山岡明氏著『占領下の犯罪事情』( 昭和52年刊 (株)日新報道出版 )を読了。
氏は大正9年に高知県に生まれ、昭和13年に県立高知工業学校を卒業後、化学工場に勤務し、研究所助手、分析技術者となります。
海軍下級衛生兵を経て、敗戦を迎え、戦後は大衆雑誌の編集者をし、現在は作家・評論家であると、本の略歴に書いてあります。
著名な作家でないため、初めて氏の名前を知りましたし、図書館の廃棄本でなかったら、決して手にしない作品です。ちょっと目次を眺めるだけで、ゴシップ週刊誌の匂いが漂ってきます。
・一億総犯罪者であった時代
・雨の夜の浜町河岸に銃声轟く
・若い女がボスの、ピストル一味までいた
・かっぱらった金で贅沢の限り
読み終わった後でも、作者が何を言いたかったのか、理解できないままです。日本人の魂のある作家なら、戦後を批判するなり肯定するなり、自分なりの意見を述べ、無知な読者を感心させるたりするのでしょうが、そんなものは何もありません。
敗戦後の日本で殺伐とした事件が頻発し、その犯罪をこれでもかと語る。強いて言えば、「日本人は何食わぬ顔をしているが、誰だってこんな犯罪者になる可能性があったんだそ。」と、警鐘乱打したかったのかもしれません。
私の心に刻まれている戦後の日本は、貧しかったけれど、みんなが頑張って生きていた感慨深い風景です。父や母への尊敬は、苦労を苦労とも言わず働いていた後ろ姿から生まれています。私と同年代の少年や少女たちも、そんな親に感謝しているはずと思っています。
氏はそんな私に向かって、「綺麗ごとばかり言うな。」「現実はもっと、汚くて、残酷なんだ。」と、威嚇しているようにも見えます。
(株)日新報道出版というのは、今は倒産しましたが、かって日本中の話題をさらった本を出した会社です。本題と離れてしまいますが、ネットの情報から、この会社がからんだ事件を紹介します。
ご記憶の方もおられると思いますが、昭和44年に、政治評論家の藤原弘達氏が、創価学会・公明党を批判した『創価学会を斬る』の出版を計画しました。
出版予告が出ると、藤原氏や出版元の日新報道出版に、電話や手紙で抗議が殺到し、公明党の都議会議員幹部や、聖教新聞主幹の秋谷栄之助氏が、元資料の提供を求め、書き直しや出版中止などを要求しました。
氏に拒否されると、公明党の執行委員長竹入義勝氏が、自民党の幹事長だった田中角栄氏に、事態収拾の依頼をします。角栄氏も藤原氏と出版社に、出版中止や書き直しを求め、「初版分は全部買い取る」という条件までつけ働きかけましたが、結局藤原氏と出版社の決意を変えることができなかったという事件です。
一時は日本中を騒然とさせた事件ですが、この時の出版社が、山岡氏の著作を出した会社ですから、「ねこ庭」はすぐに影響されます。
「ゴシップ狙いの、会社が出す本など、たいしたものであるはずがない。」
・・と、読後の今も変わらない感想です。
取り上げられている様々な残虐事件は、色と欲と金の絡むものばかりで、言及する意味が大してないと思うのですが、前書きの部分には、最もらしい理由が述べられています。感心したり、納得したりする人がいるのかもしれませんので、参考までに用紹介しましょう。
・敗戦直後の占領下にあった時代は、あらゆる分野にわたって、空白と不明の部分が多いと言われている。
・昨日まで戦ってきた敵軍に無条件降伏し、占領されたということに加えて、都市という都市は焦土と廃墟に化し、民心も荒廃し尽くしていたため、「 騒然 」という言葉がふさわしい、混乱の極みにあった。
・日本は戦前とあまり変わりがないと、この頃よく言われるが、そのようなことはない。
・8月15日の敗戦を境にして、それまでとはガラリ変わってしまったのである。それまでは、ひたすら戦争をしてきたのに、これ以後、そうでなくなったからである。
・戦争中とは違った意味で、人間は虫ケラのようだった。そして、凄まじい犯罪時代であった。
・斬ったはったばかりでなく、日々の生活そのものが、ヤミという犯罪を犯さなくては、成り立たなかったのである。はやり言葉ふうに言うならば、「一億総犯罪者 」の時代だった。
著者の言葉に従えば、戦争中も戦後も、人間は虫ケラだったということになります。ここからして私と氏は、大きく違います。
はっきり書いていませんが、権力者に利用され、国民は全て虫ケラ同然だったと、言いたいのだろうと思います。政治家や軍人たちが、勝利を求めて国民を鼓舞し、美辞麗句で大言豪語したのは事実ですが、「ねこ庭」では、戦争をした国民が虫ケラだったという言い方はしません。
自分は権力者の言いなりにならない知性があると、氏は批判精神を見せたいのでしょうが、逆に知性の乏しさを露呈しています。
幕末以来の、欧米列強によるアジア侵略を知っていれば、こうした軽率な言辞は生まれません。ゴシップを追いかける三流週刊誌の記者のように、氏は占領下の日本で発生した凶悪犯罪を書き留めることだけに心を奪われ、日本の長い歴史にも、剣呑な国際情勢にも目が向いていません。
それでも氏は、得意らしく主張します。
・敗戦直後の意識や生きざま、生活などは、そのまま今日の日本とつながっている。
・現在のあらゆるものすべてが、敗戦直後の状況を源流としているのである。
・だから、埋没している占領下の時代の空白部分を掘り起こすことは、知らなくていいものでもなければ、忘れてしまっていいものでもない。
・今の世相や風俗、さらには人々の意識や生きざま、生活などと大きなかかわりを持つ、そうしたものの解明こそ急がなくてならない。
言葉だけ読んでいると、なるほどと思わされる部分もありますが、氏が著書の中で集めている、破廉恥な殺戮、暴行、強姦、悪辣な違法行為などが、現在の私たちと、どのように結びついていると言うのでしょう。
「ねこ庭」から見ますと、氏が詳細に語る犯罪は、あくまで例外的凶悪事件で、国民のすべてが共有すべき意識ではありません。
この本で知りましたが、「小平事件」というのがあります。
昭和20年5月から、21年の8月にかけての一年余りで、小平は10件の連続殺人事件を重ねています。元海軍三等兵曹で、上海など中国戦線での戦闘経験があり、こうした戦争体験が、犯人を形作る要素になっていると氏は分析します。
小平の相手はすべて女性で、強姦した後金品を奪い、全裸にして山林や物陰に放置するという凶悪さです。しかし氏の言うとおり、軍隊の経験が人を獣に戻すというのなら、戦後復員したきた軍人たちは、みんな獣のような犯罪者になったのでしょうか。
中国大陸にだけでも、100万人以上の軍人がいたのですが、小平のような犯罪を犯した者が何人いたと言うのでしょう。
・小平の犯行は、確かに異常で、淫乱な性犯罪そのものであった。
・特殊な犯罪のようにも見えるが、しかし被害者の側に焦点を合わせてみると、徴用された女子挺身隊員だったり、買い出しにつけこまれた人妻だったり、就職を世話してやると、おびき寄せられたり、すべて当時の世相や生活に絡んでいる。
・たしかに異常で特殊な犯罪ではあるが、その一方では、当時の日常生活そのものであり、誰でもかかわりを持つ可能性のあった、生活犯罪といっていい一面を持っていたのである。
・小平事件でさえ、こうした面から見直す必要がある一例なのだ。
具体的事例の説明に入る前段として、氏が解説したものですが、私は呆れ果ててしまいました。これこそ「我田引水」「牽強付会」というもので、作家・評論家という氏の肩書きが地に落ちます。
私も「ねこ庭」で独断や偏見を述べている時がありますが、氏には及びません。
こんな悪書は、小学校の有価物ゴミにも出す気になれません。本多勝一の書と同様、野菜くずや肉の切れっ端と一緒くたにして、ゴミステーションに打ち捨てます。
ただ、一つだけ興味深いデータがありましたので、それは残しておきます。
敗戦後GHQによって、警察官の拳銃携帯が禁止され一時丸腰になっていました。ところが拳銃を使った犯罪が多発したため、昭和21年6月に、GHQの指令で、警官の拳銃携帯が可能になります。
指令は4項目ありますが、必要部分だけ紹介します。こんなところまで管理されていたのかと、GHQの恐ろしさを痛感させられると当時に、いまだにアメリカの桎梏から逃れられない日本の指導者たちの臆病さが、多少理解できるようになります。
〈 日本警察官の武装に関する覚書 〉
1. 連合軍最高司令部に入った情報によると、日本政府は、警察官の武装を差し控えてい
る由であるが、これは武装解除指令の誤解によるものである。最高司令部より発せら
れたる指令は、必要な場合、日本の警察官が武装することを禁止したものではない。
2. 日本帝国政府が、必要と認めた場合、日本の警察官が拳銃を携行することは、何等
差し支えないことをここに通告する。ただし警察官の使用し得る拳銃の総数が、最高
司令部によって、承認された員数を超えてならないことは、規定に定めている通りで
ある。
GHQの司令署に驚いているのは、「ねこ庭」だけなのでしょうか。