EVは、田舎で使う場合は意味がないが、都会では実際に動く距離が少ないので、意味があるだろうが、自動運転の車のシェアとは限りなく公共交通機関に近い。そうなると、軽移動車両(自転車のような)で近くまで行き、その次は太規模輸送機関に乗り、目的地に降りたら軽移動車両で移動するという感じになり、本来自動車と呼べるのは「軽移動車両」となる可能性がある。
そうなると、公共交通機関と個人の交通機関とがかき菜がなくなる可能性が出て来る。
大体今の高級車がそうだが、ステータスを見せるためのものとして車があるのだが、車を人が運転するなら、運転手を持つようなもので、凄く偉そうだが、それが一般化されると、その意味が希薄となる。
所有者であるが、運転は自動となると、それはタクシーかも知れないし、それがでかいやつで、デカイ方向となると、バス、ちんちん電車で、それ以上は電車、新幹線、飛行機、船となる。
そうなると、移動方法自身は結構昔のように回帰していくのかな?
一般人は、安物の買わないレンタル車を自動運転で広めることとなる。
当然効率を考えると、車の数が最小なものとなるはずである。つまり、自動車会社は、自動運転自動車を個人で持つというインセンティブを残し、そのインセンティブをどうするのか?が問題でしょう。
今の開発状態では、単一な、形式、同じ規格しか通らない感じだが、それでは「車の厳格な機能」を追っていて、私が5MTの軽バンを動かしている理由の全く逆なのである。
安い、手間がかかる、てめぇの目とハンドルと足と耳で危険を感じろ!は、それほど過酷でも危険でもない。
私はチョイ追突を3回あるぐらいで2回被害1回加害である。そんなに大問題は起きないもので、それを絶対安全にすると、車両が運転をしない人達だけが乗るのに形が変わり、それはどんどん乗用車と言う利益を上げるシステムを一般化する傾向がある。
これは、色々言われる夢や可能性の内、一番今の経済システム・生産システムを破壊する可能性が高いように感じる。
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