田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

吸血鬼の故郷  麻屋与志夫

2008-10-20 09:11:04 | Weblog
それは平凡なありふれた文庫本だった。
人目に触れて恥ずかしいような本ではなかった。

萩原朔太郎詩集。
『青猫』。

わたしはいわれたとおり管理人がいないのをさいわい、その文庫本をポケットにしのばせた。

「あとは、おたのみしゃんす」
たのみます。そうたのまれても、なにをたのまれたのかわからなかった。
「本田さん、しっかりするんだ。なにをすればいい。なにをわたしにたのみたいのだ」

猫の鳴き声がしているのが気になった。
わたしは鍵を大家から借りて部屋にのこった。

「クセエクセエ。これじゃゴミ部屋じゃないか」
悪態をつきながら男は部屋にもどった。
「救急車は呼んだから」

それだけいうと、かかわり合いになるのを嫌うように、階段を下りていってしまった。
たしかにひとりになってみると最初に嗅いだ異臭が気になった。
でも沈香のにおいもまじっている。
そうか、本田は悪臭をけそうとお香をたいていたのだ。
その残り香が部屋の隅々に、カーテンや布団に付着していて匂うのだ。
そして異臭のほうはどうやら天井からただよってきているようだ。

また猫が鳴いた。
遠慮がちな、かすかな鳴き声。

押し入れをあけるとムッとするほど臭いはきつくなった。
押し入れの上の段にのった。
隅の天井の板をもちあげてずらした。

下から照らす電灯と節穴からもれるひかりで、ダンボールの箱がみえた。
手をのばした。

箱のかげから黒猫がのっそりとあらわれた。

目だけが青くもえるように光っている。

ひどくおびえていた。

あまり黒いので薄闇では見えなかった。

きゅうに目前に出現した。

ぎょっとしてのばしかけた手をひいた。

猫はわたしが害をあたえないのがわかるのか頭をすりよせてきた。

箱の中は猫のミイラがつみ重ねられていた。
臭いの元は猫がミイラ化していく過程で放ったものだった。          
               
 
警察で事情を聞かれ、街にでたころには日が暮れかけていた。
本田老人は病院につくとまもなく息をひきとっていた。
臭に気をとられていた。
救急車に乗って病院まで付き添わなかった。
悔やまれた。 
警察にいくのは、あとまわしにしてもよかつたのだ。

本田はひとり寂しく病院のベッドで死んでいった。




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吸血鬼の故郷  麻屋与志夫

2008-10-20 00:21:09 | Weblog
そこでわたしは、はたと困ってしまった。 

なにも知らないのだ。
本田が行政書士をしていることは知っていた。
ずっと前だが黒木さんが行政書士協会の会長をしていた時に、その機関紙に小説をのせてもらったことがあった。
ラーメン屋の『味福』でたまたま本田にあって、「読んでますよ」と励まされたことがあったのを思い出した。

協会に電話してみた。
引退してから20年にもなるとのことだった。
協会で教えてもらった住所には……車で行くことにした。
JR駅のすぐそばだった。
このような裏路地が駅のちかくに残っていたのか。    
撮影所のオープーンセットのようだった。
敗戦直後の街の一角がそこにはあった。
軽量鉄骨、モルタル壁の二階建てのアパート。
鉄骨のむきだしになった部分は赤錆でざらざらしていた。
ふれれば赤錆の粉が落ちる。
壁は亀裂が複雑に走っている。
たたけばはげ落ちる。
そんな危うさを見せていた。
管理人はまだ若い男で、ぶつくさいいながら鍵をあけてくれた。

部屋には異臭がただよっていた。
なにか腐っていくような臭いだ。 

六畳一間の部屋の中央に本田が横になっていた。
枯木色に色褪せた畳にごろりと横になっていた。

布団をだして敷くのも間に合わず倒れた。
そのまま寝転んでいたのだろう。             
弱りきっていた。

わたしが、訪問しなかったら孤独死をまぬがれなかったろう。

あまりに軽いのでおどろいてしまった。
わたしが抱き起こすと本田は嬉しそうな顔をした。
しただけで、じっさいに顔の表情をほころばせる力は残っていなかった。
どこかで、猫の鳴き声がした。

「来てくれて、ありがとう」
耳を寄せる。
幽かにききとることができた。

「救急車」
わたしがいうと、大家はさすがにおどろいて鉄骨の階段を音をたててかけ下りていった。 
「あれを」
本田が文庫本をゆびさしている。
「だれにも、みせないで」



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