ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

西田昌司議員の研究 - 9 ( 「憲法破棄の国会決議」・「廃憲論」 )

2024-08-19 20:12:57 | 徒然の記

 〈  憲法問題 〉

   3.  現行憲法を「占領基本法」として破棄し、明治憲法へ戻す「廃憲論」を唱える

   4.  憲法破棄を国会で決議すれば、憲法改正の手続き自体が不要と主張

 GHQが日本を統治下に置いていた時作った憲法で、元々ハーグ国際条約に違反した憲法だから、国会で無効決議をすれば効力がなくなる。

 簡単に言いますと、氏の意見はこう言う論理です。6月の東京都知事選挙の時、田母神氏も演説の中で語っていました。こんなところで田母神氏と意見が繋がっていたのかと言う、新しい発見でもあります。

 7月9日に「日航機123便墜落事故」の11回目を書いた時、氏の「廃憲論」を知りました。謙虚な気持で氏を研究しようと、まだ心境が変化していない時でしたから遠慮なく酷評しました。

 この時氏は、自由民主党が長期政権を保っている理由を次のように説明していました。

  ・国内で自民党を応援しているのは、日本が共産主義国家、社会主義国家になったら困るからと言う国民なんです。

  ・自民党にいくらデタラメな政治と金の問題があっても、国民が何とか自民党政府でなくては困ると言うことで、政権に踏みとどまることができたんです。

  ・アメリカもそうでしたが、東西冷戦が終わった時から、アメリカには自民党自身が用無しになるんですよ。

  ・「プラザ合意」以後、アメリカが日本の経済を弱体化させている理由がここにあります。

  ・冷戦時代は「共産主義の防波堤」としての日本が必要だったので、アメリカは日本の防衛に前向きでしたが、冷戦が終わると日本の役割がなくなった。

  ・日本が弱体化しようと他国に侵略されようと、関心を示さなくなったのです。

 これが氏の戦後認識でした。だから私はシリーズ11回の「ねこ庭」で、思い切り悪態をつきました。

  ・お粗末な認識で京都府議に当選し、自由民主党の国会議員になってもこんなことを喋っているようでは、こんな人物こそ「用無し」です。

  ・現行憲法を「占領基本法」と呼び、アメリカが主権の無かった日本で勝手に作ったと説明していても、氏は国民が願う「憲法改正」の意味を理解していません。

  ・だから「国会の爆弾男」らしく、「憲法破棄の国会決議」をすれば良いと乱暴な意見を言い、国民のウケを狙います。

  ・常識の話をすれば、「憲法破棄の国会決議」をしたら現憲法下で制定された何千という法律が無効になり、国民生活が大混乱します。

  ・民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法などほとんどの判決が無効になり、無法状態が蔓延します。氏は一体どうするつもりなのでしょう。

  ・自由民主党に在籍していながら、冷戦後には自由民主党が用無しになったと、こんな意見を述べるのですから救いようがありません。こんなバカとは知らず、私は今日まで氏を眺めていたことになります。

 嫌悪に近い私の感情論が、今回の研究でどのように変化するのか。息子たちや「ねこ庭」を訪問される方々以上に、私自身が注目しています。

 ・「廃憲論」は、何時、誰が言い出した意見なのか。

 研究の第一歩は、ここから始まります。『教育勅語』の場合と違って、今回はいくら探しても「改憲論」の第一発言者が見つかりません。

 その代わり、別の説明を見つけましたので紹介します。( ウィキペディア )

 ・その後の「日本国憲法」下の日本国においては、国民国家の法規として「日本国憲法」自体が最高法規となりました。(第98条:憲法の最高法規性)

 ・これに違反する「詔勅」は失効した。

 ・また前記の「教育に関する諸詔勅」に代わって、「日本国憲法」に沿った「教育基本法」などの各種法令を、国民道徳の指導原理として日本国政府は推進するようになった。

 この説明で分かりますように、「教育基本法」一つとっても憲法によって左右されます。「憲法破棄の国会決議」を現実に実行し、「明治帝国憲法」に戻したら、法治国家である日本社会の混乱は想像ができません。

 吉田首相の時代に「日本国憲法」を制定して以来、歴代の政府は苦労してこれを維持してきました。ひとえに社会の混乱を危惧し、民心の安定を考えたからだったことは、自由民主党の結党時の党是が「自主憲法の制定」だった事実が語っています。

 西田氏の意見どおり簡単なことなら、氏はなぜその意見を国会の場で発言し、国民に向かって語りかけないのでしょう。あるいは自由民主党内の議員諸氏を説得し、「憲法破棄の国会決議」を実行しなかったのでしょう。

 批判のための批判をし、氏を責めているのではありません。研究の結果として現在言えることがあるとすれば、次の意見です。

 ・「憲法破棄の国会決議」の実行は、「憲法改正」と同じくらいに難しい。

 氏は国民を安心させるため簡単に喋るのをやめ、困難な問題は困難な事実を、省略せずに説明して欲しいと思います。

「廃憲論」は、何時、誰が言い出した意見なのか分かりませんが、ヒントになる情報を探しましたので次回に紹介いたします。

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西田昌司議員の研究 - 8 ( 「日本文化で一番大事」なもの )

2024-08-19 07:26:19 | 徒然の記

 〈  憲法問題 〉

  2.  日本文化で一番大事なのは、教育勅語にある家族主義である

 今回も引き続き、西田氏の意見を研究します。『教育勅語』を紹介しましたが、氏の言う「家族主義」がどの部分を指すのか。これまた、何となくしか見当がつきません。

 「爾臣民父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ夫婦相和シ、朋友相信シ恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ、」

 青色表示した部分だと思いますが、この言葉を西田氏が「日本文化で一番大事」と力説するのなら、青山氏のように、日頃から自分の動画で視聴者に説明するのが親切というものではないでしょうか。

 氏の思いを理解するには、漢文調の勅語を今の言葉に直したものを探して読めば良いのかもしれないと考えました。

 ウィキペディアに助けを求め、ここでまたびっくりさせられました。

  ・その内容に関しては、頒布当初から難解であり、多数の解釈が存在する。

  ・「徳目」の具体的な内容に関しても多数の解釈が存在し、戦前の注釈書では9個から16個くらいの徳目に分類するのが主流であるが、そもそも徳目を掲げているのかいないのかという点にも諸説ある。

 そんなに難解な「勅語」だったのかと驚くとともに、自分の考えを支持者に伝えることに無関心な西田氏にも驚かされました。ウィキペディアの説明が続きます。

  ・現代においては、昭和48年に明治神宮社務所より刊行された『大御心 明治天皇御製 教育勅語 謹解』の解釈が広く普及している。

  ・著作権が不明(おそらく未了)のため具体的に記すことはできないが、「12の徳目」にまとめている

  ・「現代語訳」に関しては、「勅語」( 天皇のお言葉 )を自分の言葉で言いかえることは「不敬」であるため、ほとんど存在しない。( 大日本帝国憲法下では、不敬罪に問われる可能性がある。)

 これではダメかと諦めそうになりましたが、先を読むと救いの説明がありました。

  ・昭和15年に、文部省図書局が制作した「教育に関する勅語の全文通釈」(通称「全文通釈」)がよく知られている。

 これも研究の一つと考え、今度は文部省図書局が制作した「教育に関する勅語の全文通釈」を探しました。現代語訳ですから、コメント無しで紹介します。

 〈「教育に関する勅語の全文通釈」〉( 著作権は文部省が所有し、保護期間満了)

 朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。

 汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。

 かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。

 ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。

 昭和15年は「大日本帝国憲法」下ですが、文部省図書局が口語訳にすることは不敬罪にならなかったのでしょうか。こういう頑なな形式主義を知りますと、単純に戦前の日本に戻ってはならないと思わされます。

 不敬になるのかもしれませんが、「父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い」ということは、明治天皇のお言葉で言われなくても大切さを知っています。

 個人の権利と自由を強調する「日本国憲法」で育っていますが、国民は家族の愛の大切さを守っています。行きすぎた権利の主張と個人の自由が、家族の絆を弱めている面があるとしても、それは一部の話で、多数の国民は家族の愛を第一として暮らしています。

 そんな当たり前のことを、西田氏は「日本文化で一番大事な家族主義」と言うのなら、なぜ自分の熱い思いと深い考えを国民に伝えようとしないのでしょう。

 いや待てよと、現代語訳の「全文通訳」を読み返していますと別の考えが浮かんできました。もしかすると氏が感銘している「教育勅語にある家族主義」とは、別の部分では無いのか。

 「我力臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ、世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我力國體ノ精華ニシテ、」

 この言葉の方が、日本の家族主義を語っておられ、国体の精華とまでおっしゃっています。このお言葉であれば、読む者の心に響くものがあります。

 もしそうだとして、「日本文化で一番大事」なものは自分が知っていれば良いと、割り切っているのだとしたら、氏は国民のリーダーに相応しい政治家なのでしょうか。

 割り切れないものが残りますが、研究項目がまだ残っていますので、先へ進もうと思います。思いがけない発見が、残りの研究で見つかり、氏の意見のもやもやが消えてしまうのかもしれません。

 次回は、 〈  憲法問題 〉の3.と 4. です。

コメント (3)
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