共有して春雄と心を繋げます。又春雄の幼馴染(唯一の友達)真二郎君(ふくだひと美が演じる)も障害者です。春雄と真二郎は無二の親友です。真二郎がある日突然いなくなって、情調不安定になった春雄のためリュンギと姉は一緒に真二郎君姉弟を探す旅に出るのです。

 旅の途中にあった老婆(斉藤友恵)、病を持った昌彦(柴崎達治)、作家の卵原田(市川)等と出会いながらまだまだ褪せることのない暖かい心に触れ、またリュンギたち自身も彼らに影響を与えながら物語は進行していきます。

 色々な難関を乗り越え、春雄と真二郎が再会する場面では虚構であると知りつつも涙が出ます。この社会で今一番つらい想いをしている3人が力を合わせ周りをまきこみながら自分たちも成長し周りにも影響を与えます。どこにでもありそうなお話ですが、決してあきらめてはならないということを考えさせてくれます。

 汚れや打算を知らない子供のままの春雄と真二郎を見ながら、私は16年前に亡くなった末息子のことを思い出していました。
 生後5か月で高熱がもとで脳炎にかかり、その後遺症で重複障害者になった末息子は、事故で亡くなる高2の春休みまで子供のままでした。彼と過ごした16年間、苦労や悩みが無かったと言えば嘘になりますが、純粋無垢な彼と過ごしながらどれほど心の安らぎを得たことか、でも両親亡き後の息子のことを考えると不安で眠れない日は一日や二日ではありませんでした。でも家族や友人たちの励ましの中で頑張って仕事も続けられた私でしたが一瞬でも目をはなせば迷子になってしまう息子と過ごした日々は決して楽しいことばかりではありませんでした。

 勿論フィクションですが、金哲義さんは思い切った登場人物を設定したと思いました。今、この複雑な世の中で一番虐げられた人々を登場させることに依って哲義さんが訴えたかったこと、その力は倍増したと思います。







 家に帰った後、辞書で「ファンタスマゴリー」がなんという意味か調べて見ましたら「走馬灯、転じて移り変わる幻想、または風景を表す」と書いてありました。タイトルは陰喩です。

 哲義さん自身の、前の見えない状況、現実の中で、時間ばかりが流れて行くことへの焦燥感を感じました。それでも彼はあきらめてはならないことを教えてくれました。

 MEYの役者さんたち、見るたびにうまくなっています。特に今回子役で出演した朴君の存在はとても大きかったと思います。
 台本を見たいと思いました。セリフの一言一言をもう一度見たいと思いました。テンポが速くて老婆の記憶力ではとてもセリフを残すことができませんでした。皆さん有難う。本当に素晴らしい演劇でした。又明日から頑張れます。
 
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2012・6・16 訪問記 「北陸朝鮮初中学校を訪ねて」

2012-12-26 23:07:04 | 旅行
*1年のまとめ

                           

訪問記 「北陸朝鮮初中級学校を訪ねて」

 梅雨のはじまった6月16日、私は詩人の河津聖恵さんと共に北陸のウリハッキョを訪問した。

 今年の2月ごろツイッタ―で、日本の行政の除雪車がウリハッキョの前だけ素通りしていってしまったという、ある女教師の投稿に怒った河津さんが、その教員と交流をしている間に北陸のウリハッキョを訪問して詩の特別授業をする話がどんどん進み、現実に企画されたのだ。

 河津さんから北陸に一緒に行かないかというお誘いを受け、私は即座にOKした。なぜなら日本中のウリハッキョを訪ねて子供たちと口演の楽しさを一緒に味わいたいというのが私の老後のささやかな夢であったし、又この学校はうちの婿が9年間寄宿舎生活をし、少年期を過ごした場所だったので、一度行ってみたいと以前から思っていたのだ。

 雨は降り続けたが、運動場に着いたとたん、私の視野に入ってきた風致に心奪われ、ひととき夢の中にいるようだった。こんな素晴らしい地にウリハッキョが建っているなんて、なだらかな山々が目の前に連なり、広々とした運動場の周りには青々とした樹木がうっそうと茂っていた。思いっきり息を吸い込むと胸がすっきりし、いつまでも佇んでいたかった。
 


 校舎の中に入ると又校内が学生たちに対する愛と優しさに満ち溢れていた。私たちは到着してすぐに息つく間もなく校内を見て回った。古くはあるけれど、建物がセンス抜群で、3階までの高い吹き抜けは曇っている日でさえ校舎の中を明るくした。

 

 洗面所の前にも、トイレの前にも色彩の良い掲示物が貼られていた。「勉強に励む模範学校を築こう」という学校の目標はもとより
全校生と教職員のお誕生日も写真と共に飾られていたし、1年間の学校生活の様子、ウリマル勉強の資料、模範紹介、学美展,漢検、英検の入賞者掲示等色々な内容の掲示板がとても調和良く飾られていた。





 その中でも特に目を引いたのは5月25日からの三日間、この場所で行われた「ヘバラギ学園」の美術の時間に学年別に集まって描いた一坪ほどの大きなひまわりの絵が壁にずらっと貼られていた。

 授業2時間目の各教室では秩序良く授業が行われていた。1階の理科室では理科の実験が、2階では各教室で算数、国語などの授業が行われていた。中級部の教室でも7名の生徒たちが積極的に授業に参加していた。いたずら一つするでもなくあまりにもおとなしいのがかえって心配だった。





 やっと3時間目、河津さんは中級部の学生を対象に「比喩の文を作ってみよう」というタイトルで講義と創作の指導をし、私は初級部を対象に「他人に頼ってばかりいた狸さん」の朗読の指導をした。2時間目には1年生も一緒に李芳世作「ねごと」の朗読をウリマルと日本語で行った。1年生の女の子が感情を込めてこの詩を朗読したときは本当に驚いた。日常的に朝の読書運動も全校生が行っているという。


 
 次に昔話「金の斧、銀の斧」の登場人物の配役を決め練習した後、みんなで一つの昔話を仕上げてみた。楽しい時間があっという間に過ぎさり最後は日本語の「あいうえお。ん」と「ことばのけいこ」と言う童詩をリズムをつけて練習した。子供たちも楽しんでくれたかなぁ。
                                 

 午後は河津さんが2年間展開してきた「無償か除外反対」の運動内容を報告した。私は報告の途中で日本語で初めて書いた詩「ふるさと」を朗読させていただいた。講演は同胞たちに少なからず考える空間をつくってくれたようだ。ある同胞は日本の詩人がこんなに親身にウリハッキョのために尽力してくれたことを初めて知った。私たちがもっと主導的に動かねばならないのではないかと感想を述べられた。



 講演会後希望者だけを募って二つの詩の朗読の練習を一緒にした。一つは李芳世の「寝言」、もう一つはユンドンジュの「序詞」、短い時間だったけれど今日の詩の朗読がこれからのウリマル運動の良いきっかけになってくれることを心から願った。





 今回の学校訪問を通じて一番感じたことは、学生数が少ない学校でも教員たちの責任感と深い愛情と工夫があれば子供たちを立派に育てられることを教えてくれた。又同胞全体で学生を増やす運動を繰り広げるだけだはなく広範な日本の人たちと連帯し行政との交渉を続けて行かなければならないと思った。又人数が少ないと悲観するのではなく、メリットをいかし、もっともっと外部に発信していくべきだと思った。



 又今回積極的に動いた趙先生の様にみんながアイデアを出し合い、行動し、ウリハッキョが支持を受けることができるよう具体的な運動を繰り広げなければならないことを学んだ意義深い訪問になった。



                                  


 

 
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2012・6・11 コラム⑯ 「近畿歌舞団の声楽家の皆さんとウリマルの勉強をしました。」

2012-12-26 23:03:57 | 詩・コラム
*1年のまとめ

コラム⑯ 「近畿歌舞団の声楽家の皆さんとウリマルの勉強をしました。」

 6月11日、今日は記念すべき日です。
 それというのも何年も前から願っていたことがやっと実現したのですから。
 
 

 私は定年退職を迎えるにあたり、いろんな夢と希望を持っていました。

 一つ目は一人芝居をしながら全国のウリハッキョを訪問すること。
 二つ目は歌舞団の皆さんと定期的にウリマルの勉強、台本作りや口演の練習をお手伝いすること。
 三つ目は命はてるその日まで詩を書き続けること。
 四つ目は孫たちと楽しみながら本を読んだり、料理をしたり、花を見ながら人生を楽しむこと。

 一つ目の夢は一人芝居では無く形は変わったけれど、無償化除外反対の運動をする中で各地の学校を訪問しながら、詩やお話の朗読という形で夢をかなえて行ってます。

 三つ目の詩を書き続けることは文学教室に欠かさず参加し、エネルギーをいただき未熟ながら頑張っています。ブログも作りました。退職してから200近い詩とコラムを書き続けてきました。

 四つ目の夢は孫たちと毎日いろんな形でかかわることに依ってたくさん幸せをもらっています。

 ただ二つ目の夢と希望だけはあきらめかけていました。
 
                            

 実は大阪の趙団長に何年も前から提議し、ほぼ日程が決まりかけていた所、歌舞団事務所の移転と絡まり歌舞団が不安定な日常を送るようになり、 途中でいつの間にか消えてしまった話だったのです。

 私自身もこのような状況でこれ以上提議するのは、かえって負担になるからとあきらめようとしていました。

 

 ところがつい最近、趙団長から電話があり歌舞団員たち、大阪だけじゃなく近畿の歌舞団と定期的に集まって演習するのだが、是非基礎発音の指導をお願いしたいという連絡を貰ったのでした。私がどれほど喜んだかは想像がつくでしょう?

 待ちに待った今日の練習のため念入りに資料の準備をし、1時間半のカリキュラムも立てて今か今かと待っていた日でした。

 近畿の歌舞団から8人の声楽担当の団員たちが参加しました、

 

 大阪から3人、京都から二人、兵庫から一人、はるばる愛知から二人と合計8人の方たちとお勉強することになりました。

 団員生活11年目、10年目、9年目、7年目が各おひとり、5年目がお二人、新人がおひとり、平均経験年数は7年でした。

 みなさん、最初から意欲的で一生懸命でした。私がなぜ歌舞団員たちとウリマルの勉強をしたかったかというと、一つは私自身娘時代6年近く歌舞団員として活動したということもありますが

、歌舞団の本来の使命を考えるときウリマルは生命線だと思っていたからどういう形であれ私がお手伝いできることはすべてさせていただこうと思っていたのでした。

 昔と違い今の団員の方々は、朝鮮大学で専門の知識を学ばれ歌も踊りもとてもお上手なのですが、もう一つ話術の方面に力を入れていないような気がしていたのです。勿論世代交代、時代の変化、ウリマルを日常的に使う空間がすくないなど、問題は多々ありますが、私は歌舞団の使命はあくまでも同胞たちや子供たちにウリマルを通じて希望と夢と民族の心を養うお手伝いをしなければならないと常々思っていたのです。

                                

 お互いの自己紹介を終えた後、最初に李芳世作「寝言」の詩の分析をしながら、この経った5行の短い詩がなぜ統一文学賞という素晴らしい賞を頂くことになったのかを話し合いました。内容を分析した後で練習に入りました。読み方を教えるのではなくどう読むべきかを討論し合ったのです。その次基礎発音訓練を解説を交えながら、30分ほどしました。

 次に話し言葉の練習のため語りの訓練の一環として朝鮮の童話「他人ばかり頼ってしまった狸さん」の練習をしました。この練習も主語と述語を探し、どの単語と単語を結合体とみるのかを討論しながら進行していきました。
 
 さすがです。ベテランたちばかりなので呑み込みが早い!おまけに訓練で鍛えられた素晴らしいお声なのですべてが良く聞こえます。でも私はあらを探さなければなりません。頑張ってあらを探しおひとりに一つずつ、自分の不足点を屈服するための課題をお知らせしました。

 あっという間の1時間半でした。学童に行く時間が迫ってきたので次までの課題をお渡ししお開きにしました。皆さん、どう思われたかはまだ聞いておりませんが私はとても楽しかったです、時間の許す限りこれからもお付き合いさせていただきたいと思いました。

                       
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2012・6・2 コラム⑮ 「ミレカップ」1輪車大会

2012-12-26 22:59:06 | 詩・コラム
*1年のまとめ

コラム⑮  「ミレカップ」一輪車大会

 心配された雨も降らず、待ちに待った一輪車大会が午後1時半から南大阪朝鮮初級学校の校庭で開かれました。

 

 

 

 

 

 

 1年生の35M競争から始まって、2年生、3~4年生、5~6年生と続きます。

 一年生のリファは初めての体験ですが補助なしで見事完走しました。

 

 二年生のユナは2回目の体験ですが見事1位になりました。

 

 次は2年生からの「36Mスラローム」です。

 二年生のユナはグループ単位では1位でした。

 5年生のユニもグループ単位では1位でした。

 


 今日の大会で一番感動したのは学童の子供たちが頑張ったことですがその中でも一番は3年生のセシリが初めて大会に出場して見事完走したことでした。
 セシリを1年生の時から学童で見てきたのですが、勉強はとてもよくできるのにどうも運動には自信が無くて、消極的な面がありました。
 1年生の時も2年生の時も練習はしたのですが最後はもう一つ踏み切れなくて出場をあきらめていました。
 3年生になり、一年の決意でも必ず一輪車大会に出場すると書いたのですが、何回も断念しそうになりました。
 オモニも心配され忙しい中練習に付き合われました。

 ある日のことです。セシリが夜オモニの前で泣いたのです。今日1年生の子から「3年生やのになんで乗られへんの?」と言われたと。
 1年生の子は深い意味や悪気があっていったのではなく単純に3年生は誰でも乗れると思って言ったと思うのですが下級生から言われたことはセシリにとってかなりのショックでした。

 オモニはその夜、セシリと話し合われ、もう一度頑張ってみようと説得されたのです。
 その話を聞いて胸を痛めた私も何とかセシリが乗れるようにしてあげたいと思い一生懸命指導しました。
 新しく赴任された教務主任先生の特訓もあり、特に古い机を使っての練習法がセシリにはとてもあっていたようで少しづつ手を離せるようになってきました。

 大会の二日前、ついにセシリが校庭で35M完走できました。みんなで手を叩いて喜びました。
 後は本番だけです。最後の日まで一生懸命練習しました。

 セシリが前から走ってきます。勿論、スピードは出ません。でも一度もこけることなく、最後まで自力で完走しました。

 

 到着したとき走り寄ってギュッと抱きしめてあげたかったのですがルールは守らなければなりません、心の中で何回も「よくやった。良くやった。」と褒めてあげました。セシリの人生の中で今日の体験はきっと大きなバネになるはずです。セシリは努力すれば必ず夢はかなうことを身を持って教えてくれました。有難うセシリ!

 

 表彰式です。

 ユナはスラローム部門で見事2年生の中で2位をいただきました。

 

 

 1年生は104人全員が1輪車をプレゼントしていただきました。

 

 各学校単位で記念撮影をしていました。

 

 中大阪の子供たちです。

 今日はキラキラ輝く子供たちから一杯エネルギーを貰いました。良い日でした。

   
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