ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『 ジャカルタ日本人学校の日々 』 - 2 ( イクイット車 )

2020-12-19 22:17:40 | 徒然の記

 スクールバスの話の続きです。 

 「ジャカルタ市内では、交通ルールはあっても無きがごとしで、」「かつ大渋滞に遭遇するため、思わぬ出来事が起きる可能性が高い。」「交通事故はもちろんのこと、バスへの投石のような事件発生への予測も、しておかねばならない。」

 「人身事故となると、事故を起こした運転手が、」「その場で周囲の人々から、制裁を加えられることさえあるとも聞く。」「ある新聞報道では、ジャカルタ郊外で事故を起こした運転手が、」「報復を恐れて、付近の山に逃げ込んだと伝えている。」

 日本でこのようなことは考えられませんが、違う国では、違う価値観の人々が生活していますから、郷に入っては郷に従えで、自衛するしかありません。

 「スクールバスで、運転手が逃げてしまえば、」「バスに残された子供と先生が、緊急状況に置かれるのは必至であろう。」「スクールバスには、無線機が搭載されているから、」「これを使って通報するのだが、使用方法を熟知しているのは、」「運転手のみであるから、本人が逃走したら、」「これが機能しなくなる。」

 どうして交通事故が、このような危機につながるのか、それは現地の人々と、在留外国人の生活レベルの差にあるのだと、本を読んでいると分かります。はっきり書かれていませんが、日本人だけのことでなく、アメリカ、イギリスなど、現地に進出している外国人は、皆同じです。

 スクールバスを利用している生徒や先生には、普通の生活ですが、現地の人々からすると、とてつもなく裕福で、恵まれた暮らしをしていると見えます。それはおそらく、敗戦後の貧しかった私たちの目に、キャラメルやチョコレートをくれた、アメリカ軍の兵士たちが、羨ましかったのと同じ状況だと思います。

 国の風土が違えば、羨ましいだけでなく、反感や憎しみが生まれることもあり、何かのきっかけで激しい報復になります。隣の韓国や中国が、いつまでも日本を批判し、憎んでいることを考えれば、推測できないことではありません。ジャカルタの場合も、似たような土壌があるのかも知れません。

 「では、公衆電話ということになるが、これがまったく頼りにならない。」「設置場所が極めて少なく、たまにあっても故障が多い。」「ホテルやオフィスに飛び込み、利用させてもらう手もあるが、」「ジャカルタ市内の電話事情は、昼間はとてもかかりにくく、」「緊急事態を知らせる手段には、不都合なのである。」

 本が出版された平成7年に、日本はどういう状況であったのか。以前のブログで調べていましたから、転記します。

 平成7年の内閣総理大臣は、日本社会党の村山富市氏でしたが、氏は平成7年の1月に、突然辞任を表明し、橋本内閣が発足しています。「10大ニュース」の項目を見ますと、次のような出来事がありました。

  • 1位・阪神大震災 
  • 2位・オウム真理教による地下鉄サリン事件
  • 3位・不良債権で住専やコスモ、木津、兵銀など金融機関の破綻相次ぐ
  • 4位・大和銀が巨額損失、米当局の追放措置で住友銀との合併浮上 

 バブル経済崩壊後で、景気が低迷し、細川、羽田、村山と、短命内閣が続く、暗い世相でした。地下鉄サリン事件を起こした、オーム教団の幹部が次々と逮捕され、刺殺された幹部もいました。

 騒々しく不穏な世であっても、文部科学省は、教育の国際化を考えていたと言うのが、先日読んだ菱村幸彦氏の『学校は変われるか』(  平成8年刊  (株)教育開発研究所 ) から、分かっています。

 「国際化の中心が、人の交流だとすれば、国際化への対応は、」「結局、外国の人々と、どううまくつき合って行くか、」「ということになる。」「気質や習慣や、文化などの異なる、」「多様なもの、異質なものを、どう違和感なしに受け入れて行くか、」「ということである。」・・文部官僚の菱村氏の意見でした。

 後ほど述べますが、文科省から派遣された著者の石井校長は、「ジャカルタ日本人学校」の国際化への対応について、真剣に考えています。また平成7年は、日教組が長年の対立をやめ、文部省との協調路線を取ったという年でもありました。

 これを頭の隅におきながら、スクールバスの話を続けます。

 「そうなると、確実な緊急連絡方法は、人間が直接行うことになる。」「バスを追随する車 ( イクイット車 ) を出し、緊急連絡の手段としている。」「イクイット車は、現地スタッフに走行させ、」「連絡と救助任務を与えてある。」

 今回はスクールバスのことだけを、伝えましたが、現地での苦労はまだあります。174ページで、氏が次のように述べています。

 「『いつ何が起きても不思議ではない』とは、ここでの生活体験から判断した、」「危機管理の、合言葉である。」「聞き様によっては、現地国を非難する言葉であるが、」「そのようなつもりはなく、海外に住む者の、」「危機意識を喚起しようと、するものである。」「このような心がけを持って生活することが、自身の安全確保とともに、」「現地国に迷惑をかけない行動にも、つながるということである。」

 私は氏の言葉を、観光立国とやらで政府が音頭を取り、浮かれている現在、重いものとして受け止めています。「世界は一つ、人間は皆同じ。」「真心と誠意は、万国共通の言葉です。」と、こういう意見も大切ですが、「世界は一つでなく、人間は皆違っている。」「日本人の真心と誠意が、誰にでも通じないことがある。」と、厳しい現実も忘れてはなりません。

 25年前の本ですから、こういう体験をした「ジャカルタの日本人学校」の子供たちも、今では大人になり、日本で活躍しているはずです。同じ「おもてなし」をしても、他国の現実を知った上での「おもてなし」は、警戒心もなく外国人を歓迎する、「お花畑の住民」とは、いざという時の覚悟が違うと、そんな気がしてなりません。

 私の知らない間に、新しい日本人が育ち、新しい日本が生まれつつあるのでしょうか。次回は、石井校長が苦心した「ジャカルタ日本人学校」の、国際化対応について報告致します。

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『 ジャカルタ日本人学校の日々 』 ( 33台のスクールバス )

2020-12-19 13:59:51 | 徒然の記

 教育関係の未読の本が、11冊本棚に残っていると書いたのは、11月4日でしたから、ひと月半が過ぎました。本日やっと、『ジャカルタ日本人学校の日々』を読み終えました。下記の通り、青字で表示したのが読んだ本ですから、あと5冊残っています。

   1. 『教育への告発』       2. 『いま教育を問う』

   3. 『いじめと不登校』     4. 『昭和教育史の証言』

   5. 『教師』          6. 『学校は変われるか』

   7. 『教なき国民は滅ぶ』     8. 『いじめ・不登校』

   9. 『教育問答』          10. 『ジャカルタ日本人学校の日々』

     11. 『日本の教師に伝えたいこと』

 教育関係の本も、手に取りますといつものパターンで、国の歴史を否定する反日左翼の主張が、私の心を曇らせます。しかしこの本には、日教組が出てきませんし、反日左翼の主張もありません。インドネシアで苦労している先生と、生徒たちの話がたくさん紹介されているだけで、私の気持ちを明るくしてくれました。

 石井光信氏著『ジャカルタ日本人学校の日々』(  平成7年刊 近代文藝社 )は、私の知らない話ばかりで、たまにこのような本を読むのは、心の健康に良いと分かり、感謝しています。

 息子たちのために、「ジャカルタ日本人学校」についての概要を、本のあちこちから抜書きしてみます。25年前の本なので、今は様変わりしているのかもしれませんが、それでも私たちには参考になります。

 インドネシアには、ジャカルタ、バンドン、スラバヤ、メダンの4つの都市に日本人学校がありますが、ジャカルタの学校が一番大きく、リーダー的位置にあります。学校には初等、中等のクラスがあり、日本で言いますと、小学校、中学校にあたります。

 生徒たちは大型のスクールバスで送迎され、30路線で33台のバスが、913名の生徒を運んでいます。運営しているのは、PTAバス委員会だそうです。日本でも、スクールバスを走らせている学校を、時々見かけますが、これは私立の高校や大学が、宣伝やサービスのためやっています。

 しかしジャカルタでは、そうしなければならない事情がありました。バスの運行一つをとっても、日本とインドネシアでは、大きな違いがあり、こんな苦労があるのかとびっくりします。著者の石井氏には、ネットの情報がありませんので、本人の話で紹介しますと、氏は文部省から、三年の期間決めで派遣された校長先生です。それでいて、学校は私立経営と書かれています。現地の学校がどういう形態で運営されているのか、説明はあるのですが、ピンときませんでした。

 まず、スクールバスの話を紹介します。

 「日本人学校は、ジャカルタ南部の郊外に位置しているため、」「遠い通学者の中には、直線距離にして12キロを超える者もいる。」「当然何らかの交通手段によらなければ、通学できないのだが、」「公共交通機関が発達していないので、この利用ができない。」

 「自家用車は便利であるが、家庭によっては、父親の通勤用が優先されるから、」「登校手段として利用するには、無理があろう。」「余裕のある家庭なら、別の車で登校させて良いかと考えるのであるが、」「実は、スクールバス通学の原則というものがあり、当地の行政機関が行なっている規制である。」「スクールバス通学は、距離上の問題というよりは、」「学校維持会に課せられた、義務規定なのである。」

 日本では小学校や中学校が、住宅地の付近にありますから、スクールバスがなくても困りませんが、ジャカルタでは、こんなところから条件が違っています。

 「学校設立に際して、通学は地域周辺の交通の妨げになってはいけないと、」「付帯条件が付与されているので、スクールバスによって、」「短時間のうちに登校が完了していなれければ、ならないのである。」「これは、自家用車なら数百台になる走行を、規制していることになる。」

 日本でなら、たかがスクールバスと、一笑に付される話になりますが、ここではそうなりません。

 「バスの運営は、学校維持会が経理面を担当し、運行には保護者が立ち合い、」「運航の安全指導は、学校と保護者が行っている、」「というように、三つの組織が関係している。」「改善すべき最大の課題は、運行が保護者によって行われていることである。」「路線の計画、運行上の安全管理、緊急時の対応など、」「保護者の手にあまり、責任を負えない範囲のものである。」

 保護者たちは、現地に進出している企業や、大使館、マスコミなどで働いていますから、バスの運行にかかりきりになっておれない人々です。単身赴任者もいるのでしょうが、日本企業の海外進出が広がりますと、家族帯同の長期滞在者が増えます。インドネシアだけの話でなく、同じような話が、各国であったのだと思います。

 「なぜ保護者が主導するような形で、バス運行がされて来たのかは、」「一つはジャカルタにおける、治安事件の経験という、」「歴史的要因があると、思う。」「初めからバス運行が、保護者の手でなされていたわけでなく、」「暴動事件が発生し、危機感を強くした保護者がバス運行に関わり、」「それが引き続いて、状態になっている面もある。」

 ここまでは260ページの説明ですが、154ページに、具体的な危機の説明があります。何もかも日本にいては、想像できない話ばかりです。

 スペースが無くなりましたので、続きは次回といたします。

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