-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

昭和5年の常盤村(交通・運搬道具の所有状況)

2017-12-18 15:54:13 | 歴史

 尾花沢市史編纂委員会が昭和51年12月に発行した「市史資料第三輯 郷土調査」には、昭和5年に尾花沢小学校、宮沢小学校及び常盤小学校が「郷土調査と学校経営」として調査した内容が記載されています。

 今回は交通と運搬に関わる道具を取り上げます。

 これまでと同様に「郷土調査」の表では、漢数字を用いていましたが、算用数字に置き換え、列の順序も左右を逆にしました。

 さて、下の表は交通と運搬に関わる道具の所有数です。三日町、九日町、古殿の自転車と荷車の所要台数が二桁になっています。

 各地区の戸数にはかなり格差がありますので、戸数当たりの所要台数で比較してみました。単位は%です。三日町、九日町、古殿の所有状況がさらに強調されました。自転車については、三日町、九日町、古殿地区が20%台となっており、畑沢、細野、鶴子地区の3、4倍です。荷車は三日町と九日町が多く所有しています。自転車も荷車も尾花沢との近さが関係しているようなしていないような感じですが、それらの道具が持っている有効性が関係しているのかもしれません。リヤカーはまだ一般的ではなかったようです。

 ところで、私が小学生のまだ「良い子」であった昭和30年代には、畑沢の家でも一家に一台の自転車がありました。小学2、3年生くらいになると、パンク修理もしました。昭和5年頃、パンクの修理はどのようにしていたのでしょう。


 百分率の表をさらに下のグラフにしました。縦軸の単位は%です。今回は初めて横軸に地区を配置しました。これまでは道具を横軸にしていましたが、今回のように、道具を横軸にした方が比較しやすいようです。EXCELを操作していると、勝手にこのようなグラフを作ってしまいました。これを「怪我の功名」と言うのですね。

 自転車、リヤカーが出てきましたので、良い子が昭和30年代にやっていた遊びを紹介します。今の良い子は、絶対にやつてはいけない遊びです。それは、リヤカーと一輪車を使って遊びます。リヤカーのハンドルに一輪車の前縁を縄で接続します。準備工作はそれが総てです。これを耕運機と言いました。坂道の上に持って行って、一輪車のハンドルを揚げると、耕運機はジワリジワリと加速されていきます。十分に坂道を下ると、スピードはかなりのもので、スリル満点です。ブレーキになるような装置がありません。さて、ここで「良い子」でないことがバレてしまいました。そうです。とんでもないことです。もしも、自動車が来たら交通事故になりかねません。幸い、自動車は来ませんでした。一日に一台か二台です。来るとすれば自転車ぐらいなものでした。今、これをやれば、背炙り峠を行き来する高級車と正面衝突を免れません。「いい時代」だったのか、それとも「とんでもない悪餓鬼時代」だったのでしょうか。

 

 

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