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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『 ジャカルタ日本人学校の日々 』 - 5 ( 「新しい日本人」 )

2020-12-21 14:19:42 | 徒然の記

 《 3. 「インドネシアの近代化の意味」   ・・中学部 3年生 

 「最近多くの人たちが、インドネシアは近代化した、」「ジャカルタは都会だと、口々に言っているのをよく耳にする。」「しかし本当に、インドネシアは近代化したのだろうか。」「それに、近代化とはなんであろうか。」

 中学の3年生ともなりますと、もう子供の文章ではありません。大人たちの言葉を鵜呑みにせず、自分で考えようとしています。

 「確かに、近頃のインドネシア、特にジャカルタは急激に成長している。」「ゴミだらけだったところも、だいぶ綺麗になり、」「道も舗装され、古い建物は新しく大きく改装され、」「至る所にビルが建ち、今もなお、あちこちでビルを建てている。」「しかし、これが近代化なのだろうか。」

 「僕たちが外へ出て見るものは、その綺麗でビルの立ち並ぶ街と、」「どぶの匂いのする、あばら家の入り混じった街である。」「ベンツなどの高級車と、 バジャイ ( 原動機付き三輪車 ) 、ビルと屋台、 」「スーツに身を固めた富豪と、裸足で街を歩き回る子供の物売り、」「なんという、アンバランスさだろう。」

 「いくら口で近代化を叫んでも、一眼見れば、」「それが、表面だけのものであることが分かるだろう。」「今のインドネシアに必要なのは、表面的な近代化ではなく、」「内面的、または精神的な近代化ではないかと思う。」「いつかこの不調和な光景が、この国から消えることを信じている。」

 こうした作文を読みますと、石井校長や他の教師たちが、「生きた子供たちの証」と考え、文集を守っている気持が分かります。氏の言葉は、日本の政府関係者だけでなく、日本に住む私たちにも伝えたくなります。

 「インドネシアに生活する本校の生徒たちは、自国の文化と、」「インドネシア文化との " 際(きわ) " に立ち、異文化体験を日々重ねています。」「この時、" 際 " はあっても、それを深く意識することなく、」「相手国の文化と、自国との相違を認めつつ、」「それを尊重させて生かせるような、そんな働きかけが大切であると思います。」

 この叙述を読んだ時、私はインドネシアの日本人学校から、「新しい日本人」が育てられているとの感を深くしました。ここには、反日左翼の日教組の活動がありません。同時に、対抗する頑迷な保守の主張もありません。インドネシア文化との " 際(きわ) " に立ち、異文化体験を日々重ねている生徒と、支援している教師たちの、生きた「教育の国際化」があるだけです。

 狭い日本の中で、不毛の戦いをしている私たちへの警鐘が、鳴らされている気がします。国の外で、こうした「新しい日本人」が生まれているという事実を、知らなければなりません。「新しい日本人」と言いますと、9月に読んだ佐藤真知子氏の、『新・海外定住時代』を思い出します。オーストラリアに住む、日本人移民について書かれた本でした。もう一度、氏の言葉を転記します。

 「日本よりも自由で、個人の権利が守られている社会、」「そう言う社会を求めて、彼らは国を出る。」「いわば精神移民なのである。」「この人たちは、新しいタイプの移住者であるだけでなく、」「経済大国となった日本社会の、一つの産物であると言えるだろう。」

 「彼らは、永住権ビザを持って生活しているが、」「その永住は、期限のある永住で、人生の一時期、」「海外生活を楽しむ経験ができれば良いと、やってくる。」「前に旅行で来たからとか、友達がいるからとか、」「気候が良さそうだからとか、単純な理由でオーストラリアを選んだ人が多い。」

 「日本を捨てるとか切るとか言う、思い詰めたものでなく、」「長めの旅行をしていると言って、いい。」「とはいえ、ホテル暮らしでは高くつくので、仕事を持ち、」「家を買えば、経済的に安く済む。」「長い旅行なのだから、日本へ帰ることは初めから予定に入っている。」

 「帰国の動機も、ごく単純である。」「自分自身が、ホームシックになってきた、」「親が年老いて、一人にさせられなくなった、」「こちらの生活に飽きてきた、と言う理由で家路に着く。」

 これが戦後の日本で生まれた、「精神移民」です。オーストラリアだけでなく、アメリカにもフランスにも、イタリアやドイツにも、世界のあちこちにいます。

 定住に成功した人たちは、単に外国語を喋るのでなく、現地人を相手に、「イエス・ノー」をハッキリさせた、自己主張ができています。日本にいる時のように、相手の気持ちを忖度し、婉曲に喋っていると暮らしていけません。自己主張するというのは、脱日本人となり、対等に議論できると言う意味です。自己中心的なわがままでなく、自分の考えを、正しく相手に伝えられる語学力を言います。

 個人の意思というより、これはきっと、日本に生まれている一つの流れです。「新しい日本人」が、日本を変えるのか。日本にいる私たちが、彼らと協力するのか。そこはまだ分かりませんが、希望の光を見る気がします。

 次回はもう一つ、石井氏がしてくれる興味深い話を、紹介いたします。

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『 ジャカルタ日本人学校の日々 』 - 4 ( 全生徒の作文 )

2020-12-21 09:34:52 | 徒然の記

 今回は、77ページから、生徒たちが書いた作文を紹介いたします。石井氏の説明が、現地の先生たちの想いを伝えています。

 「文集『みなみ十字星』は、まさに南十字星の輝きに比するような、実績と言える。」「学校創立以来20年余の間、全校生徒の作文を、一年も欠かすことなく綴ってきている。」「1970 (  昭和45 ) の創刊号は、ガリ版刷りで、」「手にすると、当時の教師と子供の熱く燃えた心意気が、伝わってくる。」

 「当時の教師たちは、今もなお続刊されていることなど、」「想像もしていなかっただろうが、これを引き継いだ多くの教師が、」「価値のある足跡、としていったのである。」

 石井校長は、文集の価値を理解し、赴任以来、生徒たちの作文の全てに目を通し、発行に協力します。毎日の児童への挨拶の中でも、「教育の国際化」について話をします。フライパンのテフロン加工では、生徒たちに伝わらないので、「体はインドネシア、心は日本」という言葉で説明し、もっとインドネシアを知り、友達を作りなさいと語りかけます。

 たくさん引用してありますが、その中から、小学部 1年生、小学部 3年生、中学部 3年生、3人の生徒の作文を紹介します。

  1. 「いんどねしあについて、おもうこと」・・小学部 1年生

  2. 「体はインドネシア、心は日本」   ・・小学部 3年生

  3. 「インドネシアの近代化の意味」   ・・中学部 3年生

 1000人を超える生徒の作文が、毎年冊子になるのですから、保護者だけでなく、文部科学省の官僚や大臣や政治家たちも読めば良いのにと、私は思いました。教育の国際化とは何なのか、東京裁判史観のままの教科書でいいのか、あるいはまた、単純に戦前回帰で良いのか・・様々なヒントがあります。

 《 1. 「いんどねしあについて、おもうこと」・・小学部 1年生 》

  「なんでここは、よるのこどものてれびは、やらないのかな。」「ここのうみは、なんでこんなに、きたないのかな。」「どうしてここは、ずうっとなつなのかな。」「にほんみたいに、はる、なつ、あき、ふゆがないのかな。」「ぼくは、さいしょ、ふゆにここにきて、」「『あついな』とおもったけど、なれてきたら、」「『そんなにあつくないんだな』と、おもいました。」

 「ぼくは、このまえばりとうにいって、うみにはいったり、」「さんぽをしたりしました。」「でも、ここではできません。」「なんでこことにほんでは、二じかんちがうのかな。」「ここのがっこうには、おともだちがいっぱいいるけれど、」「にほんのがっこうにいっても、ともだちがいっぱいできるかな。」「ぼくは、いんどねしあと、にほんは、どちらもすきです。」

 一年生ですから、漢字がなく平仮名ばかりの文章です。時差や四季など、色々なことに興味を抱き、日本との比較で海が汚いと、平気で言います。けれども、偏見がなく、日本もインドネシアも好きだと、素直な気持ちを述べています。次の3年生になると、校長先生の話を理解し、自分の考えを伝えています。

 《 2. 「体はインドネシア、心は日本」   ・・小学部 3年生 》

  「校長先生のお話を聞いて、驚きました。」「体は外国なのに、心は日本、の人が多いと思ったからです。」「私は、せっかくインドネシアにいるのに、」「いつかは、日本に帰ってしまうので、」「インドネシア人のお友達を、作ろうとはしませんでした。」

 「だけど、校長先生のお話を聞いて、」「もっとインドネシア語を勉強して、インドネシア人のお友達を、作ろうと思いました。」「私は、インドネシアより日本の方が好きでした。」「今日、校長先生のお話を聞いて、」「インドネシアの良いところを探して、好きになろうと思いました。」

 「どうしてかというと、心は日本、体はインドネシアだったからです。」「それから、よく考えてみると、インドネシアの良いところは、」「いっぱいありました。」「だから、校長先生の話を聞いて、良かったです。」

 もし生徒たちが、インドネシアでなく、ヨーロッパの国にある日本人学校に通っていたら、このような作文を書いたでしょうか。あるいは、保護者たちは、現地の子供と友達になることに、反対したでしょうか。明治以来、追いつけ追い越せと、西欧を目指していた私たちには、憧れこそあれ、蔑視の念は生じなかったはずです。

 先生だけでなく、保護者たちも、なぜアジアが貧しいのか、なぜ不便な暮らしをしているのかについて、正しく教える工夫がいるのだと思います。「万邦無比の日本」とか「世界一の日本」という、自画自賛の話でなく、かっての日本も同じような姿をしていた時があったと教え、他国を軽蔑していけないと、語る必要があります。

 先生にとっても、親たちにとっても、簡単な話ではありませんが、これが本当の「教育の国際化」ではないでしょうか。日教組の反日教育など、出てくる幕はありません。素直な子供たちにインドネシアの歴史を教え、日本の過去を語る過程で、教師や保護者、そしてそれを読む私たち自身が変わるはずです。次回は、最後の作文を紹介します。

  3. 「インドネシアの近代化の意味」   ・・中学部 3年生

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