-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

何と!お城山に城が建っていました。

2018-11-16 19:29:52 | 歴史

 平成30年11月15日(木)に、尾花沢市教育委員会へ畑沢に関する資料についてお願いに行ってきました。約束していた時間に余裕がありましたので、悠美館一階の展示物を観賞していたら、思いがけない素晴らしいものを見ました。野辺沢城のジオラマです。城跡のジオラマは去年、完成していて既に拝見しましたし、このブログにも投稿して皆さんに紹介しました。ところが、今度は城の建物が入っているジオラマが別に作られていました。

 下の写真のジオラマは、右か南で手前側が西に当たり、常盤小学校や中学校があった方向になります。ジオラマは透明のプラスチックのケースに入っていますので、どうしてもケースの表面で窓からの光が反射してしまいます。かろうじて全体を判別できそうなので、下手な撮影技術をお許しください。御覧になると直ぐに分かるように、右の大きな広場が本丸になり、そこに最も大きな建物が見えます。本丸の西端と東端に櫓が立っています。北の櫓は、ずっと北にある堀切を見下ろす位置に立っています。

 

 城の入り口は、敵の侵入を防ぐ仕組みが施されています。しかし、拡大した下の写真でも、そのことが分かりにくいのですが、図面ではもっと複雑になっています。石垣も用いられて頑丈な作りになっていたことでしょう。この入り口の門は、大手門と呼ばれるもので、城が破壊されてからは、延沢の龍護寺に移築されたとも伝えられているそうです。

 下の写真は、本丸を南側からアップ撮影したものです。本丸は発掘調査をして、柱の位置などを確認していますので、それに基づいた建物なのでしょう。今風に言えば、「平屋建て」のようです。城の周りは樹木が見えなくて、物足りない感じを受けますが、これは守りのために樹木を伐採しているためであるようです。樹木があれば、木々を掴みながら登れますし、隠れ場所にもなってしまいます。徹底的に伐採されたようです。当然、裸地の斜面は降水による浸食も大きかったことでしょう。

 ところで、教育委員会での相談中に、畑沢に関する、畑沢の大先輩による、畑沢のための貴重な資料があることが分かりました。大きな収穫です。畑沢の先輩方に深く感謝します。そして、協力して下さっている教育委員会の方々にも感謝、感謝が続きます。