おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

受賞

2005年05月23日 15時56分52秒 | 日記・雑談
先週の金曜日、高松の全日空ホテルクレメントにて開催された香川県建築士会通常総会に出席してきました。毎年総会終了後には、懇親会が開催され、優秀作品の表彰式も行われます。今年も昨年に引き続いて賞をいただきました。支部表彰だったのですが、昨年一年間の頑張りを誉めてくれてるようでうれしかったです。今年もまた頑張らなければと実感しました。

事務所の新しい住人か?6

2005年05月23日 11時05分30秒 | 日記・雑談
3月末に巣より卵が落下して、鳩はいなくなっていたのですが、GW頃再び住み始めました。前の鳩とは違うような気がするのですが、よくわかりません。それからずーっと住みついているようです。鳩の画像の左の方に卵の殻らしきものがあるのですが、ジュニアが誕生しているのだろうか?鳴き声も姿も確認は出来てないですが、気になるところです。

「わからない」という方法4

2005年05月23日 10時21分32秒 | 日記・雑談
第一章 「わからない」は根性である より抜粋
2 「わからない」を「方法」にする方法
◆「わからないけどやる」は度胸である
 失敗の可能性が高い「わからないけどやる」は、度胸のいることである。「バカと言われることを顧みない度胸」が二十世紀病を打破する力となる。
◆なぜいろんなことをやるのか
 「わからない」を「方法」にするために必要なものは、覚悟である。著者はいろんなことにチャレンジしているが、それは「わからない」という壁にぶつかってばかりだからである。
◆人は常に壁にぶつかり続けている
 作家というものは、作品を書き上げて「作家」になり、作品を書き終えた後は、「あの作品の作家」という形で「過去の人」となる。つまり「定年」と「再就職」を頻繁に繰り返してることになる。作品を書き終えた作家は、「次の作品」という再就職先を見つけるまで、印税とか原稿料という退職金で暮らす。「次の作品」を見つけられたら、「作家」として復職できるのである。復職するためにはその度に壁を乗り越えなければならない。
◆どうせ来る衝撃はゆっくり受け止める
 最初の作品を書き終えたとき「もう書くことはない」という状態であった。それを公言してしまうと「才能のない人間」となってしまう。次回作の依頼を「テキトーにかわす」という方策も必要である。物事をきちんと終わらせるためには、「やるべきことをやりつくす」が当然なのだから、その後に「ストック=ゼロ」になっても不思議はない。恥ではない。恥ずべきは、中途半端なまま「終わり」ということにしてしまうことである。
◆ヴァリエーションの数は挫折の数に等しい
 一つのことしかやらないですんでいる人は、「他に能がないから」などと謙遜するが、それは「能がない」ではない。挫折を知らないですんでいるだけなのである。挫折に免疫のない人は、一つの挫折で簡単にまいってしまう。人生に挫折はつきものである。「挫折」に見せないための工夫、覚悟を持たなければならない。
◆自分はなにものでもない
 「今までとは違う新しいことをしたい」と思うのなら、その時、「今まで」は壁にぶつかっているのである。つまり挫折している。そこから脱出する方法は一つしかない。「挫折している自分自身」を素直に認めることである。挫折に苦しんでいる人の多くは、「自分はなにものかであった、まだなにものかである」という虚栄心によって苦しめられているのであって、自分が経験したはずのことを、「経験=キャリア」として自覚できない。自分を「ナニサマ」かと勘違いして、挫折を挫折として認められなくなる。挫折は挫折であって、もう「ナニサマ」でも「なにもの」でもない。
◆「わからない」は孤立無援の自覚である
 「わからないけどやる」や「わからないからやる」は、孤立無援の状態におかれている。孤立無援の中にある時、既に人は「なにもの」でもない。「わからない」を「方法」にするということは、他になんにも有効な方法がないからの「仕方なし」であって、それは「覚悟する」の別名である。