-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

シンガポールでお詣り(畑沢の兄はインパールで戦死しました。)

2016-09-01 15:02:08 | 近況報告

 娘の結婚式のためにシンガポールへ行ってきました。私は飛行機好きですが、大の飛行機嫌いです。変な話ですね。私は飛行機のメカニックなどは大好きですが、旅客機に乗るのが嫌いなのです。離陸する時は胃が痛くなるような気分です。しかも、今回は片道でさえ7時間の飛行でした。もう二度と乗りたくありません。それでも、いつかは再び乗らなければならないのでしょう。

 結婚式は家族だけでしたので、慎ましやかで気楽でした。実は海外旅行にあたっては、私には、もう一つの思いがありました。母親違いの兄がインパール作戦で戦死したのです。父のもとに戦死の知らせが届いたのは、とっくに戦争が終わった昭和21年でした。インパール作戦はそのずっと前に大失敗して7万人余りの日本兵がなくなり、兄も終戦よりももっと前に戦死していたはずです。もちろん、地元の人たちや敵国となった人たちも大勢亡くなりました。戦争は敵にも味方にも惨いものでした。兄はジャングルのどこかで亡くなったと思われるので、父は遺骨にも会えずに悲しみをじっと抑えて、その後の人生を過ごしていたようです。私に兄のことを話すことはほとんどありませんでした。それは、他の家でも同じだったはずです。ただじっと悲しみをこらえておられたようです。いくら戦争が終わっても、戦死は名誉であって死を悲しむなどは非国民と言われる風潮が残っていたと思います。それほどまでに戦前の教育は徹底し、国民は完全に洗脳されていたということです。それは人間の自然な感情を捻じ曲げるもので、そのような社会から生み出される政治も文化も、やはり捻じ曲がったものでした。

 さて、話を戻します。戦後に日本はインパールへ戦死者の慰問団を何度も派遣していました。その様子を私もテレビを見ていて、「親父も行きたいだろうなあ。いつか俺が連れて行ってやりたいなあ」と思っていたのですが、ついぞ実現しないままに、父は27年前に他界しました。享年91歳でした。それで、父の代わりに私がいつの日にかインパールでお詣りしようと思っていましたが、飛行機嫌いなので全く実現しないままになっていました。それが、娘の結婚式のために行かざるをえないことになりました。それではということで、少し離れたシンガポールから兄の弔いをすることにしました。シンガポールに日本兵の慰霊碑があれば、そこに行こうと思いましたが、あるのは、日本が攻め込んだために亡くなった現地の人々の慰霊碑と、日本が侵攻する前に統治していた英国兵の慰霊碑だけでした。その訳は、シンガポール国立博物館へ行った時に分かりました。そこでは日本軍の侵攻が、シンガポールの最も暗い時代として扱われていました。とても、日本兵の慰霊碑を建てられるような現地の状況ではないのです。私はやむなくホテルの中から気持ちを込めて兄を弔いました。シンガポールの人々へのお詫びも込めています。

 シンガポールが日本軍に占領されたのは、戦争が始まってまだ間もない昭和17年2月。真珠湾攻撃が昭和16年12月ですから、その3か月後でした。その様子を私は常盤小学校の図書館で、蔵書をワクワクしながら見ていました。「日本軍は強いなあ。日本の飛行機は優秀なんだなあ」と思わせる書き方でした。今、思えばただの馬鹿です。何も知らないで、本に書かれていることをそのまま鵜呑みにしていました。戦後しばらく、日本は太平洋戦争に対する反省として、戦争を鼓舞する書籍は発行しなかったのですが、1951年に朝鮮戦争が始まると一転して、アメリカの指導の下に日本軍の活躍を宣伝し始めました。私の少年時代は、まさにその真っただ中でした。しかし、その後、私も馬鹿なリにも成長するにつれて、戦争の愚行を知るようになり、人々の苦しみと悲しみが分かるようになりました。兄たちは、その犠牲になったのです。しかも、他国民に対しては加害者でもありました。何とも悲しい事実です。畑沢では太平洋戦争で、11人が亡くなりました。

 

 ところで、シンガポールの話になります。この国は「暑い」が第一印象でした。元々、私は外国旅行に行きたいとは思っていませんでした。それよりも、畑沢へ行く機会を少しでも多くしたいと思っています。山や川にいれば、いつまでも飽きることはありません。でも行ったわけですので、それなりに見てきました。私は観光地に興味がありませんが、それよりもシンガポールには多民族が暮らしていることに驚きました。中国系、マレー系、インド系、フィリッピン系、ヨーロッパ系、日本系等々です。その人たちが争うことなく、入り混じって働いていました。民族間の争いなどはないように見えました。中東のイスラム信者同士の争いが嘘のようです。

 下の写真は、何かの寺院ですが、説明が外国語なので分かりません。ほかにイスラム教のモスクやキリスト教会、仏教寺院らしきものもありました。今、世界各地で生じている宗教間の争いは、宗教指導者間の争いであって、信者間そのものの争いではないと思います。宗教も単なる「信者」なら問題ないのですが、いざ「指導者」となると、何らかの利権を持ちます。利権を握ると、もっと大きな利権を求めます。一般の信者は利用されて、宗教を看板にした争いに発展させられます。政治も似たような所があります。私たちは、権力者を盲目的に信ずることなく、自分の考えをしっかりと持って自分で社会を作り上げることが大事だと思いますが、皆さんはいかがお考えでしょうか。

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