〈 第1章 祖父・岸信介 〉・・ ( 「自衛隊出動要請」 )
重要な部分なので、松田氏は下記複数の資料を元にこの問題を解説しています。
1. 安倍洋子氏著『父 岸信介の素顔』( 昭和62年刊 )
2. 赤城宗徳氏 『私の履歴書』( 日経新聞 単行本 )
3. 岩見隆夫氏著『昭和の妖怪 岸信介』( 平成6年刊 )
4. 杉田一次氏著『忘れられている安全保障』( 昭和42年刊 )、 雑誌『this is 読売』( 平成2年 )
〈 安倍洋子氏著『父 岸信介の素顔』の記述 〉
・全学連の国会突入で、東大生の樺美智子さんが亡くなられたとの報に接し、父は非常なショックを受けました。私は突然、鉛のオモリを飲まされたような目まいと吐き気を覚え、恐ろしくなりました。
・もう安保なんか放り出して欲しい、一人でそこまで国の責任を背負ういわれはないでしょう、と叫びたい思いでした。
・しかし顔色がどす黒く変わった父の殺気だった表情に、命懸けの信念を見ると、とても口に出せませんでした。
洋子氏の記述を読んでも、松田氏の反岸感情は変わらないのか、次のように説明します。
・しかし岸は強気だった。赤城宗徳防衛庁長官は、ついに岸からデモ鎮圧のために自衛隊出動の要請を受けたのである。
・政府・自民党内には以前から、アイク訪問が迫るにつれ焦燥感が広がっていた。国会や首相官邸に押し寄せるデモ隊は日一日と数を増し、国会内との連絡は、戦時中の防空壕の通路を整理した地下道によらなければならない有様だった。
〈 赤城宗徳氏 『私の履歴書』の記述 〉
・当時警察当局としては、「アイク訪日の際の警備には自信が持てない。」ということだった。
・佐藤栄作大蔵大臣や池田勇人通産大臣などから、「なんとかして自衛隊を出せないか。」としばしば談じ込まれた。
・自分は自衛隊出動には、もともと反対だった。その理由は、
「デモ隊を鎮圧するには、一発勝負で決めなければ無意味である。」
「そのためには、当然機関銃などで武装させねばならぬ。」
「そこで同胞相克となっては、内乱的様相に油を注ぐことになる。」
・あれは確か、6月15日のことだったと思う。私は南平台の総理の私邸に呼ばれ、じきじきに自衛隊出動の強い要請を受けた。女子大生の樺美智子さんが、国会構内で死亡した日である。
・私は前からの理由で、自衛隊を出動させるべきでないことを直言した。総理は腕組みをしたまま、ただ黙って聞いていた。悲壮な息の詰まる一瞬だった。
松田氏は、赤城氏より岩見氏の方がもっと生々しく記述していると言い、二人のやり取りを紹介します。
〈 岩見隆夫氏著『昭和の妖怪 岸信介』の記述 〉
・岸 ・・・赤城君、自衛隊に武器を持たせて出動させることはできないかね。
・赤城・・・出せません。自衛隊に武器を持たせて出動させれば力になるが、同胞同士で殺し合いになる可能性があります。
そうなれば、これが革命の導火線に利用されかねません。
・岸 ・・・それでは武器を持たさずに、出動させるわけにはいかないか。
・赤城・・・武器なしの自衛隊では、治安維持の点で警察より数段劣ります。武器なしの治安出動の訓練も積んでいません。
そんなことをして国民の間に、「役に立たない自衛隊なら潰してしまえ」という声が出てきたらどうします。
私の在任中に、自衛隊をなくさなければならなくなるような原因を作る訳にはまいりません。
どうしてもと言われるなら、私を罷免してからにしてください。
・赤城・・・総理の口から出たのは問いかけだけで、総理の発言は全くなかった。
私はあの夜、一人でずいぶん悩んだ。辞表を出すべきか、それとも権限のある総理が言うのであれば、出動させるしかないではないかと。
あと一人杉田一次氏の叙述が残りますがスペースがなくなりましたので、次回に致します。
〈 杉田一次氏著『忘れられている安全保障』( 昭和42年刊 )、 雑誌『this is 読売』( 平成2年 )の記述 〉