おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

どっひゃ~

2005年05月24日 19時35分15秒 | 日記・雑談
GWも休まず、一生懸命図面書いたのに、今日施主の一言で振り出しに戻りました。構造計算も構造図も終了、意匠は展開図を最終的に仕上げるだけだったのに。。。なんだかな~
車のディーラーショールームで久し振りの鉄骨造だったのに。。。また描くのかと思うと気が重い!なんとか気合いをいれなきゃ。誰か飲みに誘って!

「わからない」という方法5

2005年05月24日 19時29分47秒 | 日記・雑談
第一章 「わからない」は根性である より抜粋
3 企画書社会のウソと本当
◆一兎を追う者は十兎くらい一度に追え
 「わからない」とは、思考の途中で「わからない」という表示がさまざまに登場し、「どっちへ行ったらいいかわからない」という混乱に襲われてる状態である。「二兎を追う者は一兎も得ず」と言うが、「明確な目標」を持つ人間は、はじめから二兎は追わない。「明確な目標」のない者は十兎くらい追うしかない。そのどれかでも捕まえればめっけものと思うのが初心者の心得であり、大学受験の「すべり止め」と同じ感覚である。結局は失敗しても「経験だけはしたから、今度の機会にはー」ということにすればよい。
◆しかし現実は甘くない
 もっとも「一兎を追う者は十兎くらい一度に追え」などという言葉を実践すると、社会人失格になってしまい、企画書にもならない。
◆なぜ企画書はウソだらけなのか
 企画書には、明快なる方向性が求められる。それは「上司の読むもの」だからである。上司とは管理職である。管理職は現場からはなれ上にいけば行くほど現場からは遠くなる。しかも「自分のわかることしかわからない」という人間が増えていく。だから企画書は、ものわかりの悪い上司にもわかるように「明快なる方向性を持つ」ものになる。
◆企画書の根本は意外性と確実性
 企画書は、「現場の発想を生かすもの」ではなく、「上司の理解力に届くもの」である。現実には「テキトーなウソを書いておいて上のOKだけを取っておき、その後でやるべきことをやる」という日本的な「根回し」の作業が必要である。企画書には、上司を驚かせる意外性と、上司を納得させる確実性という矛盾したものを必要とする。
◆確実性とは「もっともらしさ」である
 企画書を没にしないためには、どこかでウソが必要になる。要はない確実性を「ある」と言い、ない意外性を「ある」と言うのが「よい企画書」になる。
◆企画書社会の根源
 企画書社会の根源が「文章第一」の官僚社会にあることは間違いない。しかし、企画書が要求する意外性と確実性は、理屈を求めて本を読む日本人全般にわたって潜在的に存在する、「納得の二大要素」でもある。