平成29年4月15日(土)は畑沢のお祭りでした。あいにく小雨が降り続きました。山形を8時に出発して、畑沢へ9時には到着する予定でしたが、運転中に携帯電話が鳴りだしたので、脇道に曲がって電話に出ました。それだけなら特に問題はないのですが、信号のタイミングを2度も逃したために、かなり余計な時間を費やしてしまいました。尾花沢市内に入ってからは、お腹のことが心配になって、妻が作ってくれた握り飯の外にパンと牛乳も購入しました。畑沢の熊野神社に着いたのは9時半を回っていました。車を止めて大杉が立っている神社の方向を見たのですが、森閑としていました。昔と異なり、今は神社の幟を揚げませんので、その寂しさはしょうがありませんが、自動車が止まっていませんし人の気配が全くありません。何も入っていないような掲示板も寂しさを増幅させています。
ようやく一人の参拝客が現れました。私の同級生のお母さんです。私も後について登ることにしました。
そのお母さんと登ったのですが、神社の周りには誰もいません。いよいよ普通ではないと感じて、区長に電話をしましたが不在のようです。あれあれ、変だな、狐に包まれた気持ちでした。それではと前区長に電話をしましたら、いつもの声が聞こえてきました。
「今年は去年よりも1時間遅く始めることにし、11時から始める」
とのことでした。そういうことだったのです。でも、知らないのは私だけでもないようで、私の外にも2人が来ていました。
ところで、今年は11時で去年は1時間早かったとすれば、去年は10時に始まったことになるのですが、去年も一昨年も9時半には始まっていたような気がします。
始まるまでに時間がありましたので、実家の小屋に行き、薪ストーブを焚いて暖まって、かなり早めの昼食をとり、ついでに得意のカンジキ作りしていましたら、いつの間にか11時15分前になっていました。急いで神社に行きましたら、とっくに神主さんの祝詞をあげていました。残念ながら、神社前での法螺貝は写真に納めることはできませんでした。それにしても、私が着いたのは1時までにまだ10分も残っていました。これが「畑沢時間」だったのです。畑沢に「定刻」はありません。
「どれ、はづめんべ(始めんべ)」で始めるのです。2月24日のおサイドもそうでした。午後6時から始めると言っていたのですが、人が集まらず時間も大分前にもかかわらず、「どれ、しーつけんべ(火ー着けんべ)」といきなりライターで着火しました。これが畑沢流です。このことを私は忘れていました。私にもその血が流れています。
神社の中には私の外に神主さんを入れて8人がいました。何とその中には初めてお会いした人もいました。聞いて見ましたら、私が中学生のころに、毎朝、ヤギの乳を搾って届けた家があり、その家で赤ちゃんだった人でした。赤ちゃんでしたから、会ったことがあるような、ないような微妙なところです。しかし、会えたのはうれしかったです。
1時ごろに神主さんが退座することになり、私も神社を退座しました。その後、実家の近くの道路側溝に大量につまった枯れ枝と落ち葉を浚渫し、楯の調査に出かけました。熊野神社の向かい側にある「山楯」です。下の写真は、その盾跡から「向かい」地区と熊野神社を撮ったものです。この時だけは少し青空が出ていました。
望遠で熊野神社を撮ったのが下の写真です。よく見るとお祭りの宴会が終了したようです。片付け作業のようです。午後4時ごろです。
はい、進学の為に出てきました。そうですね、出て行って初めて分かる、地元の素晴らしさ、あたたかさ、って感じです。
昨日、山本五十六(長岡、雪国出身)の本を読んでのですが、「雪国出身の者は、他の出て行けなかった者たちの分まで無意識に頑張ろうとする性質がある」とあったのですが、確かにーと思いました。都会の人にそういった感覚は無いと思うのです。
自分は、将来日本各地を転々とする仕事に就きたいんですけど、やっぱり最後はおばねに戻りたいですね^^
ありがとうございます、頑張ります。
たまに、このブログに遊びに来ますね!!!
都会暮らしは大変でしょうが、体に気を付けて頑張ってください。