戦争のやり方は、基本的に多数徴兵から少数精鋭に変わる。
その際たるものが、中国だった。
中国は、最初多数徴兵から、その後戦車(馬車)を中心とした少数精鋭に変わる。
しかし春秋時代から戦国時代へと移るにつれて、多数徴兵へと変わっていく。
この少数精鋭は実は中国へはオリエントから伝達したのだ。しかし戦車は中国で極めて洗練され、周王朝での少数精鋭をより強固とした。
オリエントの場合、少数精兵はあったが、基本的に多くの兵を運用する寡兵の傾向は、あったのである。
その後オリエントのヒッタイトとかアッシリアとかの強兵の国が滅んで、その後ローマ帝国が勃興してくる。ローマ帝国は徴兵による寡兵軍隊の最たるものであるが、その後キリスト教の王朝が成立すると、実は傭兵による少数精兵化が進む。
徴兵制は、実は福祉を強化しないと反乱する恐れがある。だから下衆のチャーチル退陣後、福祉政策をあそこまで進めたのだ。下手をすると共産党に味方すると脅してである。
つまり、反乱する戦力、戦い方を知らない人間ばかりだから、銭ゲバのブラック連合=経団連が平気で人権を抑圧してくるのである。
この少数精鋭の「圧殺・抑圧部隊」は「ロボット兵器」や「コンピューター」の大量投入を、その分人件費に落とせばと思うほど狂気的に行うのである。この動きは少数精兵化の時の古代のバカと良く似ている。
その潮目が変わってきている。その事をブラック渡辺は自分が殺されて実感するのだろう。家族と一緒に…。
実は、戦い方を教える存在が出てきている。いや、その存在はインターネットの始まる前から、お手軽なガイドブックが左翼のゲリラから流れていた。
特に国会図書館にしか残っていないといわれている「ハラハラ時計」と言う時限爆弾の作り方のマニュアルがある。これは、一時期流行り、中学生や高校生がまねをしたものだ。
ただ、この頃の左翼の技術レベルは低く「伝説の基板」と言う「爆発確実の時限装置」と言う「バカ?」と言いたくなる様な事を真顔で言っている時代だった。
最近では、オペアンプの低ドリフトを使って、例えば解体処理をしようとしてナイフで表面を触ったり、表面被覆を切っただけで爆発するような事が実に簡単に出来る。昔は温度による誤差を補正できなかったが今はマイコンでバリバリ出来る。
このテロと言うのは新しくてイスラム教徒がやるものと言うのは間違いで、人類の歴史はテロの歴史だったりする。
第一次世界大戦のユーゴスラビアの皇太子の暗殺事件はテロの最たるものだ。
第一次世界大戦前の19世紀の戦争の時点で、この手のサイクルが完成している。
例えばセポイの乱などは、傭兵による精兵化である。同じ事は、グルカ兵、ブッシュマン兵などにも見られる。
ただ、この手の最初の武力での脅しには次第になれて不断の生活の方が苦しい事が勝って、戦いが始まる。
その前に支配者側は徹底的に一般人を馬鹿にする。舐める、痛めつける。その為第一激は強力だ。
第一次世界大戦後、世の中、真面目で一生懸命な人が多いお陰でどれぐらい凶暴な生産システムが採用されているか?バカ=文科系大学出は分かっていない。
その際たるものが「超強酸」や「超強塩基」である。100%の濃硫酸(実物は存在しない)との酸化度の比較で一億倍の物質が高効率性賛成の為に色々と使われている。
パタリロの魔夜峰男が「五酸化物」とかほざいて卵一個で1都市ブロックが消えてなくなる程の爆発物は、存在しない。だが、似たような過激な生産用触媒は存在し、それは真面目で堅実な生活が維持できて、言論がまともに取り扱われ、抑圧されない人間が大勢でない国では、すぐに「テロ用の兵器」と変わる。
また御目出度いマスゴミどもも、良く覚えておく事だ。
世論を騙して誤魔化して、扇動して、色々やるようだが、前回の大騒ぎでは、思っていた以上に激しく動いた。そして、今回ITによるメディアの情報の凄さを思い知る事となるだろう。
ビッグデータとは、お前たちの頭のてっぺんから足の先どころか、ふけの一片まで暴露されるだろう。
何故か?守る事は見張られているのと同じだという事だ。守られる為には、登録が必要で、その為の身分証明が必要となる。その時、情報の登録と身を守るための出処進退が監視されるのだ。おっと、見守られているのだ。
この話では、テロをやらないと社会保障が得られないではなく、往々にして、権力者は少数精鋭で身を守ろうとするが、それが破綻して、多数による効率の悪い方法に切り替わるのである。そのサイクルは昔は百年オーダーだった。だが、そうではない。
大量の兵の投入によるヴェーマハトは、多分、中国がやるだろう。
その一方でイスラムが元気に暴れている。どちらも人海戦術が持ち味の知恵なしである。
今見ている「ブラックホークダウン」を見た後で「砂漠とライオン」を見て「オマー・ムクター」の潔さを見ると「ブラック渡辺」の生き胆でコーランを写本したくなるだろう。
まぁ今後過激になる世論と実行力に富む「痛めつけられた未来の希望の無い技術者」の「底力」を「破片となる無様な死体」で実感するのは、そう遠くないだろう。
もうすぐ、その動きが始まる。
人は誰も、敗北者として生きるより、勝てないにしても、戦っている姿を望むものだ。
大丈夫、バカ=文科系大学出は「下衆」なだけで、立派にバカである。やり方が小汚いだけだ。
どうせ人は死ぬのだ。女優を目指した女の子も殺されて死んだ。道端でひき殺された猫も、無残で無念な死は同じだ。
「生は虜にされる。」とは孫子の兵法である。「生き延びたい」と腰抜けになると舐められて負けるのである。
死は生に付き物で、虜となって無残に生きるより、死を選ぶのは、当然だろう。老子曰く、生と死は同じものである。
生きて舐められるより、死を賭して戦うのみである。生きる事は戦いなのだから。
そう、この日本は戦場なのだから。ビジネスと言う戦いで負けたなら、別の戦いで勝てばいい。生き延びれは刑務所で面倒を見てくれる。それを余生とするのも、また良いだろう。
何より、戦いを起こせば、守りに金を使う。それこそアベノミクス第二段だろう。
そうして雇用が生まれる。警備だけだって?違う違う、今後の戦いは情報戦だよ。
最近休みの日の朝、朦朧とした意識の中の自分を感じる。これが死なら、死も悪くない。