ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

戦う田中英道氏 - 4 ( 日本学術会議と中国科学技術協会 )

2020-12-12 14:37:53 | 徒然の記

 氏はマイクを片手に、「政府の6人会員の不承認を支持する」という、声明文を読み上げます。声明文の共同提案者として紹介されたのは、次の各氏でした。

  伊藤隆 ( 東京大学名誉教授 )   小堀桂一郎 ( 東京大学名誉教授 )

  田中英道 ( 東北大学名誉教授 )  渡辺利雄 ( 元拓殖大学総長 )

  馬渕睦夫 ( 元防衛大学教授 )

 「日本学術会議は、我が国喫緊の課題である、軍事研究を抑制する声明を発信するなど、」「一種の学問統制機関として、機能している。」

 声明文なので、語調が堅くなっていますが、米中対立という、緊迫した国際情勢を思えば、気になりません。まして氏の訥弁など、なんの気にもなりません。

 「我が国の置かれた、国内外の環境を考えるとき、」「かかる状況は、直ちに改善される必要があります。」「こういう時、一部研究者等の中から、このような間違った意見が唱えられ、」「世論を誤らせようとする状況は、学問研究に関わる者の良識に照らし、」「憂慮に耐えません。」

 GHQに作られた「日本学術会議」が、いまだに占領政策を守り、日本の防衛を妨げているのですから、批判されて当然です。氏はここで、声明文を読むのを止め、会場に語りかけました。

 「あらゆる科学技術の発展は、軍事研究の中で生み出されています。」「皆さんが使っているコンピュータもそうですが、」「進んだ技術のほとんどが、そこから生まれています。」

 コンピュータだけでなく、携帯電話も、スマートフォンも、レーザー光線も、人工衛星も気象衛星も、民生用なのか、軍事技術か、現在では区別できなくなっています。

 「それと同時に、国を守るということは、明らかに必要なものであるわけで、」「それを外したり、拒否したりするような人間がいるのなら、」「その人は、国から出て行く以外ないですよね。」

 大きな声で訴え、感情をあらわに喋る人間もいますが、氏はいつも通りの顔で、いつも通りの声です。しかしその言葉は、これまで聞いたことのない、強い批判なので、私には氏の真剣な気持ちが伝わりました。

 「学問にとって必要なものを、最初から拒否するというのは、」「通常の人間ではないんですよね。」「国民でもない訳です。」

 そして、氏はまた「声明文」の朗読を続けました。

 「わが国において、軍事という研究領域における、科学的認識を深めることは、」「わが国の科学の発展に寄与するとともに、外国による侵略攻撃を予防し、」「自由な学問研究の保証された、わが国の安全を保障することなどに資するものである。」

 「日本学術会議の姿勢は、自由な学問研究の擁護とは対照的に、」「学問統制の性格を持つと同時に、」「わが国の、自由な学問研究の安全自体を危機に晒す、」「性格を持つものと、言わなければならない。」

 「学問の自由」を守るためという、日本学術会議の声明が、返って「学問の自由」を統制しているという意見ですから、これほど厳しい批判はありません。反日左翼学者がする、議論のための議論でなく、強弁でもなく、むしろ常識の話です。学者には学者の反論があるわけですから、マスコミもこうした意見を報道すれば良いのです。

 これが「両論併記」ですが、彼らは決してそんなことはしません。アメリカの大統領選挙で米国メディアは、バイデン陣営の応援記事ばかり書いていると、多くの人が驚いていますが、何を驚くことがありましょう。日本のマスコミは、戦後76年間、反日左翼を称賛する偏向記事ばかり報道しています。

 「一方で日本学術会議は、学問研究の自由を欠く、軍事大国たる外国の国家機関、」「その機関と関係のある研究機関との間で、提携関係を結ぶに至っている。」

 おそらく氏が述べたかった、日本学術会議の矛盾点の一つのが、これではなかったかと、私は考えます。建前と本音が、こんなにも違っているのに、マスコミがきちんと報道しないから、国民は何も知りません。

 「それは、我が国の学問的知見及び、科学技術が、」「外国により、軍事的に利用される道を開くものである。」「こうした行為を、声明文と重ねてみるとき、」「わが国の犠牲において、外国の軍事研究を助長する行為と評することも、」「決して不可ではない。」

 現に今回会員として不承認となった、立命館大学・松宮孝明教授は、中国人民大学法学院の名誉教授です。調べればもっと色々出てくるのでしょうが、これだけみても、田中氏の指摘が的を射ていることが分かります。

 「法に基づくわが国の行政機関が、かかる行為に及ぶことは、背理と言う以外ない。」

 まだ少しありますが、ここで氏の話の引用をやめます。どうしてこのような、おかしな事実が改められないまま、まるで「正義の機関」でもあるかのように、日本学術会議が存在しているのか。自衛隊員の入学を拒否する大学が、中国の軍人は受け入れている矛盾など、なぜこんなことが罷り通っているのか。

 田中氏のように、勇気のある学者の発言を知ったのですから、これを機会に私たちは、もっと考える必要があります。次回は、裏付けのデータとして次の二つを紹介します。

   1.   日本学術会議と中国科学技術協会間の協力覚書

      2.  日本の大学 ( 45校 ) が、中国の軍関連大学と交わしている協定

コメント (4)
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戦う田中英道氏 - 3 ( 日本学術会議とGHQ )

2020-12-12 09:00:54 | 徒然の記

 田中氏の話は、小声になったり、途中で中断したりしますので、メモを取るため、二、三回聞き直す時があります。難渋しますが、息子たちには、伝えずにおれない中身なので、諦められません。時間がかかっている理由の、一つでもあります。

 「もともと日本学術会議は、昭和24年に、」「GHQの占領政策として作られたものです。」「日本が、二度と立ち上がれないようにするため、」「二度と、戦争をさせないようにするため、」「意図的な占領政策の中で、作られました。」「これを政府が再検討していることに、私たちは、賛成する立場を取ります。」

 氏はGHQの話を、詳しく説明しませんでしたが、10月に書いた自分のブログ『 害虫駆除-8 ( 日本学術会議 ) 』を、思い出しました。

 あの時私が調べた情報では、GHQは「日本学術会議」だけでなく、「東京大学社会科学研究所」と「憲法研究委員会」の設立にも関与しています。昭和20年9月に、GHQの統治が始まり、その翌年に、彼らは東大総長南原氏を動かし、反日・左翼系の学者を集めさせ、「東京大学社会科学研究所」と「憲法研究委員会」を立ち上げています。

 時系列で示しますと、次の通りになります。

 1. 昭和20年  9月、ミズーリ号にて降伏文書が調印。GHQの統治始まる。

 2. 昭和21    8月、南原総長 「東京大学社会科学研究所」設立  ( 反日・左翼学者中心 )

 3. 昭和21    8月、 南原総長 東大内に「憲法研究委員会」設立  ( 反日・左翼学者中心 )

 4. 昭和21    11月、「日本国憲法」公布 ( 国際法違反の、東京裁判史観による憲法 )

 5. 昭和24     1月、「日本学術会議」設立  ( GHQが関与し、物理学者仁科芳雄氏と共に、旧体制を刷新  )

 「日本国憲法」を成立させ、「日本だけが悪かった」、「日本だけが間違った戦争をした」という、東京裁判史観を国内に浸透させれば、日本は二度と米軍に立ち向かう、気力を失います。

 国際法違反の「日本国憲法」を成立させるには、日本のトップレベルの学者の協力が不可欠でした。南原氏に「憲法研究委員会」を作らせたのは、その布石で、憲法草案は政府に示される前に、氏を通じて渡され、反日左翼学者たちが検討しました。

 出来上がった憲法を、学者の権威で理論づけ、全国津々浦々に浸透させるため、GHQが作ったのが、田中氏がここでいう「日本会議」と、説明を省略した「東京大学社会科学研究所」でした。氏の話を聞きながら、自分が調べたネットの情報も、まんざら間違いでなかったと、確信を深めました。

 ここから氏の話が、今回の講話の核心部分へ入っていきます。つまり、「日本学術会議」が行った、「軍事研究への協力をしない」といった「声明文」への批判です。この声明文については、時間がなかったのか、それとも周知のこととして省略したのか、言及していません。横道へそれますが、本題に入る前に、肝心の「声明文」を、ネットの情報から転記します。平成17年の3月24日に、発したものです。

 「1950年に、『戦争を目的とする科学の研究は、絶対にこれを行わない』旨の声明を、」「また1967年には、同じ文言を含む『軍事目的のための、科学研究を行わない声明』を発した背景には、」「科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。」

 「近年、再び学術と軍事が接近しつつある中、われわれは、大学等の研究機関における。軍事的安全保障研究、」「すなわち、軍事的な手段による、国家の安全保障にかかわる研究が、」「学問の自由及び学術の健全な発展と、緊張関係にあることをここに確認し、」「上記2つの声明を継承する。」

 以上が、声明の全文です。1950 ( 昭和25 ) とは、日本学術会議が設立された翌年ですから、この声明は、GHQによる占領政策の一環だと、うなづけます。

 1967 ( 昭和42 ) 年は、佐藤内閣の時代です。ネットでその前年の動きを調べてみますと、日本学術会議が、改めて声明を出した理由が分かります。佐藤総理が米軍との連携を深め、自衛隊の強化を目指し、「建国記念日」の制定を強行しています。彼らはこの動きを、「日本の右旋回」とでも捉えたのでしょう。参考までにネットの情報を転記します。

  3.10 佐藤首相,参院予算委で「沖縄防衛に日本も参加」と答弁。

  3.11 社会党,「沖縄防衛参加は自衛隊の海外派兵につながる」と、審議中断。

  3.16 佐藤首相,「法律・条約上沖縄に自衛隊は出動できない」と答弁。

  5.30 米原子力潜水艦、横須賀に初入港。

  11.29 国防会議、第3次防衛力整備計画大綱を決定。

  12.8 建国記念日審議会(佐藤首相)、建国記念の日を旧紀元節の2月11日と答申

 また、3回目の声明を出した平成17年は、大東亜戦争終結から60周年になります。ネットの情報を転記しますと、なぜ彼らがわざわざ第3回目の声明を出したのか、一目瞭然です。

  2月19日 ~ 3月26日   -  硫黄島の戦い

  3月10日                   -  東京大空襲

  3月27日 ~ 6月20日  -  沖縄戦

  4月 7日                     -  戦艦大和撃沈

  8月  6日                   -    広島への原爆投下

  8月   9日                   -  長崎への原爆投下

  8月11日 ~ 8月25日    -  樺太の戦い ( ソ連の対日参戦 )

  8月14日                        -  ポツダム宣言受諾

 彼らは、GHQに与えられた「トロイの木馬」の役割を忘れず、忠実に活動を続けていることが分かります。これらの事実を頭に入れた上で、田中氏の説明を、次回にご報告します。

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