古代から明治時代の初めごろまで、太平洋側から仙台街道と背中炙り峠を越える旅人の通行と荷物の運搬が、盛んに行われたそうです。平成30年11月5日に仙台街道に行ってきました。目的は外にあるのですが、併せて古道の現状も見てきました。これで三度目です。
尾花沢市の峠への入り口は、銀山温泉の奥にあった旧「上の畑村」地内にあります。
古道は昔のままの形を残していて、路面が凹んでいます。
坂道を登りきると、天沼(あまぬま)があります。沼には鴛鴦(オシドリ)の数組の番(つがい)がいましたが、私のカメラアクションが間に合わず、その美しい姿を写真に納めることが出来ませんでした。この沼は自然に出来たものではなくて、いつの時代かに人の手で造られたようです。
県境を越えて宮城県側を下ると、軽井沢番所の跡があります。江戸時代の初期に設けられたようです。その番所の向かい側には、半森山(はんもりやま)が聳えています。ほぼ全山が落葉していました。樹種はブナです。
軽井沢は結構、近いので、畑沢へ行く時間を持てました。
荒町から朧気川を渡って畑沢へ向かう途中に、松母があります。下の写真の様に今は全幅7mのアスファルト道路が林を大きく切り開いていますが、私の小中学校時代は砂利道で幅も3m程度の狭い道でした。当然、道の両側から広葉樹の枝が緑のトンネルを作っていました。緑のトンネルは、夏の明るい時間は日除けになるありがたい存在ですが、秋の日が暮れた時間帯は、ブラックホールそのものです。さらに、道の脇が墓地になっていて、幽霊や人魂(ひとだま)の怖い話が子どもたちの間で流行っていました。秋の文化祭での演劇に先生から役を言いつけられて、薄暗くなるまで練習させられましたが、松母に近づくころは真っ暗です。しかも、一人です。けっして、「先生」は私の下校時の事情を考慮に入れていませんでした。とんでもないことをさせられたものです。
畑沢の紅葉は終わりに近づいています。遠くに見える大平山(宝沢山ほうざやま)のブナの森は完全に落葉しています。ところで写真の右側の電柱が傾いて見えますが、私が臍を曲げて傾けて撮影したのではありません。元々、傾いています。電線をカーブして張り巡らす時の高等な技術が隠されているものと思います。
下畑沢の稲荷神社に新しい鳥居が建っていました。数年前は柱の部分が朽ちていたのですが、再建したようです。紅葉をさらに美しく彩っています。鳥居の左側の太い幹は、ブナの木です。神社の周囲がブナの林になっています。
今年、大繁殖したカメムシ対策のために、日が暮れるまで実家の小屋にいたので、峠に着くと楯岡方面の夜景が見えました。いつもですと、もう少し早く峠に来て夕焼けを眺めるので、夜景とは無縁でした。カメラの三脚を用意していなかったので、ガードレールに密着させて撮影したのですが、4秒間の露光では手振れが生じてしまいました。何枚もの写真の中で、これが最もましな一枚です。