この千鳥川ウォッチングというシリーズは、直近の投稿でも1年10か月前になりますので、若干の説明をいたします。千鳥川は畑沢の南端から北端へ向かって流れ、荒町地区で朧気川へ合流する小さな川です。特に増水でもしない限りは、どの場所でも簡単に向こう岸へ渡ることができます。江戸時代から大正10年までは明らかに「畑沢川」と呼ばれていましたが、その6年後の昭和2年に青井法善氏が著した「郷土史之研究」では、「千鳥川」になっていました。短い期間で川の名前が変更されたようです。
山形県が管理する山形県内の川は、至る所で災害復旧工事という名目で護岸工事が行われました。その工事の結果、下の写真のように間知ブロックで固められた川岸になっています。「標準設計」という画一的な手法が用いられたようです。この護岸は、一度、川に入ると容易に岸に上がれません。人を拒絶しています。
ところが畑沢には、間知ブロック以外の材料が使われた護岸がありました。材料は玉石(たまいし)です。間知ブロックのようなコンクリート二次製品と比べると、工事はずっとやりにくい材料です。河原から大きさと形を揃った火山岩を調達しなければなりませんから、畑沢以外の地区から持ち込まなければなりません。間知ブロックは現場で容易に積み上げることができますが、玉石は手などで抑えながら慎重に積み上げ、隙間にモルタルを大量に用いる必要があります。当然、工事に要する時間は大幅にかかります。
でも、私は玉石の護岸ブロックが好きです。川の水に触れている岸の表面は、大きな凹凸がありますので、流水の運動エネルギーを減少させことができ、侵食作用を減少させます。流速を抑えられれば生き物が流されにくくなりますし、凹凸地形は生き物の隠れ場所を提供します。所謂(いわゆる)、エコ(ecological)というやつです。そして、何よりも好きな理由は、凹凸があれば「手がかり」「足がかり」がありますので、岸から川面への出入りが容易です。これも今、流行りの「親水」施設とも呼べます。私にはそれが大事です。
さて、この玉石による護岸は、いつ頃、作られたのでしょう。私が小中学生のころには、既に間知ブロックが用いられていました。日本ナチュロック株式会社のホームページによると、昭和30年ごろから間知ブロックが使われたということです。畑沢の玉石による護岸は、それ以前ですから、今から60年以上も前になるのでしょうが、何所にも壊れている箇所がりません。優れた工事です。小さな「土木歴史遺産」です。