デービッド・コンデ氏著『解放朝鮮の歴史 (上 ) 』( 昭和42年刊 太平出版社 )を、読了。
朝鮮戦争の後、朝鮮の南半分を支配・統治したアメリカが、「何をしたのか」を暴露する本で上下2冊に分かれています。古本屋で買い、読まないまま放置していましたが今回目を通し、貴重な資料としての価値を発見しました。
裏扉に印刷された、著者デービッド・コンデ氏の略歴を紹介します。
・明治39年にカナダで生まれ、のちアメリカへ移り、日本問題を研究
・第二次世界大戦中は、米軍の心理作戦局に所属し、対日宣伝戦に従事
・終戦と同時に、GHQの情報教育部映画課長とな
・昭和21年に辞任し、ロイター特派員として活躍。
・翌22年に、無許可滞在を理由に、日本国外追放となる。
・昭和49年、カナディアン・フォーレム・トロントの駐日特派員として再来日し、現在に至る
監訳者の岡倉古志郎氏は、岡倉天心の孫でした。略歴を紹介します。
・岡倉氏は明治45・大正元年の東京で生まれ
・昭和11年に東大経済学部を卒業、東京電力に入社。
・昭和13年に東亜研究所に入り、治安維持法違反で検挙される。
・同志社大学、大阪外語大学、中央大学等で教鞭をとる傍ら、昭和22年に「アジア・アフリカ研究所」を立ち上げ、初代所長に就任。
・アジア・アフリカ地域における、民族運動の研究をし、国際政治学者、経済学者としても著名
・日本学術会議副会長、原水爆禁止日本協議会専門委員、日本平和委員会の常任理事などを歴任
そして本の編集者が、レオ・ヒューバマン氏です。
・明治36年生まれの、米国のジャーナリスト
・労働運動家で、元・コロンビア大学ニュー・カレッジ社会科学部長
・昭和15年より、労働新聞「PM」の編集者として活躍
・第二次世界大戦中は、全国海員組合教育部宣伝部長として労働運動に専念
大学一年生の夏休みに、氏の著書『資本主義経済の歩み』( 岩波新書 ) を読み、始めてマルクス主義を知りました。大学に合格したばかりの私は、左翼共産主義思想の歴史分析に、新鮮な驚きを覚えました。著書の中で氏は「私は共産党員でなく、共産主義者」だと自分を説明していました。
編集者の最後に紹介するのは、マーク・ゲイン氏です。
・明治35年に、清朝末期の中国の生まれ
・両親はロシア帝国から移住した、ロシア系ユダヤ人
・ウラジオストックの学校で学び、1930 ( 昭和5 )年代、上海でワシントンポスト紙の特派員
・その後、アメリカとカナダのジャーナリストとして活躍
・1945 ( 昭和20 ) 年12月から、1948 ( 昭和23 ) 年5月まで、日本に滞在
・GHQによる占領統治の内幕を記した『ニッポン日記』を、離日後に刊行
忘れもしません、ゲイン氏は、『ニッポン日記』の中で日本を酷評していました。敗戦の衝撃に打ちひしがれていた当時の日本人を、行く先々で憐れむべき劣等民族として書き、私の心を傷つけました。
中学生だった私は、粗末な製本の『ニッポン日記』を、放課後の図書館でどれほど悔しい思いで読んだか、今でも残る記憶です。
著者だけでなく関係する人物を紹介したのは、彼らが私の嫌悪してやまない、「反日左翼主義者」だからです。本の出版当時はソ連が健在で、社会主義国家として輝いていました。口を揃えて日本を批判しても、仕方あるまいと納得しつつも、偏見の悪書の「歴史的価値」も発見しました。
本の出版された昭和42年の日本が、どういう状況だったのかも調べました。
・第二次佐藤内閣が発足し、この年の2月11日が建国記念日として制定された
・統一地方選挙で、美濃部都知事が当選し、革新知事ブームの先駆けとなった
・6月に、東京教育大学の筑波学園都市への移転が決まった
・同じ6月に中国が水爆実験を行い、8月には、東南アジア諸国連合 (ASEAN) が結成された。
・10 月には吉田元首相の葬儀が、戦後初の国葬として武道館で営まれた。
由緒正しい保守だった岡倉天心の孫が、反日左翼になっている忌々しさがありますが、この本の歴史的価値はこれだけではありません。コンデ氏の本が米国で出版のめどが立たないため、日本での翻訳・出版が先行していたところです。この間の事情を、著者の前書きから一部紹介します。
・私はこの本が、日本で刊行中であることに対して、喜びの言葉を述べる一方で、依然その英語版が、アメリカで刊行されないことに対して、批判と弁明の双方をしたい。
・主要な原因は、ワシントンの国防総省とCIAから発して、アメリカの出版産業全体に及んでいる政治的圧力である。
・ある一流のアメリカ人編集者が語ってくれたところによると、私の朝鮮物語のテーマは、禁断の課題だということである。
・私が朝鮮問題に興味を持つようになったのは、昭和20年に、GHQの民間人部員の一人として、日本にやってきた時である。
・その時私は、戦後の歴代の日本政府が、GHQと軍司令部の援助のもとに、在日朝鮮人を引き続き抑圧するのを目撃し、かつ、そのことについて書いた。
・朝鮮戦争は、そもそも初めから奇妙な戦争であったから、私は朝鮮、ワシントン、および国連における、戦争の日々の動きに関する、資料の収集を始めた。
・事実を綿密に調べるにつれ、私はこの戦争が、中国が独立政府を樹立しなかったならば、決して始まっていなかったと確信するに至った。
・アメリカは、この理由から朝鮮に干渉したのであり、それとまさに同じ理由からして、今日ベトナムの汚れた戦争に、深く巻き込まれている。
・この本を書き上げるまでまる5年を要したが、私の文章が歴史を照らし、それを明確にするよすがとなることを願いつつ、私のライフワークの公刊を心から喜ぶものである。
・GHQと軍司令部の援助のもとに、日本政府が、在日朝鮮人を引き続き抑圧するのを目撃した。
アメリカ憎しの感情が強く出て、最初から嫌悪に駆られしまた。日本語の翻訳が下手で、文意の掴めない叙述があちこちにありました。悪文としか言えない翻訳文に、苛立たせられ、長いあいだ本棚に並べたままにしていたのです。
歴史的な価値があるとしても、日本語にならない文章で書かれていたら誰が読むと言うのでしょう。岡倉氏も大した学者でなかったかと失望しましたが、自分の責任ではないと「前書き」で釈明しているのですから、呆れました。
・翻訳は、監訳者が所長をしている、アジア・アフリカ研究所に所属する部員が、分担し翻訳したものを、所員山本和彦が整理・統一し、さらにそれを岡倉古志郎が、全体にわたって、校閲・監修した。
上巻にも下巻にも、「前書き」に同じ説明がされています。ひねくれ者の私は、別の受け取り方をします。
これだけ念入りに校正していて、こんな粗雑な悪文を公刊するのだから、「アジア・アフリカ研究所」はどれほどお粗末な団体なのだろう。
山本和彦氏と岡倉氏は、日本語もろくにできない学者か・・・と、こんな感想になります。
本の中身に触れないまま、一回目のブログが終わりました。二回目からは、歴史的価値のある悪所の中身を紹介します。知らない事実が沢山ありますので、歴史を追求する「学徒」の方は、楽しみにしていてください。
明るい話題を好まれる方は、二回目以降はスルーされることをお勧めします。