3. 令和2年3月 4日 「元朝日記者 二審も敗訴へ」
( 私が呼び捨てにするのは、本多勝一、吉田清治、植村隆、田原総一郎という、反日・左翼とペテン師だけです。)
この記事にある「元朝日記者」というのが、植村隆のことです。朝日記者の立場を利用し、大ウソの「慰安婦問題」を捏造した張本人です。朝日新聞は当時まだ日本の一流新聞社と思われ、世界のマスコミが注目する会社でしたから、彼のウソ記事は、あたかも事実であるかのように世界に拡散しました。
韓国政府と中国が彼の記事に飛びつき、韓国内は言うに及ばず、アメリカやヨーロッパにまで、「慰安婦像」が建つようになったのは、彼の記事のせいです。単なる売春婦の話が、彼の記事で強制連行された少女の話になり、「性奴隷」にまで拡大されました。国連が非難決議を採択し、日本を批判し、日本人が責められ、私たちがどれだけ苦しめられたか、忘れることのできない屈辱の日々があります。
名前を聞くだけで嫌悪感が生じ、顔写真を見ると吐きそうになります。息子たちのため、彼に関する情報を整理してみようと思います。
「昭和33年、高知県高須市生まれ。」「早稲田大学卒業後、昭和57年朝日新聞入社。」「昭和62年、韓国、廷世大学留学。」「帰国後、東京本社、大阪本社を経て、」「テヘラン特派員、北京、ソウル特派員を歴任。」
ソウル特派員時代に慰安婦に関する記事を19本書き、特にこのうちの二本が、大きな反響を呼びました。
1. 韓国人元慰安婦、金学順の証言に関する捏造
「騙されて慰安婦になった」という証言を、「軍に連行された」と書き換えた。
2. 「慰安婦」が、「挺身隊」と同じ意味であるかのように、記事を書いた。
私事について言及するのは気がすすみませんが、重要な背景となりますので、情報を紹介します。
・ 仙台支局時代に結婚したが、離婚
・ 現在の妻は、「太平洋戦争犠牲者遺族会」で働いていた女性
・ 女性の母親は、同会幹部の梁順任 ( ヤン・スニム )
・ 慰安婦問題取材のため訪韓した植村が、証言者となる慰安婦を探している時巡り合い結婚した。
・ 同遺族会は植村の記事から4ヶ月後に、日本政府に対し「慰安婦賠償裁判」を起こした。
・ 植村の記事で扱われた金学順は、この裁判の原告の一人である。
「植村は、身内に利害関係者がいる裁判に関する記事を書いたことになる。」と、ネットで道義面を指摘されています。
平成26年8月に、朝日新聞が一連の慰安婦報道の間違いを認め、渋々謝罪しました。謝罪のメインは、ペテン師吉田清治の記事でしたが、社長まで辞任する騒ぎとなり、植村もこの時早期退職しています。退職させられたのか、自ら辞職したのか、詳しく知りませんが、彼が裁判を起こしたのはこれ以後の話です。
自分が撒いた種は、自分で刈り取るというのが、成人に求められる責務です。これについて次回で述べますが、もう読みたくないという方は、スルーしてください。書いている私自身がそんな気持ちですから、お勧めしません。