歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

「技術と社会はどう向き合うべきか」(NIRA)「トランスサイエンス時代の生き方」横山禎徳まともです

2014年02月25日 21時34分23秒 | 日記

「トランスサイエンス時代の生き方」横山 禎徳 東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム 企画・推進責任者

「従来の技術は、試行錯誤の積み重ねである経験則から生まれたものだ。例えば、動力飛行機を発明したライト兄弟は、流体力学を熟知していたわけではなく、幾 多の失敗の経験が開発の土台となっている。それは、当時の技術が、いわば皮膚感覚で理解できるものだったことを示している。」

これは、実に立派なご意見で、キチガイと馬鹿女とは偉い違いだ。

この皮膚感覚と言うのが、今の技術が強大な巨塔ではないと言える。

毎度思うのは、技術の発展を嫉妬する馬鹿文科系大学出は色々ほざくが、手近な例示が出来ない。

彼の人の言う皮膚感覚は、機械の人間には理解できる。今の最新分析能力は手の感覚を越えるモノは無い。実際捜査電子顕微鏡レベルのオングストローム単位の厚みも手で分かるのである。それは「無学」と頭の悪い馬鹿文科系大学出が切り捨てる職人さんは分かるが馬鹿文科系大学出や馬鹿女:例:藤垣 裕子やキチガイ:例:夏野 剛は理解できないだろう。

また、実際に使うとユーザーとしての勘が出てきて「運用思想」つまり「使い勝手」が分かり、そこでの「知恵」が出てくる。そこまで来ると「研究を一般人に開放せよ」米本 昌平 総合研究大学院大学 教授の論旨と似てくる。

馬鹿文系大学出は、この「幾多の失敗の経験が開発の土台となっている。それは、当時の技術が、いわば皮膚感覚で理解できるもの」を「最初からアレルギー」反応を示し、弱点として触らないようにしている。

何より「私、この分野ダメだから」と議論から抜けるか、何にしても「否定」から始まる。これが今の「足を引っ張る系」である馬鹿文科系大学出である。それは何より馬鹿でゲスで腰抜けで卑怯で地位を得るためのサバンナ高橋のようなやり口だけが異様に突出したクズ野郎の集団となっている。

つまり無能で低能でゲスなのに自分の欲望だけは無限に広がり、それを低能でクズなのに達成したい外道が色々な小細工と真面目な人間の免疫の無さをいい道具として利用する、オーラのトンスル色の髪の毛と同じ論法で行われる事が基本的な議論を根底から破綻させるのである。

要は、どのカスを外すと話がスッと通るのだろう?と考えた方がいいのである。

大体研究を一般人に開放しても「無駄」である。なぜならイメージも沸かないし、使い道も分からない。

その際たるものがパソコンだろう。

パソコンをどう使うか?は私には山の様にビジョンがある。

職場ではAutoCadを使っているが3Dの無料のCADであるFreeCadがあるが、これを使おうと話そうとしてもDraftSightがフリーで使えるよ?と言う事を言っても分からない。

パソコンを使ってサーバ機能を使うと、ホームオートメーションが出来るよ。とか言っても分からない。

また、スマホがARMコアでAndroidはLinuxの一形態で簡単にサーバを構成できるよ?最近ではワンチップマイコンでも擬似サーバが出来るよ。とかUSBを使った計測が簡単だよ!配電盤の構成は、個体化(トランジスタ化)すれば大分小さくなるよ。と言っても分からない。

また声高にこの「技術と社会はどう向き合うべきか」と言う事を言うのだが、これも「失笑」を禁じ得ない。

どう向き合うべきか?は大抵の場合ジャーナリストとほざく「極めて戦争屋の論理に近いゲス」が「分からないものを誤魔化すレトリック」として使われている。それが今の糞の左巻きことマスゴミの「存念の根底」を見せる。

また糞の左巻きことマスゴミこそ、先のブログにも載せたが技術の発展の場であるベンチャーキャピタルで適当に投資銀行のゲス野郎が色々荒らし回った後で捨て台詞のような罵詈雑言を吐いて全く反省していない。

そして、またぞろマスゴミは「向き合う」を連発している。そこには「社会正義」を錦の御旗にして戦うとほざく「正義の戦士」の敵が「場末の飲み屋の暮らしも立っていかない婆さん」や「日々の生活に疲れているタクシーの運転手」や「酔客に翻弄されている居酒屋の労働者」であり、彼らに食ってかかって、憂さを晴らすか、飲み代を因縁をふっかけて踏み倒すか?である。朝日新聞は、その「こ乱行」が隠し様もなく福岡の一部地域では夕刊の発行もおぼつかない有様だ。

正直、技術とどう向き合うべきか?は、使い方を実感するまで無理で新技術のオンパレードで出ている限りにおいては上滑りも泥臭さも対応が着かず、結局は、二人羽織を羽織る事となる。

何よりも強く言いたいのは、色々分かるというと全ての責任を押し付けられるため、その馬鹿どもの多い所で優秀な人材は居ない方がすんなりと進み、馬鹿に利口は対応できないのであると私は実感した。

最終的に言うのは、大阪や、糞みたいな、強かを売り物にするゲス野郎に見られるが、こいつらは何時まで経っても、過去のイメージを変える事が出来ず、古いイメージをいつまでも押し付けるのである。

日産も大正製薬も同じである。

NIRAの人が何と言おうと、このゲスどもは口で何と言おうと力技を使う。

毎度スティーブジョブズが成功した一番の理由は?それは、このゲスどもが使う力技をもっと強い力技で黙らせて、加えて成功した実績である。

ここまで強く自分を信じられる人は居ない。それが出来たのはジョブズの場合若干切れた性格だったのだろうが、それ以外の昔の人は「色々と分かっていないから」だったかだろう。

私は、もう開発を「馬鹿相手に」することを完全に否定している。

では誰を相手にするのか?

子供である。

馬鹿はすぐ教育と言うが「面白がろう」と言う事を上から目線をしないのは有難い。

技術を進歩するとか開発するではなく、皮膚感覚を得るために触るのである。

それは「遊ぶ」のである。

それが私の最終的な結論だ。

年寄りはごめんだ。

馬鹿な上に反応が遅い。

それが「技術と社会はどう向き合うべきか」の結論だ。

年より相手に話すな。面白がるガキに話しかけろ。そして楽しく技術を無駄に使って遊ぶのである。


シリーズ識者に問う「技術と社会はどう向き合うべきか」妹尾 堅一郎さん、まともです。

2014年02月25日 21時05分55秒 | 日記

「技術を社会へ展開する事業構想力の時代」妹尾 堅一郎 特定非営利活動法人 産学連携推進機構 理事長

「技術は、産業を通じて社会に還元されなければならない。産業は、経済活性化と雇用の確保という重大な役目を担っている。」は、まぁ教科書の通りですが、毎度、この流れが滞ったのが問題なのである。

何故か?オーラのトンスル色の髪の毛に聞いてみては?

私の回答は、勝間和代が「出来ないビジネスマン専用の馬鹿番組」=「デキナビジ」に出ていたのが象徴的である。ひろゆき氏が相手でベンチャ企業が無いのはどうしてか?と起業しない側の責任をあげつらう馬鹿牝である。

だが、私のブログには何度も出ているが、1980年代後半にはベンチャーの投資リターンが得られるのは巨額投資を必要とするバイオしかなくて、それ以外では殆ど無かった。1980年代末には、このスッカスカのベンチャーを捏造して未公開株の売り抜けビジネスを投資銀行がやり、ベンチャーをスッカスカにした。また、その残滓としてインターネットバブルをやり、投資金額を釣り上げるという作業を行った。

それを見ていないような記事をインターネットバブル後クソミソにぶっ叩いたのが日経グループである。2000年から2001年の記事を見ると大笑いである。

実は技術を単純に技術として見るのは難しくなり、その上前をはねると言う「ゲスの利口」が出てきた。それが慶応の「ビジネスモデル」である。勝間和代が代表と言った方がいいだろう。また経営コンサルタントや税理士や投資コンサルタントなどは、この類で、どういう奴かというと「島耕作」か「島耕作に憧れるレイプ魔」であろう。

まぁ実物は?と言われると「ルネサステクノロジー」の理科系大学出以外の奴等の面を見ると、その「平均顔」が、その類だろう。因みに「平均顔」とは画像の特徴を平均化すると、その業界の人間の典型的な特徴を表すと言うものである。

氏の「要するに、技術のどの領域をオープンにして市場を加速的に形成し、どの領域をクローズにして収益を確保するか、つまり「オープン&クローズ」戦略を真剣に検討すべきなのだ。」と言うのは、その戦略を誰が行うのか?である。

ルネサステクノロジーの「島耕作」か「島耕作に憧れるレイプ魔」は「技術者はオタクだから機能ばかり盛り込もうとする。顧客のニーズを知り尽くしているのはプロの営業の我々だから、無駄の無い(機能の無い)大人の(クソつまらない)チップを提供できる」とほざいて「問答無用」で「独裁体制」を捏造した。まぁ「馬鹿文科系大学出のクーデター」である。

その結果「大人のルネサス」は「自動車の半導体という、大きなバックニーズを持ちながら、何故か営業的に新たな点を見出せない」と言う「技術ではなく方針や戦略」と言う極めて文科系的な所が「話にならない」と外国のメディアが「結論づけた」のである。

そのルネサスの「大人の結論」はARMコアを使った、名前だけ国内ウケしそうなRZマイコンである。

「小細工の最たるもの」だろう。

さて?大人のルネサスの営業の馬鹿?H8やSH、RXの営業の失敗は何が問題だ?

ああ、ルネサスの株はどうすれば買えるのかな?株主になれば「ネチネチ」聞けるんだろう?委任状を山と持って「核心の部分」を突きに突いてやろうか!ああ!

これまでの発源と今後の方針に関して、聞きたいことが山ほどある。

さて、妹尾 堅一郎 特定非営利活動法人 産学連携推進機構 理事長の疑問に答えるなら、会議の場の空気を読んで、場の研究をし尽した「お約束」の権化は、かつての大本営同様、結局、着実な技術や論理の戦いではなく、ノリや目新しく目立つモノに飛びつき、囃し立て、その結果、食いつぶし、飽きて捨てるのである。

それは日本の旧陸軍や海軍の愚劣な戦略その物である。

平和の中にかつての悪行の腐臭が臭う。それはオーラのトンスル色の髪の毛の好きなモノは、何より戦争を好んだ奴等の愚劣な気まぐれとごまかしである。それこそ臭い穴の暗く狭い奴だろう。この言葉を逆にすると美輪明宏となる。このトンスル臭い暖色の校門性交野郎は、何より不正と腐臭と劣化と賃貸と根絶やしの実態である。そして、何より気まぐれのその場しのぎの性欲をひけらかすやり方は、まさに、国も会社も家庭も焼き尽くす一番の危険な毒である。

まぁ男色のトンスル野郎のゲスのカスのカマの低能の心霊詐欺師のやることはこんなものだろう。

いずれにしても見てくれを幾らイジっても食言を幾らひけらかしても、我々技術者科学者の目は、頭脳は切れのいいナイフだ。

論理的破綻は幾らも切れる。馬鹿文科系大学出の低能さは、実によく見える。


シリーズにしちゃいました識者に問う「技術と社会はどう向き合うべきか」(NIRA)馬鹿女の言い分

2014年02月25日 20時46分24秒 | 日記

「科学技術の社会的責任を問う」藤垣 裕子 東京大学大学院総合文化研究科 教授

まぁ読んで見てください。大体この論法は押井守やオーラのトンスル色の髪の毛がほざくネタである。

馬鹿でゲスでカスがなんぞほざいていると言うのが事実である。

福島第一原発の話であるが、この福島第一原発では、まず文部科学省の次官クラスから「この件(つまり原発とその影響を分からせる事)に関しては研究結果を発表する事を『禁じる』」と言う命令が「公式にされない正式」に布告されたのである。

この事を言わない時点で藤垣 裕子なるゲスの低能のカスの卑怯物体で、必ず死後地獄に落ちるであろう外道である事は約束された。せいぜいオーラのトンスル色の髪の毛から「校門性交」を叩きこまれなさい。

福島第一原発の問題発生時に、この命令が布告されたのに対する対処が「海外のサイトに出ている研究結果を見なさい」と言うもので、また国の紐付きじゃない科学者のブログなどの情報を貰った。その結果私は3月20日の時点で、その後半年間起こる問題を既に把握していた。

それを「分からない」「理解できない」と吹聴して、馬鹿でゲスで卑怯で、低能な私に分かるように科学技術を説明しなさいと、無様で無様で仕方の無い藤垣 裕子が「チョングソの用にほざいている」のであります。

つまり東京大学大学院総合文化研究科 教授は「馬鹿でもなれる」上に「馬鹿だから、その席に就いた」のですね?

よく分かりました。

さて、その後の科学者の抵抗は、別の手でやられました。それは「活断層攻撃」です。2011年以降の原子炉再開が足止めを食っているのは、地学関係の科学者が公のプロセスで「地震問題」で納得できる論拠を提出しなければならないのだが、それを「正面切って」阻害しているのである。

簡単に言えば「日本は原発を作れる場所は何処にもない」と言っている。

これは、この馬鹿でゲスでカスで卑怯で外道な東京大学大学院総合文化研究科 教授藤垣 裕子に幾ら説明しても馬鹿だから分からないので、説明するのは無理と判断し、「あのなぁ~おばぁちゃん?ええかぁ~?日本はな?地震がぎょ~ぉさん来るんで、危ないんや?分かるかぁ~?そんなんで、何処掘っても、活断層言うもんがあんねん!その上に原子炉置いたらいかんのやけど、今の原子炉の殆どは活断層の上やねん?だから、今の原発は動かしたらあかんのや?分かるかぁ~?」とわかりやすすぎる説明のみで、この「なんやぁそら!あたいは聞いとれへんでぇ~」と言う、今回の「科学技術の社会的責任を問う」と言うこの馬鹿でゲスでカスで卑怯で外道な東京大学大学院総合文化研究科 教授藤垣 裕子のお門違いな「ご指摘」と言う名の「思考停止と無知と低能」を他人の所為にする、悪行への「初歩的反論」をしました。

グレード1は終了。グレード2は、この馬鹿でゲスでカスで卑怯で外道な東京大学大学院総合文化研究科 教授藤垣 裕子の「程度のレベル」を判断して発動する予定です。

「まず敵の全滅は確定しており、問題は、如何に全滅するか?の過程が問題でしょう」


このキチガイを見よ!→「社会を新技術に適応させよ」夏野 剛 慶應義塾大学特別招聘教授

2014年02月25日 20時09分26秒 | 日記

このキチガイの告白は、識者に問う「技術と社会はどう向き合うべきか」(NIRA)の中の一つである。他の記事は賛否はあるが、まぁそんなもの?と言えるのだが、こいつは違った。

「数十年後には、脳に直接電気信号を送る技術が登場し、人の情報処理能力はさらに飛躍的に向上するだろう。」

狂っている。そう思いません?

まぁどんなものかは、読んで見てください。正直「呆れる」。

なるほど、流石は慶応2012年には久々の数十億の詐欺師を現役学生から出現させただけじゃなかった。

こんな「キチガイ」の隠し球があったとは?竹中平蔵にしても勝間和代にしても見え透いた寝言をほざく「目を開けたまま寝ぼけられる上に、はっきりした声で寝言をほざく」と言う慶応ならではの「奇っ怪な能力」を披瀝していたが、この「キチガイ」は、何処のドイツと比較しても立派に「ぶっ飛んでいる」。

あのね?坊や?攻殻機動隊のアレはね?想像の産物で、現実じゃないんだよ?分かる?

そういう風に「やんわりと教えて」あげないと、まぁ慶応はルーシーブラックマンさんをレイプして殺すという「お家芸」を持っているから、まぁ、見かけたらショットガンで撃ち殺しましょうか?と言う感じである。

この「社会を新技術に適応させよ」と言う態度から、セックスの前に「前戯」をすると言う心の余裕は無いのだろう?

もしかしてレイプ専門の挿入優先?それでは世界どころか女も満足させられません。

どうも世の中の進歩が早いから、何か馬鹿が適当な事をでっち上げると、何か「それ風の事態」が出てきて、そんで「やっぱり私の言った通りでしょう?」と胸を張る。どうもチョングソのボロボロの遺伝子が見える。

でも、こんなのが経済諮問会議の委員でもあるNIRAから識者と呼ばれる事自身が「極めて残念」である。

マジで言うけど、これ「真面目」にこんなことをほざくんだぜ?

まぁ色々な技術が進んでいるが、それは色々な点を深くやると、その底が掘り起こされている程度のモノで、今、一つの情報を深く掘っているだけなんだよ?と言う全般的な把握が無い。

今の技術で半導体・コンピューターの技術などでも言われるのは、並列化と相互の相関をとるという事が始まっている程度のモノで、一本調子から、小技を連携して出せる技術の世界が広がっているって感じである。

中でも一番問題なのは、大量の情報が出ているけど、マスゴミの捏造なんかを見ると、色々な話を積み上げる際に、偽情報があるか無いか?が前提で情報を扱う場合、大変質を保つのが難しく、肝心の所で根底から計画なり事業なりの根底を破壊する事となる。

ちょっと例は違うがB787の補機動力を電池に集約するという「極めて大きな賭けを前提とした大きな転換」と同じである。

これは「遠すぎた橋計画」と言う奴で、映画を見れば分かるが、イギリスの能無しのフリーメーソンの典型、モントゴメリー「馬鹿・空想家」将軍は5つの橋をすべて落とさないと成立しない侵攻作戦を立案した。世に言う「マーケットガーディン作戦」である。後世の「愚策の典型」で「インパール作戦」と互角に競い合える愚劣さだ。

そんな技術の進歩の中にありながら、まぁ最初から「脳に直接電気信号を送る技術が登場し、人の情報処理能力はさらに飛躍的に向上する」だって?

今ですら、情報の多さに辟易しているのに、これ以上情報の集約化と無秩序化を促進するのが「理想」だと?

ふざけた諭吉は、結論としてキチガイと詐欺師を量産して、国家を破綻するのが目的だったのか?

私は、日経の何かの本で「相場師の格言」を読んだが、こっちの方がよっぽどマシだ。これはジョセフケネディーも言ったのだが「相場というモノは、どんな状況であっても、一度、場を捨てて冷静に見る時が必要である。」つまりジョセフケネディーはアメリカ株式大暴落の3ヶ月前にそう決断した。

毎度銭の亡者の様に言われるヘッジファンドの面々だが、投資銀行のクズ野郎とは違い、冷静で常識的で論理的である。だからジョージ・ソロスもそんなに嫌いじゃない。アルビン・トフラーもである。

彼らはとっぴな事を言うように思われがちだが、極めて論理的に着実に進めて言った結果として、結論を出す。だから事実がついてくる。

だが慶応では、とっぴな事を言う奴は、大体「キチガイ」か「詐欺師」である。

残念だが、警視庁の刑事二課では、私の言を採るだろう。それは「捜査記録」「送検記録」を見れば一目瞭然である。

そして、こいつは「精神科のカルテ」に名を載せることとなるだろう。

それにしてもNIRAさん、勘弁して?キチガイは排除しないと。