今晩は、クリスマスイブだそうです。家内も私も神道ですが、子供たちが小さい頃から、この日はご馳走を作り、形ばかりの贈り物をして、楽しんでいます。
二人きりになり、共に後期高齢者になりましたが、今でもささやかな祝日です。村祭りの日に、みんなが楽しくお祝いをしたように、私たちには、家族の祝日の一つです。キリスト様にも、キリスト教にも関係なく、日本のお祭りの一つになっています。
生協の配達で、家内が鳥のもも肉を二つ注文していましたから、今晩は、二人だけの日を祝いました。「武漢コロナ」の鬱陶しい日々を忘れ、私は赤ワイン、家内はビールを呑みました。なぜか今宵は、とりわけ楽しく酔い、二人はそれぞれの部屋で、くつろいでいます。
ということで、今私は、心地よい酔いの境地にあります。これからのブログは、酒の上での「独り言」になります。馬鹿馬鹿しいと思われる方は、スルーしてください。私は今、強烈に、二つのことを考えています。一つは、今日の産経新聞のニュースです。
「安倍晋三前首相は24日、自身の後援会が主催した「桜を見る会」前日の、夕食会の費用を補填した問題をめぐり、国会内で記者会見し、国会で事実と異なる説明をしてきたことについて、『当時の私の知る限りの答弁をしたが、結果として事実に反するものがあった。深くおわび申し上げる』と謝罪した。」
日本が置かれた危機的状況を思えば、今はこんなことをしている時なのか、前任の為政者を犯罪人として断罪する韓国のような、情けない国に、日本は何時からなったのだと、怒りが込み上げてきます。私は以前から申し上げている通り、安倍前総理には是々非々で対応してきました。日本をダメにするようなおかしな法律を作った、許せない人物ではありますが、罪人のように、国会で言い訳をさせるなど、そんな仕打ちは見ておれません。
要求した野党はもちろんのこと、それを許した自民党の議員諸氏、もっと言えば、菅氏には、日本人の魂があるのかと、問いたい。これ以上は、酔っ払いの「たわごと」になるのでやめますが、菅氏は情と礼節を知らない政治家です。
今一つ考えたのは、村田英雄の歌、「夫婦春秋」です。ネットの動画を探し、つい今しがた聞いたばかりですが、涙が出ました。若者が貧乏で苦しいとは聞きますが、この歌にある情景を、思い描ける人間が何人いるのでしょう。
ついて来いとは 言わぬのに
だまってあとから ついて来た
俺が二十で お前が十九
さげた手鍋の その中にゃ
明日のめしさえ
なかったなァ お前
昭和42年の歌でした。給料が、三万円になったら結婚してもいいと、明治生まれの大先輩に言われましたが、私は三万円になる前に、家内と結婚しました。月月火水木金金と、当時はやたら仕事が忙しく、日曜も祭日もなく、帰宅も夜になりました。新婚早々なのに、知らない土地で、家内は一人留守番をし、テレビが買えなかったので、小さなラジオがあるだけでした。一体、あの頃、家内は何を考え、何をしていたのかと、ふとそんなことを考え、「夫婦春秋」歌を思い出しました。
ぐちも涙も こぼさずに
貧乏おはこと 笑ってた
そんな強気の お前がいちど
やっと俺らに 陽がさした
あの日なみだを
こぼしたなァ お前
こんな会話はしませんでしたが、もしかすると、あの日々は、家内にはそんな毎日だったのではないかと、思いました。それと同時に、父と母も、こんなふうにして私を育ててくれたのだと思いました。この歌の、この言葉の中にある人の情が分かるのは、日本人だけでないのかと、そんなことまで思いました。そうするとまた、人の情の無い、菅総理に、無性に腹が立ってきました。
酔いの気持ちを辿りますと、なるほど支離滅裂です。息子たちがこのブログを読めば、軽蔑するのかもしれません。それでも頑固に、私は主張します。心地良いだけで、私は酔ってなどいません。
九尺二間が 振り出しで
胸つき八丁の 道ばかり
それが夫婦と 軽くは言うが
俺とお前で 苦労した
花は大事に
咲かそうなァ お前
俺とお前で 苦労した
花は大事に
咲かそうなァ お前
私は人生に悔いがありません。家内と二人で育ててきた花を、これから、大事に咲かせるのです。