暑い日が続いています。山形市内は5日連続の猛暑日です。尾花沢市でも33、34度になっているはずです。ずっとずっと前の少年時代、私は夏休みでした。夏休みの毎日は、川に始まって川で終わります。
夏になると私は河童に変身しました。私の頭の中には川の魚が泳いでいました。カジカ、ウグイ(ヘズギ)、アブラハヤ(ニガザッコ)、シマドジョウが群れをなして縦横無尽に私の頭の中を泳いで、とても宿題が入り込む余地はありません。夏休みが終わるころは、悲惨な状況を迎えることになるのですが、何年も進歩の兆しがなく同じことが繰り返されました。「えーんだ宿題な」などと、最初のうちは言えるのです。
さて、川遊びは魚採りだけではありません。泳ぐこともやりました。泳ぐと言って、畑沢の川幅はせいぜい2、3メートルです。「泳ぐ」ような広さがありません。そこで泳ぐ場所は、川を堰き止めた場所です。中畑沢、上畑沢の子ども達は藁束を水に浸して川を横断して堰き止めましたが、下畑沢には農業用の大きなシェギブグロ(堰袋)がありました。堰袋は畑沢全体では5、6か所あったのですが、下畑沢のそれは最も大きくてオオジェギ(大堰)と敬意を持って呼ばれていました。下畑沢の子ども達はそれを水遊びのプールとして使いました。大堰には、子ども達だけでなく大物のウグイも泳いでいました。
あれから50年以上も経ちました。大堰を懐かしんで、そこに行ってみましたが様子が全く変わっていました。「堰」そのものがありません。うろうろしていると、5歳年上の先輩(大戸K氏)が近くを通りましたので、「セギブグロはどごだべ」とお聞きしたら、「ほごだ」と教えてくださいました。見ますと、コンクリートの水路が川から脇に流れていました。川の一部をコンクリートで固めて堰き止め、そこからコンクリートの水路で取水していたのです。水路は暗渠となって川の土手を潜り、田んぼの方へ流れていました。昔のように川幅いっぱいに堰き止める必要がなくなったのです。そのために、大きな水面は消えました。今でも頭の中で魚が泳いでいる私には、少々さびしい感じです。
下畑沢のオオジェギ(大堰)跡